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07 カントリーロード

 
 家へ帰る途中、目の前に黒のワゴン車が止まった。運転席のウィンドウが下がって、軽く髪を乱した兄貴が身を乗り出してくる。
 
 
「二郎、ミツル、乗るか?」
 
 
 声には微かに疲労が混じっている。目の下に色濃く隈が出来ているのは、ここ二週間まともに寝ていない日が続いているせいだろう。そういえば、二ヶ月近く兄貴がまともに休日を取ったのを見ていない。最近毎日のように病院に缶詰状態で、家に帰ってくる時といえば下着と取替えに来るぐらいだ。昨日も家に帰ったと思ったら、直ぐに電話が掛かってきて病院にUターンしていった。今日も洗濯物を大量に持って帰っているんだろう。後部座席を覗くと、紙袋が三つも見えた。
 
 
「乗るのはええけど、兄貴事故るんやないか?」
「なら乗るな、阿呆」
 
 
 つれなくウィンドウを閉めようとするのを、腕を突っ込んで押し留める。兄貴は気が長そうで、意外と短気だから扱いにくい。こういうところが俺やミツルと血が繋がっていると改めて思わせる。兄貴が突っ込まれた俺の腕を横目で眺めて、面倒臭そうに目を細める。
 
 
「乗るって。兄貴は冗談通じんなぁ」
「俺は冗談が嫌いや」
「これやから堅物ハジメは」
 
 
 横からミツルが嫌味ったらしく呟く。兄貴が眉を顰めて、ミツルをねめつけた。そうして、酷く気だるそうな声で訊いた。
 
 
「姫子殺した犯人見つかったんか?」
「目処は付いた」
 
 
 ミツルが素っ気なく答える。そう言いながら、後部座席へとすたすたと乗り込んでいく。俺は兄貴ににやっと笑いかけて、助手席の扉をちょいちょいと指差した。兄貴が溜息を吐きながら、助手席のロックを外す。回り込んで助手席に乗り込むと、車が発進した。
 
 親父の代から使っている黒のワゴン車は、エンジン部分は弄ってはいないが、シートだけは取り替えている。親父がくだらない成金根性丸出しに本革張りにしていたシートは兄弟誰一人として気に入らず、兄貴が譲り受けた時点で柔らかいコットン生地に張り替えた。吸水性があるし、肌の触り心地がさらりとして気持ちがいい。後ろのに荷物置き場は、姫子用にビニール張りにしていた。車の中に入ると、姫子の臭いがしてくるようで胸がぎゅっと締め付けられる。
 
 
「兄貴、今日は家おるんか?」
「明日も休み取った」
 
 
 珍しいこともあるもんだ、と俺は目を見張った。兄貴が手の甲で眼鏡を持ち上げて、そのまま眠たげに目蓋を擦っている。よく見ると、車の灰皿から吸殻が溢れていた。
 
 
「ストレス溜めすぎと違うんか。患者助ける前に肺ガンなって死ぬで」
「そうなったら、自分で手術するわ」
「自分で自分を手術とか、どんなブラックジャック先生やねん」
「俺が手術するんが一番成功率が高い」
 
 
 恥ずかしげもなく豪語するだけあって、確かに兄貴の外科医としての腕は良い。別に兄貴が医療の天才と言うわけではなく、人より多少器用で判断力と決断力に優れているだけだと俺は思っている。俺達三兄弟の中で、兄貴が最も決断が早い。一度これと決めたら、一切ブレないのだ。
 
 喧嘩でも同じだ。兄貴は、一度叩きのめすと決めたら、迅速かつ徹底的に決着を付けようとする。やり方は、俺やミツルよりもよっぽどエグいしグロテスクだ。兄貴は相手の肉体と精神を最大限に甚振り、二度と歯向かえないように躾けるのだ。俺は、兄貴に両手両足の骨を粉々に砕かれた上、歯を全部叩き折られた奴を見たことがある。兄貴は、ついでにそいつの髪の毛を全部手でブチブチと引き抜いた。無理矢理髪の毛を引き千切られたせいで、最終的には頭皮がまるでリンゴのように真っ赤に腫れ上がっていた。
 
