Skip to content →

05 土の中から出られない *児童虐待

 小学一年生の時だ。その日、俺はガリガリ君片手に下校途中だった。その頃は、俺にもいっぱしに友達だと思っている奴がいた。随分と卑屈な奴で、やけに俺の荷物を持ちたがったり、俺の代わりに宿題をかって出たりと、その頃から既に自尊心が強かった俺にしてみれば酷く都合の良い奴だった。今思うと、それは友達じゃなくて下僕じみたものだったのかもしれない。だけど、その頃の俺にはそれらの区別なんか付かなかった。
 
 そいつと一緒に帰ってる途中に、そいつらはやって来た。白目を真っ赤に血走らせた数人の中年男女が射殺しそうな目で、俺を見下ろしていた。白昼堂々、俺はそいつらに攫われた。それからの十日間は、悪夢だった。小さな部屋に閉じ込められて、毎日毎日大人達に殴り飛ばされ、蹴り飛ばされ、張り倒された。小さな身体に大きな拳がめり込むのは、目玉が飛び出しそうなぐらい痛かった。泣きじゃくれば、五月蝿いといって余計に強く叩かれた。裸に剥かれて、一晩中冷水を浴びせかけられたこともある。寒がれば、ライターの火で太腿の肉を焼かれた。大人達のサッカーボール代わりにされた日もあった。俺の身体を交互に蹴り飛ばす大人達は、酷く愉しそうに笑い声をあげた。食事は三日に一回しか与えられず、生ゴミじみた残飯を必死で貪り食った。
 
 そいつらは皆俺の親父に酷い目に合わされた町の人間だった。倒産、リストラ、借金、離婚、どれもこれも俺には理解出来ない事を、親父にぶつけられない分、俺にぶつけてくる。辛くて辛くて死にそうだった。それでも、俺は信じていたのだ。友達がきっと俺が攫われた事を伝えてくれている。犯人の顔だって見られているんだ、直ぐに俺は助け出される。お父さんとお母さんだって、きっと必死に俺を探しているはずだ。そう信じ込んでいた。それが俺の一世一代の大馬鹿。
 
 
 
 攫われてから十日後、俺は埋められた。小高い丘の上に何時間もかかって穴を掘らされて、その中に蹲るように言われた。頭から土を被せられて、俺は恐慌した。必死で命乞いする俺を眺めて、大人達は声を合わせて笑い声をあげた。そうして、滑らかに語り始めた。
 
 
 俺が友達だと信じていた奴は、俺を見捨てたと。俺のランドセルを川に捨てて逃げたと。
 俺の両親は、俺を見殺しにしたと。身代金すら払わず、探そうとする気配もなく海外旅行に行ったと。
 そうして、俺が暴行を受けていたのは住宅街の真ん中にある住居で、俺の悲鳴は近隣の住宅に筒抜けだったこと。その悲鳴が麻生家の次男のものだと知った瞬間、誰一人として警察に訴えようとはしなかったこと。この町の人間は、皆御前は死ねと思っていると。
 
 
 俺は、この町に殺されていた。それまで過ごしていた世界が俺に死ねと叫ぶ。死ね死ね死ね、御前なんか死ね、と皆がよってたかって俺を殺す。長い絶叫があがった。それが自分の発したものだと気付くのに時間がかかった。泣きじゃくる俺の頭に、大人達は容赦なく土を掛けた。それを払い除ける気力さえなかった。湿った土が俺の全身を覆った。鼻も口も土に埋められて、重力のある暗闇の中、俺は自分の呼吸が止まるのを感じた。俺は土に埋められ、殺された。
 
 
 
 目が覚めたら、兄貴が俺を見下ろしていた。ベッドに横たわる俺の掌を固く握り締めて、学ラン姿の兄貴が「二郎」と喘ぐように俺の名前を呼んだ。それから兄貴は項垂れて、「ごめんな、二郎」と何度も謝罪の言葉を繰り返した。ベッドの端に、まだ幼稚園児だったミツルが座り込んで、じっと俺を見詰めていた。俺は病院の天井を眺めながら、自分がまだ暗い土の中にいるのを感じた。そうして、今の今まで、俺は土の中に埋まったまま、抜け出すことができない。
 
 
 
 
 
