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14 男子高校生と化物の恋バナ

 
 声の直後に、ドタドタとこちらへと近付いてくる足音も聞こえた。人の姿をした双子は転がるようにして和室に入ってくると、無我夢中な様子で俺の腕を掴んだ。掴まれた拍子に、携帯が畳の上へと転がり落ちる。
 
 
「ど、どうした」
 
 
 そう口に出した瞬間、開かれた襖の先から灰色の煙が潜り込んでくるのに気付いた。血の臭いが満ちていた部屋に、木材が焼ける臭いが広がっていく。
 
 
「家屋に火がつけられました」
「玄関や縁側にガソリンが撒かれていて、逃げ道を塞がれています。一番奥の物置部屋の窓からなら、まだ外に出られます。どうか急いで下さい」
 
 
 ガソリンという一言で、これはオウジの仕業だと判った。家に火を付けるなんて、本当に気が狂ってる。だが、今は震えているだけの余裕はなかった。
 
 チカさんへと向かって手を伸ばして、口早に言う。
 
 
「チカさん、行きましょう」
 
 
 チカさんは、差し出された俺の手を戸惑ったように見つめた。その視線が揺らいで、畳の上に横たわる死体を垣間見る。その瞬間、何も聞かずともチカさんの気持ちが解った。下唇を噛み締めてから、双子へと言い放つ。
 
 
「お前たちは、先に行ってろ」
「でも、父さま」
「すぐに追いかけるから。ちゃんと外に出れるか確かめておいてくれ」
 
 
 そう言い聞かせるように言うと、双子は不安げながらも小さく頷いた。双子が駆けていく姿を見てから、急いで死体の前にしゃがみ込んだ。死体の細い両腕を掴むと、チカさんが悲鳴のような声をあげた。
 
 
『め、めぐるさん…!』
「先生を連れて行かないと、逃げてくれないでしょう」
 
 
 確信めいた声で言い放つと、チカさんは悲しげに目を伏せた。
 
 
『おれが、せんせぃをつれてぃくから、めぐるさんは、さきににげて…』
「イヤです。俺はチカさんと一緒じゃなきゃ絶対に逃げない」
 
 
 まるで子供のような駄々を漏らす。このまま置いていったら、チカさんは先生と一緒に焼けることを選ぶ気がした。そんなのは絶対に許せない。唸るように吐き捨てると、チカさんは目を潤ませた。
 
 その辛そうな瞳を二度見ないうちに死体を背負った。死体はビックリするぐらい軽かった。それが無性に苦しくて、切なかった。こんな空っぽな死体を愛するなんて馬鹿げてる。中身なんて何一つとして残ってないじゃないか。
 
 骨と皮の死体を背負ったまま部屋を出て、小走りに駆ける。その後ろをずるずると湿った音を立てながら、チカさんがついてくるのが解った。
 
 廊下に出た瞬間、上半身が煙に覆われた。玄関の方へと視線を向けると、白いもやの向こうでオレンジ色の炎が揺れているのが僅かに見える。煙が目に滲みて、視界が白くぼやけた。片腕で口元を押さえて、呼吸を止めて走り続ける。
 
 
『めぐるさん、つきあたりの、へや』
 
 
 チカさんの声が聞こえるが、視界が消えて、もうどの部屋なのかも解らない。目の前は真っ白で、まるで白い悪夢の中を走っているような気すらした。足下が揺れた瞬間、上着を掴まれた。ぐいぐいと引っ張られるままに、覚束なく足を進める。
 
 
『こっち、きて。だいじょぶだよ、だいじょぶだからね。くるしぃけど、すこしだけがまんして』
 
 
 白いもやの先から、宥めるような声が聞こえる。その瞬間、こんな状況なのにも関わらず全身が安堵に包まれた。これはいつの記憶だろう。暗闇の中で、この声に何度も大丈夫と言い聞かされたような気がする。
 
 煙が充満した廊下を抜けて、物置部屋へと辿り着く。物置部屋は、廊下に比べるとまだ煙が薄い。
 
 部屋に入った瞬間、眩暈が起こって膝が折れた。床に残った僅かな酸素を吸って、大きく噎せる。酸素不足のせいか、まるでハンマーでコメカミを殴られたかのように脳味噌がガンガンと痛んだ。
 
