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12 男子高校生と化物の恋バナ

 
 長い長い眠りから目が覚めると、ゲジゲジになっていた。
 
 細く節張った三十本の手足を動かして地面を這いずる。虫になったせいか、思考が上手く働かない。考えられるのは、腹が減った、という単純な欲求だけだ。
 
 目に入った蛾やゴキブリに襲いかかって、我を忘れて貪り食う。歯の間で蛾の羽がパリパリと割れる音をたてるのが楽しかった。
 
 何年も本能のままに生き続けた。だが、ふとした瞬間に郷愁にも似た寂しさが襲ってきた。帰りたい、帰りたい、と私の中の何かが声を嗄らして叫ぶ。だが、私の小さな脳味噌では、その帰りたい場所すら思い出せないのだ。
 
 
 ある日、小さな子供たちが私の前にしゃがみ込んだ。私は子供たちに悪戯に四肢を千切られるのでは、と危惧し、身を竦ませた。だが、子供たちは、ただキラキラとした目で私を見下ろしてこう言った。
 
 
「父さま、やっと見つけました」
「一緒に母さまのところに帰りましょう」
 
 
 その瞬間、私はようやく自分がどこに帰りたがっていたのかが解った。
 
 嗚呼、一緒に帰ろう。私たちの家へ。愛しいチカテルのもとへ。
 
 子供たちへと三十本の手足を伸ばした時、激しい蹄の音が聞こえた。猛烈な勢いで馬車が迫ってくる。回転する車輪がグシャッと音を立てて私の身体を踏み潰し、真っ二つに引き裂く。子供たちの悲痛な叫び声の後ろから、嘲笑うような馬の高い嘶きが聞こえた。
 
 
 
 
 
 
 それから、何度も私は生まれ変わった。ネズミになり、ウミウシに生まれ、魚として大海を泳ぎ、そうして何度も何度も死んでいく。蛇は嗤いながら私を呑み込み、高波の向こうから鯨の楽しげな潮吹きの音が聞こえ、漁師の幼い娘は私の身体に嬉しそうに箸を突き刺した。
 
 何度生まれ直しても、私が帰りたい場所へと辿り着くことはない。私は、それが何故なのか解っていた。これはきっと私に与えられた罰なんだろうと。私は自分の幸福のために多くの人を犠牲にした。祖母や兄や妹を殺し、婚約者を無惨に捨てた。そして、愛しいチカテルと子供たちですら置き去りにしてしまった。もしも神がいるのなら、私の身勝手さを許すことはないだろう。
 
 
「ほんま、そうやで」
 
 
 微睡みと微睡みの狭間にたゆたっていると、ふと声が聞こえた。真っ暗な空間に、誰かが立っている。私には、それが男なのか女なのかすら判別できなかった。ただ何かの形をした誰かがいることしか認識できない。
 