 
 その経緯から、俺に付いたあだ名が「ミミズ」。その事件から、俺は他人の暴力を奮うことに躊躇いを感じなくなっていた。大人だろうが子供だろうが、男だろうが女だろうが関係ない。全員この町の連中と思うだけで、俺の怒りは際限なく炸裂した。たくさんの呪詛が俺の体内を渦巻いて、それは俺の四肢を滅茶苦茶に動かした。殴り蹴り、他人を粉砕した。俺は何も許さなかったし、許そうとも思わなかった。俺を殺したように、この町の連中も殺してやろうと思った。そうして、新しくついたあだ名が「凶暴三兄弟」だ。
 
 
 だけど、俺は、本当を言うと知っている。兄貴とミツルは、滅多なことでは他人に暴力は奮わない。俺とは違って、兄貴やミツルは理由もなく人を殴ったりはしないのだ。それなのに、俺が暴れ狂うせいで、兄貴とミツルも同じ白い目で見られる。町に出れば、誰からも話しかけられない。遠巻きに見られて怯えられ、阿呆共には喧嘩を売られる。俺は俺の業に、兄貴とミツルを巻き込んだことを少し悲しく思っている。それでも、俺は、俺を裏切ったこの町を憎むことをやめられない。
 
 
「俺は、絶対に何も謝ったりせん。殴ったんも、あいつの口切ったんも、絶対に謝らん」
「二郎」
「謝るんやったら初めっから何もせん。俺は自分のやったことに何も言い訳せん。後悔もせん。俺は、絶対に誰も許さん。こんな町大嫌いや。全員地獄に堕ちたらええ…!」
 
 
 言葉が喉の奥で滅茶苦茶に絡まって詰まる。息が切れる。気付けば、ミツルがじっと俺を見詰めていた。あの日、ベッドに横たわる俺を見ていた眼差しと同じだった。
 
 
「二郎、町出るか?」
 
 
 一瞬、ミツルの言っている言葉の意味が解らなかった。
 
 
「あ、ぁ?」
「御前がどうしてもこの町んこと嫌いでしゃあないんなら、こんなとこ出たらええ。このまんまやと御前が可笑しくなってまう。俺とどっか違うとこ行くか二郎?」
「何言うとんやミツル」
 
 
 空気が抜けるような声が溢れて、次の瞬間、息が止まった。ミツルが俺の前髪を掴んで、キスをしていた。ミツルの瞳は開かれたままで、俺の見開かれた目玉を真っ直ぐ見詰めている。柔らかい感触が数度唇に押し付けられて、ゆっくりと離れて行く。ミツルの視線は、俺から離れない。
 
 
「二郎、よう考えぇ。御前、いつまでもこのままでいられるわけやないんやけぇの」
「…何言うとんか、わからん」
「気付いとらんならええ。ええけど、御前、もうハジメには甘えんな」
「俺が、いつ兄貴に甘えた言うんや」
「今もや。御前はずっとずっとハジメに甘えっぱなしや。ハジメも御前が甘ったれんのを許しとる。やけぇ、ほんまに問題あんのはハジメかもしれん。やけど、二郎にだって責任あるんやけぇの。俺は御前ら二人がムカついて堪らんのんじゃ。ええ歳した兄弟が依存しあってんじゃねぇよ」
 
 
 鼻梁に皺を寄せて、ミツルが噛み付くように吐き出す。そうして、また唇が押し付けられる。今後は柔らかい舌先が俺の咥内に入って来た。ぬめった粘膜が歯茎をぞろりと舐め上げて、微かに俺の舌を絡めとってくちゃりと音を立てた。背筋が震えて、産毛が逆立つのを感じた。短く息を零せば、唾液の糸を引きながら舌が引き抜かれる。
 
 
「――なんで、こんなんするんや」
 
 
 掠れた声で問えば、ミツルが面倒臭そうに顔を歪めた。
 
 
「御前の貧相な脳味噌は、考えることもせんのんかい」
「意味わからん。欲求不満かいな」
「アホかアホ」
 
 
 二回もアホと吐き捨てて、ミツルが俺に背を向けて歩き出す。その背を追いかけながら、俺は唇が濡れているのに気付いて赤面しそうになる。弟とも思えない可愛気のない奴だが、ミツルは実際血の繋がった俺の弟だ。何故、弟が兄にキスしてきたかなんて俺に解るわけがない。ただ、そのキスは酷く優しかったように思えた。
 
 

backtopnext

Published in 凶暴三兄弟

Top