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07 男子高校生と化物の恋バナ

 
 湿った草葉の匂いがする。むっと立ちのぼる青臭い香りに、思わず噎せそうになる。額から雨のように汗が滴り落ちるのを眺めながら、掴んだ雑草を一息に引き抜いた。抜き取った雑草を、集めた雑草の山へと雑に放り投げる。
 
 ふぅと大きく息を吐いて立ち上がった。ずっと屈みっぱなしだったせいで膝や腰が鈍く痛む。ここ一週間のすべてを雑草取りに費やしたが、ようやく庭の全貌が見えてきた。
 
 庭の端っこに屈んでいた双子の片割れがひょっこりと立ち上がる。その両手には引き抜かれた雑草が握り締められていた。
 
 
「父さま、休憩されますか?」
「父さま、すぐ麦茶を持ってきます」
 
 
 双子のもう一人が家の縁側から声を上げる。その手には雑巾が握られていた。埃だらけな床をどうにかしろと朝一で命じたところ、家中の雑巾掛けをしているのだ。
 
 ぱたぱたと双子の片割れが廊下を走っていき、すぐさま麦茶を乗せたお盆をもって戻ってきた。
 
 
「どうぞ、父さま」
「あんがと。えーっと…」
「ひるくもです」
「ひるくも」
 
 
 名前を繰り返すだけで、目に見えて喜ぶのが何とも健気だ。未だ双子の見分けがついていないことに対して罪悪感を覚えるほどに。
 
 雑草の山を両腕に抱えて、よるくもが近付いてくる。
 
 
「父さま、これだけ抜けました」
「あー、すげぇ抜いてんじゃん。良くやったな、よるくも」
 
 
 土だらけな軍手を外して、小さな頭をぽんぽんと撫でてやると、よるくもは嬉しげに相貌を崩した。
 
 麦茶を飲みながら、縁側へと腰を下ろす。双子が俺の左右に座り込んで、真似をするように麦茶を飲んでいた。風が吹くと、さらさらと草が揺れる音が聞こえた。酷く長閑な休日だ。
 
 だけど、俺らしくはない。いつもだったら、休日はいつものメンバーで集まって、適当に街でだべったり、カラオケやゲーセンに行ったり、女の子たちの買い物にだらだら付き合ったりしていたはずだ。それなのに、今の俺はまるっきり休日のお父さんだ。
 
 
「あーあ、バーベキュー…」
 
 
 嘆くように呟いて、片手で額を押さえる。本当だったら、今日は河原でバーベキューをする予定だったのだ。一ヶ月も前から計画して、川で水遊びするためにウォーターシューズまで買っていたのに。もしかしたら、マーヤちゃんと水を掛け合って、キャッキャッウフフできたかもしれないのに…。
 
 それなのに、断ってしまった。数日前になって突然『ごめん、行けなくなった』とメッセージを送ったものだから、グループラインは荒れに荒れた。『ドタキャンとかマジありないし』と怒りの集中砲火を食らいつつも、自分が悪いと解っているからこそ平謝りするしか出来なかった。キャンセル代は勿論払うし、今度お詫びするから、と謝り倒したものの、もしかしたらもうあのグループとは縁が切れるかもしれない。それでもいいと思ってしまっている自分が酷く不思議だった。少し前までは周囲から外れてしまうことを、何よりも恐れていたのに。
 
 そうまでして結局やっているのが他人の家の草むしりなのだから笑えない。いや、いっそ笑える。笑ってしまいたい。じゃないと、自分の行動のおかしさに気付いて、頭をカチ割りたくなってしまう。
 
