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7 改造計画

 
 日曜日、待ち合わせの場所にやって来た橘の姿を見て、喜一は脱力のあまりその場に蹲ってしまった。
 
 七三分けに眼鏡でやって来るのはまだ良い。その辺りはもう既に予想していた。だけど、私服まで壊滅的にダサいなんていうのは想像していなかった。白いポロシャツにくたびれたベージュのチノパンだなんて、ゴルフに行くおじさんじゃあるまいし。しかも、シャツの裾をズボンに入れるな。二十代だというのに、服装のセンスが既に四十代半ばを過ぎている。
 
 しゃがみ込んだまま大きく溜息をつく喜一を見て、橘は無邪気な様子で首を傾げた。
 
 
「あの…お待たせしましたか?」
 
 
 待ち合わせ時間の十分前に到着したというのに、そんな的外れなことを聞いてくる。喜一は両膝を抱えて、悲愴な眼差しで橘を見上げた。
 
 
「橘さん…その服どこで買ったんすか?」
「いえ、買ったんじゃなくて貰ったんです。叔父がたまにお古をくれるんですよ」
 
 
 嬉しげに言う姿が憎らしい。橘は、自分の容姿にあまりにも無頓着過ぎる。良い素材を自分から腐らせているも同然だ。これじゃ彼女にフラれても仕方がないんじゃないかとすら思える。
 
 喜一の思惑に気付く様子もなく、蹲る喜一を見つめて、橘はぎゅっと目を細めて笑った。
 
 
「喜一さんは何着ても格好良いですね」
 
 
 喜一の今日の服装は、Vネックの黒Tシャツにカーキー色のカーゴパンツだ。装飾は耳のピアス以外はつけていない。シンプル過ぎるほどにシンプル。だから、ある意味橘のことを言える立場ではないことは自覚している。それでも、ツッコミたくなる。お前は休日のお父さんか!
 
 
「いつもパンイチで会ってるからね」
「パンイチ?」
「パンツ一丁」
 
 
 そう訳すと、橘の頬が微かに赤く染まった。まともに服を着て会うのが初めてだという事にようやく思い至ったのか。その反応が面白くて、立ち上がって橘の耳元へと唇を寄せる。
 
 
「今の服とパンイチ、橘さんはどっちが好きですか?」
 
 
 からかうようにそう言葉を紡ぐと、橘はギョッと目を見開いた。
 
 
「橘さんがそっちの方が好きって言うなら、今ここでパンイチになってもいいんですけど」
 
 
 耳穴に息を吹き込むように囁くと、橘の顔が沸騰したように真っ赤に染まり上がった。それを見て喜一が高らかな笑い声をあげると、小動物の威嚇のように肩をふるふると震わせる。
 
 
「きっ、喜一さん…! こんなとこで馬鹿なこと言わないで下さい…!」
 
 
 橘の解りやすい動揺に、思わず笑いが止まらなくなる。一頻り笑い飛ばした後、目尻に浮かんだ涙を指先で拭って言葉を続ける。
 
 
「ごめんごめん、橘さん素直だから面白くって」
「面白いって…」
「そこが好きってこと」
 
 
 不貞腐れた表情をする橘が可愛くて、そう言い直す。すると、橘は一瞬唇をへの字にへし曲げた後、「はぁ…」と照れくさそうに頬を掻いた。満更でもない表情だ。他愛のない冗談にも安っぽいリップサービスにも簡単に一喜一憂する男が可愛い。橘が嬉しそうだと、なぜだか喜一まで嬉しくなる。
 
 頬を掻く橘の手を掴んで、喜一はゆっくりと歩き出した。不意に手を捕まれたことに吃驚したのか、橘はきょときょとと目を瞬かせている。
 
 
「今日は橘さん改造計画だから」
「え、あ、改造計画?」
「そう、頑張りましょーね」
 
 
 ついでに、「オー!」と学園祭的なノリで拳を振り上げてみる。生真面目な男は、不思議そうに瞬きながらも「おー?」と緩く腕を振り上げた。
 
 
 
 
 
 まずは眼鏡屋に行って、その場で眼鏡からコンタクトへと変えてもらった。それから、戸惑う橘を引き連れて美容院へと行った。店の控え室に置かれていた雑誌に載っていたカリスマ美容師がいるという美容院だ。予約をしていなかったので難しいかもと思っていたが、丁度昼時の時間だったおかげか意外にもすんなりとカットを受けられることになった。
 
 椅子に座らされた橘の縋りつくような視線をひとまず放っておいて、喜一は美容師にカラーリングとカットを注文した。
 
 
「カラーは明るすぎないダークブラウン。光に当たると茶が強く出るぐらいがいいかな」
「カットはどうなさいますか」
「うーん、見本誌見せてもらえます?」
 
 
 美容師から差し出された見本誌をパラパラとめくって、暫く悩んだ後、前髪が眉にかかるぐらいで、毛先が軽めな爽やかな髪型を選んだ。本当はもっと可愛い髪型にしたかったが、流石に営業マンとして働き難そうな髪型にするのは気が引けたので諦めた。
 
 
「あ、あのっ、喜一さんっ」
「はーい、なんですかー?」
 
 
 橘は、今まさにシャンプー台へと連れて行かれるところだ。心細そうな声に暢気に返事を返しながら、喜一は橘へとにっこりと笑いかけた。
 
 
「僕、今からどうなるんですか?」
 
 
 まるで宇宙人に攫われたかのような事を言う。思わず噴き出しそうになりながらも、喜一はのんびりと答えた。
 
 
「流石に解剖はされませんから大丈夫っすよー」
 
 
 橘の顔が一瞬青くなる。美容院ぐらい来たことあるだろうに、一体何を不安がっているのか。いや、もしかしたら今まで親に切ってもらっていただとか、自分で切っていたとか、そういう事もあり得たりするのだろうか。橘ならそういう可能性もあり得なくもない。雑誌へとおざなりに視線を落としたまま、そんな事をぼんやりと考える。
 
