Skip to content →

龍は愚かな恋をする 3

 
 海沿いにある病院まで、バスに乗って向かう。
 
 バスの窓から外を眺めると、海の上をすいすいと泳ぐように飛んでいる鳴久先輩の姿が視界に映った。空中を滑らかにしなる胴体は、どことなくバレリーナの優雅さを感じさせる。
 
 鳴久先輩は、時々戯れるように海に触れては、キラキラと輝く波しぶきを立てている。海上のカモメを見つけるとわざわざ寄っていって、じゃれるように空中で踊っているのが見えた。龍なのに、鳥とも仲が良いらしい。
 
 
 以前、鳴久先輩に鳥と話せるのかと訊ねたことがある。鳴久先輩は「へっ」と可愛くない笑い声をあげた後に、「無理に決まってんだろバカ」と更に可愛くない事を言った。だけど、こうも続けた。
 
 
「でも、かわいいと思う。自分より小さいものは大体かわいいよ」
「じゃあ、人間もですか?」
「人間はなぁ、微妙なところだよなぁ。言葉が通じちゃうと、自然と愛憎が湧いてきちゃうからさぁ」
「愛憎?」
「そうそう。言葉が通じなかったら、小動物みたいな感じで愛でれたんだろうけどね。意志疎通が出来ちゃったら、愛するか憎しむかのどっちかになっちゃうでしょ」
 
 
 悟ったように鳴久先輩は言った。その言葉を聞いて、ボクはほんの少しだけ切なくなった。鳴久先輩の台詞は、何だか人間という種族を諦めているようにも聞こえたからだ。
 
 
 そんな鳴久先輩が心から愛してやまない唯一の人間がボクの目の前に座っている。
 
 病室のベッドに深々と腰を埋めた実徳先生は、ほうじ茶を啜りながら、ほぅと柔らかい吐息を漏らした。
 
 
「お見舞い、いつも有り難うございますね」
 
 
 空中をたゆたうような穏やかな声だ。その声音だけでなく、表情にも人柄の温厚さが滲み出ている。垂れ目気味な瞳の目尻には、笑うと放射線状の皺が刻まれていた。今年で七十歳になる実徳先生は、生きた仏様のようだ。
 
 
「いいえ。お加減はどうですか?」
「最近は随分と良くなった気がします。意識もはっきりしてますし、何だか少し陽気な気分なんです。春が近付いて来たからでしょうか」
 
 
 暢気なことを呟いて、実徳先生が「ふふ」と声を上げて笑う。どうしてだか、その笑い声が憎々しい。ボクは、そんな風に優しく笑えない。
 
 鞄の中から数冊の小説を取り出して、ベッド脇の丸テーブルの上へと積んでいく。すべて探偵もののミステリー小説だ。
 
 
「新しい本を持ってきました」
「いつも助かります。どうにも寝てばかりだと暇で暇で」
 
 
 実徳先生は何とも愛しげな表情で、小説の表紙を静かに撫でた。
 
 ついでに売店で買ってきたプリンを「どうぞ」と差し出すと、実徳先生は祈るように両手をしずしずと合わせた。患者服の袖から覗き見える手首が以前よりもずっと細くなっているように見える。
 
 プリンの蓋を剥ぎながら、実徳先生が思い出したように左右を見渡す。
 
 
「龍宮寺くんは一緒じゃないんですか?」
 
 
 龍宮寺というのは鳴久先輩の名字だ。龍宮寺なんて物凄く厳つい名前だし、舌を噛みそうになるからボクは一度も呼んだ事はない。
 
 
「一緒に来てたんですけど、途中でいなくなっちゃいました」
「他に興味のあるものでも見つけたんですかねぇ」
 
 
 あの龍が先生以上に興味のあるものなんてないと思いますよ、と言いたくなるのを必死で堪える。
 
 実徳先生はほのぼのとした様子でプリンを一匙一匙丁寧に掬っては、皺々な口元へと運んでいく。その緩慢な動きに、ボクは老いというものをしみじみと感じる。
 
 ゆっくりと動く口元を眺めていると、ふとベッドに影が差すのが見えた。窓の方へと視線を投げて、実徳先生が「おや」と声を上げる。窓の外で浮いたまま、鳴久先輩がぺしぺしと窓ガラスを叩いていた。
 
 慌てて窓ガラスを開くと、鳴久先輩がするりと長い身体を病室へと潜り込ませてきた。鳴久先輩は、口に咥えていた一輪の花を、実徳先生の膝元へとそっと落とした。鮮やかな黄色をした可愛らしい花だ。
 
 
「福寿草じゃないですか」
 
 
 花を手に取って、実徳先生が嬉しそうに呟く。
 
 
「うん。来る途中に咲いてるの見つけたから摘んできたんだ。先生にあげるよ」
 
 
 百点満点を取った子供のように鳴久先輩が自慢げに言う。その褒めて褒めてと言わんばかりの様子を、実徳先生が微笑ましそうに見つめる。見つめ合う二人からは、何だか温かくてむず痒くなるような空気が漂っているように感じた。
 
