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06 男子高校生と化物の恋バナ

 
 双子の家に着いた頃には、夜の八時を回っていた。携帯のディスプレイに表示された時刻を見て、顔を苦く顰める。これは家に帰る頃には、九時か十時を回っていそうだ。
 
 看護師をしている母親は確か今日は日勤だったはずだから、母親の帰宅までには間に合いそうもない。母親の怒鳴り声を想像するだけで溜息が漏れそうになる。
 
 俺の憂鬱さにも気付きもせず、双子は俺と繋いだ手を前後にぶんぶんと振り回している。奇妙な子供たちだけれども、そうやって嬉しげにしている姿は酷く幼い。
 
 
「手ぇ繋いでるだけで、何でそんなに嬉しそうなんだか…」
 
 
 無意識にぽつりと言葉が落ちていた。双子がぱっと振り返る。
 
 
「だって、父さまの手は同じだから」
「同じ?」
 
 
 訝しげに首を傾げると、双子はにっこりと微笑んだ。
 
 
「はい。前の父さまと、今の父さまの手は同じです」
「僕ら、前の父さまと時々散歩していました。昼は駄目だけど、夜になると父さまが少し歩こうかって僕らの手を握って、町に連れて行ってくれるんです」
「父さまは、僕らに色々教えてくれました。草花や虫の名前、水車の仕組み、星がどうして輝くのか」
「特に人間については、たくさん教えてくれました」
 
 
 玄関の前で、双子がぴたりと足を止める。そのまま、じっと俺を見つめて呟いた。
 
 
「人間は、なぜ自分とは違うものを疎み、虐げようとするのか」
「皆と同じは嫌だと言いながら、なぜ周りに同化しようと躍起になるのか」
「人間は、なぜ争い、殺し合うのか」
「百年にも満たない短い人生を、なぜ憎しみと恨みに費やしていくのか」
「人間は、なぜ生き、死んでいくのか」
「どうして心が千切れるほどに愛している人がいるのに、その人を置いて旅立ってしまうのか」
 
 
 まるで繰り言のような問答が鼓膜へと潜り込んでくる。僅かに顔を強ばらせる俺を見て、双子はふっと視線を逸らした。
 
 
「父さまは愛を知れば、すべてが理解できると言われた」
「でも、僕らはまだ何も解らない。人の心は複雑で、難解だ」
 
 
 独り言のように呟いて、双子はそっと俺の手を離した。玄関を開けて、どうぞ中へと促される。
 
 数日前に来たときと同じ廊下だ。薄っすらと積もった埃を踏み締めながら和室へと向かう。和室の奥の襖は、変わらず固く閉められていた。その前に膝を下ろして、じっと閉ざされた襖を見つめる。
 
 双子が俺の左右にちょこんと正座して、俺を見上げた。その眼差しに促されるようにして、小さく声を上げる。
 
 
「あの…こんにちは」
 
 
 こんにちは、ではなく、こんばんは、だろう! と自分の叫び声が頭の奥から聞こえた。初っ端から言い間違えたことに、酷い羞恥心を覚える。熱くなる頬を感じながら、縺れそうになる舌を必死で動かす。
 
 
「ち、違う、こんばんはですね。はは、もう暗いのに」
 
 
 しどろもどろに言い訳を漏らす自分自身を、今すぐ殴り殺したい。こんなのは恥の上塗りだ。開かない襖へと向かって、喋り続けている自分も滑稽で堪らない。
 
 
「それとも、初めましてって言った方がいいんですかね。前に俺、挨拶もしなかったし。あの、俺、池田メグルって言います。メグルは、巡礼の巡って漢字で――」
 
 
 もう喋るのを止めたいと思うのに、口が勝手に動く。咽喉も舌もカラカラなのに、止められない。喋り掛けるのを止めたら、もう二度とここには来れない気がした。それがなぜだか恐ろしい。
 
