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21 夢現の邂逅

 
 目が眩むような、真っ白な世界にいた。
 
 扉のない正方形の部屋の真ん中には、壁や床と同系色の椅子と机が置かれていて、俺は片側の椅子に座っていた。机を挟んだ向かい側の椅子に座っていたのは、小さな子供だ。まん丸い目を大きく見開いて、俺を見詰めている。黒目がちな瞳が物珍しいものでも見つけたかのように、ぱちぱちと大きく瞬きを繰り返す。それは、昔の俺だった。過去の俺が現在の俺と対面している。物珍しい光景に、俺もぱちぱちと瞬く。
 
 
『よぉ』
「よぉ」
 
 
 まるで向かい合わせの鏡のように、片手をあげて挨拶を言い合う。子供がにやりと笑う。俺もにやりと笑う。子供が足を前後にぷらぷらと揺らしながら、人差し指をぐいと俺へと向けてくる。
 
 
『御前は麻原二郎やろう』
「御前こそ麻原二郎やろう」
 
 
 鼻をふんと鳴らして、指を差し替えす。すると、子供が生意気そうな面で、ヒヒッと笑い声をあげた。
 
 
『御前が何年後か何十年後かのオレなんか。なんでココにおるんや?』
「御前こそなんで此処におるんや。そもそも此処がどこかサッパリわからん。御前が連れて来たんか?」
『阿呆言うなや。御前がオレを呼んだんやろうが』
「んなわけないやろうが」
『いいや、御前が呼んだんや。間違いない』
 
 
 子供の俺は、確信を持った声音で言い切った。机の上に両肘を付くと掌で顎を支えて、まるで品定めをするかのような視線で俺を見遣る。その視線に、俺は唇を尖らせた。
 
 
「でも、俺は御前を呼んだ覚えはないで」
『なら、無意識にオレを呼んだんやな。どうしたんや、人生が生き辛いんか?』
 
 
 子供らしかぬ辛辣な質問だった。たぶん俺は、その時傷付いた顔をしたんだと思う。唇が一瞬戦慄いて、眉尻がぐっと下がる。子供は、俺の様子を見て、ぎゅっと目を細めて笑った。
 
 
「ガキのくせに、随分と生意気なこと言うんやな」
『自分になら酷いことも優しいことも遠慮なく言えるやろ。そんだけの話や』
「嫌なガキ」
『御前やろう』
 
 
 図られたような予定調和の会話に、苛立ちと紙一重の安堵を覚える。向かい合って座る相手が何処まで行っても自分でしかないという事実が、俺を落ち着かせた。子供が人差し指を立てて、指先をくるくると回す。
 
 
『なぁ、もっと素直になれや。所詮オレなんやで』
「ほうやなぁ」
 
 
 自分なら何を言っても構わない。確かにそうだ。一度肩を竦めてから、子供を見据える。子供は、幼稚園児ぐらいだろうか。きっと、まだ土に埋められる前の俺だ。苦痛や憎悪を知らず、ただただ傲慢に尊大に町を愛していた小さな王様。キラキラと光る大きな瞳は、未だ暴力に取り憑かれていない。その瞳をじっと眺めながら、呟く。
 
 
「自分が、誰かを幸せにできるかわからんのんや」
『しあわせ?』
「いろんな人を不幸せにしてきたけぇな」
 
 
 その言葉に、子供の顔が歪む。未来の自分に対して、嫌悪や失望を隠そうとはしない表情。ぷらぷらと前後に揺れていた足が止まる。暫く何か言いたげに小さな唇をもごもごと動かしていたけれども、最後は納得したように緩く頷いた。
 
 
『未来のオレは結構悪い奴になっとるみたいやな』
「すまん」
『ええよ、オレやからな。オレがオレ許さんかったら、誰もオレのこと許してくれん気がするもん』
「心が広いんやな」
『子供やからね。大人より子供の方が心が広いんやで。知っとった? それとも、覚えとるかって言う方が正しいんか?』
 
 
 したり顔で子供は答える。にたりと笑う顔が何とも小憎たらしくて可愛い。自分だと思わなければ、素直に愛しいと思える姿形だ。
 
 
「昔のことは、あんまようけ覚えとらんわ。あぁ、でも、あれだけよう覚えとるわ。ミツルが誕生日プレゼントに貰っとった機関車の玩具がどうしても欲しゅうて、飲み込んでしもうたこと。咽喉に詰まって、救急車で運ばれて。ミツルには大泣きされるし、兄貴にすげえ剣幕で怒鳴られるし、散々やったなぁ…」
『ミツルは大泣き虫やし、兄貴は怒鳴り虫や。二人とも嫌いや』
「そう言って、好きなくせに」
『阿呆! 大っ嫌いや!』
 
 
 ツンと顔を背けて子供は言うけれども、俺は知ってる。目の前の子供が自分の兄貴や弟のことを本心では好いていることを。だって、俺だ。俺は、昔から今の今まで俺の兄弟を心底嫌ったことなんか一度もなかった。込み上げてくる笑いを噛み締めていると、子供が変なものでも見るかのような視線を向けてきた。
 
