Skip to content →

11 男子高校生と化物の恋バナ

 
 死人の如し、というのはこういう事を言うのだろう。やる気が出ない。呼吸をするのも面倒くさい。周りから聞こえてくる雑音すら煩わしい。
 
 昼休憩の喧噪の中、べったりと教室の机にへばり付いたまま、当て所もなく宙を見つめる。変わらない毎日だ。毎日学校に行って、適当に授業を受けて、だらだらと家へ帰る。その繰り返し。それなのに、自分自身が生きてるという実感が酷く乏しい。まるでアメーバにでもなってしまったようだ。
 
 一週間が過ぎた。あの夜から、一度も双子の家には行っていない。何度か行こうと思ったが、結局行けなかった。行ったところでチカさんに何て言えばいいのか自分でも解らなかった。自分の心の整理が付かないまま、日々ばかりが無為に過ぎていく。
 
 やることもなく、机の木目を目測で数え始めた頃、机の端にビニール袋が置かれた。顔を上げると、マーヤちゃんが立っていた。
 
 
「メグくん、やっほー」
 
 
 暢気な声に、妙に慰められる。曖昧に笑い返すと、マーヤちゃんは当たり前のように前の席へと腰を下ろした。ビニール袋をずいっと目の前に差し出される。
 
 
「あのね、これ、いっぱい仕入れすぎて売れ残っちゃったの。だからね、おすそわけ。メグくんが行ってるお家の庭に植えてあげてー」
 
 
 ビニール袋の中を覗き込むと、白地にピンクが散った花が見えた。ビニールの鉢植えの隅っこには、ベゴニアとかかれたプラスチック製の吹き出しが刺されている。
 
 可愛らしい花を見た瞬間、胸の奥から悲哀とも後悔ともつかぬ感情が込み上げてきた。もう花を植える場所はどこにもない。声が震えそうになるのを堪えて、普段通りの口調で返す。
 
 
「ありがとう。わざわざ持ってきてくれて」
「いいよぅ。捨てるのは可哀想だしね」
 
 
 花に対して『可哀想』と口に出すマーヤちゃんの精神が好ましかった。無理矢理笑みを浮かべると、マーヤちゃんはほんの少しだけ眉尻を下げて首を傾げた。
 
 
「メグくん、元気ないね。もしかして、まだ“られ”てんの?」
 
 
 まだイジメられてるのか、と声を潜めて訊ねられる。俺は、緩く首を振った。
 
 
「いや、あれから何もされてない。そういうマーヤちゃんこそ、俺に話しかけて大丈夫?」
「へーきへーき。あたしも、あのグループ抜けちゃったから」
 
 
 平然とした口調で言い放たれた爆弾発言に、思わず目を剥いた。唖然としている俺を置き去りにして、マーヤちゃんは指先で髪の毛先をいじりながら言葉を続ける。
 
 
「サナがね、またメグくんの机に置くから菊の花ちょうだいって言ってきたの。だから、机の上に四つん這いになって、あんたの尻の穴でもおっぴろげればいいじゃんって言っちゃったんだよね。それで大ゲンカ」
 
 
 マーヤちゃんの口からあられもない言葉が出てきた事に、また度肝を抜かれる。あんぐりと口を開いてから、俺は弱々しい声を上げた。
 
 
「なんか……俺のせいでごめん…」
「いいんだよー。あたしも、あのグループにいたいってわけじゃなかったし。オージも最近変だし」
「変?」
「前までは、多少無神経でも細かいことは気にしないって感じだったのに、今はすっごくピリピリしてる。メグくんと一言でも口聞いたらただじゃおかないからな、とか学校中の人に言ってるみたいだし」
 
 
 学校中の人、という単語に、一瞬ぞわっと背筋に寒気が走った。予期せぬ憎悪に触れて、指先がピリピリと痺れるような感覚。
 
 
「そのくせ、メグくんと同じようにグループを抜けたあたしに対しては完全にどうでもいいって感じ。メグくん、オージになんかしたのぉ?」
「……ドタキャン以外に何かした覚えないんだけど…」
 
