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08 ビーフシチュー

 
 居間に入った瞬間、兄貴がソファにぶっ倒れた。こいつ何日間寝てなかったんだ。眼鏡を外して、襟元からネクタイを引き抜く。手からは手術室で嗅ぐような薬品の臭いがした。それから、車の後ろに詰まれていた紙袋の中身を洗濯機へと放り込む。
 
 紙袋の一つから、半分に折り畳まれた厚紙のようなものを発見する。開いてみると、見合い写真だった。清楚そうな女が足をくねっと曲げて写っている。淡い花柄のワンピースに、つややかな黒髪には花のコサージュ、ピンク色の唇、すげぇお嬢様って感じ。俺はそれをじっと眺めてから、ガタガタと揺れ始めた洗濯機の上に置いておく。
 
 
 本当は、明日にはセクシー家政婦の瞳さんが来てくれるから、放って置けば、いつの間にかきちんと折り畳まれて箪笥の中に入っているんだけども、何だかその時の俺は酷く兄貴のために何かをしてやりたかった。兄貴だけじゃない、ミツルに対しても、何でもいいからしてやりたい。それはきっと捨てられたくないからという惨めったらしい気持ちからだ。
 
 冷蔵庫から、瞳さんが作り置きしてくれていたビーフシチューを取り出してコンロにかける。野菜と肉が一口大どころか二口大な大きさに切られている。瞳さんは、家政婦をやっている割には大雑把だ。四角い部屋で丸く掃除機を掛けるのが得意で、時々俺やミツルがそれを指摘すると「人生何となくが一番よ」などと訳のわからない台詞をのたまう。
 
 
 瞳さんは、うちの親父の元愛人だ。初めうちの家政婦として瞳さんが来ると知った時は、兄弟全員が正直『はぁ? ふざけんなよ』と思った。何故なら、家政婦になる前から瞳さんはうちの家を訪れては、親父と真昼間から声も抑えずにまぐわいまくっていたからだ。俺は、裸エプロンで野菜プレイをしている親父と瞳さんの姿を見たことがあるし、ミツルは大変ショッキングなことに親父が極太ディドルでケツを責められている姿を見てしまっている。つまり、俺達は瞳さんから性の欲深さや、親父が父親ではなく雄であることを見せ付けられて、正直食あたり気味だったのだ。
 
 幾ら親父とお袋が海外に行って、愛人関係が解消されたからといって、はいそうですか、と易々受け入れれるわけがない。だから、初めはいびり出してやるつもりだった。しかし、瞳さんは俺達が思っている以上にタフで、そして大雑把だった。俺とミツルに生ゴミをぶっかけられても、クローゼットに一晩中閉じ込められても、瞳さんはへらっと笑って流してしまうのだ。
 
 
 『人生の短さはまるで閃光のよう。その短命な人生を最大限楽しむためには、怒りや悲しみに囚われている暇なんてありはしないのよ。必要なのは、快楽と愛のみ。笑わにゃ損々。アハハと笑って死にましょか』
 
 
 というのが瞳さんの人生論であり幸福論だ。これを聞いて、俺とミツルは瞳さんへの嫌がらせを断念する事にした。この人に何をやっても無駄だとぶっちゃけ悟った。それに俺とミツルは、その時には瞳さんを好きになりかけてた。勿論セックスは伴わない好意だ。俺達は間違っても親父と穴兄弟になろうなんて思わなかった。瞳さんを無視し続けた兄貴も同じくだ。俺とミツルと少し違うのは、兄貴は今でも瞳さんに対して無関心だということ。嫌悪も示さないが好意も示さない。居ないもののように扱う。それでもいいと俺は思う。それも一つのコミュニケーション。
 
 
 ぐつぐつと煮立ち始めたビーフシチューを二枚の深皿に注いで、スプーンを突っ込んでリビングに持っていく。兄貴は相変わらずソファに突っ伏して寝こけている。ミツルはその隣のソファに座って、バラエティ番組を見ていた。皿を差し出すと、無言のまま受け取って、ビーフシチューを啜った。そうして、直ぐに顔を顰める。
 
 
「瞳さん、また味付け失敗しとる」
 
 
 試しに一口掬って、口へと運ぶ。確かにコショウがきつ過ぎる気もしなくもない。食えない程でもないが、好んで食べたいとも思わない。
 
 
「瞳さんは料理下手糞やけぇの、しゃあないわ」
「掃除も下手糞やないか」
「洗濯は得意やで」
「洗濯なんて、洗濯機のスイッチ入れるだけやろうが」
 
 
 文句を言いながらも、ビーフシチューを食い続ける辺りがミツルのいいところだと思う。こいつは他人を貶しても、最終的には受け容れるのだ。全くもって素直じゃあないが。
 
 ミツルが二口大のニンジンを噛み砕きながら、スプーンの先端を俺へと向ける。
 
 
「で、御前これからどうするんや」
 
 
 俺は、巨大な肉を噛み千切るのに必死になりながら「あ゛ぁ?」と声を上げた。
 
 
「白のBMW探すにしても、どうやって探すつもりか言うとるんや」
「そりゃなあ…、町中走りまわりゃ見つかるやろ」
「虱潰しかいな。阿呆がする作戦や」
「うるせぇよ、堅実といえ堅実と。努力家なんじゃ俺は」
 
 
 ミツルがこれ見よがしに溜息を吐いて、ソファへと凭れ掛かる。
 
 
「まぁ、白のBMWなんざ滅多にないけぇ、それでも見つかるっちゃ見つかるか。で、御前、自転車で走り回る気なんか?」
「暑苦しいわ。タクシー呼ぶ」
「俺が車出したる」
 
 
 成金息子な台詞を吐いたところでゾンビが起き上がった。兄貴が前髪を掻き上げながら、ソファから起き上がる。
 
 
「寝てろよ兄貴、最近殆ど寝とらんのやろう」
「枕がないと寝れん。二郎こっち来いや」
 
 
 気だるそうな仕草で兄貴が自分の隣を掌で叩く。途端、ミツルが不機嫌そうに顔を顰めるのが見えた。俺は、ビーフシチューを啜りながら兄貴の隣に座り込んだ。兄貴が俺の膝に頭を乗せてくる。
 
 
「弟の膝枕とか、さっむいわ」
 
 
 俺の軽口に兄貴は何も答えなかった。眉間に皺を刻んだまま、目蓋を閉じる。俺はその様子を眺めながら、何だかとても愛しい気持ちに支配された。母性に近い感覚かもしれない。俺は、必要とされる事が嬉しい。
 
 
「明日の朝、車出したるけぇ一人で動くなよ二郎。解ったか?」
 
 
 目を閉じたままうわ言のように呟かれる兄貴の言葉に、俺は小さく「うん」と答えた。
 
 

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Published in 凶暴三兄弟

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