 物音一つたてない襖の気配に、目が勝手に潤み出す。もう泣き出しそうだった。どうして、応えてくれない。折角ここまで来たのに、こんなにも必死に声を掛けているのに。
 
 声が震えそうになった頃、襖の奥から、ずずっ、とあの引き摺る音が聞こえてきた。襖のすぐ側まで音が近付いて、ひび割れた声が耳に届く。
 
 
『どぉして、いらっしゃるんですかぁ…』
 
 
 相変わらず鼓膜に触れるだけで、ぞぞっと鳥肌が立つような不快な声音だ。それなのに、聞こえた瞬間、胸の奥で湧き上がったのは、紛れもない歓喜だった。
 
 悲しげな声が続ける。
 
 
『…また、こどもたちが、来いっていったんですか…?』
「ち、違います。おっ、俺がここに来たいって言ったんです」
 
 
 冷汗か脂汗かも判らない、額から滲み出した汗を腕で拭う。背筋は凍えるように冷たいのに、体内は燃えるように熱い。ちぐはぐな体温に、指先がぶるぶると震え出す。
 
 
 怖い。今すぐここから逃げ出したい。でも、ずっとここに居たい。
 
 
 矛盾する感情が体内で暴れ狂って、鼓動を滅茶苦茶に跳ねさせる。
 
 
『……なんで…ここにきても、なんにもないよぉ…』
 
 
 舌ったらずな声が寂しげに囁く。だらだらと汗を流しながら、俺は震える唇を動かそうとした。唇が言葉もなく、上下にはくはくと動く。どう言えばいいのか解らなかった。言いたいことはたくさんあるはずなのに、そのどれ一つとして言葉に出来ない。
 
 なぜ、ここに来たのか。自分でも本当の理由が解らないからだ。
 
 
『もお、こないほうが、いいとおもう…』
 
 
 咽喉が引き攣った。頬肉がピクピクと神経質に痙攣する。こんな自分は知らない。こんな惨めで、情けない自分は。
 
 何か言わなくては。でも、一体何を。そうですね、二度と来ません。なんて死んでも言いたくない。自分でも訳が解らないけど、そんなことを言うぐらいなら舌を噛み切った方がマシだと思った。
 
 視線がぐらぐらと宙を泳ぐ。その時、ふと荒れ放題な庭が脳裏を過ぎった。また口が勝手に動く。
 
 
「お、俺、花を植えるのが趣味でっ」
 
 
 声が上擦って、素っ頓狂な調子になる。だが、恥ずかしさを覚えているだけの余裕はなかった。遮られないように、畳み掛けるように出鱈目を並べていく。
 
 
「このあいだ、ここに来たときに庭を見て、いっ、いい庭だな、って思ったんです。せっかく広い庭なのに、もったいないな、って。だか、だから、良ければ、俺に手入れさせて貰えませんか? あのっ、もちろんお金くれとか言わないですし、あなたは何も気を使わなくていいし、おっ、俺のことは無視していいんで。ただ、ここに来させてもらえれば……」
 
 
 語尾が掠れて消えていく。緊張と恐怖と熱がぐるぐるに混ざり合って、今にも卒倒しそうだった。ふ、ふ、と自分の短い呼吸音が聞こえる。だが、それは吐き出す音ばかりだ。いつ空気を吸ってるんだろう、と他人事のように思う。
 
 俯くと、壊れた水道のようにぽつぽつと汗が膝頭に落ちていった。その動きがスローモーションのように見える。沈黙が一秒にも一時間にも感じた。
 
 暫く後、襖の奥から声が聞こえた。
 
 
『…ここにきても、いぃことなんて、いっこもなぃ…』
 
 
 ぽつぽつと漏らされる切なげな声に打ちのめされながらも、折れてたまるかと忙しなく口を開く。
 
 
「お、俺がここに来たら迷惑ですか?」
『ちがぅ、めいわく、なんかじゃなぃ。そんなんじゃないぃ…』
「じゃあ、来させて下さい」
 
 
 強引に押し切るように言い放つ。襖の奥から沈鬱な空気が伝わってくる。酷く狼狽し、酷く悲痛な、逡巡の気配が。だが、長い沈黙の後、襖の奥から声が聞こえてきた。
 
 
『…このへやには、ぜったい、はいらなぃで』
 
 
 酷くしわがれた声だった。はっと顔を上げて、襖を見つめる。
 
 
「はい。入らないです」
『…ここ以外なら、どこでも、すきなようにして、いぃ…』
 
 
 途切れ途切れな声は、それを認めながらも疎んでいるように聞こえた。歓迎はされていない。それでも、ここに来ることが了承された。そう思った瞬間、ふっと身体から緊張の糸が切れた。
 
