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02 生首は喚く

 
 現実味がないくらい綺麗な男性が目の前に座っている。黒のハイネックと黒の細身のパンツを着た姿は、影のようにも思えた。まるで取調室のような狭い部屋の中で、机を挟んで二人向かい合って座っている状況は、何だか居心地が悪くて、輝樹は意味もなく膝をごそごそと動かした。暖房のついていない部屋は、コンクリート貼りの殺風景な見た目もあわせて、酷く肌寒い。
 
 その男は、にっこりと輝樹に微笑みかけた。
 
 
「皆川輝樹くん、あの少女は君です」
 
 
 ぶっ飛んだ男の言葉に、輝樹は目を白黒させた。口をぽかんと開いたまま呆然と男を見つめる。
 
 
「意味が解りません」
「言い方が悪かったね。この女の子は、君の深層心理を具現化したものです」
 
 
 もっと意味が解らなくなった。眉を顰める輝樹を見て、男が困ったように首を傾げた。
 
 
「輝樹くんは、心は形を持たないものだと思う? 幽霊みたいに実体を持たないものだって」
「それは、そう思います、けど」
「普通はそうなんだ。人間死ねば、魂の分だけ28g軽くなるっていう話もあるけれども、それも魂が物体である確証にはなり切れていない。心というは曖昧で抽象的で、何処に在るかも定かじゃないもののはず。だけど、時々そうじゃない人間がいる」
 
 
 そう言葉を切ると、男は輝樹をじっと見つめた。まるで、その『そうじゃない人間』に輝樹が当て嵌まると言わんばかりに。輝樹は、半ば憮然とした心地で話を聞いていた。そんな非科学的な話を突然言われても、信じられるわけがない。まだ連続殺人犯が空から少女の頭をばら撒いたんだと言われる方がよっぽど信憑性がある。輝樹の不信を感じ取ったのか、男が頬に薄らと笑みを滲ませた。
 
 
「信じられないって顔してるね」
「はい、信じられません。だって、そんなのは理屈に合わない。正直馬鹿馬鹿しいです」
「馬鹿馬鹿しいか。なら君は、人間がたった一つの心を持って生きていると思うかな?」
「それは、解りませんけど」
「人間は、身体の中に、いくつもの心を持ってる。それは場所や相手によって使い分けたりもされる。そうして、人間には自分で把握出来ていない心もあって、時には、自分で自分の心を拒絶してしまう時もある。拒絶したとき、捨てられそうになった心が暴れ出し、そうして形を持って身体の前に現れる」
「生首として?」
「生首として」
 
 
 男は至極当然のように答えた。微笑みを絶やさないその姿は、いっそ不気味だ。輝樹は胡散臭いものでも見るかのような視線で、男を眺めた。
 
 
「余計に馬鹿馬鹿しく思えてきました」
「でも、あの少女はどうする? 生首が喋るという現実は?」
 
 
 輝樹は背を強張らせた。先ほどの少女の背筋が凍るような笑みを思い出す。あんなの見間違いだ。混乱ゆえの幻覚だ、と一概に言い切れないほど、あの時の恐怖は輝樹の身体に染み付いていた。唇を微かに戦慄かせるのと、男が扉に向かって「入れてくれ」と言うのは同時だった。扉が開き、机の上に無造作に置かれたものに輝樹は全身の血の気が落ちていくのを感じた。
 
 それは、あの少女の生首だった。相変わらずにたにたと気色の悪い笑みを浮かべている。愛らしい顔に似つかわしくない卑しい微笑みだった。首の断面から薄らと滲み出した血が木製の血に染み込んで行くのが見えて、目眩がした。生首へと向かって、男が微笑みかける。
 
 
「初めまして、私は神尾と言います。君の名前は?」
「あたし、久美子」
 
 
 生首が快活な口調で答えた。口角をゆったりと吊り上げた表情は、何処か誇らしげにも見えた。
 
 
「君の“身体”は、この子でいいのかな?」
 
 
 神尾と名乗った男は、優雅な仕草で輝樹を指差した。“身体”という台詞に、輝樹は目を剥いた。久美子がしぶしぶといった様子で頷く。その唇は不服そうに尖っていた。
 
 
「そうよ、このカマ野郎があたしの“身体”」
「待てよ! 何で俺の身体がこんな奴の身体になるんだ!」
 
 
 輝樹は咄嗟に叫んだ。混乱と焦燥が胸の底から湧き上がってくる。久美子がハッと鼻で哂った。
 
 
「五月蝿ぇんだよ、カマ野郎。あたしだって、手前なんかが“主体”だだなんて反吐が出る」
「主、体?」
「身体を取り仕切る自我のことだよ。解んねぇなら、黙ってハイハイ言うこと聞いときゃいいんだよカマ野郎が。言っておくけど、あたしが“主体”になったら、手前みたいな自我、一番最初に消してやるからな」
 
