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03 男子高校生と化物の恋バナ

 
 双子の案内のもと、一時間近く歩き続けた。最初は見覚えのある道だったが、歩き出して三十分経つ頃には位置どころか方向感覚すらおかしくなった。迷路のように曲がりくねった道を延々と歩いていると、悪魔か何かに冥界へと連れられているような不安感がせり上がってくる。時折立っている電柱の看板で住所を確認して、ほっと息を吐く。
 
 そんなことを何度も繰り返しているうちに、一軒の家の前にたどり着いていた。一目見て、古臭い家だなと思った。廃屋とまでは言わないが、築五十年は越えていそうな古びた長屋だ。漆喰の壁は所々ひび割れているし、庭は雑草が多い茂って地面が見えないほどだ。
 
 
「庭の手入れぐらいしろよ」
 
 
 嫌味ったらしく呟くと、双子の片方が肩越しに振り返って言った。
 
 
「父さまが生きていた頃は、この庭には四季の花が咲き誇っていた。けれど、父さまが亡くなって、母さまはこの庭を綺麗にするだけの心も失ってしまった」
 
 
 まるで歴史を語るような淡々とした声だった。それきり黙ってしまった双子の姿に、俺も仕方なく口を噤む。鉄製の柵を開いて、置き石を進むと玄関まで辿りついた。
 
 
「どうぞ、中へ」
 
 
 双子が玄関を開いて、中に入るように促してくる。よく見ると、板張りの床にも薄っすらと埃が積もっていた。靴下が汚れるのは嫌だったが、流石に土足で入るわけにもいかず玄関口で靴を脱いだ。一歩踏み出す度に、床の埃がふわりと霧のように浮かび上がる。
 
 廊下を進んでいって、小さな和室に入った。そこは丹念に掃除がされているようで、埃臭さはなかった。年季の入ったイ草の匂いが微かに漂っている。
 
 和室の右側には、ピッチリと閉ざされた襖戸が見えた。双子が襖の前に正座して、声を上げる。
 
 
「母さま、ただいま帰りました」
「長く留守にしており申し訳ございません。どうかお声を聞かせてください」
 
 
 母親に対するというのに、随分と仰々しい口調だ。実は母親とは疎遠な関係なのか、それとも双子が馬鹿がつくほど生真面目なだけなのか。
 
 襖ごしの奇妙な遣り取りを眺めながら、俺は仕方なく双子の数メートル後ろに腰を下ろした。どこか茶番劇でも観ているような薄ら寒さがある。
 
 ぞわぞわと戦慄きそうになる皮膚をいい加減に撫でさすっていた時、不意に襖の奥から、ずっ、と何かを引きずるような音が聞こえた。ずる…ずるぅ…と重たくて、微かに湿ったものが這いずる音だ。その音の直後に、テレビのノイズのような耳障りな音が聞こえてきた。
 
 
『おかえり、おかえりぃ、おまえたち…さみしかったよ、とても、さみしかった……あぁ、帰ってきてくれてうれしぃ…』
 
 
 拙い声は、錆びた鉄同士を滅茶苦茶に擦り合わせたような音に聞こえた。聞くだけで鳥肌がぞぞっと浮かび上がってくる。人間の嫌悪を無条件で煽るような声だと思った。
 
 無意識に膝が逃げようと後ずさる。だが、双子がそれを目で制した。襖の奥から、ぽつぽつと雫が滴る音と共に、微かなすすり泣きが聞こえてくる。
 
 
『おまえたち、おいでぇ…かおをみせて…』
 
 
 懇願するおぞましい声に、双子が即座に立ち上がった。微かに開いた襖の向こうへと双子が飛び込む。その直後に、襖は再び閉められた。襖の内側から双子の声が漏れ聞こえる。
 
 
「母さま、母さま、僕らも寂しかった…とてもとても寂しくて、胸が張り裂けそうでした…」
「ごめんなさい、ずっと一人にして。僕ら、母さまに会えて心から嬉しい…」
 
 
 途端、双子の声が幼くなった。母親に甘える声音だ。襖の内側から、ぐちゃぐちゃとまるで泥をこね合わせるような音が響いてくる。その音が耳に届く度に、俺の身体からは静かに体温が抜けていった。襖を隔てた向こうに、何か酷く恐ろしい物がいる。そんな予感が指先を震わせた。
 
 
『こんなにおおきくなって……ずっと、しんぱいしてたんだよぉ、おまえたちはおれよりも、からだがよわいから、どこかでだれかに、ひどいことされてないかって…』
 
 
 くすんくすんと鼻を啜る音。その音に被さるように双子が言う。
 
 
「僕ら、誰にも酷いことなんかされてません」
「僕らにとって良くない奴らは、全員食べてしまいました」
 
 
 何か空恐ろしい言葉が聞こえた気がする。勝手に、額から冷汗が滲み出していた。頬を伝って下顎から膝頭へと滴り落ちていく。酷く原始的な恐怖が身体の内側を支配していた。
 
 
『うん、よかったぁ……せんせぇがおまえたちの姿をみたら、すっごく、よろんだだろうねぇ……おまえたちに、にんげんの血がまじったことを、せんせぇは気にしてたから……』
 