 
「じゃ、じゃあ、明日来ます。明日、来ますから」
 
 
 自分に言い聞かせるように繰り返す。立ち上がろうとした瞬間、ふと気付いた。
 
 
「あの…名前を聞いてもいいですか…?」
 
 
 問い掛けると、襖の奥から僅かな躊躇いの気配が伝わってきた。だが、数秒後にぽつりと声が聞こえた。
 
 
『…チカ…』
 
 
 聞こえてきた名前に、心臓が大きく跳ねる。
 
 
「チカ、さん」
 
 
 口に出すだけで、体温が上昇するのを感じた。指先は氷のように冷たいのに、心臓ばかりが馬鹿みたいに熱い。
 
 開かれない襖を見つめたまま、祈るように囁く。
 
 
「また明日」
 
 
 そう言い残して、立ち上がろうとする。だが、膝に力が入らず、中途半端な体勢でぐらりと身体が揺れた。倒れそうになる身体を、双子が左右から支えてくれる。
 
 悪い、と言おうとした瞬間、突然サァーと引き潮のように血の気が落ちて、咽喉の奥から吐き気が込み上げた。縺れるように走り出して、玄関を飛び出す。外に出るのと同時に、限界を迎えた。
 
 
「ッヴ、げっ…ッぇ」
 
 
 えずく声に合わせて、口から吐瀉物が溢れる。地面を汚していくゲロを見下ろしながら、玄関の柵にもたれかかった。
 
 
「父さま、大丈夫ですか」
「ご気分が悪いですか」
 
 
 追い掛けてきた双子が心配げに言う。背中を大きく震わせながら、双子の顔を見た。
 
 
「わ、悪い、汚した…」
「そんな事はいいです」
「すぐお水を持ってきます」
 
 
 胃液で汚れた口元を雑に拭いながら、双子が持ってきた水で口をゆすぐ。水を何度も吐き出しているうちに、ようやく気分が落ち着いてきた。大きく息を吐き出すのと同時に、コップと交換でタオルが差し出される。随分と甲斐甲斐しい子供たちだ。
 
 
「ごめん。洗って、返すから」
 
 
 顔をタオルで拭ってから、言い訳するように呟く。双子は小さく首を左右に振ったが、タオルを奪い取ることまではしなかった。ただ、酷く悲しげな眼差しで俺を見ている。
 
 
「母さまが、恐ろしいですか?」
 
 
 双子が問いかけてくる。一瞬、言葉を失った。口を半開きにしたまま、双子の顔を見つめる。双子は一度視線を落として、つらそうな声で続けた。
 
 
「どうか、母さまを怖がらないで下さい。貴方に怖がられたら、母さまはとても傷ついてしまう」
「母さまは決して貴方を傷つけません。それだけは解って欲しいんです」
 
 
 双子の懇願に、咄嗟に返す言葉が思い浮かばなかった。咽喉を数回上下に動かして、それからか細い声で囁く。
 
 
「俺も、あの人を傷つけたくないよ」
 
 
 あれは人なんだろうか。それとも、本当に化物なんだろうか。どちらでもいい。ただ、傷つけたくはない。真綿で包むように大事にしてやりたい。この想いは一体何だろうか。二回しか会ったことがない、顔も見ていない相手に対して抱く感情だろうか。
 
 また、ひやりと背筋を冷たいものが走る。首筋を通り抜ける風に、ふと視線を道路の向こうへと滑らした。視線の先で、真っ暗な道がどこまでも続いていた。
 
 

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Published in 先生と化物のものがたり

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