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023 くまのお嫁さん

 
 完全に、育て方を間違ったと思う。
 
 着ぐるみをまとった身体の上に圧し掛かってくるずっしりとした重みを、ミトンのような両手で必死で押し返しながら、ぷー太郎は心の中で嘆いた。
 
 
「手前、いい加減どけよ!」
 
 
 真上から見下ろしてくる男に向かって喚き散らす。男は意味深げに薄い笑みを浮かべてはいるが、それ以外は一向に反応を返さない。十分前に、突然部屋に引き摺り込まれたと思ったら、そのまま布団の上に押し倒された。それから、ずっとのこの体勢だ。いい加減押し返す腕が痺れてきている。それじゃなくても、着ぐるみのせいで暑くて堪らないというのに。苛立ちを込めて睨み上げれば、男の笑みが深まった。まるで、ぷー太郎が怒っているのが愉しいとでも言わんばかりのサディスティックな表情だ。畜生、と咽喉の奥で小さく漏らす。そうだ、この男がすべての元凶だ。
 
 
 ぷー太郎が下っ端の構成員として組に入ったとき、この男はまだ五歳だった。組長である父親の後ろから怯えた眼差しでぷー太郎を見上げていたのが懐かしい。ぷー太郎は便所掃除を半年やらされた後に、息子の世話をしろと組長直々に言い渡された。正直、子供のお守役にされたのに不満がなかったわけじゃない。本来ならば便所掃除を徹底的にやらされた次は、門番を任されるのが今までの組の慣わしだった。それをいきなり子供のお守りだなんて冗談じゃない。そもそも、一番歳が近いといっても、幼稚園児と並べられるなんてふざけている。その時は、あまりの憤りに本気で組をやめることまで考えた。だが、結局ぷー太郎は子供のお守りを引き受けることにした。それは、指を切る度胸がなかったのと、いずれこの子供が組長になれば自分も幹部にまでのし上がれるかもしれないという打算的な考えがあったからだ。
 
 それからは、もう一日一日が必死だった。初日から顔が怖いと言って大泣きをされて、兄貴分から張っ倒され、喋り方が乱暴だと言われて口も利いてもらえず、兄貴分から蹴っ飛ばされ、もう醸し出す雰囲気すら恐ろしいから近寄って欲しくないと訴えられ、兄貴分にボコボコに殴られた。子供の一喜一憂に右往左往し、暴走族に入って毎日やんちゃしていた時よりもずっと生傷が絶えなくなった。
 
 子供が怖い怖ぁいと言って泣くのを見ながら、俺のほうが泣きたいよと毎日言ってやりたかった。子供の横に蹲って、わぁわぁと声をあげて泣き出したかった。それでも、必死に耐えたのは、いつか報われると信じていたからだ。これだけの我慢が報われない筈はないと、自分に言い聞かせて、滲んでくる涙を何度も拭った。
 
 『それ』が思い付いたのは、子供を遊園地のヒーローショーに連れて行った時だ。ビクビクと身体を縮こまらせた子供を連れて、遊園地をあてどもなく歩いていた時、それが目に入った。風船を配るクマの着ぐるみ。それを見つけた瞬間、ちっとも楽しそうではなかった子供の顔がぱぁっと輝いた。着ぐるみにじゃれ付く子供の姿を見て、これだ、と思った。現状を打破する最高の妙案を思い付いていた。
 
 
 次の日、子供の前に現れた時、初めて子供がぷー太郎を見て弾けるように笑った。
 
 
「くまさん!」
 
 
 子供からぷー太郎に抱き付いてきた。ふわふわな布越しに感じる子供の柔らかさに、ぷー太郎は少しだけ泣いた。着ぐるみの中で、誰にもばれないように小さく鼻を啜った。
 
 それからは、今までの苦難が嘘のように順調に進んだ。子供は突然現れたくまの着ぐるみに無邪気に喜んだし、ぷー太郎自身も懐いてくる子供にだんだんと愛着を感じていった。ぷー太郎と馬鹿げた名前を付けられても、怒りすら覚えなかった。ただ、自分はそういう名前のくまなんだと単純に思うことにした。
 
