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15 男子高校生と化物の恋バナ

 
「もうええやろ」
 
 
 ぱちりと瞬くと、鉈は鼻先すれすれの位置で止まっていた。視線を滑らすと、鉈の背を摘んでいる人差し指と親指が見えた。それから、その真上にある顔も。
 
 
「タケル…?」
 
 
 鉈を止めているのはタケルだった。呆然としている俺を見下ろして、タケルがにやりと笑う。
 
 
「メーグー、チョー修羅場じゃん」
 
 
 いつも通りのチャラけた口調で言うタケルの姿に、全身から力が抜けそうになる。
 
 
「おっ、お前、なんで?」
 
 
 何でここにいるんだ。何でいなくなったんだ。何で、みんなお前のことを忘れているんだ。色んな疑問が混ざり合って、上手く言葉にならない。上擦った声をあげる俺を見て、タケルは、しーっ、と唇に人差し指を当てた。
 
 
「まぁ、しばらく黙っとき。先にこっち片付けるけぇ」
 
 
 その関西弁も一体何なんだ、と叫びそうになった。一体こいつは誰だろうか。タケルの顔をして、タケルの声で、タケルじゃない言葉を吐く。
 
 タケルは、鉈を摘んだ人差し指と親指をピッと上に上げた。途端、鉈が黒髪の女の手から引き剥がされる。黒髪の女は鉈を奪われたことに、恨みがましそうな目でタケルを睨み付けた。
 
 
「なぁ、もうええやろ」
 
 
 タケルはもう一度同じ言葉を繰り返した。黒髪の女が唸るように吐き捨てる。
 
 
「……何が、もういいですって?」
「もう十分やろうって言うとるんや。何百年も殺し続けたんや。ええ加減、恨みもチャラや」
 
 
 諭すようなタケルの言葉に、黒髪の女はカッと目を見開いた。怒りに噛み締められた奥歯がギリギリと軋んだ音を立てている。
 
 
「チャラ!? チャラなんかにはならない! 私の恨みはまだ晴れてないッ!」
「なら、何百年も殺し続けて、お前の恨みはどんだけ減ったんや。あと何回殺したら、こいつのことを許せるんや」
 
 
 淡々としたタケルの問い掛けに、黒髪の女は僅かにだけ怯んだように咽喉を詰まらせた。タケルはどこか醒めたような声で、言葉を続けた。
 
 
「あと何回殺そうが、お前はこいつを許せんで。ほんまはこいつのことを恨んどるんと違うからな」
 
 
 黒髪の女が怪訝な目をタケルへと向ける。タケルは黒髪の女をじっと見つめたまま呟いた。
 
 
「何億回殺しても、こいつはお前を選んではくれん」
 
 
 残酷な言葉だった。黒髪の女が小さく息を呑んで身動きを止める。
 
 
「それにな、お前の感情がお前自身の生まれ変わりの人生まで変えとる。オウジやって普通の人間やのに、お前に引きずられて性格までおかしくなってしもうとるやないか。こいつに執着する限り、お前自身も何回生まれ変わっても幸せになれん。ええ加減にこいつのことは忘れて、お前はお前で新しい人生を楽しめや」
 
 
 あっさりとしたタケルの物言いに、それまで黙っていた黒髪の女が唇を開く。
 
 
「…嫌よ」
「お前なぁ」
「嫌、嫌、嫌嫌嫌、絶対にイヤぁあ…」
 
 
 まるで駄々っこのように繰り返して、黒髪の女が両手で顔を覆う。その指先の隙間から、か細い恨み言が聞こえた。
 
 
「だって、ずるい。ずるいわ…。私だって愛していたのに、あんなに想ってたのに、どうして、私の方が諦めなくちゃいけないの。どうして、私より醜い化け物があの人に愛されるの……」
 