 
『はやく、こっち』
 
 
 チカさんの声に顔を上げると、大きく開け放たれた窓が見えた。立ち上がろうとした瞬間、ぐらりと床が揺れた。遠くから木が割れる轟音が響く。
 
 
『めぐるさんっ…!』
 
 
 チカさんの悲鳴が聞こえた。一瞬、意識が遠くなっていた。目を数度しばたかせて、緩慢に周囲を見渡す。天井が斜めに傾いていた。先ほどの音は、柱が折れた音だろうか。天井が落ちた拍子に、物置部屋に置かれていた本棚が倒れたようだった。本棚は、うつ伏せに倒れた俺の両足を押し潰している。
 
 
「あ…」
 
 
 咽喉から押し出されるようにして声が漏れる。痛みは感じなかった。意識が朦朧として、痛覚が脳味噌まで届かない。
 
 
『めぐるさん、うあ、ぁ、めぐるさん』
 
 
 逡巡するようなチカさんの声。虚ろな視線を向けると、チカさんの傍らに死体が倒れているのが見えた。どうやら俺が倒れた拍子に転がっていったらしい。死体のくせに随分と図々しいな、と思うと、馬鹿馬鹿しくて笑えた。
 
 物置部屋に煙がどんどん満ちていく。ガサガサになった咽喉を動かして、必死に声を漏らす。
 
 
「行、って」
 
 
 俺の言葉に、チカさんが全身を大きく震わせた。信じられないものでも見るように、何百何千の目が俺を凝視している。
 
 
「はや、く、行っ…で」
 
 
 その瞬間は、チカさんが先生と一緒に行ってもいいと思った。俺を置いて、死体と一緒に逃げていい。それで、チカさんが助かるなら。
 
 視界が消え、酸欠な脳味噌から意識が遠ざかっていく。ブラックアウトしかけた瞬間、ぐにょりと柔らかい何かが口元を覆うのを感じた。
 
 
『めぐるさん、いき、すって』
 
 
 促されるままに、大きく息を吸い込む。同時に、澄み切った空気が肺を満たすのを感じた。
 
 
『だいじょぶだよ。おれが、いたぃの、ぜんぶ、なおすから』
 
 
 囁きかける声と共に、体内に溜まっていた毒素をすべて吸い上げられていくような感覚があった。深呼吸を繰り返すうちに、意識がはっきりとしていく。薄っすらと目を開くと、チカさんが俺の隣にいた。
 
 
『あし、すこしひっぱるけど、いたくなぃからね。おれが、ちゃんといたいの吸ぃとるから、へぃきだよ』
 
 
 言い聞かせる声に、こくりと頷く。チカさんが俺の両腕を掴んで、ぐいっと引っ張った。本棚の下から、両足が引き抜かれる。その拍子に左足が変な方向へと折れ曲がったが、痛みは全く感じなかった。曲がった左足へとチカさんが素早く手を伸ばす。手で一撫でされただけで、足は正常な形へと戻った。
 
 チカさんに引っ張り上げられるようにして立ち上がる。よろめいていると、片腕をチカさんに掴まれた。
 
 
『めぐるさん、行こお』
 
 
 物置部屋も既に煙が充満して、火の手は直ぐ傍まで迫っていた。窓枠へと手を掛けた瞬間、思い出した。
 
 
「チカさん、先生は…」
 
 
 先生の死体は床に仰向けに倒れたままだ。
 
 
『いいんだ』
「でも…」
『おれ、ずっと、わかってた』
 
 
 チカさんは自分自身に語り掛けるように呟いた。一瞬、苦しくなるぐらい幼い声だった。
 
 
『せんせいは、死んじゃったんだよ』
 
 
 先生の死を再認識するように言う。魂のない死体は、既に先生ではない。そう解っていながらも、何百年も空っぽな死体に縋らずにはいられなかったチカさんが悲しかった。
 
 チカさんは先生の死体をじっと見つめた後、小さな声で言った。
 
 
『せんせえ、だいすき……ばいばい』
 
 
 魂のない死体と決別するように呟いて、チカさんは先生の死体から視線を逸らした。ぐいっと背中を押される。
 
 
『はやく、でて!』
 
 
 その声に窓枠へと足を掛けて、庭へと飛び出す。膝に力が入らず、着地と同時に身体が地面を転がった。既に夜になっているが、炎のせいで辺りは煌々と照らされている。庭に植えられている色とりどりの花は、炎のせいで全てが赤色に染まって見えた。
 
