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15 夜は、 まだ深い

 
 ガタガタと揺れる車体を感じながら、ぼんやりと思考を巡らせる。あまり考えるという事が少なかったせいか、俺の脳味噌はエンジンがかかるのに相当時間がかかった。動き始めても、脳味噌でスライムが動き回っているような不快感が付きまとう。
 
 俺を埋めた二人は誰だろうか。穴を見下ろしてきた四つの目玉を思い出すと、腹の底から恐怖がこみ上げて来る。頭に降り掛けられる土、全身が湿った土に包まれて行く感触。ぶるりと小さく震えると、ミツルが俺の顔を覗き込んできた。
 
 
「二郎、寒いんか?」
 
 
 俺の答えを待たずに、ミツルは脱いだ上着を俺の肩にかけた。服から微かに感じられるミツルの体温が泣きそうなぐらいあったかい。掛けられた服の裾をぎゅっと握り締めながら、掠れた声で呟く。
 
 
「ミツル、俺を埋めた奴ら夫婦やった」
「何処の夫婦や」
「わからん。でも、泣いとった。俺埋めんにゃ自分らが殺されるって、ごめんなさい言うて、泣いとった」
 
 
 そうか、とミツルは相槌を返した。暫く黙り込んでから、苦々しい声で吐き捨てる。
 
 
「謝るぐらいなら埋めたりせんかったらええんや」
 
 
 ミツルの言っている事は正論だった。謝罪しながら非道な行いをするというのは、吐き気がするぐらい下劣で卑怯なことだ。やってることは悪でしかないくせに、それでもなお善人のように振る舞おうとする、ちっぽけな行動。だけど、俺はそんな下劣で卑怯でちっぽけなあの男女を、どうしても恨む気になれなかった。どうしてだろう。十二年前はあんなに怒り狂ったのに、どうしてだか、俺はあの二人に復讐したいとは思えない。今まで俺の中枢を担ってきた憎悪という感情が身体の中からすっぽりと抜け落ちてしまったかのようだ。心臓の辺りが妙にスカスカする。
 
 
「ミツル」
「何や」
「何でやろう。俺、怒っとらんのや。何でか解らんけど、頭殴られて土ん中埋められたのに、ちっとも怒っとらん。むしろ、あいつらのこと可哀想やとか思うとる。俺、可笑しくなったんやろうか」
 
 
 ぼんやりと宙を見つめたまま、夢うつつに言葉を紡ぐ。ミツルは一度まじまじと俺の顔を見つめてから、酷く真面目な声で返した。
 
 
「可笑しくなったんやない。御前は、成長したんや」
「成長?」
「ネアンデルタール人からクロマニョン人になったんやな」
「ねあん、たーる? くろま、にゃん?」
「馬鹿なのは変わっとらんけどな」
 
 
 辛辣なことを言いながらも、ミツルの目は優しかった。まるで母親が子供の成長を見守るような眼差しが少しだけむず痒い。
 
 
 赤信号で車のスピードがゆっくりと減少していく。窓の外には、やっぱり月が見えた。薄汚れた電信柱が月の光に煌煌と照らされている。意味もなく、ぼんやりとそれを眺める。電信柱には、一枚のポスターが貼られていた。『飛び出し注意』のフレーズと共に、子供が三輪車に乗っている絵が描かれている。三輪車に乗っている子供の快活な笑顔、そのすぐ角の道から迫り来るトラックの絵。三輪車の色は、血のように赤い。
 
 その絵を見た瞬間、身体に電流が走った。息を呑んだまま、肺が呼吸することを忘れる。ビリリと両腕が震えて、頭の中でシナプスが暴れ出す。脳味噌が頭蓋骨の中でぎゃんぎゃんと喚き始めるような感覚。バラバラだった思考回路が音を立てて組み合わさって、一つの絵を描き始める。脳味噌の真っ白なキャンバスに描かれるのは、あの夜の記憶だ。
 
 
 切り落とされた姫子の右の前足。
 頭の両脇に水平に刺された二本の枝。
 
 
 俺はそれを俺に対する当てつけだと思っていた。姫子をボロボロにする事で、犯人は俺への復讐をしているんだと。だけど、それらの本当の意味は別のところにあったんじゃないだろうか。嫌がらせなんかではなく、もっと具体的で明確な目的が。
 
 不意に言葉が頭をよぎる。俺が独り言のように呟いた台詞。
 
 
『子供は残酷や』
 
 
 唇から、あぁ、という溜息にも似た呻き声が零れた。その通りだ。子供は残酷だ。俺はそのことを知っていたのに、すっかり見落としていた。その選択肢を考えもしなかった。白のBMWなんて、大した問題じゃなかったんだ。答えは目の前にあった。初めから犯人なんて解り切っていたのに。
 
 
「兄貴」
 
 
 唇が勝手に震える。兄貴が運転席からちらりと視線を向けてくる。
 
 
「確か、橋本の家は車の修理工場しとったよな」
「……」
「橋本の家に行く」
「先に病院や」
「駄目や、病院よりも橋本の家行くんが先や。やないと、死んだって検査は受けん」
「御前一人病室に捻じ込むぐらい簡単なんやで」
「頼む兄貴、お願いや。今ここで行かんかったら、俺、自分がほんまに駄目になる気がするんや。クズのまんま終ってしまう気がして、怖いんや。俺は、そんなんなりとうない。なりとうないんや」
 
 
 懇願するように言う。このまま掴んだ細い糸の端を手放なしてしまえば、もう二度と真相には辿り着けない気がした。そうしたら、俺は本当のことが解らないまま、今までと同じことを繰り返すことになる。それはきっと土に埋められて死ぬよりも酷い結末だ。
 
 兄貴は暫く無言のまま車を走らせて、それからウィンカーを左に切った。病院のルートからは逸れる。それを見て、息をついた。兄貴が振り返らないままに呟く。
 
 
「二郎、解ったんか?」
「わかった、んやと思う。兄貴は、初めから解っとったんか?」
「あのミチカいう子の言葉聞いて、もしかしたらとは思うとった。やけど確証はない」
「行けば、わかる」
 
 
 そう言い切って、押し黙ったままのミツルの指先を半ば強引に握り締めた。自分の指先が震えているのが解る。自分が今感じているのが怒りなのか、それとも恐怖なのかすら解らない。
 
 
 足下に、再び底なしの暗闇が広がった気がした。でも、きっとその暗闇を掘ったのは俺なんだ。俺が掘ってきた暗闇は、深く暗い。俺は、その暗闇の中に何十人もの人間を引き摺り込んできた。どうやったら、その暗闇を埋めることが出来るんだろうか。検討も付かず、震え始めた掌を唇へと押し当てて、見開いた目でじっと流れて行く景色を見つめた。夜は、まだ深い。
 
 

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Published in 凶暴三兄弟

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