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13 男子高校生と化物の恋バナ

 
 長屋へと辿り着くと、双子は「母さま、母さま」と叫びながら、俺の身体を和室へと運んだ。襖の奥へと向かって、双子が声を張り上げる。
 
 
「母さま、助けてください!」
「母さま、父さまが死んでしまいます!」
 
 
 襖の奥から身じろぐ音が聞こえた。
 
 
『…どぉしたんだ…なにが、あったの…』
「父さまが刺されたのです!」
「母さまお願いです! お願いです、父さまを治して下さい!」
 
 
 双子が咽喉を嗄らす勢いで叫ぶ。僅かな沈黙の後、何かを諦めたようなか細い声が聞こえてきた。
 
 
『…なかに、つれておぃで…』
 
 
 双子によって襖が大きく開かれる。朱色の視界に映ったのは、あの夜見た化け物の姿だった。何百何千もの目が悲しげに俺を見つめている。その瞬間、恐怖に身体が引き攣ったように跳ねた。だが、その恐怖の奥から、じわりと温もりにも似た恋しさが沸き上がってくる。
 
 死体の横に、仰向けに寝かされる。チカさんはずるずると俺の横へと這いずって来ると、双子へと言った。
 
 
『…おまえたちは…そとに、でてなさい…』
 
 
 双子が不安げな表情を残したまま、部屋から退いていく。双子の姿が消えると、チカさんは、そっと俺を見下ろした。チカさんと目が合った瞬間、どうしてだか目尻から涙が零れた。チカさんを見つめたまま、ぽろぽろと涙が溢れ出す。
 
 
『…こわぃなら、目ぇとじてて…』
 
 
 そう囁かれても、目を閉じなかった。もしもこのまま死んでしまうのなら、最後に見るのはチカさんの姿がいい。
 
 チカさんの赤黒い身体から、ずるりと手のような触手が出てくる。蠢く触手が俺の下腹へと這わされると、微かに沸騰するような感覚が体内から沸き上がってきた。
 
 下腹に埋まっていたナイフがじわじわと抜け出ていくのと同時に、細胞一本一本が熱を持ちながら繋がっていく。傷が塞がっていくと共に、咽喉に溜まっていた血反吐がごぶっごぶっと咳とともに口から溢れ出した。部屋いっぱいに、血生臭い臭いが広がる。
 
 ぽとりとナイフが畳の上に落ちた瞬間、肺いっぱいに空気が入ってきた。急激な酸素に噎せながら、無我夢中で腕を伸ばす。下腹に添えられていた手を掴んだ瞬間、チカさんは怯んだように身を竦ませた。
 
 
「ち、ちかさん」
『は、はなして…』
「チカさん、ごめんなさい」
 
 
 また、情けなく涙が出てくる。顔を涙でぐしゃぐしゃにしたまま言葉を続ける。
 
 
「あのとき、怒鳴ってごめんなさい。逃げて、ごめんなさい」
 
 
 舌を縺れさせるながら言う俺を見て、チカさんは何百何千もの目を大きく見開いた。
 
 
『……おれ、おこってなぃよ。へいきだよ』
 
 
 いたいけな言葉に、また目が潤む。ぐずぐずと鼻を鳴らしたまま、チカさんの手を両手で包み込んだ。その両手が惨めに震える。震えるくせに一向に離そうとはしない俺の手に戸惑ったように、チカさんが身じろぐ。
 
 
『…めぐるさん…』
「チカさん、すきです…」
 
 
 唇から滑り出るように、その言葉は零れた。チカさんの身体が硬直するのが判る。
 
 顔を上げて、チカさんを真っ直ぐ見つめる。赤黒い泥か蛞蝓のような塊、身体に幾筋も走る脈打つ血管の筋、何百何千もの眼球。どこからどう見ても醜く、おぞましい化け物の姿だ。だが、その何千もの瞳は涙で潤み、宝石のようにキラキラと輝いている。それを美しいと思う。心の底から愛おしいと、自分だけのものにしたいと望んでしまう。
 