 その間にも、橘橘の髪に色が付き、カットされていく。途中からは雑誌を読むのも飽きて、斜め後ろから橘の様子をぼんやりと眺めていた。すべてが終わる頃には、橘からあの染み付くような野暮ったさは消えていた。すっきりとした清潔感のある髪型は、橘によく似合っている。
 
 額にかかる前髪を掌で弄りながら、橘が面映そうに喜一を見遣る。
 
 
「髪の毛を染めたのは初めてで、何だか自分じゃないみたいです」
「本当ですか? でも、すっごく格好良いです」
 
 
 すっごくを強調して言うと、橘は目を細めてはにかんだ。髪型が変わったせいか、以前よりもずっと笑顔が可愛く見える。支払いは、渋る橘を抑えて喜一がした。
 
 
「橘さん、何もしないのに俺のために八万使ってくれたんだから、今日はそのお礼」
「でも、それは僕が勝手に…」
「じゃあ、これも俺の勝手。大丈夫、俺、橘さんが思ってるより稼いでるから」
 
 
 それはあながち嘘ではない。毎日稼ぎのほぼ全額を彼女へと送っていても、その切った端数だけでも喜一は暮らして行けている。家賃と食費ぐらいしかまともに金を使わないのだから、それも当然といえば当然だ。その気になれば、橘の月収ぐらいは一晩で稼ぐことだって出来る。
 
 
「だけどっ…」
「その代わり、今日一日だけ橘さんのこと俺の好きにさせて? だめ?」
 
 
 そう言って、にっこりと微笑むと、橘はぐっと口籠った。唇をぱくぱくと動かした後、「駄目じゃないです」と小さな声で呟く。
 
 
 美容院を出た後も不甲斐無さそうな顔をしたまま歩く男を宥めたくて、片頬を緩く摘んでみた。橘は喜一の手を振り払うこともなく、「にゃにするんでふか」と頬を摘まれたまま不服そうに呟く。その緩んだ口調が面白くて、喜一は道端なのも忘れて腹が捩れるくらい笑った。こんなに大笑いしたのは久々だった。ビルの壁に肩を押し付けたまま大笑いする喜一を見て、初めは拗ねたようだった橘の表情も次第に緩んでいく。最後は橘も声をあげて笑っていた。
 
 馬鹿笑いのおかげか、橘の緊張も最初よりかはほぐれてきているようだった。アウトレットモールへと行って、カジュアルながらもキッチリめな雰囲気の洋服店へと入る。無造作に服を見ていると、直ぐさま女性店員が近付いてきた。
 
 
「どのようなものをお探しですか?」
「この人に似合う服を探してるんだけど。ズボンはストレートで、少し濃いめの色がいいかな。あ、ダメージ加工はなしで。上は、白系のカーディガンとか。すこし可愛い感じの奴がいいな」
 
 
 女性店員は笑顔で頷くと、店の棚からすいすいと服を選んで来た。ネイビーの細身のデニムに、襟口が広めの白T、七分袖のグレイのジャガードカーディガン、それに差し色としてオレンジ色のベルトだ。手触りの柔らかいカーディガンを触って、橘が「これ着心地が良さそうですね」と嬉しそうに呟く。服一式を橘へと押し付けて、試着室へと押し込む。
 
 試着室から出てきた橘を見て、喜一は思わず拍手をしていた。すらりとしたデニムは橘にぴったり合っていたし、白が強めな雪柄のジャガードカーディガンも橘の柔らかい気質を上手く表していてとても良かった。初めに会ったときより五倍……いや、十倍以上は格好良く見える。
 
 
「とてもお似合いですよ」
 
 
 女性店員が興奮気味に言う。橘は戸惑うように微笑んで、喜一へと視線を向けた。
 
 
「こういう服を着たのは初めてなんですが…どうでしょう?」
 
 
 こてんと首を傾げる姿が殺人的に可愛くて、喜一は橘に返事することも忘れて、隣に立つ女性店員へと「これ全部買います」と言っていた。元の服に着替えようとする橘を押し止めて、今日はそのままその服を着るようにお願いする。ついでに店の棚に飾られていた茶色の可愛いスウェードワークブーツも買って、橘へと押し付けた。
 
 
 頭の先から爪先までピカピカに磨き上げられた橘は、雑誌のモデルといっても可笑しくないぐらいに格好良くなっていた。並んで歩くと、女性が橘を振り返っているのを感じる。それが妙に誇らしかった。知らず口元が緩んでしまって、それを橘に指摘された。
 
 
「どうしたんです? 何か面白いものでもありました?」
 
 
 問い掛けられて、笑みを浮かべたまま首を左右に振る。すると、橘は辺りをきょろきょろと見渡して感慨深そうに呟いた。
 
 
「すごい。みんな喜一さんのこと見てます」
 
 
 確かに喜一を見ている視線もあるが、それは同時に橘を見ている視線だ。そんな事にも気付かず、間の抜けたことをいう鈍い男が愛らしかった。
 
 
「橘さんのこと見てるんだよ」
 
 
 そう教えると、橘は「えー?」とまるで女子中学生のような声をあげて首を傾げた。喜一の言葉をまったく信じていない表情だ。自分がどれだけ格好良くなったのかを自覚させたいような気もしたが、初々しい反応がなくなるのも勿体なくて黙っていることにした。ふふ、と意味深げに笑う喜一を見て、橘も楽しそうに笑う。酷く長閑な時間だった
 
 

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