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006 祥子と私と釘バット

 
 祥子は釘バットを振り回し、男の頭に叩き付ける。
 
 釘バットは男の頭にめり込み、男の頭蓋骨の形を変形させる。歪ませる。男の口からゲボッともゲフッともつかない嘔吐する時のような音が零れた。
 祥子はその音を聞いて嗤っている。気のふれた鳥みたいな声で嗤っている。雑草が大きくたなびく河原に、けたたましい嗤い声が大きく響き渡った。
 
 
 今しがた頭蓋骨を叩き割られたその男は、昨日まで祥子とラブホテルに入って、祥子の小振りな乳を吸っていた男だ。祥子はさっきその男と別れた。正しく言えば、祥子はフラれた。男が浮気したとか、そういった理由じゃない。男の責任じゃあ決してない。
 
 
 フラれたのは祥子のせいだ。
 
 
 祥子は昨日の夜、ラブホテル帰りに、男の目の前で女を殴った。祥子がちょっと目を離した隙に男に言い寄った女を半殺しにした。髪を鷲掴んで、コンクリートの上に引き摺り倒して、顔面を容赦なく殴った。女に馬乗りしたまま、祥子の小さい拳は踊るように動いた。蝶のように舞い、蜂のように刺した。女は泣き噎んで、謝罪の言葉を繰り返したのに、祥子は女の鼻が折れて、頬骨が歪んで、顎が外れるまでずっと殴り続けた。
 
 
 祥子はきっと頭が可笑しい。
 
 
 女の顔が原型を留めなくなり、失禁して気絶した後、祥子は嗤ったのだ。今と同じように嗤った。そうして、血塗れの祥子を見て震える男にねだるように甘えた。返り血をあびたセーラー服をすりつけて、「あたしが一番よね」と甘えた。
 
 
 男は逃げた。当り前だ。誰が見たって祥子はイカれてる。
 
 
 そうして、今日別れを告げられた。祥子は怒り狂い、今、男の頭に何度も釘バットを叩き付けている。男の頭が柘榴のようにパックリと割れて、中から黄土色をした脳漿が青々とした草の上にどろりと零れ出していた。祥子はまだ嗤ってる。バカみたいに嗤ってる。いい加減にしてよ、私は思う。
 
 
『もういい加減にしてよ。学校に遅刻しちゃったじゃない』
 
 
 たしなめれば、祥子の嗤い声がピタリと止まって、笑顔だった顔に不機嫌そうな色が浮んだ。
 
 
「なに、なぁに言ってんのよ。あんたがこんなもん持ってきたくせに」
 
 
 掌の上で血がこびりついた釘バットをバウンドさせながら、祥子は不愉快そうに吐き捨てる。全ての原因はあんたにあるとでも言いたげな表情だ。
 
 
『だって、どうせ祥子がフラれるってわかってたもの。そうしたら、祥子タダじゃ済まさないでしょ? 復讐が終るまで祥子に身体取られっぱなしなんて堪んないわ』
 
 
「五月蠅い、フラれたんじゃないわよ。あたしはフラれたんじゃない。あたしはフラれてない」
 
 
 自己暗示のように祥子は繰り返す。私は祥子のこういうところが大嫌いだ。嫌なことからすぐ目を逸らす。頭の中で現実を捻じ曲げる。
 
 
『フラれたのよ。嗚呼、もうフラれてなくても、殺したんでも、何でもいいから、早く〝スポット〟から出て頂戴。私、御風呂に入りたいの』
 
 
 最低、セーラー服が血でべとべとだ。髪の毛先からも赤い雫が滴ってる。雑草の青臭さに混じって、噎せ返るような血の臭気が全身から立ち昇ってた。
 
 
 暴力と憎悪の臭気だ。
 祥子の臭気だ。
 
 
 早く、なるべく早く、迅速にこの臭気を取り除いてしまいたい。そうしないと、私まで内側から腐って、爛れてしまうそうな気がする。
 
 
 祥子は、逡巡するように暫く視線を彷徨わせた後、不貞腐れた子供のように唇を尖らせた。
 
 
「あたし、すきだったのよ」
 
 
 それは足元に転がってる男のことだろうか。ローファーの爪先で、飛び散った男の脳漿を弄くりながら、祥子は舌ったらずな声で呟いた。
 
 
「ほんとにすきだったの」
 
 
『そんなこと、知ってる』
 
 
 私も祥子だから。祥子は私だから。頭の中で囁く。
 
 
 寂しげに目を細める祥子を見ていたら、私は急に心臓が痛くなった。心臓の内側を針で刺されたような痛み。これは祥子の痛みだろうか。
 
 
「ねぇ、和枝。あたしさびしいわ。何だかとってもさびしいの。あたし、いつだって、どんなときだって、どうしたらいいのかわかんないのよ」
 
 
 そう囁く祥子の首筋を風が通り過ぎる。祥子のスカートの裾が緩く翻って、雑草のざわめく音が鼓膜を薄く震わせた。祥子はぼんやりと空を見つめている。突き抜けるような青空が目に滲みた。
 
 それでも、祥子は泣かない。祥子は泣けないようにできている。生まれたときから、そういう風に創られている。祥子は可哀想な子供だ。
 
 
 私は何もいえない。祥子には私がついているなんて言葉は言えない。私に祥子の寂しさが埋められるとも思わない。例え、私と祥子が同じ身体に棲み付いている人間でも、私達は同じ人格ではないのだから。
 
 
 私達は寂しい生き物だ。それでも、祥子も私もそれぞれ生きていかなくちゃいけない。
 
 
「ねぇ、そろそろ埋めちゃおっか。あたしアイス食べたい」
 
 
 祥子が視線を下ろして、吹っ切るように呟いた。
 青空の下、釘バットから揺れる雑草へと、真っ赤な血が滴っている。祥子はそれを眺めて、泣き笑うように目を細めた。
 
 
 その時、私は祥子を抱き締めたくて、抱き締められないことに少しだけ涙を流した。祥子の目から私の涙が一粒だけ零れて、消えた。
 
 

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Published in その他

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