 勿論いろいろと紆余曲折はあった。くまの着ぐるみを着ていることで、敵対する組からは『お坊ちゃんのぬいぐるみ野郎』だとか『着ぐるみヤクザ』だとか馬鹿にされることも多かった。そういう奴らは、後々ハニーメープル君と命名されることになる釘バットで、めためたに打ちのめしてきた。血しぶきを浴びて真っ赤に染まった着ぐるみを洗ったのは、数え切れない程だ。
 
 揶揄にされた事の反動のせいか、ぷー太郎は意地のように着ぐるみを着続けていた。カチコミの時も、子供の参観日の時も、着ぐるみを脱ぐことはなかった。この十二年間は、正直素顔のままでいるよりも、ずっと着ぐるみでいたことの方が多かっただろう。時々鏡で自分の素顔を見ても、正直ピンと来ない時すらある。ある意味、自己の存在を着ぐるみに奪われてしまったのかもしれない。
 
 そこまでの代償を払って、この十二年間を子供に捧げてきた。そう、捧げてきたのだ。可愛がってきたつもりだった。ちゃんと叱ってきたし、褒めることはしっかり褒めた。目を皿にして子育て本を読み耽って、いい子の育て方を勉強した。それなのに、何処をどう間違って、今こんな結果に陥っているのか。着ぐるみの上にのっかかるような阿呆になるだなんて。
 
 
 着ぐるみの内側で深く溜息を吐き出す。すると、男がぐっと顔を近付けて来た。
 
 
「何考えてるの、ぷー太郎」
「何処で育て方を間違えたのかっつーことだ」
 
 
 呆れ混じりに返すと、男は目をぱちぱちと瞬かせてから短く笑い声をあげた。低い声、そういえば男が声変わりをしたのはいつだっただろう。子供の時はあんなに小さくて可愛かったのに、いつの間にこんな大人になってしまったのか。短かった手足は長くなり、つぶらな目は細く切れ長になり、泣き虫だったのがこんなにも意地の悪い性格になっている。
 
 
「何処だろうね。僕にもわかんないや」
「つぅか、頼むからこの状況を詳しく説明してくれ」
 
 
 何故着ぐるみで押し倒されなくちゃいけないのか、さっぱり理解できず問い掛ける。男が一瞬口を閉じて、それからもったいぶるようにゆっくりと囁く。
 
 
「身長が、ね」
「しんちょおぉ?」
「身長がぷー太郎を超えたんだよ」
 
 
 ぷー太郎よりも大きくなったんだ、と男が物々しく語る。その意味不明な訴えに、ぷー太郎は着ぐるみの下でぽかんと口を開いた。
 
 
「はぁ、だからぁ?」
「僕がぷー太郎の背を追い抜かしたら、お嫁さんにしてあげるって言ってたじゃない」
「あ゛ぁ?」
 
 
 猛烈な勢いで?マークが頭上に浮かぶ。そういえば、一年前ぐらいにそんな事を言われたような気もしなくもない。だが、そんなのは性質の悪い冗談ぐらいにしか受け取らなかった。馬鹿な子供がまた阿呆なことを言ってるぐらいにしか思わなかったし、思えなかった。そんな昔のジョークを今更掘り出してくるなんて、この男はどれだけ暇なのか。
 
 
「いや、そんなジョークどうでもいいだろ」
「ジョーク? ジョークなわけないじゃない。本気でぷー太郎をお嫁さんにするつもりだよ」
 
 
 男が口角をゆるりと吊り上げる。口元は笑みの形になってるのに、その目は笑ってない。その冷えついた眼差しに、一瞬ぞっとする。男が顔を至近距離に寄せて、そのまま耳元に囁く。
 