 ふとリンゴ頭が脳裏に浮かんで、眉間に皺を寄せてハンドルを握る兄貴に問い掛ける。
 
 
「兄貴、アンパンマン元気?」
「元気や。つぅか、アンパンマン言うな。あのろくでもなしでも磯川言う名前ぐらいはあるんや」
「アンパンマンの方が解りやすいやんけ」
 
 
 ちなみに、その時のリンゴ頭は、今兄貴と同じ病院で看護士をやっている。何とも数奇な事で、二度と目の前に現れないようにしたつもりが逆に兄貴の金魚の糞になってしまったのだ。おそらくアンパン(シンナー)の吸い過ぎで、脳味噌がイカレてしまったんだろうと呆れ顔な兄貴の横で、俺とミツルはゲラゲラと笑い合った。
 
 アンパンマンは時々俺達の家にやってきては、ホットプレートで自慢の広島風お好み焼きを焼いていったりする。俺は丸禿げで総入れ歯なアンパンマンを中々気に入っている。「おれ、お好みだけはスッゲうまいんすよ」と犬みたいに笑うアンパンマンは、とってもチャーミングだ。俺は、未だに兄貴があの可愛いアンパンマンを叩きのめした理由を知らない。聞いても、兄貴は教えてくれなかった。兄貴は本質的に秘密主義だ。それが俺には時々歯痒くなる。
 
 灰皿の中から、わりかし長い吸殻へと手を伸ばす。途端、兄貴がハンドルを握っていた手で俺の手の甲を叩いた。
 
 
「吸うな阿呆」
「自分は吸うとるくせに」
「御前、二十歳過ぎとらんやろうが」
「兄貴は十四ん時から吸うとったやろうが。俺知っとるで」
「やから、御前に吸うな言うとんや。こんなん身体と金食い潰すだけやで」
 
 
 そんなん屁理屈やと呻く俺の声は無視された。兄貴が叩いた俺の手へと、ちらりと視線を落とす。そうして、不機嫌そうに眉を顰めた。
 
 
「御前、血滲んどるで」
「はぁ?」
「右拳」
 
 
 右拳へと視線を落とすと、人差し指の付け根辺りから横一文字にパックリと切れていた。切傷の周りに、乾きかけた血がこびり付いている。あ、と小さく声を零す。時計で殴り付けたときにでも切ったのだろうか。
 
 あーあ、と呻いていると、不意に後ろから右手首を掴まれた。後部座席から身を乗り出したミツルが右拳の傷を覗き込んでいる。
 
 
「阿呆か、こんな傷作って。殴り慣れとると違うんか御前は」
「こんなん大した傷でもないんに、小姑みたくごちゃごちゃ言うなや。そうなん言うけえ、御前モテんのんじゃ」
「馬鹿言うな、俺モテるっつうの」
 
 
 馬鹿馬鹿しい話なんだけれども、俺はその一言に酷くショックを受けた。ミツルがモテるという事実が俺にとっては酷く残酷な現実の通告のように聞こえたのだ。唇を引き結んだ俺を見て、ミツルがふっと唇を緩める。
 
 
「御前はほんま阿呆や二郎」
 
 
 吐き捨てられたミツルの言葉に、俺は咄嗟に左拳を振り上げそうになる。だが、その前にミツルの舌がべろりと俺の右拳の傷を舐め上げた。ピリと痺れるような痛みが一瞬走る。しかし、それ以上に生ぬるくぬめった粘膜の感触に、俺は驚いていた。ミツルの唾液が傷口から沁みこんで来る。ミツルが猫のように目を細めて、上目遣いに俺を見る。その視線にひくりと皮膚が震えた。
 
 兄貴の舌打ちが聞こえる。バックミラー越しに、兄貴がミツルを睨み付けていた。
 
 
「牽制のつもりかミツル」
「俺はハジメと分け合う気なんざさらさらないで。御前の考えとることなんざ解っとる。姫子おらんくなったけえ、独り占めするつもりやろうが」
「それはお互い様やろう」
 
