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18 手をはなせない

 
 MRIの結果、脳に異常は見付からなかった。その代わり、後頭部を殴られた傷は八針も縫われた。雑菌が入らないようにと、土まみれの髪や身体を洗ってもらったのだけど、水が触れる度にピリピリと爆ぜるような痛みが脳味噌を突き抜けた。兄貴は不機嫌そうな面のまま、俺の頭にしこたま消毒液を振り掛けた。それから、あまりの痛みにギャアギャアと喚く俺に向かって、
 
 
「あんだけ心配させたんやけぇ、これぐらいは当然やろうが」
 
 
 俺だって仕返しぐらいは必要や、と兄貴はのたまった。正直、巫山戯んな阿呆が!と怒鳴り散らしてやりたかったけど、俺は我慢した。俺は偉い。すごく偉い。アインシュタインだって真っ青なぐらい偉い。そうやって自分を慰めて、痛みから必死で気を逸らした。殴られた時よりも縫われた時の方がずっと痛いのは、どういう理屈だろう。傷付くよりも、治す方が痛いのだったら、人間は治すことを諦めてしまうんじゃないだろうか。そんな意味のないことをつらつらと考えてみる。
 
 そして、兄貴は俺の怪我を理由に、ちゃっかり明日の休みももぎ取ったらしい。アンパンマンが「明日は手術が十件以上あるんすよ。ハジメさんいなかったら、誰がするんすかぁ」と泣きべそをかいていたが、兄貴はすっぱりと「盲腸の手術ぐらい猿やって出来る。俺がおらんのなら御前がやれ」と切り捨てていた。アンパンマンはとうとう声をあげて泣いた。
 
 アンパンマンという、それほど尊くはない犠牲を出しつつ、俺は兄貴とミツルに連れられて家に帰った。帰りの車の中で、ミツルと二三言葉を交わしたような気もするけれども、あまりよく覚えていない。縫合後に飲んだ鎮痛剤の副作用での眠気だと、夢うつつに兄貴が言っていた気がする。ミツルにこめかみ辺りを撫でられているのを感じながら、俺は安心感に包まれて眠った。
 
 
 
 
 
 
 
 目覚めると、また四本の腕に羽交い締めにされていた。こいつらはいつか寝惚けて俺を絞め殺すと思う、絶対。薄暗い室内に視線を巡らせる。時計を見ようとベッドの上で軽く身じろぐと、身体に絡み付く腕がきつくなった。
 
 
「今何時や」
「午前二時」
 
 
 息が触れ合うような距離からミツルの声が聞こえてきた。一瞬午前と午後の違いが解らなくなる。それって夜か昼かと訊ねたくなるのを堪えて、ほぉか、と曖昧な相槌を返しておく。
 
 眼をしばたかせると、少しだけ視界がはっきりした。俺の目の前にいるのはミツルだ。ということは背側にいるのは兄貴ということだろう。腹と背に密着した柔らかな体温を感じながら、寝起きの微睡みに浸る。温かいのは良いが、どうにも男の身体はゴツゴツしていて塩梅が悪い。だけど、妙にしっくりする。十八年間一緒に暮らして来たんだから、しっくりするのは当たり前かもしれないが。目蓋を閉じたまま、うつらうつらしていると、その微睡みを邪魔するように、ミツルが俺の肩を緩く揺さぶってきた。
 
 
「二郎」
「なんや」
「答え出す言うたやろうが」
 
 
 焦れたようなミツルの声に、薄らと眼を開く。薄闇の中で、微かに光る眼球が俺を見下ろしていた。
 
 
「二郎、俺らのこと好きか?」
 
 
 背後から隠微な声が首筋に寄せられる。兄貴の声だ。
 
 
「うん」
 
 
 まだ完全には睡魔が遠ざかっていないのか、脳味噌が上手く回らない。言葉一つ喋るのも正直億劫だ。そのまま眼を閉じようとしたら、今度は苛立ったように身体を大きく揺さぶられた。微かに切迫したミツルの声が聞こえる。
 
 
「もっとはっきり言え」
「好きや」
 
 
 思っていたよりも、ずっと簡単に口に出せた。呆気無いぐらいだ。半分閉じかけた目で、ミツルの顔をじっと見上げる。ミツルの瞳は、期待と不安を孕んで、微かに潤んでいた。何年間、こんな目で俺を見ていたんだろうか。そんな事をふっと考えた瞬間、身体が勝手に動いた。やわらかい呼気が唇に淡く触れる。唇が触れ合った瞬間、心が溶けた。ミツルが目を見開いて、俺を凝視している。
 
 
「…二郎、御前それがどういう意味か解っとんか?」
 
 
 窺うような半ば疑心じみた声音で、ミツルが問い掛けてくる。それに小さく頷きを返す。気持ちは決まってる。覚悟だってある。あと必要なのは一歩踏み出すことだけだ。
 
 
「俺は “御前ら” を選ぶ」
「御前ら?」
「どっちかは選べん。選べんかった」
 
 
 ミツルの顔が一瞬苦虫でも噛み潰したかのように歪む。だけど、その表情はすぐ諦念と許諾のものに変わった。溜息を吐き出して、指先をそっと俺の頬へと寄せる。
 
 
「御前は選べんと思っとった」
「駄目か?」
「しゃあない。もしハジメだけ選んで俺を選ばんのんやったら、御前殺して俺も死んだろうか思うとったけど、そうやないんなら、もうええ」
 
