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06 子ヤギのユキちゃん *暴力表現有

 
 鬼ごっこは昔から嫌いじゃなかった。
 
 追いかけられるスリルにぞくぞくするし、追いかける時のあの嗜虐的な高揚も堪らない。前方を必死で駆ける小さな背を眺めながら、捕まえたらどうしてやろうかと考える。追いかける方が鬼ならば、鬼らしい事をしてやろう。皮膚を剥いで、帽子にでもしてやろうか。それとも生きたまま肉を噛み千切ってやろうか。サディスティックな連想に、思わず舌舐めずりしてしまいそうだ。
 
 
「二郎、遊ぶなや」
 
 
 ミツルの声に、楽しい思考が断ち切られる。隣を並ぶように走りながら、ミツルが横目で俺を見ていた。その呆れた眼差しに、へいへい、と投げ遣りに返事を返す。
 
 
 可愛い子ヤギのユキちゃんは、その小さな身体をフルスロットルで動かして、俺たちから逃げている。放課後の美術室に居たユキちゃんを驚かさないように「ドッキリお宅訪問~!」と明るくひょうきんに登場してやったっていうのに、ユキちゃんは俺らを見た途端、顔を真っ青にして一目散に逃げ出した。そりゃ、流石の俺も傷付くってものよ。でも、ユキちゃんは子ヤギさんだから仕方ないよね。そう自分自身に言い聞かせて、美術室に置いてきぼりにされたユキちゃんの絵を腹いせにぶち抜いてから、この鬼ごっこが始まった。
 
 ユキちゃんが可愛い顔を酷い形相に歪めて、生徒を突き飛ばしながら廊下を駆け抜ける。周りの生徒は何事かと思って、驚いたようにユキちゃんを見ていたけど、追いかけてる俺らの姿を見とめた瞬間、我関せぬといったように視線を逸らした。その態度が気に食わなかったので、走りざまに男子生徒一名の鼻頭を左拳で殴り付けた。鼻血をまき散らしながら廊下に倒れる生徒の姿に、ヒヒッと甲高い笑い声が咽喉から溢れる。
 
 
「悪い子はいねーがー!」
 
 
 あ、なまはげは鬼だっけ。解んね。 知るか、知るか、俺はなまはげだ。喰っちまうぞ!
 
 ユキちゃんがぴょんぴょんと二段飛ばしで、階段を必死に降りて行く。
 
 
「ミツル、十三階段の七不思議って覚えとるか?」
「はぁ? それがどうしたんや」
「御前、数えろや」
 
 
 言い放って、一気に足を加速させる。階段一番上の縁まで辿り着いたところで、俺はダイブする。躊躇いなんかない。
 
 空中ダイブ。
 
 一瞬の浮遊感、時が止まったようなそんな超人的な感覚。踊り場まで辿り着いたユキちゃんがまん丸い目で、跳ぶ俺を見上げている。俺はその可愛らしい顔に、にっこりと笑顔を返してやった。そうして、その後訪れる重力、落下。十三階段を一気に飛び越えて、踊り場に着地する。ドンと音が響いて、足が膝関節までびりびりと痺れて、暫く動けなくなった。
 
 
「くぅ~、やっぱ痛いわぁ」
「阿呆二郎、十三もないわ。十二や」
 
 
 後ろから、ミツルの不機嫌そうな声が響く。ユキちゃんは、驚いたように俺を見つめたまま、ぶるぶると小刻みに震えていた。そうしてると、まんま子ヤギって感じ。なら、俺はハイジかね。ミツルは、ペーター? おしーえてー、おじいーさんー、ヨロレイヒー。
 
 
「子ヤギのユキちゃん、鬼ごっこはもうおしまい?」
 
 
 ユキちゃんを怯えさせないように、わざわざ優しい声で聞いてやったっていうのに、ユキちゃんの震えはもっと酷くなった。踊り場の隅っこに追い詰めて、ユキちゃんの顔を覗き込む。ようやくマトモに見たユキちゃんの幼い面立ちは、あの夜見た顔と同じだった。姫子が殺された夜、こいつは俺の家の周りをうろついていた。そう思うと、腹の底からマグマがふつふつと込み上げて来るのを感じた。
 