 
 額を掌で押さえながら呟く。なぜ自分に対して、オウジの執心が向けられているのか理解できない。格下だと思っていた相手に砂を掛けられたのがそんなにも腹立たしかったのだろうか。
 
 緩くため息をついた時、ふと思い出した。どうして今日まで忘れていたのだろう。そういえば、ここ一週間タケルの姿を見ていない。
 
 
「そういえば、タケルは? あいつもオージに何かされたりしてないか?」
 
 
 急くような俺の問い掛けに、マーヤちゃんはきょとんと目を丸くした。暫く考え込むように首を真横に傾けた後、マーヤちゃんがぽつんと呟く。
 
 
「タケルってだれぇ?」
 
 
 一瞬、マーヤちゃんが冗談を言っているのかと思って笑おうとした。だが、マーヤちゃんの不思議そうな顔を見た瞬間、笑いが凍り付いた。唇を曖昧に引き攣らせて、嘘だろ、と小さく呟く。
 
 
「タケル、だよ。俺たちと同じグループにいたやつ。アホっぽい喋り方で、舌にピアスしてる…」
「えー、覚えてないなぁ。あたしがグループに入る前の人? そのタケルくんの名字はぁ?」
 
 
 マーヤちゃんの質問に答えようと口を開いた。だが、そこで再び唇が動かなくなった。そういえば、俺はタケルの名字を知らない。ど忘れとかではなく、そもそも記憶にないのだ。そんなことはあり得ないのに。タケルは、俺の小学校からの悪友の筈なのだから。
 
 震えそうになる手で携帯を取り出す。携帯のライングループを開いても、メンバーの中にタケルはいなかった。やり取りをしていたトーク画面すら消えている。
 
 携帯を凝視したまま硬直した俺を見て、マーヤちゃんが心配そうに眉尻を下げている。
 
 
「メグくん、だいじょうぶ?」
 
 
 大丈夫、じゃない。自分の意志とは関係なく、冷汗が額から滲み出ているのを感じた。なぜ、どうして、という言葉がぐるぐると頭の中で回る。確かにマーヤちゃんとタケルは会っている筈だ。一緒にカラオケに行って遊んでもいた。ラインだって数日に一回は確実に送り合っていた。タケルは確かにこの世界に存在していたはずなのに、突然世界からすっぽりと消えてしまうなんて有り得ない。
 
 
「ご、ごめん、俺…」
 
 
 縺れそうになる舌でそれだけを漏らして、立ち上がる。そのまま、覚束ない足取りで教室から出ていった。マーヤちゃんは一瞬不安げに俺を見つめたが、結局何も言わなかった。
 
 同学年の教室を一つ一つ回って、タケルという名前の生徒がいないかを確認する。だが、訪ねても、不審な目で見られるか、全然顔の違うタケルという名前の生徒を指されるだけだった。結局、全教室を回っても、俺の知るタケルは見つからなかった。
 
 ふらふらと歩きながら、タケルについて必死に記憶を探ろうとする。どこに住んでいるのか、家族構成は、中学校や小学校の時にどんな生徒だったか。だが、どれだけ思い出そうとしても、欠片の記憶も蘇ってはこないのだ。
 
 俺は一体どうしてしまったのだろう。とうとう頭までおかしくなったのだろうか。頭を掻き毟って喚きそうになった時、思い付いた。小学校か中学校の卒業文集を見れば、タケルの写真が残っているはずだと。そう思った瞬間、身体が勝手に動いていた。昼休憩の終了のチャイムが聞こえるが、構わず階段を降りていく。
 
 
「おい、早く教室に入れ」
 
 
 廊下を歩いている途中、教師から声を掛けられた。
 
 
「はい、すいません」
 
 
 おざなりに返事を返しながら、下駄箱へと向かって進んでいく。そのまま、靴を履き替えて校門から出ていく。今すぐにでも家に帰って、タケルの存在を確認しないと、自分の頭が本当におかしくなる気がした。
 
