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龍は愚かな恋をする 1

 
 鳴久先輩は、ボクと同じ歴史サークルに所属している龍だ。
 
 西洋龍ではなく東洋龍の姿をしており、深緑色の艶々とした鱗を持っている。体長は、龍にしては小振りで五メートルほど。それでもボクよりも二倍以上も大きな身体を今は窮屈に縮めて、ざわめく店内の片隅にちょこんと鎮座している。
 
 尖った牙に囲まれた咥内は、燃えるような真紅色をしていた。目の奥がカッと熱くなるような真紅の中へと、鳴久先輩は小さな餃子をぽいと放り込んだ。
 
 長い口を閉じて、むごむごと口を動かす。咀嚼する度に、鼻先に生えた太い髭が猫の尻尾のように宙を泳ぐのが面白かった。
 
 
「やっぱり餃子は王将だよね」
 
 
 すっかり泡が消えてしまったビールを咽喉の奥に流し込んでから、鳴久先輩は独りごちるように呟いた。
 
 空っぽになったグラスをちらと眺めて、鳴久先輩が鋭い爪が生えた指でビール瓶を摘もうとする。だが、その前にボクがビール瓶を取り上げると、鳴久先輩はムッとしたように鼻頭に皺を寄せた。
 
 何処かあどけなくも見える彼の顔を見ながら、言い聞かせるように話す。
 
 
「あんまり飲み過ぎないで下さいよ」
「なんでだよー。酒は飲むためにあるんだぜー」
「貴方、酔っぱらうと面倒なんですよ」
「酒は呑まれるためにあるんだぜー」
 
 
 鳴久先輩は威厳など欠片も感じさせない、間延びした声音で言った。
 
 龍族という尊い種族であるにも関わらず、鳴久先輩はボクから見て酷く庶民的だった。好物は餃子で、直ぐに酔っぱらうくせに矢鱈めったら酒好きなのだ。しかも、吟醸酒だとか幻の日本酒だとかではなく、コンビニで買えるようなビールが好みだ。銘柄は、見た目に親近感が湧くからキリンがいいらしい。
 
 鳴久先輩は、身体に比べて短い腕をちょこまかと動かしては、ボクからビール瓶を奪い返そうとしてくる。まるでお気に入りのオモチャを必死に取り返そうとしている幼稚園児のようだ。
 
 
「だめです。この間も酔っぱらって、ひとんちの屋根でとぐろ巻いて寝てたでしょう。写真まで撮られて、ツイッターにあがってましたよ。『龍の寝姿なう』って」
「なう?」
「とにかく、これ以上はだめです。先輩だけじゃなく、龍族全体の沽券に関わります」
 
 
 ぴしゃりと言い放つと、鳴久先輩は「なんだよー」とぼやきながらも腕を引っ込めた。不貞腐れた顔をしている。龍のくせに、随分と喜怒哀楽が解りやすい。
 
 ぶつぶつと文句を垂れながら、鳴久先輩はまだ湯気を立てている餃子を真っ赤な口へと放り込んだ。もごもごと長い口を丁寧に動かしつつ、店内の端っこに吊られたテレビを見上げて、鳴久先輩は「あ」と声を上げた。
 
 ボクも肩越しに振り返って、古臭い型のテレビを見上げる。
 
 粒子の粗い画面に映っていたのは、黄金色の鱗をもった龍だ。ニュースのテロップには『龍族初の衆議院議員誕生 黄ヶ峰龍聖』という物々しい名前が出ている。
 
 
「龍聖兄ちゃんだ」
「知り合いですか?」
「母方の叔父さんの又従兄弟の息子さん」
「…随分と遠い親戚ですね」
「そう? これでもまだ近い方だよ」
 
 
 龍族は数が少ないからねー、と何も考えてなさそうな暢気な声で鳴久先輩は言った。
 
 ボクは、ふとネットニュースで読んだ記事を思い出す。
 
 現在、全世界にいる龍の頭数は三千頭を少し下回るくらいだ。日本に在住する龍は、百頭を満たない。
 
 別に人間が龍を乱獲したとか、そういう訳ではない。鳴久先輩曰く『時代の流れだよね』と、ただそれだけの事らしい。まるでブームの流行り廃れのように言うんだな、とボクは思った。
 
 鳴久先輩は二皿目の餃子に手を伸ばしながら、感心したようにテレビ画面に見入っている。
 
 
「すごいな、龍聖兄ちゃん。衆議院議員だってよ。俺と三百歳ぐらいしか違わないのに格好いいなー」
 
 
 むふー、と鳴久先輩が荒い息を漏らす。途端に、ニンニクとビールの匂いがむわっと広がった。
 
 
「先輩は何歳でしたっけ?」
「うーん、たしか今年で二百歳だったかな」
 
 
 じゃあ、ボクとは百八十一歳差だな、と頭の中で計算する。先輩が生まれたのは、まだナポレオンが生きていた時代だ。
 
 尋常ではない年の差にボクが途方に暮れていると、鳴久先輩はむずがるように小さな掌で鼻面をごしごしと擦った。
 
 
「どうしたんですか」
「やなんだよなー。二百歳とか言うと、みんなから子供扱いされるから。俺だって、もう大学二年生なのにさ」
 
 
 拗ねた口調が余計に子供っぽいんだと気付いてないんだろうか。
 
 龍の平均寿命は二千歳だ。長寿が当たり前な龍達からしてみれば、二百歳の龍というのはまだ赤ん坊みたいなものなのだろう。
 
 鳴久先輩は一族の中でも一番年下らしく、矢鱈と構われたり、甘やかされたりしている。そのせいで鳴久先輩は、絵に描いたような末っ子気質なのだ。もっと直接的な言い方をすれば『甘やかされたお坊ちゃん』だという事だ。
 