 
「もしかして、ずっと冗談だと思ってた?」
「いやいや、冗談以外ありえねぇだろう」
「プロポーズだったのに、それを本気で受け取ってないぷー太郎の方がありえないでしょう」
「プロポーズぅ!?」
 
 
 思わず声が裏返った。素っ頓狂に甲高い声に、羞恥と混乱で頬がカッと熱くなる。一体何を言ってるんだこいつは。男は、ぷー太郎の困惑を楽しむかのように頬を緩めている。
 
 
「そう、僕と結婚しよ?」
「ちょ、っと待て! 御前、まだ十七だろうが! 結婚できんのは十八からだって知らねぇのか!」
「別にヤクザに法律とか関係ないでしょ。そもそも同性なんだから婚姻届出せるわけでもないしさ、組の内々の婚儀だけで十分だよ」
「いやいやいやいや、御前落ち着けよ! 正気に返れ! 俺は男だぞ!」
「雄、でしょ。ぷー太郎はくまなんだから」
 
 
 男の顔が嫌味ったらしく歪んだ。嘲笑が微かに滲んだ表情に言葉をぐっと詰まらせると、男が甘えるように鼻先を摺り寄せてきた。
 
 
「ぷー太郎とセックスしたら獣姦になっちゃうのかな。結構アブノーマルで燃えるね」
 
 
 セックスという生々しい単語にぎょっとする。
 
 
「お、おまっ、せ、セックスって、くまに発情すんな!」
「くまじゃなくて、ぷー太郎に発情してる」
 
 
 一瞬、男の眼差しがギラリと尖る。その瞳に覗き見えたのは、紛れもない情欲の色だ。雄の目だと思う。子供の頃とは違うその大人の目に、皮膚がざわめいて震える。
 
 
「あっ、頭可笑しいんじゃねぇのか!?」
「さぁ、どうだろうね。頭が可笑しいから、こんなにぷー太郎がすきなのかな」
 
 
 好きと言われて、息が止まった。男をまじまじと見上げて、好きという単語を頭の中で検索する。導き出される意味が脳味噌の神経シナプスを通じて、中枢へと運ばれ、それによって生まれた熱が身体の隅々に満ちる。結果、体内が驚くほど熱くなった。着ぐるみの中で温度が上昇して、サウナのようになる。
 
 
「や、やっぱり可笑しい。イカれてる。おっ、俺はくまだぞ」
「くまでも好きだよ」
 
 
 大人の目をしているくせに言葉はまるで子供の頃みたに率直で、そのアンバランスさに混乱する。着ぐるみ越しに向けられるその熱孕んだ視線に、唾液を飲み込もうと乾いた咽喉が上下する。
 
 男の掌が着ぐるみの腹をそっと撫でる。ふわふわな生地で覆われた腹がびくりと跳ねた。
 
 
「な、なんで、…俺を…」
「理由なんてどうでもいいじゃない」
「どうでもよくねぇだろ! くまで男で、どんだけハードル高い性癖だよって感じじゃねぇか!」
 
 
 カンカンと怒鳴り返すと、男は一瞬面倒臭そうに肩を竦めた。それから、手を伸ばすと、着ぐるみの鼻をぎゅっと指先で摘んで言い聞かせるように呟く。
 
 
「別に男だから好きになったとか、くまだから好きになったとか、そういう理由付けは、僕にとってはどうだっていいの。ただ、ぷー太郎が好きなの。可愛いの。セックスしてーの。ちなみに“これ”は脱いでも脱がなくてもどっちでも良いよ」
 
 
 黒く小粒な鼻を人差し指でぐりぐりと押しながら、男がにっこりと笑う。その笑顔に、思わず頬が引き攣る。いや、着ぐるみを着たままでセックスだなんてありえないだろう。
 
 
「お、おま、着たままとか…ゼッテー勃たねぇえだろ!」
「勃つよ。小学生の頃から、僕のズリネタってぷー太郎だもの」
「ず…ッ…はあ゛ぁ!?」
「あ、でも、流石に下半身は脱いでね。じゃないと、僕が突っ込めないからさ」
 
