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龍は愚かな恋をする 6

 
 部室に戻ると、鳴久先輩が窓からじっと空を眺めていた。空は既に夕焼けに染まっていて、オレンジ色の光が部室を満たしている。
 
 武光の姿はなかった。ノートパソコンが消えているところを見ると、もう帰ってしまったのだろう。
 
 僕の姿に気付くと、鳴久先輩はぎゅっと目を細めるようにして笑った。
 
 
「おかえりー。遅かったねぇ。自動販売機混んでた?」
「別にそういう訳じゃないんですけど…待っててくれたんですか?」
「そりゃー待つよ。可愛い後輩だもん」
 
 
 当然のように鳴久先輩が答える。不意に心臓に棘が刺さったような気がした。微かな痛みに促されるようにして、唇が無意識に動く。
 
 
「先輩は、どうして実徳先生が好きなんですか」
 
 
 問い掛けた瞬間、鳴久先輩の顔が噴火したように赤く染まるのが見えた。夕陽よりも濃い赤だ。
 
 鳴久先輩はわたわたと短い両腕を動かしたり、視線を辺りに彷徨わせたりした後、少しだけ掠れた声を漏らした。
 
 
「なんで知ってんの…?」
「知らない訳ないじゃないですか。あんなに先生大好きオーラ出しておいて」
「え、えぇー、オーラとか出ちゃってるの?」
「はい、モロ出しです。それは別にいいんで、どうしてそんなに先生の事が好きなんですか? 実徳先生は、人間ですよ?」
 
 
 その一言に、鳴久先輩はピタリと動きを止めて、ボクを凝視した。僅かな沈黙の後、鳴久先輩は困ったように首を傾げた。
 
 
「うん、人間だね」
「先輩は龍です」
「そうだねぇ」
「龍が人間に恋をしたって、報われる訳ないじゃないですか」
「そうだねぇ」
 
 
 同じ言葉をしみじみと繰り返して、鳴久先輩が笑う。何処か諦めたような、疲れたような表情だった。鳴久先輩が少し掠れた声で呟く。
 
 
「解ってるつもりなんだけど、どうしようもないんだよ」
「どうしようもないって、何なんですか」
 
 
 噛みつくように問い掛けると、鳴久先輩は視線を床へと伏せた。長い沈黙が流れた後、ぽつりぽつりと鳴久先輩が喋り始めた。
 
 
「五十年とちょっと前ぐらいかな。まだ龍が人間と同じように表だって生きていけなかった頃だけど、俺、人間に撃たれちゃった事があるんだよ」
 
 
 俺が悪かったんだ。いきなり現れて驚かせちゃったから。と鳴久先輩が言い訳するように呟く。
 
 
「必死に逃げて、痛い痛いって泣いてたら、どこが痛いのって声が聞こえたんだ」
「まさかその声が実徳先生?」
「そういうこと」
 
 
 なんてチョロい龍だ!という叫び声が自分の脳内で聞こえた。というか、そんなシチュエーションは少女漫画やら頭の悪い恋愛映画で使い古されているだろうに。
 
 呆れ切ったボクの表情に気付いたのか、鳴久先輩が誤魔化すように小さく笑い声を上げる。
 
 
「一目惚れだったんだよ」
「人間なのに?」
「人間だとかその時は考えなかったよ。ただ好きだ、って思ったんだ。この人がいいって」
 
 
 鳴久先輩は、ほんの少しだけ悲しそうに笑った。たぶん鳴久先輩は解っている。自分の恋がどれだけ愚かなものなのかを。
 
 
「先生は、龍の俺を怖がらなかった。俺の手当てをして、優しく撫でてくれたんだ」
「…それで、五十年以上も片想いしてるんですか?」
「そうだね。最初は諦めようと思ったんだ。でも、忘れられなくてグズグズしてる内に、先生は子供も孫もできて、俺が思いきって大学に入学した頃にはもうお爺ちゃんになっちゃってた。それでも、まだ全然好きなんだよ」
 
 
 どうしようもないね、と鳴久先輩は呟いた。どうしようもないですね、とボクも呟き返した。お互い顔を見合わせて、力なく笑った。
 
 
「ボクは、応援できないです」
「うん、わかってる」
「先輩に、頑張ってなんて口が裂けても言えないです」
「わかってるよ」
「どうして…」
 
 呻くような声が自分の咽喉から零れた。どうして報われないと解っているのに、恋をしてしまうのか。どうして悲劇的な結末がくると解っているのに、諦められないのか。
 
 沈黙が流れた。 鳴久先輩は視線を夕暮れへと向けている。その遠い眼差しに、この龍はもしかしたらもっともっと遠い何かを見つめているのかもしれないと思った。僕と鳴久先輩の視線が真っ直ぐ交わる日は、おそらく永遠にない。それでも、僕は彼への想いを捨てることが出来ないのだ。
 
 
「…応援は出来ませんけど、犯人捜しは最後まで付き合います」
 
 
 ぽつりと呟くと、鳴久先輩はきょとんと目を開いた。その幼い瞳を見つめながら、ボクは小さな声で囁いた。
 
 
「実徳先生が少しでも楽しんでくれるといいですね」
 
 
 祈るように言うと、鳴久先輩は内気な少女みたいにはにかんだ。夕焼けに照らされて、鳴久先輩の緑色の鱗が淡い山吹色に輝いていた。
 
 

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Published in 鳴久先輩の恋

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