 テレビ画面に映る黄ヶ峰龍聖が落ち着いた声で言う。低いのに張りがある、耳に残るバリトンだ。
 
 
『龍が人間同様の権利を持つようになって、まだ三十年ほどです。私の使命は、より一層龍と人間とが手と手を取り合い、共存できる社会をつくっていくこと。ただそれだけです』
 
 
 お決まりな台詞なのに、自信に満ちた声音のおかげか妙な説得力があった。黄ヶ峰龍聖は目を細めて、惚れ惚れするほどのアルカイクスマイルを浮かべた。たぶん龍界では、こんな龍がイケメンならぬイケ龍と呼ばれるのかもしれない。
 
 そこでニュースの話題が切り替わる。後二週間後に迫ったバレンタインデーの特集だ。
 
 雪が吹きすさぶ中、太股の付け根まで見えそうなショーパンを履いた女の子が「今年は青が流行色だからぁ、真っ青な包装紙にしようと思ってまぁす」とマイクに向かって喋っている。
 
 チョコレートのようにとろけた女の子の表情を眺めながら、鳴久先輩がぼそりと呟く。
 
 
「もう恋の季節だねぇ」
 
 
 貴方なんて万年恋の季節じゃないですか、と口が滑りそうになった。脳味噌お花畑な龍は何処かうっとりとした眼差しでテレビ画面を見つめている。同じ龍族が議員になったニュースよりも、よっぽど夢中な眼差しをしていた。
 
 鳴久先輩は、片想いをしている。それも五十年以上に渡る、長い長い片想いだ。
 
 恋する乙女の如く蕩けた鳴久先輩の顔を見ていられなくて、ボクは目の前の天津飯をガツガツと胃の中へと掻き込んだ。
 
 ご飯が咽喉に詰まってゴフゴフと噎せていると、鳴久先輩が「なにやってんだよー」と笑いながら水のグラスを差し出してくれた。龍のくせに、こういうところは変に甲斐甲斐しいのだ。
 
 皿の上が空っぽになったところで帰る事にした。途中でお酒をセーブさせたにも関わらず、鳴久先輩はやや千鳥足だった。店内の机や椅子を長い胴体でなぎ倒さないように気をつけながら、店の外へと出る。
 
 外に出ると、一気に冷たい空気が頬に触れた。無防備な首周りを守るように肩を竦めていると、鳴久先輩が大きな猫のように身体を擦り寄せてきた。艶やかな鱗は、触れるとじんわりと温かい。
 
 
「なんですか」
「ふふふ、酔っちゃったー」
「うちには絶対に泊めませんよ。というか、お持ち帰りを期待する女子大生みたいなこと言わないで下さい」
「だって、明日一コマ目から講義あんだよー。俺一人じゃ絶対に起きれないよー」
「だからって後輩に頼らないで下さい。貴方、前にうちに泊まったときに寝呆けて空中浮遊した挙げ句に電灯壊していったでしょう。しばらく家が暗闇に覆われてたんですけど」
「だってー…」
「だっても何もありません。大人しく自分の家に帰って下さい」
 
 
 呆れたように溜息を吐き出すと、鳴久先輩は「ちぇっ」と小さく零した。ちぇっ、って…。
 
 ふより、と鳴久先輩の胴体が空中へと浮かび上がる。空中をゆらゆらと波のように揺らめく身体は、いつ見ても幻想的だと思う。
 
 
「浮かれて高度を上げすぎて飛行機にぶつからないようにして下さいね」
「わかってるよ」
「電線にも引っかかっちゃダメですよ。この間も龍が電線に引っかかって付近一帯が停電したってニュースになってましたからね」
「わかってるってばー」
 
 
 反抗期の子供のように下顎を突き出して鳴久先輩が答える。
 
 お別れを告げるように、ひらっと尻尾を揺すって、そのまま鳴久先輩が空へと向かって飛んでいく。見上げると、満点の星空を泳ぐように飛んでいく龍が見えた。長い身体をくゆらせながら高く高く空へと吸い込まれていく。
 
 踵を返そうとした瞬間、空高くから「シロくん、おやすみー」と間延びした声が小さく聞こえてきた。
 
 鳴久先輩へと向かって、片手を大きく振る。空高く、あの短い腕がぴるぴると動かされているように見えた。
 
 

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Published in 鳴久先輩の恋

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