 大きく咳き込んでると、続いて窓から出てきたチカさんが寄ってきた。
 
 
『めぐるさん、くるしぃの、なぉすから……』
「どうして、まだ生きてるの?」
 
 
 チカさんが俺に手を伸ばした瞬間、聞き覚えのある声が届いた。ハッと顔をあげる。見えたのは、片手に鉈を握りしめたオウジの姿だった。その傍らに倒れている二つの身体を見て、俺は目を見開いた。
 
 
「よるくも…ひるくも…!」
 
 
 オウジの足元に、血塗れになったよるくもとひるくもが倒れていた。大きく切り裂かれた上半身から血がドクドクと溢れている。
 
 
『あ、あ゛ぁあっ! こどもたち…!』
 
 
 悲痛な叫び声を上げて、チカさんが双子へと近付こうとする。だが、オウジは躊躇いもなく鉈の先端をチカさんへと向けた。チカさんの身体がギクリと強張る。
 
 オウジは鉈の先端をゆらゆらと上下に揺らしたまま、チカさんを凝視していた。
 
 
「化け物、ね」
 
 
 独り言のようなオウジの言葉に、チカさんの身体が小さく跳ねる。オウジは無遠慮な眼差しでチカさんを眺めた後、ふーっと大きなため息を漏らした。
 
 
「あー…何なんのよこれ。本当にただの化け物じゃない。人の形をしてるわけでもない、美しくも愛らしくもない。ただの醜くて汚らしい肥溜めの固まりじゃない。私はこんなものと比べられて負けたってことか。……巫山戯るなよ。巫山戯んな、巫山戯んな畜生ッ! こんな化け物なんかに!」
 
 
 まるで見えぬ憎悪がオウジの体内で爆発しているようだった。地団駄を踏んで喚き散らすと、オウジはギッと血走った眼差しをチカさんへと向けた。オウジが鉈を振り上げて、大きく一歩踏み出す。
 
 
「くたばれ化け物ッ!」
 
 
 叫び声が聞こえた瞬間、無意識に身体が動いていた。立ち上がり、チカさんへと向かっていくオウジの身体へと全力でタックルする。花の上に転がるようにして倒れたオウジの上へと圧し掛かって、無我夢中で鉈を握る腕を地面へと押さえ付けた。途端、木々が焼ける臭いに混じって、押し潰された花の香りが鼻腔に潜り込んでくる。
 
 
「ち、チカさん、子供たちを…!」
 
 
 俺の言葉よりも早く、チカさんは子供たちへと近付いていた。泣き出しそうな声で子供たちの名前を呼びながら、チカさんが子供たちの身体へと手を這わせ始める。
 
 俺の身体の下で、オウジの身体が跳ねる。オウジは射殺しそうな目で俺を睨み付けながら、獣のような咆哮をあげた。
 
 
「離せぇえッ!!」
「おっ、落ち着け! 落ち着いて、話を…!」
 
 
 全身の力を込めて、オウジの両腕を必死に縫い止めようとする。だが、元々の力の差があるのか、腕が地面の上でバタバタと暴れる。鉈が顔や腕を掠めそうになる度に、ひやりと胃が萎縮するような感覚が走った。
 
