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龍は愚かな恋をする 4

 
 後十メートルというところで、最終便のバスが走り去っていくのが見えた。そのつれない後ろ姿に「あぁ、あぁあー…」という何とも情けない声が思わず漏れてしまう。
 
 ボクの絶望を知ってか知らずか、鳴久先輩はのしのしと背後から歩いてきて「あらー、行っちゃったなー」と他人事のように呟いた。
 
 
「行っちゃったなー、じゃないですよ。誰のせいで乗り遅れたと思ってるんですか…」
 
 
 それもこれも鳴久先輩が「まだ帰りたくない」と駄々を捏ねたせいだ。病室から引っ張り出そうとする度に、あともうちょっと、あともうちょっと、と呪文のように繰り返すものだから、ボクまで帰り際を見失ってしまった。その結果、結局バスの最終便がなくなる時間まで病室に居残ってしまったのだ。
 
 空は既に暗く、星がチラチラと浮かんでいるのが見える。まん丸な月がまるでスポットライトように惨めなボクを照らしていた。
 
 恨みがましい眼差しで見遣ると、鳴久先輩は困ったように鼻面をポリポリと爪先で掻いた。
 
 
「だから、先に帰ってもいいって言ったじゃんかぁ」
「五月蝿い、黙って下さい」
「なんでぇ!?」
 
 
 呆れたような鳴久先輩の台詞を、一言で叩き落とす。五月蝿い、そんなことは自分で解り切っている。だけど、あの病室で実徳先生と鳴久先輩を二人きりにしたくなかったんだ、チクショウ。
 
 悶々と胸中を満たす感情に翻弄されていると、鳴久先輩が溜息をついた。
 
 
「もー、仕方ないなぁ。はい」
 
 
 と言いながら、鳴久先輩が長い胴体をボクの身体へと擦り寄せてくる。
 
 
「はい?」
「家まで送ってってあげるから乗りなよー」
「はいぃ!?」
 
 
 思わず声が裏返ってしまった。鳴久先輩が「もー、もー」と牛みたいな声を上げながら言う。
 
 
「もー、特別だかんね。普段は誰も乗せないんだからさー」
 
 
 ぶつくさと文句を垂れながらも、早く乗れとばかりにボクの身体を鼻先で押して来る。ぐいぐいと胴体に押しやられるのを両手で制止しながら、ボクは上擦った声をあげた。
 
 
「ちょ、ちょっと待って下さい」
「いいから、早く乗れよー! 俺、帰ってドラマ観たいんだよー!」
 
 
 キャンキャンと吠え始めた鳴久先輩の勢いに押されて、おずおずと首の付け根辺りに乗り上がる。
 
 
「ん、ちゃんと角持ってなー。なるべくゆっくり飛ぶけど、落ちそうになったら早めに落ちるって宣言してな」
 
 
 宣言しても落ちるものは落ちるんじゃないだろうか、とツッコミたくなる。だが、今更ツッコんだところで無意味だろう。
 ひやりと冷たい二本の角を両手で掴む。角は磨かれた丸石のように滑らかな手触りだった。
 
 鳴久先輩が胴体を一度くねらせて、緊張感のない声をあげる。
 
 
「じゃあ、飛ぶよー」
 
 
 次の瞬間、鳴久先輩は地面を一度大きく踏み締めた。一瞬、身体の周りから重力が消えたように感じた。
 
 尻尾をゆらゆらと揺らしながら、鳴久先輩は空へと飛び立つ。反射的に、角をぎゅうっと握り締めて、胴体を挟む両足に力を込める。
 
 空高く昇っていくと、月の明かりが煌々と目を射した。視界が開けて、病院がまるでミニチュアのように小さく見える。真っ暗な空の海に、真ん丸な月と星がチカチカと輝いているのがやけに近く感じた。
 
 ボクの緊張に気付いていないのか、鳴久先輩が暢気な口調で「今日はお月様が綺麗だねー」と呟くのが聞こえた。ボクは真っ白になった頭で、明治の文豪がアイラブユーを『月が綺麗ですね』と訳した事を意味もなく思い出した。
 
 
「真ん丸で金色で、なんか龍玉みたいだなー」
「龍玉って、あれですか? 手に入れたら、願い事が叶うって噂の?」
 
 
 角にしがみ付きながら、何とか引き攣った声で問い返す。鳴久先輩は転がるような笑い声を漏らした。
 
 
「そうそう、それそれ」
「本当に願い事が叶うんですか?」
「さぁ、どうだろ。そんな話、今まで誰も教えてくれなかったよ」
「じゃあ、単なる伝説なんですかね」
「ねぇねぇ、龍あるある教えてあげよーか?」
「それは是非とも」
「その一、龍には逆鱗がある。その二、龍は口から火が吐ける。その三、龍が泣くと、涙は真珠になる」
「…それって何処まで本当なんです?」
「全部本当だってばー!」
 
 
 ボクの疑いの声に、鳴久先輩が心外だとばかりに叫ぶ。その屈託のない様子に、空の上なのも忘れてボクは声を上げて笑った。
 
 目的地まで最短距離を通っていくつもりなのか、何も見えない水平線を鳴久先輩は横切っていった。辺りを見渡しても、人工的な光は一つも見えない。ただ波の音だけがメトロノームのように規則的に聞こえてくる。静かで、寂しい夜だった。
 
 ふと、波の音に紛れるような小さな声で、鳴久先輩が呟いた。
 
 
「シロくん。実徳先生は死んじゃうのかな」
 
 
 重々しくもないけど、軽々しくもない、空っぽの箱を左右に振ったような声だった。
 
 
「死んじゃうと思います」
 
 
 ありのままを答えた。
 
 実徳先生の体内には蜘蛛の巣ような癌細胞が広がっている。去年の夏に手術をして一度は回復したけれども、結局リンパ節へと転移してしまって、一ヶ月前に再入院となった。再手術をする、という話は聞かない。きっと、もう何をやってもどうしようもないところまで来てしまっているのだ。
 
 実徳先生は死ぬ。たぶん後数ヶ月で、間違いなくボクよりも早く、鳴久先輩よりもずっとずっと何千年も早く、この世界から消えていってしまう。
 
 
「やだな」
 
 
 駄々っ子のような、鳴久先輩の声が聞こえた。
 
 
「先生が死んじゃうの、絶対にやだ」
 
 
 鳴久先輩の恋の結末は、どう足掻いても悲劇だ。
 
 

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Published in 鳴久先輩の恋

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