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龍は愚かな恋をする 5

 
 次の日から、武光に頼んで新しい噂をネット上にバラまいてもらった。
 
 
【ウロコとか偽情報乙。龍のヒゲが惚れ薬の材料だって。これマジ情報】
【リュウヒゲ、効果ありすぎワロタww\(^o^)/】
【酒に混ぜて女にリューヒゲ飲ませたら、その日に告白されたΣ(゚Д゚)】
 
 
 この明らかに知能指数が低そうな文章を、真面目くさった顔で書くのだから恐ろしい。残像が見えてきそうなほど高速で動く武光の指を、ボクは畏敬の念を込めて見つめた。
 
 武光の力があってか、次第にネットだけでなく町中でも龍のヒゲの噂を耳にするようになった。大学の構内を歩いていると、女子大生が「あ~ん、マジでリュウヒゲ欲しいし~!」と騒いでいる声が聞こえてくる。その中でも更に強者などは、鳴久先輩に直接「ヒゲくれませんか?」なんて訊ねたりもしていた。勿論、鳴久先輩は断っていたが。
 
 
 一週間も経つ頃には、世間は龍のヒゲの噂で持ちきりだった。三日後に迫ったバレンタインデーが更に噂を助長させた。二人と一頭で既に窮屈な部室にまで毎日人が押し掛けてきて、正直迷惑以外の何者でもない。
 
 今も内側から鍵を掛けているというのに、部室の扉がドンドンッとひっきりなしに叩かれている。外から「龍宮寺くん、開けてぇ~」という甘ったるい女子大生の声が聞こえてきた。
 
 まるでゾンビの声でも聞いたかのように、鳴久先輩は部室の片隅でトグロを巻いてぶるぶると震えている。
 
 
「こわいこわい、犯人より女の子の方がずっと怖いぃ!」
「…耳が痛い…」
 
 
 怯える鳴久先輩に、ぼそりと不満を漏らす武光。まるで雷鳴のように鳴り響くノック音に流石にボクも苛々してきた。
 
 ずかずかとドアへと近付いて、内鍵を外すなり大きく扉を開け放つ。目の前に立っていた女の子達が目を丸くして、ボクを凝視していた。その子達へと向かって、ボクは殊更にっこりと微笑んでみせた。
 
 
「ここをどこかと勘違いしてませんか?」
「え、あの…」
「ここは夏祭りの会場でもなければ、ゲーセンでもないんですよ? ドアを和太鼓か太鼓の達人みたく叩くのは止めてもらえませんか? はしたないですし、浅ましいですし、正直みっともないです。というか、いい加減五月蝿いんですよ。理性なくしたゴリラみたいにガンガン叩きやがって。解ります? 人間の言葉はまだ伝わりますよね?」
 
 
 頭の悪い子供に言い聞かせるような口調で話す。途端、扉の前に居座っていた女の子達は、羞恥とも屈辱ともつかない赤に頬を染めて、そそくさと立ち去っていった。
 
 ようやく静かになった部室で、目を真ん丸にした鳴久先輩がボクを見つめていた。
 
 
「し、シロくん…クール…」
「…流石、元ヤン…」
 
 
 さり気なく呟かれた武光の一言に、ボクは鋭い視線を向けた。武光は横目でボクを眺めた後、何も言わずに視線を逸らした。
 
 鳴久先輩がおずおずと訊ねてくる。
 
 
「…シロくん、元ヤンなの?」
「若気の至りですし、もうとっくに更正してます」
 
 
 そう返したにも関わらず、鳴久先輩はボクと視線を合わそうとはしない。俯いたまま「盗んだバイクで走り出す…」なんて懐かしの歌を口ずさんでいる。
 
 でかい図体に似合わない怯えた様子を見ていると、妙にバツの悪いものがあった。
 
 
「ちょっと、ジュース買いに行ってきます」
 
 
 はぐらかすように言い残して、ようやく人気のなくなった扉から出ていく。
 
 
***
 
 
 自動販売機から鳴久先輩の好きなピーチジュースを取り出している時に、背後から「こんにちは」という声が聞こえてきた。何処かで聞いたことのあるような、低く張りのあるバリトンだった。
 
 振り返ると、『精悍』という単語が辞書からそのまま抜け出してきたような、凛々しい顔立ちをした男が立っていた。背も高く、短く切り揃えられた金色の髪が黒のスーツに映えている。口元は笑みを浮かべているのに、切れ長な目だけは異様なまでに鋭かった。
 
