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龍は愚かな恋をする 7

 
 作戦の決行は、翌日の朝方に決めた。
 
 遠足前の子供のようにはしゃぐ鳴久先輩をどうどうと宥めながら、ボクらは朝方まで大学近くのファミレスで時間を潰すことにした。
 
 最初は店員や客から物珍しそうな目で見られていた鳴久先輩も、午前三時を回った頃には、無闇に視線を向けられることもなくなった。ある意味、龍の形をした喋るオブジェのように無関心に扱われている。
 
 
「こういうものなのかもね」
 
 
 ストローでコーラを啜りながら、鳴久先輩が唐突に呟いた。
 
 
「何がですか?」
「最初は驚いたり変な目で見られても、時間が経つと当たり前みたいにその世界に馴染んでいく」
 
 
 こういうのって悪くないよ、と鳴久先輩は独り言のように続けた。ボクはカフェオレを飲みながら訊ねた。
 
 
「人間の世界に馴染みたいって思うんですか?」
「どうだろ。邪魔者みたいにペイッって弾き飛ばされたいとは思わないけど、馴染みたいとも少し違うかな。あー、でも、飲食店に龍用の席は作って欲しいなー。この席狭いから座りにくくって」
 
 
 ソファ席から盛大にはみ出ている胴体をくねらせながら、鳴久先輩は鼻梁に皺を寄せた。
 
 
「そのためには、まず龍の頭数を増やさないと無理かもしれませんね。一県にせいぜい二頭じゃ、席を作っても持ち腐れになっちゃいますから」
 
 
 頭数と増やす言った瞬間、ふと頭を過ぎる事があった。龍聖が言っていた『婚約者』やら『雌雄同体』という聞き捨てならない台詞だ。
 
 
「…そういえば、龍ってどうやって子供を作るんですか?」
 
 
 何気ないボクの質問に、鳴久先輩は顔面をカーッと赤面させた。次の瞬間、「セクハラっ」と声をあげてなじられる。
 
 
「シロくん、それセクハラっ!」
「え、これってセクハラなんですか?」
「セクハラだよ、こ、子供とか…」
 
 
 鳴久先輩の声が尻すぼみになっていく。わなわなと震える口髭を眺めながら、ボクはもう一つ疑問に思っていることを訊ねた。
 
 
「ちなみに龍と人間のあいだに子供とかできたりするんですかね?」
 
 
 問い掛けた瞬間、鳴久先輩に「シロくんのヘンタイッ!」と声高々に罵られた。
 
 
***
 
 
 午前五時を回ったところで、作戦の開始位置に付くことにした。
 
 鳴久先輩には、以前鱗が剥がれた場所で寝転がってもらった。ボクは建物の影に隠れて、寝たふりをする鳴久先輩の周囲をくまなく見回した。
 
 まだ二月の明け方は遅く、朝の六時になっても空は暗いままだった。鳥の声一つ聞こえない暗闇に呑まれるように、徹夜な脳味噌にじわじわと眠気が回っていく。
 
 
 鳴久先輩の方を眺めると、遠目にも大きく上下する胴体が見えた。あの龍、もしかして本気で寝てないか?と疑い始めた時だった。薄暗闇の中、目を閉じて丸まった鳴久先輩に近づいていく人影が視界に映った。
 
 人影は恐る恐るといった緩慢な足取りで鳴久先輩へと近寄ると、ごそごそと鞄の中を漁り始めた。取り出された手にはチカリと鈍く煌めくハサミが握られている。そのハサミが鳴久先輩の髭へとゆっくりと近付いていく。
 
 その光景が見えた瞬間、建物の影から飛び出して、一直線に鳴久先輩へと駆けて行く。
 
 
「先輩、起きてッ!」
 
 
 叫ぶのと同時に、鳴久先輩がパチッと大きく目を開く。鳴久先輩が大きな頭を擡げると、人影は小さく悲鳴を上げて仰け反った。
 
 
「キャッ…!」
 
 
 女の子らしい叫び声を上げた後、人影は脱兎のごとくその場から逃げ出した。鳴久先輩はまだ現状を把握できていないようにパチパチと瞬いている。
 
 
「ぇ、あれ? 泥棒さん来た?」
 
 
 寝呆け声でそんな事を呟くから、血の気が一気に昇った。暢気に首を傾げる鳴久先輩の横っ面を叩いて、強制的に覚醒させる。
 
 
「いでえっ!」
「寝呆けてないで、さっさと追い掛けますよ! ボクは地面から追いますから、先輩は空から探して!」
 
 
 端的に指示を放って、逃げていく影を全速力で追い掛け始める。影は芝生を踏み締めて、中庭を通って自転車置き場へと向かっていく。元ヤンの脚力舐めんなとばかりにボクは駆ける速度を速めていく。
 
 だが、あと十メートルというところで影が自転車置き場にあった原付に乗るのが見えた。原付は排気ガスを大きく吐き出して、手が届く直前に鋭い走行音を立てて走っていく。
 
 その後ろを必死で走りながら、ボクは大声で叫んだ。
 
 
「先輩、掴んでッ!」
 
 
 右腕を高く空へと伸ばしながら声を張り上げる。その数秒後、右腕がクレーンゲームのようにガッシリと掴まれるのを感じた。鳴久先輩がボクの右腕を掴んで、空へと引き上げていく。爪先が地面から離れていって、校舎の屋上を飛び越す。
 