 
 物騒な事を言って、ミツルは弱々しく首を振った。背後から、兄貴が俺の耳元に唇を寄せてくる。
 
 
「ただの兄弟やなくなるんやで?」
 
 
 まるで俺を試すかのような声音だった。真意を疑っているような、その声に窮屈な姿勢のまま肩越しに視線を遣る。
 
 
「でも、兄弟や。俺の家族やし、一番大事な奴らや。だから、ええ」
「御前、ほんまにわかっとるんか?」
「俺、御前らとセックスしてもええと思っとる」
 
 
 吐き出すと、前後の身体が微かに強張った。身体に絡まった四本の腕が熱を持ったように感じる。額をミツルの薄い胸板に押し付けながら呟く。
 
 
「ほんまはセックスしたら、今の家族やら兄弟いう関係が変わるんやと思っとった。俺らの間に時間制限ができて、いつか終ってしまうんやと思い込んどった。やけど、違うんやろ? セックスしても、殴り合っても、俺らは兄弟のまんまや。それが解ったから、ええと思ったんや」
「御前は、俺らに抱かれることを望んどるんか? それとも俺らが欲しがっとるけぇ、仕方なく受け容れるんか?」
 
 
 ミツルが詰問するように問い掛けて来る。俺は、言葉の意味がよく解らず、首を傾げた。
 
 
「何やそれ、難しいこと言うなや。ええ思うたんやけぇ、ええ言うとるのに、何でそこに望むやら仕方なくやらそんなこと言う必要があるんや」
 
 
 唇を尖らせて不服を申すと、ミツルが脱力したように溜息を付いた。兄貴が何処か呆れたような声で、ミツルへと喋りかける。
 
 
「ミツル、諦めろ。二郎にここまで日本語が通じただけでも褒めてやらにゃあかん」
「阿呆扱いすんなや」
「阿呆やろうが」
 
 
 完全に阿呆扱いされて、正直腹が立つ。だけど、今までの前例があるから思うように言い返せないのが余計に歯痒い。下唇を噛み締めてから、ゆっくりと身体の力を抜く。
 
 
「他の女に渡したくない」
 
 
 女々しく、惨めったらしい言葉だった。頬が勝手に熱くなる。だけど、これが俺の本音だと思う。一番の本音だと思う。母親の胎内にいるみたいに身体を丸める。手の甲に唇を押し当てて、くぐもった声で呟いた。
 
 
「誰にも渡したくない」
 
 
 あまりの羞恥に、目尻に涙が滲んだ。これが恋情かどうかは解らない。兄弟愛の延長線上なのか、それとも子供の駄々にも似た執着心なのか。ただ、俺は兄貴やミツルを取られたくなかった。絶対に、誰にも、死んだってくれてやりたくない。その代償が関係性の変化やセックスだっていうなら、喜んで支払おう。俺は、兄貴やミツルを手放せない。結論は、たったそれだけだ。
 
 兄貴が静かな声で問い掛けて来る。
 
 
「血の繋がった兄弟やで」
「わかっとる」
「男同士やで」
「わかっとる」
「御前、女みたいに抱かれるんやで」
「わかっとるけぇ、もう言うなや…頭おかしくなる…」
 
 
 まるで逃げ場を潰していくみたいな質問に、震えが走る。恐怖や羞恥や葛藤がないと言えば嘘になる。男同士で近親相姦だなんて笑えない。麻原家三兄弟全員ホモ野郎、全然笑えない。お家断絶、まったくもって笑えない。世間的にも、このままただの兄弟でいた方が絶対いいに決まってる。だけど、駄目だ。駄目なんだ。俺は、選ぶって決めたんだ。舗装された道をひとりぼっちで歩くよりも、滅茶苦茶な獣道を三人で歩く方がずっと俺は幸せなんだ。縋り付くんじゃなく、一緒に歩いて行きたいと俺自身が願っている。
 肩をぶるりと震わせると、ミツルが首筋に腕を回してきた。
 
 
「遠慮せんで」
「遠慮されるほどのもんでもない」
「馬鹿言うなや。俺らがどんだけ御前欲しかったか、解っとらんのか」
「そんなん解るわけないやろうが。何で、俺がええんかも解らんのに」
「御前が馬鹿で阿呆で、たまらなく可愛いけぇや」
 
 
 赤面ものの台詞を吐き出して、ミツルが俺の鼻頭に軽く唇を落とす。驚きに目を見開く間もなく、うなじに生ぬるい感触が当てられる。柔らかく、ぬめっていた。皮膚を吸われて、微かな痛みと疼きが腹の底から湧き上がってくる。
 
 
「っ、ぅア゛…!」
 
 
 身体に絡まっていた四本の腕が身体の上を隠微に這い回り始める。シャツをたくし上げられてへその穴を指先で撫でられた瞬間、電流でも走ったかのように身体が跳ねた。
 
 
「ちょ、ぁ、待てや…!」
「御前、セックスしてええ言うたやろうが」
 
 
 恨みがましい声でミツルが言う。その間にも背後から兄貴が耳朶を舐めしゃぶってくるから、身体から力が抜けて、上手く声が出せない。
 
 
「や、やからって、三人でやることないっ、やろうが…!」
 
 
 必死で訴えられた俺の不平を聞いて、兄貴とミツルは呆れたような眼差しを返してきた。兄貴とミツルが淡々とした声で交互に言う。
 
 
「処女信仰っつうのはないつもりやけどな、御前の “初めて” 言うのは、俺らにとってそれなりに重要なんや」
「俺らのどっちか抜かしてヤッたら、後々カドが立つ。やから、“初めて” は三人でヤる。合理的やろ?」
 
 
 にたりと口角を吊り上げてミツルが笑う。その笑みの仄暗さに、俺は予期せぬ冷汗が額から滲むのを感じた。
 
 

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Published in 凶暴三兄弟

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