 
 ミラー越しの二人の応酬に、俺は辟易よりもずっと強い焦燥を覚える。何か俺にはよく理解できないことが兄貴とミツルの間で取り交わされている。その中でハブられている俺。こみ上げて来るひとりぼっち感に、俺はうろたえた。
 
 
「おい、兄貴もミツルも何言うとるんや」
 
 
 戸惑った俺の声に、ミツルが右拳の傷口に歯を立てる。鋭い痛みに、俺は奥歯を噛み締めて、ミツルを睨み付けた。だが、俺の眼差しよりもずっとミツルの眼差しの方が鋭く尖っていた。
 
 
「ええ加減、気付けや。ずっと御前のこと言うとるんやで」
「何で御前ら、俺のことを勝手に言いよるんや」
「俺もハジメも、御前のこと兄弟としてなんか見とらん」
 
 
 その言葉に、俺の息が止まる。そうして、一気に悲しみがこみ上げてきた。俺は泣き出しそうになる。俺はこの町に見捨てられた上に、たった二人の兄弟にまで見捨てられるっていうのか! 俺を裏切るのか御前ら!
 
 くしゃりと歪んだ俺の顔を、ミツルが覗き込んでくる。何か言おうと開かれた唇に、俺の目は釘付けになる。ミツルまで、俺に酷いことを言うのか。御前なんか死んだ方がいい、俺なんか生きてる意味がないって。御前らまで俺の存在を否定したら、俺はもう生きていけないのに!
 
 
 だけど、次の瞬間、猛烈な急ブレーキ。俺とミツルの身体がつんのめって、俺は側頭部をダッシュボードにしたたかに打ち付けた。
 
 
「ギャ!」
 
 
 脳味噌がぐわんぐわん揺れる。目の前の光景がぐちゃぐちゃに縺れ合って、ジェットコースターに乗った後みたいに平衡感覚がなくなる。微かに熱を持った部分を掌で押さえながら、俺は運転席の兄貴を見る。兄貴はハンドルに額を押し付けて、ぐったりと脱力していた。
 
 
「なに、何や兄貴」
「うた歌うで」
 
 
 突拍子もない言葉に、俺とミツルは声をそろえて「はぁ?」と答える。兄貴は額を押さえながら、ふらりと起き上がった。
 
 
「眠とうてたまらん。歌って眠気覚ましにする」
「何で俺らまで歌わにゃあかん。ハジメひとりで歌っとりゃええやろうが」
「うっさい、歌わんのんやったら、御前ら放り出すで」
 
 
 微かに血走った兄貴の目に、俺とミツルは押し黙る。兄貴がダッシュボードの中からCDを取り出して、カーステレオに突っ込む。流れてきたのはJohn Denverの『Take Me Home, Country Roads』だ。げぇ、最悪。俺は兄貴のセンスを本気で疑う。
 
 
 『カントリーロード、家へと連れて行っておくれ。あの場所へ、帰るべき場所へ』
 
 
 車の中で、凶暴三兄弟が声を合わせて合唱。あんまりにもシュール過ぎて笑えない。ここは幼稚園のお遊戯会か? それともジブリか? 耳をすませば? しずくぅー、すきだー!
 
 
 兄貴の音程が外れた歌声。しぶしぶ歌い始めたミツルも似たようなもんだ。俺だけが歌が上手い。普段はそれを誇らしく思う俺だけども、今はちっとも喜べない。むしろ、兄貴やミツルに合わせるようにわざと下手糞に歌おうと下らない努力までしようとする。
 
 俺は、この二人から外れてしまうのが怖い。俺がこの町で生きていけるのは、兄貴とミツルと姫子がいたからなのだ。兄貴とミツルだけは、俺のことを裏切らないと信じている。姫子だけでなく兄弟までも失ったら、俺は本当の本当にひとりぼっちになってしまう。俺は、凶暴三兄弟の一部でありたい。俺は、ひとりぼっちになるのが堪らなく怖いんだ。
 
 

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Published in 凶暴三兄弟

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