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長男のスキップ(2)

 
 夢の中で、湿った土の臭いを嗅いだ。雨が降る丘の上に、ハジメは立っていた。雨が降っているというのに、雨音がまったくせず、その代わりのようにガリガリと何かを掻き毟るような音が聞こえた。
 
 暗闇の中で、地面を両手で無茶苦茶に掘っている影が見えた。指先に砂利が食い込み、血が滲み出ているのに影は地面を掘るのをやめようとはしない。
 
 
 ハジメは、それを数ヶ月前の記憶だと思った。二郎が二回目に土に埋められた時のことだと。だが、違った。暗闇の中で、土を掻き出しているのは学生服を着た少年だ。それは、十四歳のハジメだった。
 
 
――それなら、これは二郎が最初に埋められた時の記憶か。
 
 
 冷静にそんな事を思う。鬼気迫った様子で両腕を動かす中学生の自分を見ても、さしたる感慨はなかった。そういえば、こんな事もあったと懐かしく思うぐらいだ。
 
 
 ハジメが期末試験を終えたその日、二郎が誘拐された。最初はタカを括っていた。小さな町だ。父親の力を使えば、きっと直ぐ見つかる。身代金を払えば、二郎は無事に戻ってくると思い込んでいた。しかし、三日経っても二郎は戻ってこなかった。
 
 
 四日目は、焦りを必死で堪えた。
 五日目は、町中を歩き回った。
 六日目は、交番まで怒鳴り込みに行った。
 七日目は、暢気に愛人といちゃつく父親を散々罵倒した。
 
 
 二郎を探せ、二郎を助けろ、身代金を払え、父親のくせに子供を見捨てるんか人間のクズが、
 
 
 日が経つにつれて、焦燥は激しくなっていった。食事もろくに咽喉を通らず、眠ろうにも眠れない。二郎が大事にしていた犬のぬいぐるみを抱き締めて、真夜中に狂ったように二郎二郎と喚き散らした。
 
 
 八日目に、二郎が殺されると思った。その想像が思い浮かんだ瞬間、発狂しそうになった。蹲って髪の毛を鷲掴んだまま、暫く震えがとまらなかった。震えるハジメの背を、まだ幼稚園児だったミツルが撫でる。
 
 
『ハジメ、ジローが帰ってこんで』
 
 
 その言葉に、心臓が押し潰されるような絶望を感じた。
 
 誰よりも子供らしく無邪気で傲慢な弟が帰ってこない。兄貴なんかキライや、と強がりを口にしながらも、雷が怖くてハジメの布団に潜り込んできた弟。野菜が嫌いで、でもハジメが言えば一つ一つを涙ぐみながらも食んでいた弟。可愛げがないところが可愛くてたまらなかった弟が、二郎が帰ってこない!
 
 
 九日目、父親が母親と愛人との三人で海外旅行に行った。その事に、ハジメは大した失望を抱かなかった。警察も両親もあてにならない。初めから、誰も信用するべきではなかったのだ。
 
 
 ハジメは、自分の出来うる限りの力を使った。金をばら撒き、女子供さえも脅迫し、時には暴力さえ施行した。特に二郎と一緒に下校していたらしき同級生は橋から逆さまに吊り下げて、泣き喚く子供に詳細を念入りに吐かせた。二郎を救うために何でもした。
 
 
 
 そうして十日目、丘に町の人間が集まっているという話を聞いた。丘の上で、数人の大人たちが地面の上を両脚でぴょんぴょんと飛びながら下卑た笑い声を上げていた。微かに盛り上がった土は、まだ埋められたばかりのようだった。
 
 
『あーっさはっらのクソガキがぁ、ミミズの汚ぇ餌ーになーるー』
 
 
 音程のズレた歌声だった。それを聞いて、周りの大人はやんややんやとはしゃぎ声を上げる。その光景を見た瞬間に、ハジメはすっと自分の身体から血の気が抜けるのを感じた。魂が凍り付いて、自分が人間ではない何かになっていくようだった。
 
 
 そうして、ハジメは十四歳で人を殺した。正確な数は覚えていない。おそらく四人か五人ぐらい。気付いたら手に折れたシャベルが握り締められていた。頭から血を流した大人が倒れていた。呻き声をあげる男の後頭部にシャベルの折れた柄を突き立てる。頭蓋骨が割れて、傷口からどろりと脳漿が零れ出すのが見えて、薄汚いと思った。この町の人間は、許しがたいほどに誰も彼もが醜い。
 
 
 そこからは無我夢中で地面を掘り起こした。殆ど何かにとり付かれたようだった。途中からは、悲鳴のように二郎二郎と喚いていた。心臓の中心に、今まで感じたこともない凶暴な感情が生まれていた。二郎に対する強烈な執着心に、ハジメは溺れていた。それは血をわけた弟に対する感情ではなかった。もっとおぞましく粘着いた感情だ。
 
 土の底から、傷だらけの身体が覗いた。二郎は、まるで母親の胎内で眠る赤子のように、土の中で身体を丸めていた。地面へと引き摺り出した二郎は、息をしていなかった。人工呼吸と心臓マッサージを繰り返しながら、ハジメは痛ましい弟の姿に涙を流した。絶望の中で息を止めたこの子を思うだけで、息苦しいぐらいの悲哀と罪悪を感じずにはいられなかった。
 
 そうして、同時に煮え滾るような憎悪を感じた。二郎を傷付けた町の人間を、二郎を守れなかった自分自身を、ハジメは決して許さない。十年以上経過した今でも、ハジメは二郎以上に町の人間を憎んでいる。そうして、今の今まで許すことが出来ないのだ。
 
 

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Published in 凶暴三兄弟

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