 
「君がシロくん?」
 
 
 男は、鳴久先輩しか呼ばないボクの渾名を口に出した。怪訝に見つめ返すと、男はますます笑みを深めた。あり得ないほどに胡散臭い。
 
 
「鳴久の友達だよね? 君の話はよく鳴久から聞いてるよ」
「いや、その前にどちら様ですか?」
 
 
 男が当たり前のように『鳴久』と呼び捨てにしたのが気に食わなかった。
 
 眉根を寄せて睨み付けると、男は困ったように肩を竦めた。そんな仕草ですら洗練されて見えるのだから、男前というのはズルい。
 
 
「すまない、いきなり不躾だったね。私は、黄ヶ峰龍聖と言います」
 
 
 掌から紙パックのジュースが落ちた。立ち尽くして黄ヶ峰龍聖と名乗った男を見つめる。龍聖は落ちた紙パックを手にとって、ボクへと差し出してきた。
 
 
「落としたよ」
「黄ヶ峰龍聖って、衆議院議員の龍の名前じゃありませんか?」
 
 
 空気が抜けるような声で訊ねると、龍聖は首を傾げて笑った。
 
 
「あぁ、その通りだね」
「貴方は何処から見ても人間ですけど」
「龍を舐めちゃいけないよ。人間に姿を変えるのなんて造作もないことさ」
 
 
 笑いながら、ボクの手を取って、その上に紙パックを置いてくる。触れた指先は冷たかった。鳴久先輩の鱗の温度とは違う。
 
 だが、よく見ると、龍聖の目は金色に輝いていた。鳴久先輩と同じ、三日月型の瞳孔が瞳の奥に覗き見える。
 
 
「もし人間に変身できるんなら、どうして他の龍たちも同じようにしないんですか」
「君はおかしな事を言うね。どこの誰が偽りの姿で生きたいと望むんだい? 私が今日人間の姿になっているのは、騒ぎになって鳴久に気付かれたくないからだよ」
「気付かれたくない?」
 
 
 鸚鵡返しに呟くと、龍聖は気取った仕草で唇へと人差し指を当てた。
 
 
「そう、君に聞きたい事があるんだ」
「聞きたい事って、何ですか」
 
 
 ぞんざいに言い返す。途端、龍聖は緩く目を細めた。
 
 
「一昨日、龍玉を使ったら願い事が叶うのかと鳴久が私に訊ねてきた」
「あぁ、あの伝説の…」
「伝説なんかなものか。龍玉を使えば、本当に願い事は叶う。億万長者になる事も、不老不死になる事も思うがままだ」
 
 
 譫言のようなボクの一言に、龍聖は「眉唾物の鱗や髭と一緒にするな」とばかりに微かに険のある声で返してきた。目を丸くするボクを見て、龍聖は「但し」と付け加えた。
 
 
「但し、龍玉は龍と対をなす生命の源だ。使えば、その龍の寿命は尽きてしまう」
 
 
 開いた口が塞がらなかった。無意識に、背筋が大きく震えた。
 
 
「つまり、死ぬって事ですか?」
 
 
 溜息混じりに龍聖が頷く。
 
 
「鳴久には龍玉を使えばどうなるのか知っている。自分が死ぬと解っていても、あの子は願い事を叶えてあげたい誰かがいるようだ。人間なんて、私達よりもずっと早く死んでしまうか弱い生き物だというのに」
 
 
 鼻白んだ様子で、龍聖は言った。ちらとボクを見下ろす視線に微かな侮蔑が含まれているように見える。その眼差しからは『龍と人間とが手と手を取り合う』といった好意的な信念は感じられない。
 
 
「…龍族初の議員にしては、人間に対して随分な言いようですね」
「事実さ。君だって、長く生きてもせいぜい後八十年程度の命じゃないか」
「そういう風に偏った目で人間を見てるのなら、どうしてわざわざ人間の、政治の世界に入ってきたんですか」
 
