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027 ピーターパンは大人を殺します

 
 二十歳の誕生日に、厚男はお隣の晃司君にプロポーズされた。
 
 晃司君ことこーくんは、保険外交員をやっている湯美枝の十歳年下の弟だ。こーくんは今年の春に小学五年生になったばかりだったのに、まるで大人のような口調で厚男へとプロポーズの言葉を吐いた。
 
 
「厚男くん、僕んとこに嫁に来んさい」
 
 
 こーくんはランドセルを背負ったまま、真っ直ぐ厚男を見上げていた。人よりも随分と頭が悪い厚男は、へらりと笑ったまま首を傾げた。
 
 
「およめさん?」
「そう、僕んとこにおいで」
 
 
 厚男はこーくんのことが大好きだった。こーくんは、厚男のことを馬鹿ッ垂れの穀潰しだと言って怒らなかったし、道を歩いている厚男に小石を投げたりもしなかった。お父さんに叩かれて泣く厚男の頭を、何も言わずに撫でてくれた。
 
 厚男には、嫁に来いというこーくんの言葉の半分も理解出来ていなかった。だが、こーくんの言うことに悪いことはないという盲目的な信頼があった。
 
 それに、厚男はお嫁さんが好きだった。白いドレスを着て、甘いおしろいの香りがして、ひらひらと蝶々みたいでとてもとても綺麗だ。お嫁さんという言葉を聞くだけで、心がほわっと浮かび上がるように感じて、厚男はへらぁっと頬を崩した。
 
 
「およめさん、すきー」
「僕は厚男くんが好きだわ。お嫁さんになった厚男くんはもっと好きだわ」
 
 
 淡々とこーくんは口に出した。厚男はすきという言葉もすきだ。だから、もっともっと嬉しくなって、何度もうんうんと頷いた。
 
 
「なら、こーくんのおよめさんなるー」
「ほうか」
 
 
 やっぱりこーくんの表情は変わらなかった。ポケットからキラキラと光る宝石のついた指輪を取り出すと、厚男の手をそっと取ってその左手薬指に嵌めた。
 
 
「これで厚男くんは僕の嫁になったけん。今から僕と一緒に住まんといかん」
「アーは、おうちあるよー」
「もうそっちの家には帰らんでええ。嫁は旦那の傍におるのが法律で決まっとるから」
「ほおりつ?」
「皆の約束ってこと」
 
 
 厚男には、やっぱりこーくんの言ってる意味が半分以上解らなかった。へらへらと笑っていると、そのまま手を引かれてこーくんの家へと連れて帰られた。キッチンで冷蔵庫を漁っていた湯美枝が厚男の薬指に嵌めらた指輪を見て、ぽかんと口を開いた後、こーくんの肩をバシンと強く叩いた。
 
 
「とうとうやっちまうの?」
 
 
 まるで男のような口調で、こーくんへと問い掛ける。こーくんは一瞬面倒臭そうに目を細めた後、小さく頷いた。
 
 
「湯美枝も腹括っとけ」
「出刃包丁でも用意しとく?」
 
 
 こーくんが口角に薄く苦笑いを浮かべる。それから、玄関の傘立てに立てられた金属バットをじっと見詰めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 夜は、こーくんと一緒に眠った。身長143センチのこーくんのベッドは小さくて、ピッタリとくっ付かないとどちらかがベッドから転げ落ちてしまいそうだった。
 
 厚男は、こーくんの薄い胸にほっぺたを押し付けて目を閉じた。とくん、とくん、と鼓動するこーくんの心臓の音を一晩中聞いた。規則的で、温かくて、柔らかい。何だかそれが嬉しくて、くすぐったくて。厚男は、こーくんの胸に唇を押し付けて、くふふふと笑い声をあげた。こーくんが薄っすらと目蓋を開いて、厚男を見詰める。
 
 
「どうしたん厚男くん?」
「ふふ」
「何か楽しいことあったん」
 
 
 こくりと小さく頷くと、こーくんは目を細めて「ほうか」と呟いた。
 
 
「厚男くんが嬉しいと、僕も嬉しいわ。厚男くんといるときが一番ええ」
「ええ?」
「安心する」
「アーも、ここんとこがぽかぽかする」
 
 
 こーくんの胸を掌でゆっくりと摩る。こーくんは微かに目を細めて、厚男の額に唇を柔らかく落とした。
 
 
「厚男くんはもう僕の嫁やから、僕が守るけえな」
「まもる?」
「もう寝よ。僕、明日学校だから」
 
 
 厚男の頭を、細い腕が抱き締める。その優しい手付きがやっぱりくすぐったくって、厚男は、ふふふと笑い声を咽喉の奥で零した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 三日後に、お父さんが殴り込んできた。厚男は、その時湯美枝と一緒に豆腐ハンバーグを捏ねている時だった。豆腐でべたべたになっている厚男の手を鷲掴んで、お父さんは何かを大声で喚き散らした。ついでに、厚男のほっぺたを一発ぶん殴った。
 
 
「何いきなり消えとんじゃクズが!」
 
 
 厚男には、理解出来ることよりも理解出来ないことの方がずっと多かった。だから、お父さんの言ってる意味も解らなかった。帰るぞ、と手を引っ張られて、厚男は慌てて口走った。
 
 
「ほ、ほーりつが…」
「あ゛ぁ、法律?」
「アーは、こーくんのおよめさん、だからっ、いっしょに、いないとほおりつ、が、やくそくが…」
「何言ってんだクソボケ。元から腐った脳味噌がさらに腐ったんか」
 