 
「御前、昨日、俺んちの周りうろついとったやろう?」
 
 
 わざとらしい猫撫で声で問い掛ける。ユキちゃんは、ふるふると震えたまま何も答えなかった。その様子に、俺はゆっくりと微笑む。さっき男を殴り付けた時に、左拳に鼻血がついていたらしい。きったねぇ、と一息に唾棄して、その血をユキちゃんの頬に擦り付ける。粘ついた液体の感触に、ユキちゃんの咽喉からヒィッという短い悲鳴が零れた。
 
 
「頬骨折られて、暫く流動食の生活するんがええか? それとも、素直に答えてハイジの牧場に帰るか。はよ選べ」
「御前の言うとること意味わからん」
 
 
 隣からミツルが茶々を入れてくる。俺がこんなにも解りやすく噛み砕いて説明してやってるって言うのに。ユキちゃんは細い咽喉を上下に動かして、まるで出来損ないのロボットのような声を出した。
 
 
「あ、あぅ…」
「あぅあぅ、オットセイの真似か?」
 
 
 揶揄するように吐き出すと、ユキちゃんの顔が羞恥の色に染まった。それは屈辱の色だったかもしれない。俺の咽喉から、笑い声が迸る。我ながら悪人丸出しの下卑た笑い声だ。俺は、こういう自分がとても好きだ。正義の味方より、よっぽど似合ってるし、しっくり来る。
 
 
「ぼ、ぼくは、何も、しっ、知りません」
 
 
 途切れ途切れにユキちゃんが声をあげる。俺とミツルは一瞬顔を見合わせた。ミツルがすぐに面倒臭そうに額を押さえる。俺の方は、ニヤーっと唇を引き裂いた。素晴らしき拷問タイムだ。
 
 
 ユキちゃんの細い肩を、出来るだけ優しく正面から掴んで、そうして一気に膝を振り上げた。薄い腹に、膝頭がめり込む。内蔵のぐにゃりとした感触が膝頭に伝わって、俺はこめかみの血管が破裂しそうなくらい興奮した。ユキちゃんの口から「ぐぇ」とも「ぎぇ」とも付かない叫び声が零れて、そのまま横倒しに倒れる。唇の端から涎を垂らしながら、ユキちゃんは暫く汚い床の上で、身体を左右に揺らして悶えていた。その顔は苦痛に醜く歪んでいる。
 
 
「あーあ、可愛い顔が台無しやないか。かわゆう直したらにゃあかんなぁ」
 
 
 薄汚れたズックの底で、ユキちゃんの頬を踏み躙る。体重を思いっきり掛けてやると、ユキちゃんの頬骨がゴリッと音を立てるのが聞こえた。亀裂が走ったようなユキちゃんの悲鳴が心地良い。
 
 
「二郎、顎外れたら喋れんくなるけぇ、顔はやめぇや」
 
 
 ミツルが冷静に忠告してくる。俺はしぶしぶユキちゃんの頬から足をどかした。ユキちゃんが「あが、あぐぅ」と呻き声を上げている。俺はしゃがみ込んで、そっとその目を覗き込んだ。大きな瞳から涙がぼろぼろと溢れている。その涙を指先で拭いながら、俺は独りごちる。
 
 
「涙って無力ね」
「今更何言うとんや」
「ミツル、俺、さびしいわ」
 
 
 少しセンチメンタルな気分になった。涙の無力さを、俺は知ってる。泣いても誰も助けてくれない。泣いても自分は救われない。ミツルが苛立ったように奥歯を噛み締めて、俺の頭をぽかりと殴った。
 
 
「いてっ」
「御前は俺の神経を逆撫ですることばっか言う」
「何でやぁ」
「独りぼっちのフリするけぇじゃ」
 
 
 ミツルが吐き捨てた。本気で怒っている。俺は、兄貴でもミツルでも、本気で怒った二人が怖いことを知ってる。だから、視線を逸らして、押し黙った。床の上では、ユキちゃんが涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔で泣きじゃくっている。一抹の物悲しさを覚えながら、俺はかくりと首を傾げて問い掛けた。
 