 オウジが目を剥いて、真上にある俺の顔を睨み付ける。炎に照らされて真紅にも見えるオウジの眼光にたじろいだ。
 
 
「話すだって!? 今更、一体何を話す! お前は私を裏切った! 私との婚姻の誓いを破って、あんな醜い化け物を選んだんだ!」
 
 
 オウジが一体何を言っているのか解らない。裏切ったって何のことだ。
 
 
「な、何を…言ってるんだよ…」
 
 
 困惑の声を漏らすと、途端オウジは嘲るように頬を歪めた。
 
 
「まだ思い出せないのですか? それとも思い出すつもりがないのですか? ご自分の罪悪を、醜悪たる悪業を……ねぇ、“先生”」
 
 
 真下から囁き掛けられる言葉に、咽喉が意図せず震える。自分が酷く恐ろしいことを忘れている気がした。だが、それを俺は思い出せない。
 
 家が燃える音がごうごうと唸り声のように聞こえる。激しい耳鳴りに、コメカミがヂリヂリと痺れるように痛んだ。両耳を塞ぎそうになった時、チカさんの声が聞こえた。
 
 
『なんにも、おもいださなくていぃんだ。おもいだすひつよう、なんてない。めぐるさんは、せんせいじゃない、んだから」
 
 
 チカさんは地面に横たわる双子へと両手を伸ばしたまま、真っ直ぐ視線をオウジへと向けている。
 
 
『めぐるさんは、おれたちの因縁とは、かんけぇない人です。わるいのは、おれだけ。うらむなら、おれをうらめばいい。おれが、あなたから、せんせぃを、うばったんだから』
 
 
 淡々としたチカさんの言葉に、オウジの顔が見る見るうちに歪んでいく。
 
 
「あぁ、そうだ! お前が奪ったんだ! 結婚式に置き去りにされて、どれだけ私が惨めだったか解るか! 村中の人間から哀れまれて、小馬鹿にされて、両親からも邪魔者扱いされて、結局四十も年上の男に投げ売られた! それでも『化け物以下の娘』と嘲られて…! 私が、こんなっ、こんな醜い化け物以下だなんて…!」
 
 
 オウジが頭を左右に振り乱しながら叫ぶ。その瞬間、乱れ狂う黒髪が見えた気がした。目を凝らそうと、ぱちぱちと数度瞬く。だが、視界は余計に歪んでいった。オウジの顔がぐにゃぐにゃと溶けて、まるで副笑いのように目や鼻の位置があべこべになっていく。
 
 
「お前たちの幸せの踏み台にされた私の気持ちが解るか! 悔しい悔しい許せない! 死んでも許せない! 何度殺したって許せない! 許してたまるか! これからもずっとずっと何千回でも何億回でも殺し続けてやる!」
 
 
 既にオウジは、オウジの姿をしていなかった。そこには、乱れた着物を着た黒髪の女がいた。美しい顔が般若のように歪んでいる。
 
 息を呑んだ瞬間、家が倒壊する音が聞こえた。火の粉をまき散らしながら、家が崩れ落ちて行く。その瞬間、轟音に気を取られて、手の力が緩んだ。
 
 一瞬の隙に、黒髪の女に肩を掴まれて、勢いに任せて身体を逆転させられる。気付いた時には、腹の上に鉈を振り上げた黒髪の女が乗っていた。
 
 
『めぐるさん!』
 
 
 チカさんの悲鳴が聞こえる。だが、黒髪の女から目を逸らすことができなかった。黒髪の女は、両目から涙を零しながら言った。
 
 
「私はずっと見ていたのよ。縁側に座る貴方の姿を。絵を描く貴方の指先を。村の人間は、貴方は化け物と交わって気が狂った男だと言ったけど、そんなの私には関係なかった。どうしようもないくらい貴方に恋い焦がれて、貴方の妻になる為にどうやったらいいのか、何を言えば貴方の気をひけるか、そればかり考えて……ようやくようやく願いが叶うはずだったのに…」
 
 
 黒髪の女の瞳から溢れ出す涙が俺の頬を濡らす。冷たい涙の感触に触れた瞬間、唇が勝手に動いた。
 
 
「すまない」
 
 
 これは誰の言葉だろう。
 
 
「すまなかった」
 
 
 淡く囁くような声に、黒髪の女の顔がくしゃくしゃに歪んでいく。だが、鉈は振り上げられたままだ。
 
 
「……悪いと思うなら、一緒に死んで下さい。私と一緒に死んで。お願い、お願いよ、死んでッ!」
 
 
 叫び声と共に、鉈が一気に振り下ろされる。ギラリと輝く鉈が顔面へとぶつかりそうになった時、どこかから聞き覚えのある声が届いた。
 
 

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Published in 先生と化物のものがたり

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