 
「シロくん、暴れないでっ! 落としちゃうよ!」
「落としたらぶち殺すぞッ!」
「ヤンキー怖いぃ!」
 
 
 ひぃい、と引き攣った声を上げながらも、鳴久先輩は遠ざかっていく原付を空から追いかける。
 
 原付が大学正門を出て行くのが見えた。坂を下って、街へと向かっていく。入り組んだ街の道に入られたら厄介だ、と思わず舌打ちが零れる。原付が長く路地へと入っていく。
 
 
「先輩、路地の出口にボクを落としてくださいっ!」
「落とすっ!?」
「さっさと落とせッ!」
 
 
 落としたらぶち殺すって言ったくせにぃ!と叫びながら、鳴久先輩はボクの腕を掴んだまま急降下していく。内臓がぶわっと持ち上げられる感覚に、少し股間が縮み上がった。
 
 ぐんぐんと地面が近付いて、残り五メートルというところで鳴久先輩がボクの手を離した。重力に従って、身体が一気に落下していく。腹の中で内臓が踊り狂う。足が地面に接触した瞬間、重たい衝撃が爪先から脳天へと突き抜けた。踵と膝頭にじんと痺れるような鈍痛が走る。
 
 痛みに構わず、ボクは即座に立ち上がった。路地を走ってきた原付へと向かって、右手を突き出す。
 
 
「止まれ」
 
 
 声が聞こえたかは判らない。だが、突然空から降ってきたボクの姿を見て、原付は驚いたように急ブレーキを踏んだ。金切り声にも似た音を立てて、一メートルほど前で原付が停止する。
 
 原付に乗っていたのは、二重のぱっちりとした女の子だった。背中まで伸びた黒髪が清楚な印象を与える。現場を見なければ、この子が鳴久先輩の鱗を剥ぎ取っただなんて想像もしなかっただろう。
 
 背中に背負っているのは楽器の入れ物だろうか。おそらくは吹奏楽部の女子。悔しいけど、実徳先生の推理は正解だ。
 
 
「君が鳴久先輩の鱗をとった子?」
 
 
 平坦な声で訊ねると、女の子はピンク色の唇を微かに戦慄かせた。空から降りてきた鳴久先輩がボクの隣に立つ。その瞳は、まるで不思議なものでも眺めているかのように女の子を見つめていた。
 
 
「ごめんね、俺の鱗返してくれる?」
 
 
 鳴久先輩は小さく首を傾げて、言った。女の子は鳴久先輩を凝視したまま、まるで岩のように硬直している。鳴久先輩が一歩近付くと、女の子は引き付けを起こしたように全身を震わせた。震える声で女の子が呟く。
 
 
「ど、どうして、だめなの? う、鱗なんて何枚もあるじゃない。髭だって、きっ、切っても生えてくるんでしょ? なんで、なんでもらっちゃだめなの?」
 
 
 言い訳がましい台詞に、腹の底から苛立ちが込み上げてくるのを感じた。鳴久先輩は相変わらず困ったような表情で女の子を眺めている。
 
 
「君がやったのは『貰う』じゃなくて『盗む』という行為だって解ってる? 本人の合意もなしに勝手に奪っていったことを『貰う』とは言わないんだよ」
「でも、でも、別にすこしくらい…」
「それが誰かを傷つける言い訳にはならないよ」
 
 
 冷たく言い放つと、女の子はぐっと押し黙った。唇を噤んで俯く女の子を睨み付ける。緊迫した空気を崩したのは、鳴久先輩の長閑な一声だった。
 
 
「ねぇ、好きな人がいるの?」
「…え?」
「好きな人がいるから、龍の鱗とか髭とかが欲しかったんだよね?」
 
 
 まるで小学生に問い掛けるような口調で、鳴久先輩は訊ねた。女の子が微かに泣き出しそうな表情で頷く。
 
 
「本当に龍の鱗とか髭に何らかの効果があるんなら、君にあげたって良いんだ。でも、鱗にも髭にもそんな効果なんてないんだよ」
「で、でも、噂では…」
「噂は全部嘘です」
 
 
 上擦った声をあげる女の子へと、嘘だとキッパリと言い切る。ボクの言葉を聞くと、女の子はその愛らしい顔をくしゃくしゃに歪めた。鳴久先輩が続ける。
 
 
「それにさ、たぶん惚れ薬なんかで好きな人の気持ちを手に入れても、最後には結局寂しくなっちゃうよ。だって、それって結局は作り物の、偽物の気持ちじゃん。最初は両思いになって嬉しくても、いつか疑心暗鬼になるのが解り切ってる。この人の気持ちは『本物』なのか、って」
 
 
 鳴久先輩は酷く穏やかな声で言った。女の子が俯いて、小さく肩を震わせ始める。その長い髪の毛の隙間から、ぽつぽつと雫が滴っているのが見えた。小さな嗚咽の声が聞こえる。
 
 
「好きな人に好かれたい気持ちは解るよ。すごく、よく解る。だけど、鱗や髭に頼ってる時間があるなら、もっと好きな人の傍にいた方がいいよ。人生は長くないんだから、一秒でも長く好きな人といるべきだ」
 
 
 それは女の子に向けた言葉だったんだろうか。それとも自分自身へと向けた言葉だったんだろうか。
 
 女の子がぐずぐずとしゃくり上げながら、鞄の中から何かを取り出す。ハンカチに包まれた緑色の鱗が見えた。
 
 
「…ごめん、なさい…」
 
 
 鼻声で呟きながら、女の子はそっと鳴久先輩に鱗を差し出した。鳴久先輩は鱗を受け取ると、「ありがとう」と優しい声で囁いた。
 
 

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Published in 鳴久先輩の恋

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