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01 生首は降る

 
 ある日、空から生首が降って来た。
 
 クリスマスの夜、輝樹は十四年間の人生で、四人目になる父親に会った。母のスナックの常連客だというその男性は、出会って二時間経てば顔も思い出せなくなるほど特徴のない男で、何十歳も年下の輝樹に対して、気の毒なぐらい気を使っているのがあからさまに見えた。短い挨拶の後、途端無口になった輝樹に、何とか必死に話題を振ろうとしているのがその男の元来の気の弱さを現しているようで居た堪れなかった。
 
 そんな輝樹に、母はちらりとも視線を向けようとはせず、最高級のフランス料理に舌鼓を売っていた。イベリコ豚のトリュフ添えをぱくつく母のてらてらと光る唇を横目で眺めて、この男とはいつまで続くんだろうか、と輝樹は考えた。二人目の父親のようにギャンブル狂いでなければいい。三人目の父親のように暴力狂いでなければいい。そして、何よりも一人目の父親のように輝樹を愛する人でなければいい。輝樹に興味を持たず、まるで空気のように扱って欲しい。それが新しい父親に対する子供の願いとしては正当なものではないとしても、輝樹にとっては切実だった。
 
 気詰まりな食事が終ると、父親と母は新婚らしい甘い雰囲気のままホテル街へと消えてしまった。去り際に帰りのタクシー代だと言われて、しわくちゃの一万円札を拳の中に握らされた。それを使う気にもなれず、凍えるような寒さの中、高いビル街を縫うように歩いて、輝樹は一人で自宅への帰路を辿った。虚しさが胸をつくように溢れたが、それを気に留めないように頑張った。こんな事は人生でよくあることだ。そう思えば、胸の痛みは多少治まるような気がした。
 
 空から細かな雪が降り始める。ふわふわと空中を漂いながら落ちていく白い塊を視線で追っていると、ふとショーウィンドウに飾られているドレスが目に入った。淡いピンク色をして、襟元や袖にふんだんにフリルが使われている。マネキンの足元に置かれているのは真っ赤な靴だ。可愛いな、と思った瞬間、胸に突き刺さるような痛みが走った。
 
 
 その時、肩にぽたりと液体が落ちる感触があった。雪が雨に変わったのかと思って軽く両手を空へと向けて広げた瞬間、不意に、誰かと視線が交錯した。それは奇妙な感覚だった。猛烈なスピードで視界に現れた逆さまの頭と目が合う。たった一瞬のことなのに、輝樹にはそれが数十秒にも数時間のようにも感じられた。相手の目は見開かれていた。黒目の部分がまるで闇のように深く、輝樹はまるでブラックホールの中に呑み込まれるような感覚に陥った。
 
 そして、次の瞬間、ぼとりという感触と共に、空へと広げていた両手に重みが落ちた。ばたたっと靴に何かの液体が降り掛かるのを感じる。真っ赤になった掌を見つめると、そこには少女の首がちょこんと逆さまに乗っていた。少女の生首はまだ温かかった。首の断面から溢れ出る血は熱いぐらいだ。足下を眺めると、小さな血だまりができていた。首の断面からは、頸椎らしき太い骨と、ぐちゃぐちゃとした赤黒い肉や絡み合った血管らしきものが覗き見えた。生々しく湯気を立てており、細胞がぐにゅぐにゅと蛆虫のように蠢いている。
 
 少女は、両耳の横で長い髪をツインテールに結っている。ピンク色をした唇は清楚で、見開かれた目や凄惨な首の断面がなければ、素直に可憐と思える容貌だった。歳は輝樹と同じぐらいだろうか。少女の首をぼんやりと眺める。それはぼんやりと言うよりも呆然に近かったのだろう。突然の異常な状況に、思考回路が動きを止めていた。
 
 突然、誰かの悲鳴が響き渡る。輝樹から数メートル離れた先で、スーツを着た女性がへたり込んでいた。恐怖に歪んだ視線は、輝樹が持つ少女の生首へと注がれている。連鎖的に四方八方から、悲鳴があがっていく。その悲鳴に、徐々にぼやけていた意識が鮮明になっていく。
 
 少女の生首が唐突に重くなったように感じて、両腕がガクガクと震えた。絶え間なく流れる血のせいで、両肘まで真っ赤に染まっている。膝に力が入らず、そのままコンクリートの上にへたり込むと、ぱしゃんと尻の下で血だまりが跳ねた。この小さな頭の何処からこんな大量な血が出てくるのか解らない。
 
 力の抜けた両腕から、少女の生首がゴロリと転がり落ちる。数度コンクリートの上を横倒しに転がった頭は、輝樹へと顔面を向けて動きを止めた。その瞬間、輝樹は信じられない光景を見た。少女がにたりと笑った。目を細めて輝樹を見つめ、唇には皮肉げな笑みを滲ませている。まるで輝樹を蔑んでいるかのような表情だった。そうして、少女は軽やかな声でこう言った。
 
 
「可哀想な奴。あんたの中身はこんなもんよ」
 
 
 辺りに響きわたる悲鳴が自分のものだと気付くのに、暫く時間がかかった。
 
 

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Published in その他

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