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龍は愚かな恋をする 2

 
 翌日の午後三時。
 
 歴史サークル【温故知新】の部室に入ってくるなり、鳴久先輩は「いったーい!」と声高らかに叫んだ。
 
 丁度ソファに座って『マンガで勉強する戦国武将』を読んでいたボクは顔を上げ、ノートパソコンに向かってカタカタとキーボードを鳴らしていた武光は素知らぬフリを決め込んだようだった。
 
 声も掛けずに鳴久先輩を凝視していると、焦れたように鳴久先輩がもう一度「痛いんですけどー!」と騒いだ。
 
 
「なにが痛いんですか」
 
 
 仕方なく訊ねると、鳴久先輩はずかずかと長い胴体をくゆらせながら近付いてきた。ソファの前に腰を下ろすと、尻尾をボクの前に差し出す。
 
 胴体よりも少しだけ細い尻尾を膝の上へと乗せて眺めると、尻尾の鱗が一枚剥げているのが解った。鱗が剥げた部分から、拳大ほどのピンク色の地肌が覗いている。
 
 
「あれ、鱗が剥げたんですか?」
「ちがう、剥がれたのっ! 誰かが俺の鱗を剥ぎやがった!」
 
 
 女々しいのか雄々しいのか判らない口調で騒ぎながら、鳴久先輩が怒りを露わにするようにクワッと口を大きく開く。真っ赤な口からは、お昼に食べたであろうサンマ定食の匂いがした。
 
 いきり立つ鳴久先輩を宥めながら聞いたところ、事件のあらましは以下のとおりだ。
 
 
 昨日ボクと別れた後、鳴久先輩は自宅へと向かって飛んでいた。だが、飛んでいる内に酔いが回ってきたのか、どうにも眠たくて堪らなくなった。そんな時、ふと地上を見下ろすと我が大学の芝生が見える。しめしめこのまま芝生で寝てしまえば遅刻することもないぞ、と短絡的に考えた鳴久先輩はそのまま芝生に寝転がったらしい。
 
 だが、そんな不届きな事を考えた祟りなのか、早朝六時に突然尻尾に激痛が走ったらしい。「いでぇえ!」と叫んで目を開いた時には、尻尾の鱗が一枚剥げていた。そして、走り去るロングヘアの女の子の背中が見えたらしい。
 
 
「イジメだっ! 陰謀だっ!」
「貴方の鱗なんかで何の陰謀を企むっていうんですか」
 
 
 キャンキャンと小型犬のように喚く鳴久先輩を眺めながら、ボクは首を左右に振った。それでも剥き出しになったピンク色の肉は、酷く痛々しく見えた。
 
 傷口近くの鱗を指先でそっと撫でると、喚いていた鳴久先輩がピタリと押し黙った。
 
 
「痛そうですね」
「痛いよ…」
 
 
 小さく囁いたボクの声に、鳴久先輩がらしくもない弱々しい声で呟く。
 
 部室に置いていた救急箱から包帯を取り出して、鱗の剥がれた尻尾にぐるぐると素人手付きで巻き付ける。最後にチョウチョ結びをすると、鳴久先輩は少しだけ嬉しそうに尻尾の先を跳ねさせた。
 
 
「それにしても、どうして鱗なんて剥いだんでしょうね。何か恨みを買うようなことでもしたんですか?」
「そんなんしてねぇよー」
 
 
 弱り果てた様子で、鳴久先輩は顎を落とした。
 
 それまで沈黙を守っていた武光がトコトコと近付いてくる。身長百五十センチ弱の武光が歩くと、どうしてだかトコトコという擬音を付けたくなってしまう。
 
 武光は分厚い黒縁眼鏡を片手で押し上げながら、ノートパソコンをボクらに差し出した。これを見ろ、とばかりに画面を指さす。
 
 画面に表示されていたのは、有名なネット掲示板だ。スレッドのタイトルには【龍のウロコが惚れ薬ってマジ?】と書かれている。
 
 
「はぁ!? 惚れ薬ぃ!?」
 
 
 鳴久先輩がパチパチと目を瞬かせながら、素っ頓狂な声を上げた。画面をスクロールさせてスレッドを読んで行くと、惚れ薬の作り方まで書いてある。
 
 
「材料、龍の鱗、カカオマス、カカオバター、粉砂糖、粉ミルク…って、これ殆どチョコレートの作り方じゃない?」
「俺の鱗がチョコレートになっちまう!」
 
 
 パニックになったように鳴久先輩が叫ぶ。その大きな口を掌でいい加減に塞ぎながら、武光へと視線を向ける。
 
 
「これって結構有名な噂?」
「一ヶ月前ぐらいからネットで流れてる。何度か大手のまとめサイトにも面白ニュースとして取り上げられたから、ネットやってる人は大抵知ってると思う」
 
