Skip to content →

18 ラベンダー *R-15

 
 もう何時間経ったか判らない。熱に浮かされた脳味噌は、すでに時間という概念を失いかけていた。嬌声を張り上げ続けた咽喉からは、かひゅかひゅと呼吸困難な音が漏れ出す。左右に広げられた太腿は、もう何時間も内股同士が触れ合っていなかった。無理な体勢を強いていた股関節がギシギシと軋むのを感じる。
 
 その閉じられない足の間には、男の身体が挟まっていた。汗だくになった橘は、喜一の中に性器を埋め込んだまま荒い呼吸を繰り返している。一体何度お互いに達したのだろうか。三回目からはもう数を数えることすら出来なくなった。何度も体勢を入れ替えて、餓えた獣のように求め合った。内側に注がれ続けた精液は、呑み込み切れなくなって結合部からとろとろと溢れ出している。身体に圧し掛かる重みと触れ合う皮膚の熱さだけが今この時、喜一のすべてだった。
 
 
 橘は、ぐったりと喜一の胸元に頭を乗せている。汗に湿った髪の毛を指先で気怠く梳きながら、ガラガラに嗄れた声で囁く。
 
 
「つかれた?」
「すこし」
 
 
 舌ったらずな声が可愛くて、唇に軽くキスを落とす。まるで物を知らぬ子供のように、橘はぼんやりとした眼差しで喜一を見た。
 
 
「好きです、喜一さん」
「はい」
「本当に好きなんです」
「はい、解ってます」
 
 
 微笑んで、それ以上喋ろうとするのをキスを塞いだ。舌先を淡く絡ませる。決して激しくはない、まるで慰め合うようなキスだと思った。濡れた唇を離して、橘の柔らかい頬をそっと撫でる。
 
 
「ちゃんと、解ってますよ」
 
 
 子供に言い聞かせるかのように囁く。橘は一瞬寂しげに眉を顰めて、溜息のように言葉を吐き出した。
 
 
「貴方に好かれたい」
「好きですよ」
「今よりもっと、他の人と比べようもないくらい…」
 
 
 最後は殆ど譫言のようだった。そのまま、うつらうつらし始めた橘を慌てて揺り起こす。
 
 
「ひ、人ん中に突っ込んだまま寝ないでくださいっ」
「…あ、すいません」
 
 
 よろよろと起き上がった橘が萎えた性器をゆっくりと引き抜いていく。ずるりと内部から異物が抜け出す感覚に、喜一は首筋を粟立てながら深く息を吐いた。開かれっぱなしだった後孔から生ぬるい精液がだらだらと溢れ出してくる。今度はベッドに正座したまま眠り出しそうな橘の腕を引いて起き上がらせる。
 
 
「お風呂入りましょ。ね?」
 
 
 汗で濡れた前髪を掻き上げてやりながら優しく語り掛ける。橘は「うー」とも「あー」ともつかない声をあげてから、こくんと素直に頷いた。橘は眠たげに目を擦りながらも、手を引かれるままにのたのたと喜一の後ろを着いてくる。まるで赤ん坊の歩行訓練のようだと思って、喜一は少しだけ笑った。
 
 
「ほら、あんよが上手、あんよが上手」
「喜一さん、僕は子供じゃないんですから…」
 
 
 目蓋を閉じたまま、不満そうにぶつぶつと呟くのが面白かった。まるで電車ごっこみたいに橘の両手を引いて、風呂場まで連れて行く。湯を沸かしている間に、橘を椅子に座らせてシャワーで身体を流す。温かい湯に触れてようやく目が覚めてきたのか、橘が薄らと目を開いた。霧のように視界を覆う水蒸気に数度瞬いて、床に膝をついたまま甲斐甲斐しく橘の身体を洗う喜一を見下ろす。
 
 
「あの…僕はいいから、喜一さんの身体を洗わないと…」
「後で洗いますから大丈夫です」
「でも…僕の、その、アレが、まだ…」
 
 
 随分と歯切れの悪い。掌の中でスポンジを泡立てながら、喜一は伸び上がるようにして橘の顔を下から覗き込んだ。
 
 
「橘さんが散々中に出すから、俺の中ぐちょぐちょですよ」
 
 
 揶揄かうように囁くと、橘の頬がみるみる赤くなった。さっきまで散々人の裸を弄くっていたくせに、卑猥な言葉一つで赤くなる橘が愛おしかった。そのまま掠めるように唇を奪って、泡立てたスポンジで橘の身体を丁寧に洗っていく。ありありと顔面に罪悪感を浮かべた橘に、喜一はふっと笑いかけた。
 
 
「俺は嬉しいんだから、そんな顔しないで下さいよ」
「嬉しい?」
「橘さんの初めての相手になれて」
 
 
 こんな自分が橘の初めてを貰えた。それが堪らなく嬉しかった。ふにゃりと相貌を崩す喜一を見て、橘がはにかむように微笑む。大の男二人が風呂場でへらへらと笑っている光景を思い浮かべると、何だか面白かった。
 
 
「でも、橘さんが童貞じゃなくなっちゃって少し残念ですけど」
「どうして残念なんです?」
「童貞な橘さん、すごく可愛かったのに」
「もう可愛くないですか?」
 
 
 真顔で問い掛けて来るから、思わず噴き出してしまった。これで橘は至って真剣なのだから性質が悪い。風呂場に反響するぐらい高らかに声をあげて笑う。腹を抱えて笑う喜一を見て、橘が不思議そうにパチパチと目を瞬かせる。
 
 
「いやっ、可愛いっすよ。すっごく可愛い」
 
 
 ヒーヒー笑いながら答える。すると、橘は拗ねたように軽く唇を尖らせた。
 
 
「それ、本当に思ってます?」
「チョー思ってますよ」
「チョー、って」
「ほら、髪の毛洗うから目ぇ閉じて下さい」
 
 
 納得いかない表情を浮かべる橘を煙に撒くように、背後から熱いシャワーを頭へとかける。慌てて橘が目を閉じる。なるべく顔に掛からないようにお湯を浴びせて、備え付けのシャンプーリンスで髪の毛を洗う。
 
 
「いい匂いがします」
「んー、ラベンダーの匂いのシャンプーなんですよ」
「気持ちいいです、誰かに髪を洗ってもらうのは子供のとき以来で…」
 
 
 酷く和んだ口調だった。他愛もない会話をしていると、また橘が眠たそうに船を漕ぎ始めた。揺れる頭を胸元へと引き寄せて、耳元へと囁く。
 
 
「すこし寝てていいですよ」
 
 
 橘は「はい」とも「あい」ともつかない声をあげて、そのままぐったりと喜一へと頭を凭れ掛けた。少し重たくなった頭を抱えて、喜一は丹念に橘の髪の毛を洗った。
 
 
 喜一にすべてを委ねている男を見ていると、胸の内側にあたたかいものが溢れてくるのを感じた。幸せだった。この時間が一生続けばいいと思った。どうして時間は過ぎてしまうのだろう。このまま止まってくれればいいのに。そうすれば、一生幸せなままで――
 
 
 少しだけ目尻滲んだ涙を、喜一は手の甲で拭った。橘が眠っていて良かった。こんな泣き顔は絶対に見せられない。変なところで聡いこの男は、喜一の顔を見れば気付いてしまうだろう。もう橘から離れる覚悟をしていることを。
 
 

backtopnext

Published in 再生

Top