 
「何で、俺んちおったん?」
「う、ヴぅ、うぇぇ」
 
 
 しゃくり泣くユキちゃんは、まるで赤ん坊のように無力だ。そのこめかみを一度床に叩き付けると、ユキちゃんの泣き声が啜り泣きに変わった。
 
 
「何で、俺んちおったん?」
「か…かっ、たんが…」
「かったん?」
 
 
 俺は首をひねった。ミツルが横から「カッちゃんの事やないか」と横槍を入れてくる。そこで、俺の脳味噌にもピコーンと電球が灯った。さっき殴り跳ばした不良達の一人だ。可哀想な金髪モヒカンのカッちゃん。
 
 
「あぁ、俺が口裂いた奴か」
 
 
 思い返すように呟くと、途端、ユキちゃんの身体がびくっと跳ねた。まるで信じられないものでも見るかのような眼差し、俺に常に向けられる恐怖の視線。
 
 
「さ、裂い、た?」
「うん、そうやな。ここからここまで、ビリビリーってナイフで」
 
 
 口の端から頬の半分辺りまでを人差し指で示すと、ユキちゃんの震えが激しくなった。床の上で拳を握り締めて、ユキちゃんが憎悪の篭った目で俺を睨み付ける。
 
 
「なんっ、で、そんな酷、ことがっ、できるんですかっ…!」
「他人だから」
 
 
 珍しく真っ当な返事を返したと思う、俺にしては。ユキちゃんはぽかんと口を開いて、それから理解出来ないように首を左右に振った。
 
 
「でも、人間です、よ」
「人間やけ何? 人間やったら無条件で優しくしたらにゃあかんわけ?」
「あんたは、ひと、の、痛みが、わからないんですか」
「御前、食パン食うときに食パンの痛みとか考えるか?」
 
 
 俺の言葉に、ユキちゃんが固まる。魔王でも見るみたいに俺を見て、そうしてギュッと下唇を噛み締めてこう言った。
 
 
「あんたは、くるってる」
 
 
 うん、そうかもね。そう頭の中で返して、右拳を振り上げた瞬間、ユキちゃんの横たわった身体が壁へと叩き付けられた。横を見ると、ミツルが鬼の形相でユキちゃんの身体を蹴り跳ばしていた。蹴り上げ、踏み躙り、叩き潰そうとしている。ユキちゃんの小さな身体が面白いぐらい跳ね上がる。まるで酷いジェットコースターにでも乗っているかのようだ。ユキちゃんの咽喉から悲鳴が迸る。それはいっそ呆気に取られる程の、ミツルの暴力の発露だった。
 
 
「ミツル、何しとんや」
「狂っとるんは、こいつらの方や。他人の痛みが解らんのは、御前らも一緒やろうが。それやのに、一丁前に他人を非難しやがる」
「御前の言うとること、よう意味がわからん」
「独りで攻撃する人間と、集団で攻撃してくる人間、どっちも同じ悪やのに、集団でやっとる方は自分が悪だと気付きもせん。罪悪感すら抱かん。ましてや当たり前のことやと思っとる。俺はそういう輩がどうしても我慢できん」
 
 
 そう言い切ると、ミツルはぐったりとしたユキちゃんの顎下に手を入れて、片手で身体を持ち上げた。ミツルは、見た目に反して、かなりの強腕の持ち主だ。しかし、その姿を見ると、俺はあまりのギャップに毎回ギョッとしてしまう。
 
 
「御前の知っとること、全部吐け。やないと、殺す」
 
 
 清々しいまでの脅しに、俺は思わず拍手してしまった。ぱちぱち。ミツルが横目で俺を睨み付ける。ユキちゃんが息苦しさに両手をばたばたと振り回す。ミツルは、無言でユキちゃんの首を圧迫した。
 
 
「ガッ、ぅウ…!」
「カッちゃんが何や」
「か、かったんが…、そいつ、に、まえっ、殴られっ…たって、言って、だか、らっ…」
「だから?」
「しっ、しかえしに、家に…らくがき、でも、し、して、やっ、やろ、って…」
「そんだけか?」
「そ…それ、だけ」
 