 
 せんせぇ、というのが双子の父親なのだろうか。だが、人間の血が混じったとはどういう意味なのか。それこそ本当に、化け物の言葉のようじゃないか。
 
 震えが確実に大きくなっていく。ガクガクと震える膝頭を両手で掴む。だが、冷え切った指先には既に感覚がなかった。
 
 短い沈黙の後、双子が勿体ぶるように言うのが聞こえる。
 
 
「母さま、父さまのことなのですが…」
「父さまの生まれ変わりの者を、今連れて来ております」
『せんせぇの、うまれかわり?』
 
 
 おぞましい声は、双子の言葉の意味が掴めていないようだった。きょとんとした声に対して、双子が言葉を続ける。
 
 
「はい、父さまの魂は、父さまが亡くなった後にずっと輪廻を巡っておりました」
「そうして何百年も経って、ようやく人の形に生まれ変わったのです。その者が今向こうにおります」
 
 
 見なくても、襖の向こうからこちらを凝視している眼差しを想像出来た。既に呼吸をするのすら苦しい。まるで全身を鎖で雁字搦めにされているようだ。
 
 不意に、掠れた怒鳴り声が聞こえた。
 
 
『そんなっ、そんなことはぁ…!』
 
 
 鋭く、悲しみに満ちた怒声だった。見えなくても、ビクリと跳ねる双子の身体が想像出来る。だが、その怒声は最後まで続かず、すぐに沈黙が流れた。
 
 重苦しい沈黙の後、ぽつぽつと切なげな声が聞こえてくる。
 
 
『……おまえたち、ごめんなぁ、ありがとなぁ…。でも、でも…そんなことは、しなくていいんだよぉ……』
 
 
 涙に枯れた声に、唐突に息を呑むような衝動に駆られた。俯いていた視線を上げて、襖を凝視する。襖の近くまで、何かの気配がずるりと近付いてくるのを感じた。
 
 
『…そこに、いらっしゃいますか…? ごめんなさぃ、おれの……わたしのこどもたちが、ごムリなことをいったようで……』
 
 
 おぞましい声が、その声音に似つかわしくない謝罪の言葉を漏らす。舌ったらずだが、母親らしいしっかりとした口調だ。
 
 返事を返さないわけにもいかず、嫌な唾液が貼り付いた咽喉を無理矢理動かす。
 
 
「あ…、いえ…別に…」
 
 
 おぼつかない返答に、自分自身で頬が熱くなるのを感じた。情けない。まるで好きな女の子を目の前にした小学生男子のようだ。
 
 
『ごめいわくおかけして、もおしわけござぃません…。こどもたちにも、しっかりお詫びさせますので……』
「あの、本当に気にしないで下さい。別に迷惑っていうほど、何かされたわけでもないので…」
 
 
 粛々と謝り続ける声を止めたくて、人当たりの良い言葉を口に出す。どうしてだか、先程までは冷え切っていた指先がじんわりと温かくなっていた。それどころか今は身体中が酷く熱いくらいだ。急激な体温の変化に、吐き出す息が震える。
 
 窺うように襖の向こうの声は黙り込んでいたが、暫く後にぽつりと声が聞こえた。
 
 
『……ありがとぉ、ございます。もお、おそぃですから、かえりみちは、こどもたちにおくらせます』
 
 
 悲しげな声に被さるように双子の声が聞こえた。
 
 
「母さまっ…!」
『いぃから、おかえししなさぃ』
「でも、折角父さまに…!」
 
 
 双子の声は、悲痛さを帯びていた。訴えかける双子の声に、おぞましい声はそれでも淡々とした声を返した。
 
 
『このひとは、おまえたちの父さまじゃないんだよ。ちがう、人だよ』
 
 
 事実を突き付ける残酷な言葉だった。双子が息を呑む音が聞こえる。だが、どうしてだろう。双子以上に、きっとその言葉は俺の胸に突き刺さった。愛しくて堪らない人に引導を渡されたような酷い気分に、目の前がぐらりと揺れる。
 
 黙り込んだ双子の代わりのように、おぞましい声が囁く。
 
 
『…すぃません…おかえりくださぃ…』
 
 
 懇願する声が一秒でも早く目の前から消えて欲しいと言っているように聞こえる。実際そうなんだろう。耐え切れず、立ち上がる。足取り荒く、玄関へと向かって歩き出した時、ふとか細い声が聞こえた。
 
 
『どうか、おげんきで…ずっと、ずっと…』
 
 
 祈るような声を送るくせに、どうして見限るような事を言うのか。ちぐはぐな声に、怒りを通り越して悲しみすら感じる。
 
 どたどたと足音を立てて、玄関を出た。沈み掛けた夕焼けが遠くに見える。睨み付けて、大きく息を吐き出した。同時に唇が震えて、無意識に言葉が零れていた。
 
 
「ふざけんな、馬鹿野郎」
 
 
 それがおぞましい声への捨て台詞なのか、双子への罵言なのか、それとも自分自身に対する呪詛なのか解らなかった。ただ、どうしようもなく堪え切れなくて、玄関口の傾いた鉄柵を思いっきり蹴り飛ばした。
 
 

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Published in 先生と化物のものがたり

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