 
 まるで人間を小虫かのように言う。そのくせ人間世界に足を踏み入れてくるのはどういった訳なのか。
 
 龍聖は薄く唇を開いて笑った。唇の隙間から人間ではあり得ない鋭い牙が覗き見える。噛み付かれたら肉まで引き千切られそうだと頭の隅で思った。
 
 
「それは勿論『人間と龍が共存する社会』を作るためだよ」
「それ、嘘ですよね」
「嘘じゃあないさ」
 
 
 ここに居るのは人間と龍なのに、まるで狸と狐の化かし合いのように感じる。だが、龍聖はこうも付け加えた。
 
 
「人間は、差別を正当化する生き物だ」
「え?」
「だから、我々にだって差別する権利がある」
 
 
 平坦な声を言い切った後、龍聖は貼り付いたような笑顔を浮かべた。慈しむような、蔑むような、完璧なアルカイクスマイル。
 
 
「話が脱線したな。こんな事を君と話しに来たんじゃない。君には鳴久のことを聞きたかったんだ」
「鳴久先輩のこと?」
「鳴久は、自分の龍玉を誰かに使わせようとしている」
 
 
 一瞬、ひやりと腹の底が冷える感覚があった。唇を引き結んだボクを見て、龍聖は確かめるようにゆっくりと訊ねた。
 
 
「鳴久が一体誰に龍玉を渡すつもりなのか、君なら知ってるんじゃないか?」
 
 
 解ってしまう自分が悔しい。鳴久先輩が龍玉を使わせるのだとしたら、その相手はたった一人しかいない。
 
 
「さぁ、ボクには検討も付きませんけれども」
 
 
 引き攣りそうになる口元へと無理矢理笑みを浮かべて答える。龍聖は、不愉快そうに片眉を跳ねさせた。
 
 
「私達は鳴久を死なせる訳にはいかない。あの子はまだ子供だ。自分が死ぬ意味すら解っていない」
 
 
 保護者でも気取るような台詞に、不意に頭の奥がカッと熱くなるのを感じた。腹の底からじわじわとマグマのように怒りが湧き出してくる。
 
 こいつ、一体何様のつもりだ。
 
 
「は、あんたら馬鹿じゃないんですか? 二百歳の龍を捕まえて、なに子供扱いしてんですか。過保護にも程がある」
 
 
 粗雑に吐き捨てると、龍聖は少し驚いたように目を見張った。その瞳を睨み据えながら続ける。
 
 
「鳴久先輩は、解ってますよ。先輩は、馬鹿じゃない。自分の言葉には、きちんと責任を持つ。先輩が龍玉を使うっていうなら、それは死んでもいいくらい大事な人がいるって事じゃないんですか」
 
 
 段々と口調が荒くなる。解っている、これは八つ当たりだ。今の言葉は、龍聖ではなくボク自身へと言い聞かせている言葉だ。ボクには、鳴久先輩の決断に口出しする権利はない。
 
 奥歯をきつく噛み締めたボクを見て、龍聖は「へぇ」と言いたげな笑みを浮かべた。
 
 
「たとえ鳴久が自分で決断したとしても、私には口出しする権利がある」
「権利?」
「鳴久は、私の婚約者だ」
 
 
 今度こそ開いた口が塞がらなかった。呆然と龍聖の顔を眺めたまま、唇を微かに震わせる。
 
 
「鳴久先輩は男…というか、雄ですが…」
「馬鹿を言うな。龍は雌雄同体だ。雄も雌もあるものか」
 
 
 ガゴッと音を立てて下顎が外れそうになる。龍聖は呆れたように肩を竦めた後、ともかく、と続けた。
 
 
「ともかく、鳴久が龍玉を誰かに使わせるのは阻止した方がいい。その誰かが君の知り合いなら特に」
「…あまり聞きたくないですが、何でですか…」
「鳴久を死なせたそいつを私が喰ってしまうからだよ」
 
 
 軽やかに言い放つと、龍聖は唇見惚れるぐらい綺麗な笑みを浮かべた。だが、口元は笑っているのに、目は笑っていない。獣のようにギラつく瞳がその言葉が本気だと言っていた。
 
 
「…龍が人間を喰ったら大問題になるんじゃないですか」
「人間は六十億人以上いる。一人ぐらい減っても大差ないだろう」
 
 
 冷たく言い放つと、龍聖は「それじゃあ、また」と言い残して去っていった。
 
 掌がぬるつく。手に握り締めていた紙パックがいつの間にか潰れて、甘ったるい臭いを撒き散らしていた。
 
 

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Published in 鳴久先輩の恋

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