 
 ぽつぽつと水滴が滴る音が聞こえる。黒髪の女は涙を零しながら、掠れた声で続けた。
 
 
「新しい人生なんていらない。幸せになれなくてもいい。私はただ……選ばれたい……あの人のことを忘れたくない……」
 
 
 吐息のように漏らされた言葉に、どうしてだか酷い罪悪感を感じた。タケルは暫く押し黙ったまま、黒髪の女を眺めた。
 
 
「ほな、お前はどうしたい」
 
 
 黒髪の女は、くしゃくしゃになった顔でタケルを見上げた。
 
 
「忘れるくらいなら、消えてしまいたい」
「ほうか、しゃあないな」
 
 
 あっけなく言い放って、タケルは片手を黒髪の女の額へと伸ばした。黒髪の女の額に人差し指と中指を当てて、慰めのように呟く。
 
 
「お前が消えても、オウジはちゃんと生きていけるようにしたるけぇ安心せえ」
 
 
 その言葉に、黒髪の女は僅かにだけ小さく息を吐いた。安堵とも諦めともつかない吐息だった。
 
 タケルが額へと当てた人差し指と中指をゆっくりと引いていく。まるで額から何かを抜き出そうとするような動きだった。瞬間、黒髪の女の姿がノイズでも走ったかのようにジジッとぶれた。タケルの指が離れていくのに比例して、ノイズは大きくなっていく。オウジに重なっていた黒髪の女の姿がぼやけていく。
 
 その光景を見た瞬間、唇が勝手に動いていた。
 
 
「あの……貴方のことを思い出せなくて、ごめんなさい」
 
 
 黒髪の女が僅かに目を見開いて、俺を見つめる。黒髪の女は淡く唇を開いたが、結局何も言わなかった。ただ、その瞳からもう一筋涙を零して、静かに目蓋を伏せた。それが最後の姿だった。瞬いた次の瞬間には、黒髪の女の姿は消えていた。代わりのように、俺の横にオウジが倒れている。
 
 タケルの掌の中に、スーパーボールぐらいの大きさの輝く球体が乗っていた。それは小さな星の欠片のようにも見えた。タケルは、小さな欠片をぱくりと口の中に放り込んだ。咽喉が上下に動く。
 
 
「…それ…」
「あぁ、あの女の魂の一部や」
「食べるのか」
 
 
 ぽつりと呟くと、タケルは少しだけ困ったように笑った。
 
 
「捨てるわけにもいかんやろ。俺の腹ん中おるんが一番ええ」
 
 
 お母さんのお腹みたいなもんや。と冗談のようにタケルが言う。それから、土と灰まみれになっている俺を見ると、タケルは呆れたように肩を竦めた。
 
 
「それより、いつまで寝っ転がっとるんや。はよ起きぃ」
 
 
 差し伸べられた手を掴んで、ゆっくりと上半身を起こす。その拍子に、背中についた土や千切れた花びらがパラパラと剥がれ落ちていった。視界の端に、まだ燻るように燃え続ける家屋が視界に入る。だが、火種がなくなってきたせいか、先ほどよりも炎の勢いは弱まっている。
 
 大きく息を吐き出した時、ひょっこりと二つの顔が覗き込んできた。
 
 
「父さま、大丈夫ですか?」
「お怪我はされていませんか?」
 
 
 平然とした双子の姿にぎょっと目を見開いた。反射的に両手を双子の身体へと這わせて、上擦った声で訊ねる。
 
 
「よるくも、ひるくも…! お、お前らこそ、けっ、怪我は?」
「僕らは平気です。母さまが治して下さいました」
「いきなり切られて吃驚しましたが、僕らはあれぐらいでは死んだりはしません。僕ら、人間よりかは丈夫にできてるのです」
「でも、痛かっただろう…?」
 
 
 先ほど倒れていた双子の姿を思い出して、声が痛ましさに震えそうになる。双子は互いに顔を見合わせた後、がばっと俺に抱きついてきた。
 
 
「父さま、僕らを心配して下さったのですか?」
「父さまは優しい。やっぱり僕らの父さまだ」
 
 
 ぐりぐりと胸へと頬を擦り寄せられるのがくすぐったい。両手で双子の後頭部を撫でていると、立ち尽くしているチカさんの姿が見えた。チカさんが真っ直ぐタケルを見つめたまま、ぽつりと呟く。
 
