Skip to content →

13 土の中で眠る

 
 頭に湿った土が降りかかる。
 
 髪の隙間からぱらぱらと顔に落ちてくる土の感触に、目蓋がぎこちなく開く。何か粘着いた液体でも流し込まれたかのように、目蓋が乾いていた。目を開くと、皮膚に張り付いた睫毛がパリパリと細かな音を立てた。錆の臭いが鼻につく。
 
 何も見えなかった。何も。闇に囲まれている。後頭部から、頭痛じみた疼痛が絶え間なく脳味噌を揺さぶってくる。それに身体が鉛になってしまったかのように重く、関節が軋んだ。四肢を動かそうにも、膝は体育座りの形のまま、両腕は背中に回ったままピクリとも動かない。緩く指を動かすと、湿った土の感触が指先に触れた。
 
 何だ何だ、これは一体何なんだ。
 
 また頭上から土が降ってくる。顔面に思いっきりぶちまけられた土に、咄嗟に呻き声があがる。違う、俺は叫ぼうとしたんだ。それなのに叫べない。声が出せない。口に何か詰め込まれている。柔らかい布のような感触を奥歯の辺りに感じて、咽喉がヒッと引き攣るような音を出した。
 
 シャベルで土を掬う音が聞こえる。そうして、土が振り落とされる。俺の上へ。
 
 この感触には覚えがある。忌々しい俺の記憶。おぞましく、絶望的なあの地獄の時間。見開いた目が空を見上げる。見えたのは、月明かりに光るシャベルの先端だ。チカリと煌く光が俺に残酷な事実を告げる。
 
――俺は埋められている!
 
 咽喉から掠れた音が溢れ出す。風船から空気が抜けたような情けない音は、きっと俺の絶叫だった。それに気付いたのか、頭上から黒い影が穴を覗き込む。暗闇からその容貌を窺うことは出来ない。ただ長く垂れた髪から女であろう事は判った。
 
 
「ねぇ、まだ生きてるわ…!」
 
 
 怖気づいた女の言葉に、もう片方の影が穴へと視線を落とす。白目ばかりが際立った四つの目玉が俺を見下ろす。まるで実態のない幽霊から監視されているような恐怖が、俺の身体を小刻みに震わせる。恐る恐る見上げると、もう一つの影が震える声を吐き出した。
 
 
「生きていようが死んでいようが関係ない。埋めるんだ」
 
 
 男の声だった。シャベルを土山へと突き立てて、今にも俺の頭へと土を落とそうとする。そのシャベルに女が取り縋った。
 
 
「でも、生き埋めなんて…!」
「一回やられたことがあるんだ。こいつだって二回目なんだからどうって事ないさ」
 
 
 まるで自分自身の恐怖を振り払おうとするかのようなおどけた口調だった。女が悲鳴のような声で応酬する。
 
 
「死んじゃうのよ…! 私達人殺しになっちゃうわ…!」
「殺されて当然の奴じゃないか! こんな奴死んだからって何だ! 町の連中だって喜ぶさ!」
 
 
 男の声は、殆ど怒声のようだった。その言葉に、俺の心はぐしゃぐしゃに砕かれる。男は自棄になったかのように土を掘ると、そのまま穴へと乱雑に撒いた。腰から下は既に土に埋まっている。じっとりと冷えた土に身体が包まれて、足元から悪寒が這い上がってくる。
 
 寒い、寒い、埋められるのは嫌だ! 怖い、怖いんだ、助けて! 俺は、埋められて死にたくなんかない! 悲鳴に、咽喉が暴れる。それなのに何一つとして言葉になってくれない。悲鳴が空気の音だけ残して、闇の中へと消えていく。四肢を滅茶苦茶に捩っても、胸元まで届き始めた土は思うように身体を動かしてはくれない。それが余計に俺の恐怖を煽った。脳味噌が焦燥で朦朧とする。降り掛かる土だけがリアルで、それ以外はまるで夢の出来事のように感じた。人生において、二回も地面に埋められるなんてリアリティがなさすぎる。こんなの三文小説以下だ。ちっとも笑えない。笑えるはずない。唇が笑みを刻もうとして惨めに痙攣する。
 
 男がうわ言のように漏らす。
 
 
「俺達はむしろヒーローだ。こいつさえいなくなったら、全部上手く行くんだ。安心して町を歩ける。リストラされる心配もない。女房や子供を傷付けられる心配もない。ほら、全部丸く収まるじゃないか」
 
 
 明るい口調なのに、男の声は途中から涙声になって震えていた。ぐずぐずと鼻を啜る音が聞こえる。穴の横で、女がへたり込んで啜り泣いていた。
 
 
「こいつを殺さないと、俺達が殺される。あの子を守るためには、こうするしかないんだ」
 
 
 その言葉は、男の贖罪のようにも聞こえた。影達が俺を埋めながら、泣きじゃくっている。闇の中で、絶望と悲哀が混じり合う。降り掛けられる土と一緒に、男の涙がぽたりと俺の汚れた頬に落ちた。
 
 その感触に、俺は気付く。こいつらは悪人じゃない。人を殺すことに恐怖を抱き、罪悪感に涙を流している。好き好んで俺を埋めようとしているわけじゃない。そこには重大な理由があるのだ。その理由とは何か。原因は? 俺だ。俺がその原因を間違いなく作った。それが具体的にどういう原因なのかは解らない。解らないけれども、きっと俺が今までやってきた残虐な行為ゆえというのは間違いないだろう。俺は、町の人間をたくさんたくさん傷付けた。自分が傷付けられた分を返そうと躍起になって、誰彼構わず傷付けまくった。それはいつの間にか、俺がやられた分をオーバーしていたんだろう。だから、この状況はそのオーバーした分のツケなのだ。俺は二度埋められても仕方ない程に、いろんなものを傷付けたから。
 
 そう思うと、すっと身体の中から恐怖が消えた。腹の中で暴れ続けていた憎悪が土へとじわじわと吸い込まれていく。代わりのように込み上げて来たのは安堵だ。埋められることによって、ようやく俺と町はイーブンになる。もう誰からも傷付けられない。もう誰も傷付けなくていい。俺は愛情と憎悪の狭間で、泣いたり喚いたりしなくてもよくなる。俺はやっと純粋に町を愛することが出来るんだ。そう思うと、驚くほど気持ちが穏やかになった。嗚呼、これが一番最良の結果なんだ。初めからこうなっていればよかった。十二年前のあの時に――
 
 
 男が溢れてくる涙を泥だらけの手で拭う。見上げる俺の視線に気付くと、男がひっくと咽喉を鳴らした。
 
 
「…頼む、見ないでくれ…」
 
 
 命令ではなく懇願だった。これから殺す相手に懇願するだなんて、この男は相当なお人よしだ。そう思うと、むしろ埋められる自分よりも埋めるこいつらの方が哀れに思えた。
 
 小さく頷いて俯くと、女がへたり込んだまま「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝罪を繰り返した。その声を聞きながら、ゆっくりと目蓋を閉じた。
 
 
 土の臭いが鼻腔の奥いっぱいに満ちる。身体が一部の隙間もなくぴったりと土に包まれる。口も鼻も耳も塞がれて、意識が少しずつ薄れていき、まるで自分が土そのものになってしまったかのような感覚に陥る。細胞がとろりと溶けて、土へと滲み込んでいくような――
 
 
 土の中は、まるで母の胎内のように安らかだった。これが死ぬってことなんだろうか。それとも生まれるってことなんだろうか。少しだけ笑いが零れた。
 
 

backtopnext

Published in 凶暴三兄弟

Top