 
「言うとくが、これは全部お前の自業自得やで。お前自身の業がまねいたことや」
 
 
 言葉の合間に、バリバリと何かを噛み砕く音が聞こえた。煎餅の食べカスが私の傍まで飛び散ってくる。私は足下に落ちた煎餅のカスを見下ろしながら、はい、と殊勝に答えた。
 
 
「お前はこれからも何回も何十回も何百回も殺され続ける。それがお前の償いや」
 
 
 はい、と私は繰り返した。誰かは私の顔をじっと見つめると、少しだけ困ったように首を横に傾けた。
 
 
「お前は本気で化け物を愛しとったんか?」
 
 
 私は迷わず、はい、と答えた。誰かはますます困ったように首をググッと傾ける。
 
 
「全然わけがわからん。あれは俺が拵えたもんの中で、一等醜いもんやで」
 
 
 醜くても、彼は誰よりも美しいのです。そう囁くように漏らす。
 
 
「やっぱり、ちっとも意味がわからん。醜いのに美しい? 言葉が矛盾しとるわ」
 
 
 誰かが呆れたように呟く。私は少しだけ笑った。笑ったのは本当に久しぶりな気がした。
 
 解らなくていいのです。私は、彼の可愛さを誰にも解られたくない。私だけが知っていればいいのです。
 
 
「お前は頭がおかしいんか?」
 
 
 そうかもしれません、と私は笑って答えた。私の返答に、誰かは一瞬黙った直後、大きく噴き出した。げらげらと遠慮のない笑い声が聞こえる。
 
 
「なかなか思い通りにいかんもんやのぉ。世界を正常に動かそう思うても、お前みたいな異分子が出てきて、醜いもんを美しい言うたりする。世界の理を完全に無視しとる」
 
 
 世界の理なんて知ったことではありません、と私は返した。誰かは更に笑い声を大きくして、ごろごろと空間を四方八方に転がり回った。ひーひーと笑いすぎて呼吸困難に陥ったみたいな音が聞こえる。
 
 
「あー、久々におもろいわぁ」
 
 
 誰かは目に滲んだ涙を指先で拭いながら、それでも名残のようにフヒヒと密やかな笑い声を漏らした。私の顔をにやにやと眺めたまま、誰かが言う。
 
 
「お前はこれからも死に続ける」
 
 
 私は、こくりと静かに頷いた。
 
 
「やけど、お前が人間に生まれ直す時が来たら、あの化け物に会わせたる」
 
 
 本当ですか? と私は身を乗り出した。
 
 
「ほんまや。生まれ直したお前がそれでも化け物を求めるんなら、俺もええ加減認めたる」
 
 
 何を認めるのですか? と問い掛けると、誰かはニヤリと笑みを浮かべた。だが、誰かはそれ以上は何も答えてはくれなかった。
 
 
「ほな、もう行き。お前を待っとるで」
 
 
 そう言うと、誰かは呆気なく背を向けて寝転がった。煎餅を持った片手が軽く振られる。その瞬間、まるで流れ星のように物凄い勢いで身体が流されていくのを感じた。身体が溶けて、幾万の流れ星の一つになっていく。
 
 遠くから煎餅を噛み砕く音が聞こえる。その音が聞こえなくなった頃、パチリと目が覚めた。
 
 
 
***
 
 
 
「父さま、死なないで下さい」
「父さま、大丈夫です。こんな傷、すぐに治りますから」
 
 
 身体の下から、ぐずぐずと鼻を啜るような音が聞こえる。俺の可愛い子供たちの声だ。目を開くと、朱色に染まった空が見えた。これは夕焼けなのだろうか。それとも眼球に血が逆流しているせいなのだろうか。
 
 ぱちぱちと数度瞬いて、首を真下へとねじ曲げた。歩いてもいないのに、地面が動いている。上半身と下半身を何かに持ち上げられて運ばれているようだった。身体の下で、赤黒い何かの塊が二つ蠢いている。
 
 
「すぐに母さまのところにお連れします」
「母さまなら、父さまの傷をたちどころに治してくれます」
 
 
 赤黒い塊がしゃくりあげながら声を漏らす。それが子供たちの本来の姿なんだと解った。それなのに、恐怖も嫌悪も湧いて来ない。ただ、当たり前のように愛おしさだけがあった。
 
 
「よ、るくも…ひるくも…」
 
 
 囁くように漏らした瞬間、こぷりと唇から血が溢れ出した。口角を伝って、血が子供たちの身体へと滴り落ちる。
 
 
「あぁ、父さま」
「どうか、どうか今は喋らないで下さい」
 
 
 懇願する声が聞こえる。喋りたくても、血が咽喉に逆流して喋るに喋れなくなっていた。かふかふと堰込む度に、腹に空いた穴から血が溢れ出す。まだナイフは突き刺さったままだった。
 
 
「父さま、ごめんなさい。僕らがもっとちゃんと父さまを見守っていれば良かったんです」
「何度も何度も、僕らの目の前で亡くなられてたのを知っていたのに」
 
 
 後悔にまみれた双子の声に、違うんだと首を振ろうとする。お前たちのせいじゃないんだ、と。だが、もう指先一本すら動かない。
 
 頭上を見詰めると、朱色の空が猛烈な勢いで流れていくのが視界に映った。こんな時なのに、酷く美しい空だと思った。
 
 

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Published in 先生と化物のものがたり

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