 
『かみさま』
「神様?」
「神さま」
「神さま」
 
 
 同じ言葉を四人揃って口に出すのが何とも間抜けに思えた。見上げると、タケルはにやにやと笑ったままチカさんを眺めていた。
 
 
「久しぶりやなぁ。元気にしとったか」
 
 
 気安い口調に、少しだけ気分がざわめく。チカさんは何百何千もの目を悲しげに歪めると、酷くか細い声で返した。
 
 
『……なんで、いるんですかぁ…?』
「授業参観みたいなもんや」
『じゅぎょうさんかん?』
 
 
 チカさんが不思議そうに身体を斜めに傾ける。タケルは燃え続ける家屋へと視線を向けると、ぽつりと呟いた。
 
 
「あいつの死体は置いてきたんか」
 
 
 無遠慮な言葉に、チカさんは沈んだように眼差しを伏せた。
 
 
「それでええ。死体は塵になる。それがええ」
 
 
 一人で納得したみたいに頷いてるタケルの姿を見て、思わず俺は訊ねていた。
 
 
「タケル…神様って何だよ」
「神様は神様や。この世界を司る役割のこと」
 
 
 タケルが自分自身を指さしながら、ニカッと場違いに陽気な笑顔を浮かべる。その笑顔に半目になりながら、気の抜けた声で俺は呟いた。
 
 
「…意味わかんねぇんだけど」
「解るやろう。ほんまは解っとるのに、解ろうとしとらんだけや。周りの人間の記憶から俺んことが消えとるのも、お前が俺の名前すら知らんことも、普通ならありえんことなのに目を逸らそうとしとる。化け物は受け入れたのに、神の存在は信じられんか?」
 
 
 タケルが上半身を折るようにして、俺の顔を覗き込んでくる。何度も顔を合わせてきたはずなのに、どうしてだか今はその眼差しに圧倒された。
 
 
「そもそも、こーんな大騒ぎが起こっとんのに、消防車の一台も来んのは不思議と思わんか?」
 
 
 言われてみれば確かに不思議だった。人気の少ない住宅地とはいえ、家一軒が燃え盛っているというのに野次馬の一人すら見えない。まるで、この家だけ奇妙な異次元に隔離されたかのようだ。
 
 
「これぞ神パワー」
 
 
 自分で言っておきながら、タケルがぶはっと大きく噴き出す。そのまま腹を抱えて、げらげらと笑い声を上げた。相変わらず笑いどころが全く解らない。
 
 
「じゃあ、なんで神様が人間のフリしてたんだ」
 
 
 しかも、俺の傍で。俺の親友として。
 
 強張った声で訊ねると、タケルは口元の笑みを深めた。
 
 
「お前と約束したけんな」
「俺と?」
「正確に言うと、お前らしき精神体と」
 
 
 余計に意味が分からない。俺が困惑に目元を曇らせると、タケルは解らなくていいとばかりに顔の前で軽く手を振った。ただ、約束は守った、とだけ確信めいた声で呟いた。
 
 タケルがチカさんへと視線を滑らせる。
 
 
「そこの化け物をつくったんも俺やで」
 
 
 タケルの視線に、チカさんは僅かに身体を震わせた。
 
 
『……つくってから、ずっとおれのことを無視してきたのに、なんでいまさら…かかわってくるんですかぁ…。いったぃ、なんのために……』
 
 
 疑るようなチカさんの言葉に、タケルは端的に答えた。
 
 
「確かめるためや」
『たしかめる?』
「そうや」
 
 
 タケルは一瞬視線を宙へと浮かべると、独り言のように続けた。
 
 
「俺には世界の理を変えることはできん」
『はぁ…』
「俺は、誰からも嫌悪され憎悪されるようにお前をつくった。直視するのも躊躇うほど醜く、この世の不幸や不条理を一身に背負うべき化け物を」
 
