Skip to content →

013 Beautiful World

 
 風が吹き抜けると、青臭い草の臭いが地面から立ち上って、僕の意識を少しだけ目覚めさせる。
 
 
 地面にうつ伏せにへばりついたまま、深く空気を吸い込む。草と土と、それから血がゴチャマゼになった臭いが鼻腔の奥で飽和する。胸が大きく上下すると、蹴られた脇腹が鈍く痛んだ。痛みに呻くと、今度は唇の端に鋭痛が走る。殴られた拍子に唇の端が切れたらしい。それだけじゃなく、舌先で口内を探ると、下唇裏側の粘膜が横一文字にパックリと割れていて、生ぬるい舌で触れると“ぢん”と痺れた。全身傷だらけ痣だらけのボロボロ、動きはギクシャクとぎこちない。まるで自分が出来損ないのロボットになったように感じる。
 
 
 ギコギコと錆びた音でもしそうな身体を無理やり動かして、上半身を起こす。僕の座高よりも高い雑草の中に座り込んで、ふぅと息をつく。見上げると、雲ひとつない青空が眼球を貫いた。鮮やかな緑と青のコントラストが目に沁みる。
 
 
「いい天気だなぁ」
 
 
 現状に似合わぬ穏やかな声が咽喉から零れた。唇の端がピリッと痛んだが、のんびりとした声音を聞いて『僕ってまだまだ余裕なんだなぁ』と改めて思う。殴られようが蹴られようが、河原の雑草の中に打ち捨てられようが、僕の心は不思議なほど平穏だ。理由は判ってる。
 
 
「メグちゃんいるんでしょ?」
 
 
 空へと向かって声をあげる。だけど、返事は返ってこない。涼しい風が雑草を揺らす音だけが鼓膜を通り抜ける。
 
 
「めえぇぇぐちゃぁぁああん!!」
 
 
 答えがないことに焦れて、駄々っ子のように喚き上げる。すると「うっせぇんだよ糞ボケ」と苛立った声が頭上から落ちてきた。数秒後には、僕の前に金髪のヤンキーが現れている。さっきまで数名の仲間達と一緒に僕をリンチしていた主犯格のヤンキーだ。不良でイジメっ子で僕の可愛くて仕方ない幼馴染。
 
 
「いるなら返事してくれたっていいじゃない」
「鬱陶しいんだよ手前」
 
 
 つれない返事にもにやけてしまう僕は重症だと思う。メグちゃんは『鬱陶しい、邪魔臭ぇ、犬畜生、変態カマ野郎』だなんて、ありとあらゆる暴言で僕を侮辱するけど、僕のことを本質的には嫌っていない。むしろ僕を好いている、と僕は自負している。
 
 
 壮絶なリンチの後、メグちゃんは必ず気絶した僕が起きるのを待っている。河原の上で学生服のまま煙草をぷかぷかとふかしながら、屋上の給水塔上でぼんやりと白い雲を眺めながら、ずっと僕を待ってる。メグちゃんは僕から離れられない。僕から離れられないからこそ、メグちゃんは僕に反発するんだ。僕を傷つけ、僕から離れてしまうのを期待して、待っているんだ。だけど、僕はメグちゃんから離れてやらない。メグちゃんが泣こうが喚こうが、傷付いてボロボロになろうが、そんなことは知ったこったじゃない。
 
 
 メグちゃんは苦虫を噛み潰したような渋い顔で僕を見つめている。苛立ちや忌々しさ、無意識に込み上げてくる恋しさに対して嫌悪を抱いているような表情が僕は愛しくて堪らない。
 
 
「メグちゃん、まだ僕を殴る?」
 
 
 じくじくと痛む肋骨を、擦り傷だらけの掌で撫でさすりながら問いかける。メグちゃんは曖昧に視線を逸らした後、横柄に「あぁ」と呟いた。
 
 
「まだ殴る。殴り足りない」
「殴っても、僕は変わらないよ」
 
 
 諭すように柔らかく囁く。瞬間、一陣の風が走って、僕は横薙ぎに地面に倒れていた。間近にある草の根を見て、ぱちぱちと双眸を瞬かせる。左頬がじんじんと痺れ、焼け爛れそうなほど熱を発していた。目だけで頭上を仰ぎ見れば、右拳を硬く握り締めたメグちゃんの姿が見えた。拳の関節が白く色を失くして、小刻みに震えている。
 
 
「めぇぐぅ、ちゃん゛」
 
 
 痺れた頬肉が発音を可笑しくさせる。その奇妙さに思わず笑いが零れた。ふふっ、と息を吐き出すように笑うと、メグちゃんが更に眦を吊り上げた。血走った眼球に浮かんでいるのは、狂おしいまでの僕への愛憎だ。
 