 
 あまりに情けない理由に、思わず溜息が零れた。まだ極秘任務を受けて俺たちを暗殺しに来たとかいう嘘の方がマシだ。ミツルがユキちゃんの身体を前後に揺さぶる。
 
 
「じゃあ、御前が姫子殺したんと違うんか?」
「ちが、違うっ! ぼく、は、犬を殺したりなんか、しない!」
「じゃあ、誰がやったんや。カッたんか?」
「カッたんは、そんなこと、しない! カッたんは、ほんと、は、すごく、優しい人、なんだ!」
 
 
 庇うようなユキちゃんの言葉に、思わず首を傾げる。興味本位で問い掛けを投げていた。
 
 
「御前、カッたんの何?」
「……」
 
 
 途端、口を噤んでしまったユキちゃんに、ミツルが首を絞める力を強くする。ぐ、とユキちゃんの細い咽喉が鳴って、プロレスのギブアップのようにバシバシと壁が叩かれた。
 
 
「たっ、ただのクラス、メイト!」
「ただのクラスメイトのために、この地区最大の肝試しスポットの俺らの家にまで来たりするか?」
「…ぼ、ぼく、が、ただ、すき、なだけだから…! かったんは、何も、知らない、からッ!」
 
 
 目が丸くなった。まさかの子ヤギのユキちゃんのカミングアウトだ。俺とミツルは顔を見合わせて、それから少しだけ笑った。嘲りの笑いじゃない。俺たちは少しだけ気恥ずかしくなったのだ。
 
 
「ふぅん。じゃあ、片思いの相手のために俺の家に嫌がらせをしようとしたわけね」
「…そう」
 
 
 ユキちゃんは羞恥と屈辱が混じり合った、何とも言えない表情で頷いた。ユキちゃんの首を押さえつけていたミツルの手から力が抜ける。ユキちゃんは、そのまま床にへたり込んだ。
 
 
「御前、何か見たか?」
「……」
「今度は首の骨折ったろうか?」
 
 
 ミツルが拳の骨を鳴らすと、途端ユキちゃんは慌てたように捲し立てた。
 
 
「ぼ、ぼく、は、何もしてないから、ね。ら、らくがきしようと、家に行ったら、白いBMWが門の前に止まってて、な、何かを門の中に放りなげて…」
「姫子や」
 
 
 呻くように呟く。可哀想な姫子の事を思うと、眼球が自然と潤む。まるでゴミのように放り投げられて、可哀想に。目を潤ませた俺を、ユキちゃんが気味悪そうに見ている。続きを促すように、ミツルが顎をしゃくった。
 
 
「な、何かと思って、近付いたら、い、いぬが、死んでて、ぼ、ぼく、怖くなって、逃げようと、おも、思ったんだけど…」
「俺らがどんな反応するかが見たくて、出歯亀しとった言うわけか?」
 
 
 押し黙ったユキちゃんの後をミツルが続ける。ユキちゃんはバツが悪そうに小さく頷いた。
 
 
「で、でも、ぼくは、何もしなかった」
「そんなんどうでもええ。御前、車のナンバー覚えとらんのんか。乗っとった奴の顔は」
 
 
 ユキちゃんが怯えたように首を左右に振る。他には、とミツルが問い掛けても、返ってきたのは同じ反応だ。ミツルが緩く溜息をついた。振り返って、俺の顔を見て、少し不機嫌そうに顔を歪める。
 
 
「何ぼさっとしとんや。帰るで二郎」
「あ?」
「白のBMW持っとる奴、調べにゃあかんやろうが。はよ来い」
 
 
 しゃがみ込んだままの俺をミツルが引き摺り立たせて、そのまま肘を掴んで歩き出す。放心した表情で踊り場に座り込むユキちゃんを置いてきぼりにして。
 
 踊り場の階段下には、不安そうな生徒達が何名かたかっていた。その中には教師の姿も二三名見える。ミツルがそいつらに向かって吐き捨てる。
 
 
「見殺しも悪のうち。悪が悪を軽蔑するな」
 
 

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Published in 凶暴三兄弟

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