 二度目の訪問から今日で一週間が経つ。あれから毎日のようにこの家に来ているのだ。これが気が狂ってると言わずして何と言う。
 
 はーっと長く息を吐き出す。双子が不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
 
 
「父さま、バーベキューがどうしました?」
「お肉が食べたいのですか?」
「違ぇよ。そんなんじゃねぇけど……何で俺ここに居んのかなって思ってさぁ」
 
 
 双子に会ってからというものの、前までの俺とは違う行動ばかりを取っている。いい加減で追従主義で、周りに合わせてへらへらだらだらしているのが俺だったはずなのに。
 
 愚痴るように漏らすと、双子は困ったように顔を見合わせた。
 
 
「父さまは、ここがお嫌いですか?」
「僕ら、父さまが家に来てくれて、とても嬉しいです」
 
 
 口々に言い募る双子の姿に、またチクリと良心が痛む。子供に愚痴ってどうする。
 
 
「あー、解ってるよ。解ってる。ここは嫌いじゃないし、お前らが喜んでくれて俺も嬉しいっちゃ嬉しい」
 
 
 恥ずかしさを紛らわすように、わざと雑な口調で言い放つ。それでも、双子はほっとしたように目元を和らげた。両手で顔をいい加減に覆って、指の隙間から庭を眺める。
 
 風に揺れる緑を眺めながら、ふと世間話のような口調で切り出した。
 
 
「そういえばチカさんは? 元気?」
 
 
 声が上擦りそうになるのを堪えて、大して興味ないけど聞いてみましたよーという体で訊ねる。双子はちらと閉ざされた襖の方を眺めてから、微か潜めるような声で言った。
 
 
「母さまは、塞ぎ込んでいます」
「あまり元気がありません」
 
 
 一瞬双子の肩を鷲掴んで、何でだよ、と揺さぶりそうになった。今すぐ襖の中に駆け込んで、何で元気がないんですか、俺のせいですか、とチカさんに問いただしたい。衝動を押さえながら、興味なさそうな声で、ふぅん、と小さく漏らす。
 
 
「何で元気ねぇの? 俺がここに来てるせい、とか?」
 
 
 平然とした声で聞く予定だったのに、耐え切れず語尾が掠れた。麦茶のコップを持つ指が戦慄きそうになるのを見せたくなくて、お盆の上にコップを置く。双子はぶんぶんと勢いよく首を左右に振った。
 
 
「まさか」
「そんな訳がありません」
「じゃあ、何でだよ」
 
 
 続けて問うと、双子は困ったように顔を見合わせた。それから、少し躊躇うように口を開く。
 
 
「父さまの命日が近いのです」
「前の父さまの」
 
 
 不意に、ぎゅっと心臓を掴まれたような感覚に陥った。呼吸が一瞬止まる。『前の父さま』という言葉を聞く度に、じりじりと体内が焦げ付くような感覚を覚えた。もどかしいような、腹立たしいような、歯噛みするような感情。
 
 苛立ちを押し隠しながら、何てことないような口調で訊ねる。
 
 
「前の父親ってどんな奴だった?」
 
 
 クソやろう、クズやろうだ! と頭の中で自分の喚き声が聞こえる。その男を知りもしないくせに。
 
 俺の心中も知らず、双子は穏やかな声で語り出した。
 
 
「父さまは、とても優しい方でした」
「母さまを世界で一等愛してらっしゃった」
「僕らのことも、心から愛してくれた」
「母さまにキスをした後、僕らの頬にも必ずキスしてくれた。父さんはお前たちが大好きだって」
 
 
 双子が一瞬想いを馳せるように中空を見つめる。その柔らかな眼差しに、また心臓がジリと焦げ付く。双子が続ける。
 
 
「肩車もしてくれました」
「そう、肩車も。父さまは背が高くて、肩に乗ると巨人になったみたいで、僕らとても楽しかった」
「父さまは、絵がとても上手くていらっしゃった」
「僕らに絵の描き方を教えてくれた」
「赤と青を混ぜると紫。黄色と緑が合わさると黄緑。黒と白だと、灰色」
「父さまは、僕らは灰色のような存在だと言ってくれた。冬の日の空のように静かで、澄み切ってると」
「父さまは、雪のような人だった」
 
 
 最後の言葉は、どこか悲しげな響きを持っていた。双子は眉尻を下げたまま、小さく笑った。泣き笑いのような表情だ。
 
 それなのに、ちっとも双子の悲しみを思いやることが出来ない。無感動に双子の言葉を聞き、静かに唾棄したいような感情が込み上げてくるのを感じた。
 
 
 巫山戯んな。肩車が何だ。絵が何だ。何が雪のような人だ。もう、ただの死人じゃねぇか。
 
 
 唇が嫌な感情にひね曲がりそうになる。口角を必死に引き締めていると、左右から双子が俺の袖口をくいくいと引っ張った。視線を遣ると、甘えるような上目遣いと目があった。
 
 
「僕ら、今の父さまも大好きです」
「今の父さまは、木漏れ日のようです」
 
 
 口々に言い募る双子の姿に、ささくれ立っていた心が丸くなっていくのを感じた。無意識に口元に笑みが滲む。
 
 だが、心の奥底では自分自身に対する猜疑心のようなものもあった。俺はこの双子とは何の関係もない人間だったのに、どうして父親だと言われて喜んでいるんだろう。こんな感情は、どう考えてもおかしい。
 
 
「へぇ、そっか」
 
 
 照れくささを隠すために、素っ気ない返事を返す。それでも、双子は嬉しそうに目元を綻ばせた。
 
 縁側から立ち上がって、腰に両手を当てて言う。
 
 
「よし、今日中に草むしり終わらせっぞ」
 
 
 双子が声を合わせて、はい、父さま、と元気良く応えた。
 
 肩越しにちらと背後の襖を見遣る。閉ざされた襖の向こうで、あの人はどうしているのだろう、と思った。庭が完成したら、見に出てきてくれるだろうか。そんな淡い願望を抱いている自分自身に、苦笑いが零れた。
 
 

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Published in 先生と化物のものがたり

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