 
 その言葉に、チカさんが悲しげに眼差しを伏せた。あんまりなタケルの言いように怒りを覚える。だが、俺の剣呑な眼差しを、タケルは平然と受け取めた。
 
 
「それやのに、化け物を美しい言う男がおる。何回生まれ変わっても、化け物んとこに帰りたいと望む阿呆が」
 
 
 はぁ、とタケルは小さく溜息を漏らした。
 
 
「そんなん、もう認めたらんとあかんやろ」
『みとめる、って?』
「俺に変えられんもんを変える力がお前らにはあった、ってことを」
 
 
 タケルはチカさんを見つめ返したまま、呆気なく呟いた。
 
 
「世界の理なんてもんに意味はなかった」
 
 
 タケルは少しだけ奇妙な笑みを浮かべた。泣き笑いのような、諦めと愛しさがごちゃまぜになったような微笑みだ。俺とチカさんを眺めて、タケルは言った。
 
 
「勝手に愛し合って、勝手に幸せになれ」
 
 
 まるで突き放すみたいに言い切ると、タケルはゆっくりと掌を上へと向けた。その瞬間、空からぽつぽつと雨が滴り始めた。真っ暗な空を見上げると、小粒の雨が降りそそぐ様が見えた。雨が燻る炎を鎮火させていく。
 
 
「雨だ」
 
 
 小さく呟く。視線を空から落とすと、もうタケルの姿はそこにはなかった。一緒に連れて行ったのか、オウジの姿も消えている。双子がタケルが居た方向を眺めながら、ぺこりとお辞儀をした。
 
 そのまま、ぼんやりとしていると、小さな啜り泣きの声が聞こえた。チカさんがぐずぐずとしゃくり上げている。その様子に驚いて、俺は慌ててチカさんへと駆け寄った。
 
 
「ち、チカさん、なんで泣いてるんですか…」
 
 
 問いかけても、チカさんは目を伏せて泣くばかりだ。どうにか涙を止めたくて、宥めるように身体をゆっくりと撫でる。どうしてだか、もうチカさんの身体を触れることに恐れはなかった。
 
 
「あの…俺のせいで先生の死体を焼いてしまったから……それで……」
 
 
 それで泣いてるのか、と言葉に詰まりながら訊ねる。だが、チカさんは頭を左右に揺さぶった。
 
 
『…ちがう…』
「なら、どうして」
『めぐるさん、おれは、みにくいばけものです』
 
 
 唐突に告げられた言葉に、俺は僅かに目を大きく開いた。
 
 
『おれは、人をきみわるがらせたり、人ににくまれたり、人を不幸にすることしかできなかった』
 
 
 それは違う、と言いたかった。少なくともチカさんを愛した先生は幸せだったはずだと、確証もなく思う。だが、口を挟まずにチカさんの言葉を聞いた。
 
 チカさんが俺を見つめる。何百何千もの瞳で。
 
 
『それでも……おれをすきだって、いってくれますか』
 
 
 躊躇いがちに問われた言葉に、返す言葉は決まっていた。
 
 
「はい。何があっても、俺はチカさんが好きです」
 
 
 チカさんの目が濡れて、キラキラと輝く。期待と歓喜と、紛れもない幸福に。それが嬉しくて堪らない。俺はこの輝きを見るために生まれてきたんだと確信するほどに。
 
 チカさんの身体をゆっくりと抱き寄せながら、肩を揺らして笑う。
 
 
「勝手に幸せになりましょう」
 
 
 神様こと悪友タケルのお墨付きをもらったことだし、とばかりに呟く。
 
 小雨の中、双子が庭を飛び跳ねながら、嬉しそうな声を上げた。
 
 
「僕らの母さま!」
「僕らの父さま!」
 
 
 はしゃぐ双子の姿が可愛らしい。目を細めて見つめていると、チカさんがそっと身体を寄せてきた。少し恥ずかしがるような、控えめな仕草に愛おしさが募る。口元を笑みに緩めた瞬間、双子が口々に叫んだ。
 
 
「僕ら、新しい家族が欲しいです!」
「僕らの妹が欲しい!」
 
 
 子供たちの声に、大きく噴き出す。真っ赤になってチカさんを見つめると、チカさんは身体をふるふると震わせて『こらぁ!』と子供たちに向かって叫んだ。
 
 その直後、遠くの空からげらげらと聞き覚えのある笑い声が聞こえた気がした。
 
 

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Published in 先生と化物のものがたり

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