 
「死んじまえよ御前」
「殺してくれよぉ」
 
 
 メグちゃんの目に一瞬過ぎる怖気を僕は見逃さない。嗚呼、メグちゃん―――可愛い可愛い可愛いかわいいかわいいかわいいかわいい!! いっそ、このまま殺してくれりゃいいのに。そうすれば、メグちゃんはもっと僕から、ずっと僕から、それこそ永遠に離れられなくなる。だけど、メグちゃんはきっと僕を殺してはくれないだろう。メグちゃんは自分が思っているよりも、ずっと臆病で小心者で、それから優しい。メグちゃんはどこもかしこも可愛い要素でできてる。
 
 
「めぇぐちゃん、キスしよぉよ」
 
 
 甘ったれた僕の声を聞いて、メグちゃんの身体が小動物のように震えた。その細かな震動に、僕の心は戦慄き、昂ぶる。衝動のまま腕をメグちゃんの膝裏に引っ掛けて、そのまま仰向けに倒れさせる。二人してすっぽりと雑草の中に埋もれる。メグちゃんの咽喉から押し殺した悲鳴のようなものが聞こえて、余計に興奮した。涎が出てきそうだ。
 
 
 仰向けになったメグちゃんの身体を足先から這いずり上がって、メグちゃんの顔を覗き込む。微かに紅潮した目尻に飽きもせず欲情しながら、その目尻を舌先でなぞるように舐める。舌から滲んでいた血がメグちゃんの目尻に赤い線を残す。身体の下でメグちゃんの身体がビクッと魚のように跳ねるのが面白い。たかがこの程度で、メグちゃんは処女のような反応を見せる。
 
 
「気色ッ、悪い!」
「うそつき」
 
 
 搾り出された悲鳴を嘲笑う。メグちゃんは何処までも嘘をつく。あいつなんか好きじゃない。あいつは鬱陶しい。ムカつく。気色悪い。メグちゃんは嘘ばっかり。
 
 
「ねぇ、好きって言ってみなよ」
「好きじゃない」
「うそつきうそつきうそつき」
「好きじゃな…!」
 
 
 嘘ばかりの唇を噛み付くように塞いで、言葉を呼吸ごと呑み込む。逃げ惑う舌をねばつく唾液ごと絡め取って、血の味のする唾液を流し込む。くちゃくちゃと音を立てながら、ゴツゴツとした上顎や舌の裏側の血管を弄くるのは愉しかった。肩に食い込むメグちゃんの震える指先が、切ないぐらい愛おしい。
 
 
 ぬかるんだ穴から舌を引き抜けば、真下に潤んだメグちゃんの瞳があった。泣き出しそうで、涙を堪えている眼球二つ。
 
 
「ねぇ、どれだけ殴られても、僕はメグちゃんのこと好きなままだよ。変わらないよ変われないよ。メグちゃんが僕から離れられないみたいに、僕もメグちゃんから離れられない。ねぇ、こんなに好きなんだよ。メグちゃんのことが可愛くって仕方なくって、本当にぐちゃぐちゃに犯してやりたいぐらいなんだよ。ねぇ、だから認めちゃいなよ」
 
 
 傲慢な言葉を吐き出す。メグちゃんの瞳に再び憎悪の炎が燃え上がる。だけど、それは一瞬で、直ぐにその炎は鎮火されて、曖昧で複雑な感情がメグちゃんの眼球の中をチラついた。受け容れようか受け容れまいか逡巡している眼球二つ。
 
 
「御前なんか…好きじゃない…」
 
 
 嘘つきと言ってしまうのは簡単だった。まだそんな事を言うのか、と詰るのも簡単だった。それをしなかったのは、メグちゃんの声がいたいけなぐらい掠れていたからだ。
 
 
 メグちゃんの視線が空へと向けられる。空はまだ鮮やかな青色だろうか。判らない。メグちゃんの胸に腫れた頬を押し付けて、ゆっくりと呼吸を繰り返す。メグちゃんの鼓動の音すら、可愛くって可愛くって、いつになったら僕を好きだと認めて、受け容れてくれるんだろうと思案する。そうして、それまで僕は何回メグちゃんに殴られるんだろう。殴られることにすら満足感を覚え始ている自分が気色悪くて、そうして誇りに思えた。
 
 
「こんなにも愛してる」
 
 
 心臓の上に唇を緩く押し付けて、淡く囁く。そうして、メグちゃんも僕のことをこんなにも愛している。それが解っているから、僕は殴られようが蹴られようが、もっと酷い目に合おうが、決してこの世界に絶望なんかしない。僕が全てを失っても、メグちゃんだけは傍にいるという酷い自負心。
 
 
 風が雑草の間を通り抜けて、頬を撫でる。きっと空はきれいな青色だ。空気には光が満ちてる。呆れるぐらい美しいこの世界。僕とメグちゃんの世界。
 
 

< back ┃ top ┃ next >

Published in 短編

Top