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12 何処にもない

 
 闇を掻き分けるように走った。まるでお化けにでも追い掛けられているかのように、全速力で闇夜を駆け抜ける。辺りに光はない。周囲に田んぼが広がっているのか、風に吹かれてさわさわと草が音を立てるのが聞こえた。噎せ返るような土と緑の臭いが鼻腔の奥いっぱいに広がる。
 
 足が止まらない。足が止められない。咽喉からぜぇぜぇと呼吸困難みたいな音が出ているというのに、恐怖が俺の足を勝手に動かす。車を飛び出てからの俺は、完全に恐慌状態だった。周りにあるものすべてが怖い。家も田んぼも人も犬も虫も、何もかもが俺を責め、罵ってくる。
 
 
『麻原二郎、この悪魔! 暴力狂いのろくでなし!』
『ミミズは地面に埋まってりゃいいんだ!』
『御前なんか死ね! 死ね! 死ね!』
 
 
 嫌だ、御前らなんかに俺を責める資格なんかない。先に俺を裏切ったのは御前らだ。暴力に値するだけのことを、御前らは俺にしたじゃないか! 何で俺を責める! 何で俺を嫌う! 俺はこんなにも、こんなにも、
 
 気付いたら、あの丘に立っていた。俺が埋められた丘。大きな木の下に、俺は何時間もかけて穴を掘らされた。手にマメができて血が滲んでも、大人達に急き立てられて休むことも出来なかった。俺は、此処で土に埋められて死んだ。殺された。この町に。
 
 硬い木の肌に額を押し付けて、荒い息を整える。激しい呼吸に、背筋が波打つ。額から汗が滲み出し、ぽたぽたと草むらの奥へと落ちて行く。奥歯を噛み締めて、咽喉から溢れそうになる嗚咽を必死で噛み殺す。
 
 丘から見下ろす町は、民家の明かりがちらほら見える程度だ。その光の下では、慎ましやかで穏やかな生活が広がっている。テレビ番組、味噌汁の匂い、子供のはしゃぐ声、風呂から聞こえる親父の演歌、俺の憧れる生活。俺が憎んでやまない、町の人間達の生活。何もない田舎だ。何にもない。保守的で排他的で、都会なんかとは比べものにならないぐらいつまらない町。ゲーセンは古ぼけた一軒しかなく、本屋だって品揃えが最低だ。日和見な交番は役立たず、大きな病気となったら遠く離れた街まで二時間かけて行かなくちゃいけない。親父の威光に怯える、哀れで馬鹿な町。それなのに、俺はこの町を愛していた。この町のつまらなさも卑屈さも含めて、心から大事にしていた。俺の生まれた町だ! 俺の育った町だ! 俺は、この町の人間を愛してやまなかったのに!
 
 それなのに、裏切られた。町は俺を生き埋めにして殺した。だから、許せなかった。暴力を奮い、住民を恐怖のどん底に叩き落した。俺は以前よりもずっとずっと憎まれ、疎まれた。だけど、それでも、俺はまだこの町を愛しているのだ。憎悪と愛情で、心がバラバラにもがれそうなぐらい、好きでたまらないのだ。
 
 涙で町の光景が滲む。愛していると認めてしまえば、心が壊れる。俺は町の誰よりも嫌われ者だ。殴っているから嫌われていると思われている方がまだ気が楽だった。だけど、俺は誰も殴らなくたって嫌われてる。俺が俺だという理由だけで嫌われる。それを認めるのが怖かった。だから、何もかも解らないフリをしていたのに。どうして、今更、兄貴もミツルも、俺にこんな残酷な真実を突き付けようとするんだ。
 
 
「ひでぇよぉ……」
 
 
 拳にきつく犬歯を突き立てる。指先が小刻みに震える。誰にも知られたくない。誰にも解られたくない。だけど、誰かに知って欲しい。解って欲しい。慰めて欲しい。兄貴やミツルは、俺を慰めてくれるだろう。俺を抱き締めて、御前は悪くない、必要だと囁いてくれるだろう。家族として兄弟として。それなのに、
 
 
「なんで、キスするんや……」
 
 
 だけど、本当は? 俺を本当に家族として見ているのか? 俺を抱き締める四本の腕は、本当に兄弟のものなのか? 解りたくない。だって、解れば、兄貴やミツルが変わってしまう。無限だと思っていた関係が有限になってしまう。家族は永遠だ。だけど、それが永遠でなくなってしまったら? 俺にはきっと耐えられない。だから、解らないフリをし続ける。それが兄貴やミツルにとって、酷く歯痒くてもどかしいことだとしても。
 
 
『俺もハジメも、御前のこと兄弟としてなんか見とらん』
『御前は、いつまで解らんフリをするつもりや』
 
 
 何で、何で、俺を追い詰めるんだ。ただの兄弟でいいじゃないか。ずっと今のままで。三人で仲良くやってきたじゃないか。どうして、今更それを変えようとするんだ。不意に、頭の端をあの歌がよぎる。俺の大嫌いな歌。兄貴とミツルの調子っぱずれな歌声。
 
 
『カントリーロード、家へと連れて行っておくれ。あの場所へ、帰るべき場所へ』
 
 
 ヒッと咽喉が鳴った。嗚咽と一緒に涙がぽろりと零れる。眼下の町を見下ろしながら、そっと呟く。
 
 
「帰る場所なんか何処にもない」
 
 
 初めから何処にもなかった。何処にもなかったんだ。
 
 
 その時、葉がこすれる隠微な音が聞こえた。草むらを掻き分けるような音。背後を振り返る前に、バキンと頭蓋骨が割れるような音が鼓膜に響いた。
 
 

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Published in 凶暴三兄弟

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