 
『…お、おれは、ばけものだ…』
「化け物でも、好きなんです」
 
 
 どうしてだろう、同じやり取りを何処かでしたような気がした。掻き口説くように言葉を連ねる。唇が震えて、声が掠れるのが苦しい。それでも言わなくては、と思った。
 
 
「…自分が本当に、あなたの好きな男の生まれ変わりかどうかは判らないです…。でも俺は、チカさんが本気で好きです。怖い、けど、好きなんです。好きでたまらない……」
 
 
 なんて格好悪い告白なんだ。怖いけど好き、なんて言葉が矛盾している。両手で掴んだチカさんの手がぶるぶると小刻みに震えていた。けど、離せない。死んでも離したくない。
 
 
『なんで……せ、せっかく、人として、しあわせな人生をおくれるのに……なんで、そんなこと言うんだよぉ…』
 
 
 詰るように吐き捨てられる言葉に、俺は首を左右に振った。
 
 
「俺の幸せは、チカさんと子供たちと一緒にいることです」
 
 
 今度は、チカさんが頭を左右に打ち振った。何百何千の目がぽろぽろと涙を落としている。
 
 
『ちがぅ…そんなん、ちがう…』
「いいえ、違わないです」
 
 
 否定を返すと、チカさんは殆ど打ちひしがれたように震えた。そうして限界を迎えたように、わぁ、っと声をあげて泣きじゃくった。大きな身体を小さく丸めて、祈るように繰り返している。
 
 
『……ただ、しあわせに、なってほしぃ、だけなんだよぉ…』
 
 
 その声が聞こえた瞬間、かわいそうだな、と思った。目の前のチカさんが酷く可哀想で仕方なくて、可愛くて愛しくて堪らない。
 
 小さくなった身体を両腕でそっと抱き締める。その瞬間、ぐちゃりとドブ沼に両腕を突っ込んだような不快な感触が走った。それでも、目の前の可愛そうな化け物を離したくない。
 
 
「幸せになります。頑張って、長生きもします。チカさんと子供たちも幸せにします。幸せになりたいし、幸せにしたいんです」
 
 
 拙い言葉に頬が熱くなる。こういう時に、もっと上手い言葉が言えたら。世界中の人に認めてもらえるような素晴らしい言葉が言えたら、チカさんはすんなり頷いてくれたんだろうか。
 
 
「チカさんは…俺のことが嫌いですか…?」
 
 
 か細い声で問い掛けると、チカさんはようやく丸まっていた身体を起こして、俺を見つめた。だが、何も言わない。ただ、黙ったまま、涙で潤んだ何百何千もの瞳で俺を見つめるだけだ。
 
 言葉を紡ごうと唇を開きかけた時、けたたましい音を立てて携帯が着信音を響かせた。ポケットに入ったままだった携帯を取り出すと、画面にマーヤちゃんの名前が表示されていた。
 
 
『……でた、ほうがいぃよ…』
 
 
 話を逸らそうとしているのか、チカさんは酷く素っ気ない口調でそう漏らした。歯痒い感覚に襲われながらも、仕方なく電話に出る。
 
 
「はい、もしも――」
『メグくん、なんで出ないの!? なんっかいも電話したんだよ!』
 
 
 言葉を叩き切って、マーヤちゃんが畳み掛けるように言い放つ。その切迫した声音に、戸惑いが深まる。
 
 
「ごめん、色々あって…」
『ねぇ、今どこにいるの!? あのお庭の家!?』
「そう、だけど」
 
 
 息を呑む音が電話越しでも聞こえた。直後、マーヤちゃんの金切り声が響いた。
 
 
『はやく逃げて! オージがそこに行くから!』
 
 
 聞こえた名前に、ぞわりと皮膚が隆起するのを感じた。突き刺された下腹が痛みを思い出したかのように、僅かに疼く。
 
 
「お、オウジが? なんで?」
『ごめん、ごめんねぇ…。お昼休みのとき、あたしたちの話が聞かれてたみたいで、メグくんが教室出てった後に、オージにメグくんが行ってるお家の場所を教えろって言われたの。断ったら、ナイフ突き付けられて…』
 
 
 電話越しにマーヤちゃんの声が震えているのが解る。マーヤちゃんを責めることはできなかった。きっと教えなかったら、オウジは本当にマーヤちゃんを刺していただろう。俺のときと同じように。
 
 マーヤちゃんが殆ど泣き声みたいな声をあげる。
 
 
『あいつ、おかしいよぉ。頭どうかしちゃってる。オージじゃないみたい…』
「オウジじゃないんだよ」
 
 
 ぽつりと零した言葉は、確信じみていた。あれはオウジじゃない。オウジじゃない違う誰かだ。
 
 
『おねがい、はやく逃げ――』
「父さま、母さま、家から出てください!」
 
 
 マーヤちゃんの声を遮るように、劈くような声が響く。双子の声だ。
 
 

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Published in 先生と化物のものがたり

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