 
 淡々とした声で武光が答える。言い終わるなり、武光は自分の使命は終わったとばかりにノートパソコンを抱えて机へと戻って行ってしまった。武光は、小柄な身体に酷く頑なな心を抱えている。
 
 むごむごと口をもごつかせる鳴久先輩から手を離して、自分の下顎へと掌を添える。
 
 
「つまり、その噂を鵜呑みにした女の子が惚れ薬欲しさに鳴久先輩の鱗を剥いだってことですかね」
「えぇえー、俺の鱗にそんな力ねぇよぉ…」
 
 
 遣る瀬無さそうに鳴久先輩が呟く。がっくりと項垂れた鳴久先輩へと、トドメのように武光が視線を向けぬまま声を掛ける。
 
 
「他にも、龍玉を手に入れたら願い事が叶うっていう噂も流れています」
 
 
 龍玉というのは、絵画に描かれている龍が手に握り締めている金色の宝珠のことだ。諸説では、思うがままに願いを叶える珠とも、生命の根源の珠とも言われている。
 
 鳴久先輩がパチリと大きく瞬いた後、げんなりと口元を歪めた。
 
 
「何それ、龍にどんだけ期待してんだっつーの…」
「そりゃ数世紀前までは伝説の生き物だったんですから。人があらぬ幻想を抱くのも仕方ないってものです」
「龍だってオナラもするし、ウンコだってするんだぜー…」
 
 
 鳴久先輩はヘヘッと力ない笑い声を上げた。
 
 
「ともかく鱗が取られた理由は解りました。今回は公共の場所で無防備に寝た先輩にも責任がありますから、鱗のことは諦めて下さい」
「えぇっ!」
 
 
 話を打ち切るように言い放つと、明らかにショックを受けたように鳴久先輩が声を上げた。わなわなと鱗が打ち震えている。
 
 
「い、一緒に犯人捜ししてくんないの?」
「犯人捜しって、何処の探偵気取りですか。別にボクは名探偵の孫でもなければ、身体は子供、頭脳は大人な小学生探偵でもありませんから」
 
 
 きっぱりと言うと、鳴久先輩は露骨にしょげた。
 
 
「し…シロくん…つめたい…」
「冷たくて結構です。そもそも犯人捜しって、この大学に女子学生が何人いると思ってるんですか。何百人の中からたった一人を探すなんて不可能ですよ」
 
 
 呆れたように溜息を漏らすと、鳴久先輩は反対にぐっと胸を張ってきた。
 
 
「そうやって、やる前から不可能だって決めつけるのはシロくんの悪い癖だよ。ほら、武田信玄だって言ってるじゃないか。『為せば成る、為さねば成らぬ、成る業を成らぬと捨てる人のはかなさ』ってさ」
 
 
 無駄に自信満々な声で言ってくる。
 
 鳴久先輩は武田信玄を尊敬しているので、矢鱈と彼の名言を引用してくる。この歴史サークル【温故知新】を設立したのだって、武田信玄について誰かと語り合いたかったからという単純な理由からだ。そもそも武田信玄を好きになった理由も、信玄の『甲斐の龍』という渾名を知ったからだという。鳴久先輩は、残念なくらい単純だ。
 
 
「人様の名言で、ドヤ顔するのやめて下さい」
「シロくんだって、武田信玄好きだろー」
「武田信玄の言葉なら、ボクは『風林火山』の方が好きです」
「じゃあ、疾きこと風の如く犯人捜ししちゃおうぜー」
 
 
 正直意味は全く解らなかったけど、そのチャラ男のような言い方は面白かった。
 
 ボクが小さく笑うと、鳴久先輩が嬉しそうに目を細める。まるでご主人の機嫌をうかがう犬のようだ。
 
 
「あー、解りましたよ。でも、暇な時だけしか手伝いませんからね」
「やったー! 流石シロくん、優しい! 好き!」
 
 
 女子大生のように鳴久先輩がキャッキャッとはしゃぐ。いとも簡単に出された『好き』という一言に、微かに顔が歪みそうになる。この龍は、無邪気に人の心を傷付けてくる。だからこそ、性質が悪い。
 
 ふと思い出したように、鳴久先輩が「そういえば」と声を漏らした。
 
 
「今日は実徳先生のお見舞いに行くの?」
「行きますよ」
「じゃあ、俺も一緒に行く」
 
 
 今まで貴方が着いてこなかったことがあるのか、と逆に聞いてみたい。毎週水曜日のお見舞いの日、鳴久先輩はいつもよりも浮かれているように見える。
 
 窓の外を眺めながら、鳴久先輩が口元をへにゃりと緩める。その長い鼻面をべしっと八つ当たりに叩くと、鳴久先輩が「いたぁっ!」と大袈裟な声を上げた。
 
 
 
 

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Published in 鳴久先輩の恋

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