 早足で自宅へと向かって歩いていく。その間に携帯が何度か震えたが、確認するだけの余裕もなかった。
 
 
 歩き出して暫く経った頃に、背後から足音がついてきているのに気が付いた。振り返った瞬間、ぎょっとした。数メートル離れた先に、オウジが立っている。
 
 
「お、オウジ?」
 
 
 強張った声で呼ぶと、オウジはふっと視線を俺へと向けた。どこかぼんやりとした眼差しで俺を見つめて、それから不意に蕩けるような笑みを浮かべる。
 
 
「メグルくーん、お前、学校サボッてどこ行くんだよー」
 
 
 いつものオウジらしい、少し気怠げでチャラけた口調だ。だが、その笑みはどこか崩れている。笑っているのに、目の奥は暗い。
 
 無意識に数歩後ずさりながら、機嫌を損ねないように朗らかな声で返す。
 
 
「い、家に帰るんだ。あんま体調よくなくてさ」
 
 
 空笑いを漏らしながら、嘘を言う。
 
 
「へぇ、調子悪いのか。なら、俺が家まで送ってやるよ」
 
 
 オウジがずかずかとした足取りで近付いてくる。咄嗟に駆け出しそうになるのを堪えて、俺は首を大きく左右に振った。
 
 
「いっ、いいよ、そんな気ぃ使ってくんなくても。ちょっと、気分悪いだけだからさ」
 
 
 へらへらと笑いながら、牽制するように両掌をオウジへと向ける。オウジは一旦足を止めて、俺を凝視した。笑みは消えて、能面のような無表情が俺を見ている。
 
 
「本当か?」
「あぁ、本当に、大丈夫だか…」
「うそつき。お前、あの化け物のところに行くんだろう」
 
 
 え、と問い返すことは出来なかった。オウジが軽やかに地面を蹴り飛ばす。オウジの身体がドンッと音を立てて俺にぶつかった瞬間、下腹から血の気がすぅっと落ちていくのを感じた。冷たいような感覚の直後、ぼたぼたっとアスファルトに液体が落ちる音が聞こえる。真下を見下ろすと、下腹に突き刺さった銀色の刃が見えた。
 
 
「な、ん…」
 
 
 何だこれ、と口にする前に、猛烈な痛みが全身を貫いた。膝から力が抜けて、地面に倒れる。血を垂れ流す下腹を両手で押さえて、突き刺すような痛みに悶える。腹に刺さっているのは、折り畳み式のナイフのようだった。
 
 
「貴方は、いつも嘘ばかりつくのね」
 
 
 誰の声だろうか。視線を持ち上げると、冷え冷えとした眼差しで俺を見下ろすオウジの姿が見えた。だが、それはオウジの声ではない。まるで粘着質な女のような捻れた声だ。
 
 
「行かないで、と恥を捨てて願ったのに、貴方は化け物のもとへ行ってしまった。今回もおなじなのでしょう? 何度殺しても、何度生まれ変わっても、貴方は私を捨てて、化け物を選び続ける。なんて哀れで、なんて酷い人生」
 
 
 吐き捨てて、オウジの顔をした女がくすくすと声を潜めて嗤う。アスファルトの上に、黒々とした血の海が広がっていく。女は血溜まりを踏み付けて、ぐっと俺の顔を覗き込んできた。
 
 
「私を思い出しても下さらないのですね、旦那様」
 
 
 旦那様と呼ばれた瞬間、不意に長く艶やかな黒髪が頬を撫でた気がした。俺は、黒髪の女を知っている。でも、知っている筈なのに、それが誰なのか思い出すことはできない。
 
 かすれた呼吸を吐き出しながら、視線だけで女を見上げる。女は、俺を見下ろしたまま、カクリと人形のように首を傾げて笑った。
 
 
「次は何に生まれ変わるのかしら」
 
 
 その言葉の意味を考えるよりも先に、重力に吸い取られるように意識が落ちていった。
 
 

backtopnext

Published in 先生と化物のものがたり

Top