 
「わざわざ有り難うございます。何だか祝福を受けたみたいですね」
「祝福?」
 
 
 訝しげにボクが呟くと、実徳先生はにっこりと相貌を緩めた。
 
 
「福寿草の花言葉は『祝福』『永遠の幸せ』なんですよ」
 
 
 福寿草の茎を摘んでくるくると悪戯げに回しながら、実徳先生が「龍の祝福ですね」と呟く。その仕草や台詞がボクに対する当てつけのように見えてしまうのは、ボクの偏見だろうか。
 
 花をそのままにしておく訳にもいかず、病室に備え付けられた小さな棚からボクは花瓶を取り出した。
 
 給湯室で水を汲んで戻ってくると、鳴久先輩が甘えるようにベッドに下顎を置いているのが見えた。包帯の巻かれた尻尾は、実徳先生の膝の上に置かれている。
 
 どうやら今朝の鱗泥棒のことを話しているらしい。
 
 
「でさ、起きたら鱗剥がれてて、すげー痛かったんだよー」
「そうですか。酷いことをする人がいるものですね。可愛そうに」
 
 
 痛ましげに視線を伏せたまま、実徳先生が鳴久先輩の尻尾をゆるゆると皺だらけの掌で撫でる。途端、鳴久先輩はご満悦な表情を浮かべた。
 
 尻尾の先がぴるぴると嬉しげに動いているのを見て、ボクは思わず踏み付けたくなる。衝動を堪えながら、サイドテーブルへと福寿草を挿した花瓶をドンッと置く。鈍い音に、鳴久先輩が下顎をビクッと跳ねさせた。
 
 その様子を眺めながら、薄く笑みを浮かべて言う。
 
 
「で、ボクと一緒に犯人捜しするんですよね?」
 
 
 地の底から轟くようなボクの声を聞いて、鳴久先輩はふるふると尻尾の先を震わせた。怯えた鳴久先輩を宥めるように、実徳先生が鳴久先輩の鼻面をぽんぽんと柔らかく叩きながら言う。
 
 
「犯人捜しですか。何だか探偵みたいで面白そうですねぇ」
「でしょー。絶対に犯人捕まえて、謝らせてやるんだっ」
 
 
 実徳先生の前で気が緩んでいるのか、いつもよりも幼い口調で鳴久先輩が宣言する。喜色満面な笑顔が憎らしくて、ボクは水を差すように言った。
 
 
「でも、まだ犯人の見当も付いてないじゃないですか」
 
 
 冷たく言い放つと、途端鳴久先輩の表情がしゅんと陰った。下顎に手を当てた実徳先生がぽつりと呟く。
 
 
「いえ、そうでもありませんよ」
「え?」
「早朝六時に大学に登校している女学生というのは、かなり少数です。私が知っているのは、ラクロス部にソフトボール部、それから女子サッカー部が朝練で登校していますね。それにこの時期はコンクールが近いですから、吹奏楽部の女性も朝練を行っているかもしれません。その中からロングヘアの女性だけをピックアップすれば二十名程度には絞れるでしょう」
 
 
 饒舌な実徳先生の言葉に、鳴久先輩が目を大きく見開く。金色の目が憧憬を滲ませて、キラキラと輝いていた。
 
 
「先生すげー!」
「でも、それだけじゃ犯人を特定出来ないですよ」
 
 
 嫌味ったらしく呟くボクに対して、実徳先生は余裕綽々に微笑んだ。顔の前に人差し指を立てて、チッチッと左右に振る。
 
 
「犯人を特定するのは簡単ですよ」
「ええ?」
「惚れ薬に頼りたい人、つまり片想いをしている人を探せばいいんです」
 
 
 あまりにも堂々と言い放つものだから、一瞬唖然とした。ボクがぽかんと口を開いていると、実徳先生が軽やかな笑い声を漏らした。
 
 
「まあ、それは冗談として、現実的な作戦ならもう一つあります」
「…どういう作戦ですか?」
 
 
 弱々しく訊ねると、実徳先生は優しげな顔立ちに似合わぬ悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 
 
「もう一つ別の噂を流せばいいんです」
「噂?」
「ええ。惚れ薬は龍の鱗ではなく、龍の髭だったという噂です。新しい噂を耳にすれば、龍宮寺くんの鱗を無理矢理剥ぎ取るようなガッツのある女性なら、もう一度チャンスを窺い始めることでしょう。それを見越して、もう一度大学構内で酔っぱらって寝たフリをすれば、犯人は自分から近付いてきますよ」
 
 
 やけに自信満々な口調で実徳先生は言った。何だか探偵ごっこを楽しんでいるように見える。微笑む実徳先生を見て、鳴久先輩も嬉しそうに尻尾を跳ねさせた。
 
 もしかしたら、と思った。もしかしたら、鳴久先輩はミステリー好きな実徳先生を喜ばせるために、鱗泥棒を捜すなんて言い出したのかもしれない。もしそうだとしたら、とんだ酷い話だ。
 
 

backtopnext

Published in 鳴久先輩の恋

Top