 
『なぁ、未来のオレは幸せなんか?』
 
 
 問い掛けられた言葉に、軽く首を傾げる。
 
 
「どうやろうか。悲しいこともいっぱいあったけど、その分嬉しいこともいっぱいあった気がする。迷いなく幸せだと言い切るには、酷いことをたくさんしたし。幸せじゃないって答えるには、たくさんの愛情をもらった」
『オレをすきになってくれる人がおったんか? オレは、そいつをすきになったんか?』
 
 
 子供が興味津々な様子で身を乗り出す。
 
 
「うん、おったし、好きになった」
『それだけで、十分幸せやないか。何が不満なんや』
 
 
 呆れ顔で子供が大きく溜息をつく。本当やな、と相槌を返しながら、胸の奥に残るこの空虚さを思う。この微かに疼く棘を、抜いてくれる存在を求めている。心臓の辺りを緩く掌で撫でる。服ごしに小さな鼓動が伝わって来る。あたたかく脈打っている。
 
 
「姫子、を」
『ひめこ?』
 
 
 首を傾げて子供が俺を見詰める。その瞳を縋るように見詰めながら、俺は惨めったらしい声をあげた。
 
 
「犬を、貰うんや。七歳のときの誕生日に。黒の、ドーベルマンで、いっつも舌を出しとって間抜けな顔しとって、でも、すごくすごく可愛いんや。世界で一番、可愛い犬なんや。その犬を、姫子を大事にして。たくさん撫でて、たくさん散歩して、たくさん好きや言うて。伝わるかわからんし、姫子が幸せかどうかやったかなんてわからん。最後まで、ずっとずっとわからん。だけど、俺にできることはそれだけなんや。だから、全部全部やって。頼むから、お願いだから」
 
 
 言葉が掠れる。震える咽喉に耐え切れず、込み上げてくる悲しみを堪え切れず、俺は俯いた。真っ白な机の上に、ぽつぽつと透明な液体が零れ落ちる。これは何だ。この涙は何だろうか。悲しみの涙か、後悔の涙か、懺悔の涙か、それらすべてがごちゃまぜになった感情の塊なのか。それなら、どうしてこんなにも透明なんだ。
 
 子供の声が聞こえる。小さく、訴えかけるよな声。
 
 
『大丈夫。伝わってた』
 
 
 御前に一体何がわかるんだ。まだ姫子と出会ってもいないのに、姫子のことなんか何も知らないくせに。俺ですら解らないことを、どうして御前が。吐き出そうとした言葉は、顔をあげた瞬間、咽喉の奥で固まった。唇が半開きのまま動かなくなる。見開いた目が映し出したのは、黒い犬の姿だ。血統性付きのドーベルマンとは思えない、舌をちょろりと出した相変わらずな間抜け面。子供が座っていた椅子にちょこんとお座りをしている。
 
 
「姫、子」
 
 
 言葉が絡まる。唇だけが藻掻くように震える。言いたいことがある。謝りたいことがある。姫子のつぶらな瞳が俺をじっと見詰める。しなやかな足、滑らかな毛並み。だけど、御前のその足は切られてしまう。御前の頭には棒が刺される。御前は、そうやって殺される。俺のせいで殺されてしまったんだ。
 
 
「姫子、…ごめん、ごめんなぁ…」
 
 
 無様な声だ。どう足掻いても償うことすら出来ない、それを解っていながら言わずにはいられない。死んだものは生き返らない。壊れたものはもう元通りには戻らない。それなら、一体どうすればいいんだろう。どうやって、どうすれば、壊れ、千切れ、粉々に砕けたものを再生させることが出来るんだろう。
 
 姫子が頷く。確かに頷いた。そうして、伸びた舌がぺろりと俺の頬を舐めた。その感触は温かかった。泣けてくるぐらい温かかった。そうして、耳元にそっと囁く声が聞こえた。
 
 
『きみに愛されてたことを知ってた』
 
 
 柔らかい声が耳朶を撫ぜて通り過ぎる。そうして頬からぬくもりが離れたと思った瞬間、一陣の風が吹いた。草葉が揺れる音が響く。真っ白な部屋が消えて、草むらの中に俺は立っていた。草原の向こうに、美しい海岸線が広がっている。空には、突き抜けるような青が映されており、もくもくと膨らんだ雲は果てもなく天まで伸びていた。風に吹かれて、足下の砂が海へと向かってさらさらと流れて行く。
 
 眩しいくらい白い砂を蹴って、姫子が駆けて行く。待って、叫ぼうとするのに声が出ない。追い掛けようとするのに、足が動かない。姫子は走って行く。遠ざかって行く。俺の手はもう届かない。水面を蹴り、姫子は海を超えていく。跳ね上がる飛沫が光に照らされてキラキラと光る。綺麗だ。だけど、悲しい、寂しい。涙がとまらない。俺は、じっと前を見据える。
 
 
 姫子!
 
 
 心の中で叫ぶ。高らかに吠える姫子の声が遠くから聞こえた。
 
 

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Published in 凶暴三兄弟

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