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27 再生する

 
 久々のセックスは、嵐のように喜一の身体を通り過ぎた。背中の下に敷いたコートがしわくちゃになっているのを感じる。声を殺して、何度も重なり合った。橘が中に押し入ってくる度に、充足とも付かない感情が胸をいっぱいに満たした。絶頂を迎える度に、身体がビクビクと跳ねるように痙攣した。自分と橘の腹を数え切れないくらい白く汚して、もう出ないからと泣いて懇願しても、橘は決して許してくれなかった。喜一の上に圧し掛かったまま、餓えた獣のように荒々しく身体を喰い散らかしていく。擦られすぎた後孔にはもう感覚がない。ただ、体内へと打ち込まれる白濁にひくひくと条件反射のように戦慄くだけだ。
 
 
 数時間経った頃に、ようやく体内から橘が引き抜かれた。離れると、途端汗ばんだ肌が外気に触れて冷えていく。ぶるりと皮膚を震わせると、シャツを羽織った橘がぎゅっと後ろから抱き締めてきた。壁に背中を凭れ掛けたまま、橘は無言で喜一の首筋に鼻先を押し付けてくる。その甘えるような不安げな仕草が切なかった。
 
 橘をこんなにも弱く、不安定にさせたのは喜一だ。喜一に会わなければ、きっと橘は自分の醜さも知らず正しく生きれた。可愛い女の子と出会って、結婚して、温かい家庭を作れたはずだ。自分は、橘の未来を食い潰しているんだと思った。まるで寄生虫、害虫のような所業だ。それなのに、どうしても――
 
 
「橘さん、好きです」
 
 
 下腹の上で組み合わされた橘の掌を掴んで、ぽつりと呟く。橘がピクリと小さく肩を震わせる。
 
 
「…もう一回言って下さい」
「好きです」
 
 
 乞われるままに繰り返す。喜一を抱き締める橘の腕に力が篭る。その掌へと淡く指先を絡ませながら、喜一は淡々と呟いた。
 
 
「俺と一緒にいたら、橘さんも不幸になるかもしれない」
 
 
 みーちゃんと同じように、いつか最低な終着点へと辿り着くのかもしれない。橘を不幸の底へと突き落とし、再び絶望する日がやってくるのかもしれない。
 
 
「離れるのが一番良いって解ってるんです。諦めなくちゃいけないって何度も思って…」
 
 
 言葉を刻む唇が強張る。鼻の奥がつんとして、目の前の光景がぼやけた。
 
 
「ごめんなさい…好きになって、ごめんなさい…」
 
 
 どうか、許して…。懺悔の言葉が溢れ出す。不幸にすると解っているのに離れられない。どうしても諦められない。愛情が理性を奪う。正常な判断をできなくさせる。ぽろぽろと止め処もなく涙が溢れ出す。そのまま泣いていると、くるりと身体を回されて向き合う体勢にされた。目を真っ赤にした喜一を真っ直ぐ見詰めて、橘が頬へとそっと掌を伸ばす。
 
 
「大丈夫だから…どうか、怖がらないで下さい」
 
 
 頬を撫でられながら、優しく語り掛けられる。宥めるように背中をゆるゆると撫でられて、吐き出す息が掠れた。そのまま暫く温かい身体に抱き締められた。ようやく涙が止まってきた頃、橘がぽつんと言葉を漏らした。
 
 
「ねぇ、喜一さん。姉が言っていた幸せのコップについて、僕も考えたんです」
 
 
 唐突な橘の言葉に、喜一は目を緩くしばたかせた。橘がふわりと微笑む。泣き出しそうな、それでも優しい笑み。
 
 
「僕のコップはたぶん喜一さんのコップより大きくて頑丈です。もし喜一さんのコップから幸せが溢れ出したとしても、僕が掬いますから。貴方のコップが割れても、貴方の幸せは僕が全部受け止めます。僕がずっと傍にいますから。何も後悔しません。あなたが後悔する必要もない。僕に惨めな人生を送らせただなんて思わなくていい。僕は喜一さんを好きになれて、愛されて、こんなに嬉しくて幸せなんです。だから、どうか安心して……僕を好きになって下さい」
 
 
 そう囁いて、橘は喜一の片手を掴んで額に押し当てた。まるで神様に祈るかのように仕草だった。冷えていた指先にぬくもりが伝わってくる。触れ合った部分から、橘の心が流れ込んでくるようだった。
 
 瞬間、胸の中心に光が灯った。光が全身を温かく満たして、凍り付いていた心臓を柔らかく溶かしていく。目蓋の裏で、バラバラに砕け散っていたコップがひとかけらずつ繋ぎ合わされて行く光景が見えた。橘の言葉で、硝子の破片がパリパリと音を立てながらゆっくりと元の形へと戻っていく。再生していく。
 
 
「コップが…」
 
 
 譫言のように呟く。橘が不思議そうに喜一の顔を覗き込む。その顔を見詰め返しながら、喜一は顔をくしゃくしゃに歪めた。自身の胸へと掌を押し当てて、呻くように何度も「コップが」と繰り返す。
 
 
「…直ってく」
 
 
 掠れた声を零して、愛しい男の胸元へと頬を押し付ける。まるで小鳥のような柔らかい鼓動の音が聞こえる。背中を包み込む腕の感触に、喜一はゆっくりと目を閉じた。
 
 
 目蓋の裏に、つぎはぎだらけの小さな硝子のコップがぽつんと置かれていたるのが見えた。これが自分なんだと思った。不格好なコップを、当たり前のように自分の姿なんだと受け容れることが出来た。その隣には、大きくて頑丈そうなコップが寄り添うように置かれている。
 
 その光景を見た瞬間、喜一は安堵に包まれた。日だまりで眠る猫のように安らいだ心地に、口元が淡く綻んだ。
 
 

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