 
 もう片方のほっぺたを平手で打ち据えられる。鼻血が出て、ぽたりと床へと落ちた。湯美枝がどこか居心地悪そうに身体を捩じらせて、それから恐る恐るといった様子で声をあげた。
 
 
「あのぉ~…」
「あ゛ん?」
「もうなんつぅか、見てて、みっとも無いですよオジサン」
「なんじゃこのクソアマは」
「クソアマっつうか…うち保険の外交員やってるんですよ」
 
 
 お父さんが怪訝そうな顔で湯美枝を睨み付ける。湯美枝はキッチンの端っこに身を寄せながら、もごもごと言葉を続けた。
 
 
「つまりですね、オジサンが最近厚男に保険金掛けたことも知ってんですよ」
 
 
 お父さんの顔が一気に引き攣る。 
 
 
「厚男まだ二十歳ですよ。一億の生命保険かけるとか、どう考えても可笑しいでしょ。明らかな保険金殺人の前兆でしょう。それを見て見ぬふりはできないっていうか」
「お、おまえに関係ないだろうが…う、うちの問題だぞ!」
「いやぁ~、そういうわけにもいかないんですよ。だって、厚男はうちの弟の――」
「僕の嫁ですから」
 
 
 こーくんの声が聞こえたと思った瞬間、地震でも起こったみたいにお父さんの身体がガクンと揺れた。そのまま、バタンと前のめりに倒れていってしまう。頭の後ろから真っ赤な血がたらたらと溢れて、床の上を広がっていく。こーくんの手には、金属バットが握られていた。
 
 
「僕の嫁に、勝手に触らんで下さい」
 
 
 酷く物静かな声でこーくんが呟く。でも、たぶんお父さんには聞こえてないと思う。
 
 
「湯美枝、110番して」
「どう説明すんの?」
「他人の家に勝手に乗り込んできて、息子を殺そうとした父親を正当防衛で倒しました」
「信じてくれるかな?」
「信じてくれるさ。僕らは“大人の可哀想な被害者”だ」
 
 
 皮肉じみたこーくんの言葉に、不意に思い出した。湯美枝とこーくんがお隣さんになった理由。どうして、この家にお父さんとお母さんがいないのか。
 
 
「どうして、こうも大人は身勝手なんかな」
 
 
 呆れたようにこーくんが溜息を吐いた。
 
 三年前、湯美枝とこーくんは両親に無理心中されそうになった。自動車に乗ったまま、池へと飛び込んだ。後部座席にいた湯美枝がこーくんを引っ張って沈む車から逃げ出したけど、お父さんとお母さんはそのまま溺れ死んだ。
 
 湯美枝とこーくんは、厚男のお隣さんだったお祖母さんの家に引き取られた。だけど、お祖母さんは子供嫌いだった。湯美枝とこーくんが声高に罵られるのを、厚男は何度も聞いた。親と一緒に死んでればよかったんや、とお祖母さんはよく言った。湯美枝とこーくんは白けた顔をしていたが、厚男はその言葉を聞く度によく泣いた。
 
 そのお祖母さんも一年前に交通事故で死んでしまった。深夜二時の人気のない道で、突然トラックの前に飛び出して。お祖母さんには、多額の保険金が掛けられていた。それから、たくさんの噂が囁かれた。祖母に保険金をかけて殺した鬼子だという周囲の悪態もよく聞こえた。それらの悪意を、湯美枝とこーくんは否定も肯定もせず、ただ黙殺した。
 
 たぶん、湯美枝とこーくんはもう大人を信じなくなったんだと思う。この世界の何かに、とうの昔に呆れ果ててしまったんだと思う。
 
 湯美枝が足元に転がるお父さんの身体を、爪先で突っ突きながら呟く。
 
 
「それ死んでる? 生きてる?」
「どっちでもいいよ」
 
 
 投げ遣りに答えて、こーくんは金属バットを床へと放り投げた。カランカランと音を立てて、金属が床を跳ねる。その音に、厚男は身体をびくりと跳ねさせた。
 
 こーくんが床に膝を着いて、へたり込んだ厚男と視線を合わせる。そうして、こーくんは笑った。優しい、温かみに満ちた微笑みだった。
 
 
「僕がずっと厚男くんを守るけえ」
「…こー、くん」
「だから、一生大人にならんでな」
 
 
 不意に、左手薬指に嵌められた宝石が重石のように重たくなった。まるで鎖のように、厚男の全身に絡み付いてくる。こーくんが厚男を好いた理由が解ってしまった。だから、苦しくなった。無条件に与えられる愛情が無意味に思えて、悲しくて堪らなくなった。
 
 
「何で泣くの?」
 
 
 不思議そうに、こーくんが問い掛けてくる。その後ろで、湯美枝が驚いたように目を丸くしていた。気付いたら、頬を伝って涙が溢れていた。だけど、厚男が何で泣いてるか、その理由を言ってもこの二人にはきっと理解出来ない。それに、厚男の頭ではこの気持ちを説明する言葉を思い付くことも出来なかった。
 
 
「厚男くん、泣かんで」
 
 
 心が欠けてるのと、心を伝える言葉を知らないのと、どちらが可哀想なのか厚男には解らなかった。
 
 ただ、自分が一生大人になれない未来が血を流しながら床の上に横たわっていた。それが恐ろしくて、悲しくて、厚男は声を殺してすすり泣いた。

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Published in 短編

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