 
 恥じらいの欠片もなく冷静に語られる言葉に、あいた口が塞がらなくなる。そもそも、突っ込むって何だ。カチンコチンに固まったまま動かずにいると、顎下に手を突っ込まれた。着ぐるみの頭を持ち上げられて、半ば恐慌状態のまま喚く。
 
 
「なっ、にすんだヴォケ!」
「キスする」
 
 
 『したい』でも『させて』でもなくて、『する』というぷー太郎の意思を一切考慮しない確定の言葉に震えが走る。どうして、こんな奴に育ってしまったんだ。こんなに我侭で強引で、くま相手に発情する変態に。
 
 着ぐるみの頭を半分ずり上げられて、生身の顎を掌でぞろりと撫でられる。頭がずれたせいで視界が闇に覆われた。着ぐるみ生活のせいで生身の方はとんと気を付かわなくなってしまっているから、髭剃りは三日に一回しかしない。そのせいか、撫でられた無精髭がざらりとした感触を残した。男がふふと笑い声をあげる。
 
 
「無精髭だ」
「いやなら触るな!」
「いやじゃない。何だか胸がぎゅうってなるぐらい愛しいよ」
 
 
 その馬鹿げた台詞が本気だと伝わってくる。二三度顎先を撫でられて、そのこそばゆさに咽喉がくっと反り返る。そうして、唇に生ぬるく触れるものがあった。柔らかく啄ばむような感触の後に、すぐに咥内へとぬめり気を帯びた粘膜が潜り込んできた。心臓がどくんと跳ねる。喚き散らす暇もなく、咥内を掻き回され、きつく舌を絡め取られた。奥歯の裏まで舌先で探られて、歯と歯肉の間に捻り込むように舌を動かされる。飲み込みきれない唾液が唇から零れて、だらだらと頬を伝っていく。気持ちが良いとかそんなものではなくて、殆ど貪られているのに近かった。餓えた獣が一週間ぶりの餌にありついたような、そんな無我夢中なキスだ。
 
 ようやく唇が離れた時には、口の周りが唾液でべたべたになっていた。それを手で拭おうとしたところで、着ぐるみの腕だということに気付いてやめた。わざわざ洗濯するのが面倒だった。
 
 着ぐるみの頭を完全に取られる。真っ暗だった視界に、男の顔がぼんやりと映る。そういえば、着ぐるみ越しでない状態で、この男と目を合わせるのは十二年ぶりだ。男は頬を柔らかく緩めて、馬鹿みたいに幸せそうだ。その表情に、不意に諦めに似た感情が込み上げてきた。だが、諦めなのに温かい。母性に近く、しょうがないな、とどうしようもない子供を嗜めながら愛おしむような感覚。
 
 男がしたり顔で耳元に囁く。
 
 
「ねぇ、知ってる? くまは母性本能が強い動物なんだって」
「…それが何だよ」
「ぷー太郎は、僕を見捨てられないってこと」
 
 
 嗚呼、畜生、そういう事か。結局、この男のことを一番甘やかして可愛がってきたのは自分自身で、今更見捨てることも出来なくなってしまっている。こんな荒唐無稽な愛の告白をされても、結局突き放すこともできない。しょうがない、だって俺が育てたんだ。
 
 そうして、目の前の男は、それをとっくの昔から知ってしまっているのだ。このくまは、自分から檻の中に入っているってことを。それを解っていて、檻から出る気すらない自分自身に盛大に呆れながら、ぷー太郎は男を見上げた。男がきょとりと目を大きく開いて、それから酷く甘えた声で言う。
 
 
「結婚式は、ウェディングドレスがいいかな? 白無垢がいいかな?」
 
 
 やっぱり完全に育て方を間違えてたみたいだ。だけど、この十二年間付き合ってきたんだ。これから後何十年ぐらいは大丈夫だろう、と思いながら、擦り寄ってくる男の頭をふわふわな掌で撫でてやった。 
 
 

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