 
 可憐な顔に似つかわしくない暴言が次々と飛び出す。久美子は、まるで“その時”が来るのが楽しみだとでも言わんばかりに、口角をにたりと吊り上げた。輝樹は呆然とした。展開が理解出来ないというのもあったが、それ以上に久美子の苛烈な言葉が痛かった。輝樹をカマ野郎と呼ぶということは、久美子は“あのこと”を知っているんだろうか。どうして、生首があの事を。そう思うと、皮膚がカッと熱くなった。
 
 
「カ…マ野郎って、呼ぶな」
「何よカマ野郎、オカマ、変態、気色悪いんだよクズゴミカス、人の言葉喋ってんじゃねぇよゴミ虫以下が、あたしは知ってんだからな、手前が何をされたか、手前が何をしてるか、あたしはぜーんぶ知ってる。この薄汚いカマ畜生」
 
 
 久美子の言葉は容赦なかった。現実がぐらりと脳味噌の中で蕩けていく。そうして、右手が勝手に動いた。久美子の小さな頬を張り飛ばす。生首相手に対して何をむきになっているのか自分でも理解出来なかった。制御不可能な衝動が勝手に身体を突き動かす。パァンと弾けるような音が響いて、久美子の頭が吹っ飛んだ。額を壁へとぶつけて、顔面から床へとぐちゃりと落ちる。その瞬間、輝樹の顔面に鋭い痛みと衝撃が走った。椅子から転げ落ちて、床の上で苦痛に悶える。左頬が焼けるように熱く、頭が痛かった。頬を赤く腫らした久美子の生首が床を転がりながら、ギャンギャンと五月蝿く喚いていた。
 
 
「手前巫山戯んな、ゴミカス野郎! 糞がッ! 糞がッ!」
 
 
 久美子は暫く罵声をあげていたが、自分と同じように床を転がっている輝樹に気付くと、気が狂った鳥のような笑い声を上げた。
 
 
「ギャッギャッ、ざまみろざまぁみろ! あたしと手前は、身体を共有してんだよ! あたしを殺したら手前だって死ぬんだボケがッ! ざまぁみろッ!」
 
 
 輝樹は信じられない思いで、左頬へと掌を押し当てた。熱を持った左頬や、痺れるように痛む頭は間違いなく自分のもので。久美子に与えたはずの痛みが自分にも訪れていることに驚愕する。床へと横倒しになったまま、呆然と哂い狂う久美子を見詰める。こんなの悪い夢だ。生首が生きていて、しかもそれが自分自身の心だなんて現実じゃこんな事は有り得ない。
 
 ずっと黙っていた神尾がわざとらしく堰をつく。悩ましげな眼差しで床に転がる輝樹を見つめると、その美しい曲線を描いた眉を憐憫に歪めた。
 
 
「これで解ったかな? この子は君だよ。それとも君がこの子なのかな?」
「こんなのは…」
「悪い夢? でも、現実だよ。君の頬は赤く腫れている。明日には紫色になるだろう。紛れもない現実の証明だ」
 
 
 椅子から立ち上がって、神尾は輝樹の前へとしゃがみ込んだ。すぐ至近距離から見下ろされて、その威圧感に身体が強張る。
 
 
「明日から久美子ちゃんと一緒に暮らすんだ。新しい学校にも行くんだよ」
「新しい学校って、何ですか…?」
「君が今まで通ってた学校じゃ、生首と一緒に登校なんて出来ないでしょう? だから、そういう専用の学校があるんだ。寮も完備してあるから安心してね」
 
 
 輝樹は咄嗟に上半身を起こそうとした。それを阻むように、神尾が両肩を床へとキツク押さえつける。肩関節ごと押し潰されるかのような感覚に、輝樹は短く呻いた。
 
 
「こんな生首と暮らすなんて嫌だ!」
「捨てたら、君も一緒に死んじゃうよ」
「だ、だっ、だって、い、イヤだ!」
「だだだだって、いやーよぅ。ぼくちゃん、いやーよぉー」
 
 
 揶揄するように久美子が歌う。輝樹は床に仰向けになったまま久美子を睨み付けた。久美子が頬を歪めて哂う。
 
 
「ギャアギャア喚いてんじゃねぇよカマ野郎。嫌ならあたしが手前の“身体”使ってやるよ。早く“身体”からどけよ! どけッ!」
「嫌だ御前なんか消えちまえ! どっか行け!」
 
 
 生首と言い争うだなんて狂気の沙汰だ。両肩を取り押さえられたまま、輝樹は四肢を無茶苦茶に振り乱した。恐慌に咽喉が嗄れる。神尾が暴れ狂う輝樹を見下ろして、困ったように笑う。
 
 
「駄目だよ輝樹君、喧嘩ばっかりしてちゃ。そんなんじゃ、本当に久美子ちゃんに“身体”奪われちゃうよ」
 
 
 身体から一気に血の気が落ちる。そういえば“身体”を奪われるってどういう意味だ。
 
 
「“身体”、を奪われる…?」
「そうだよ。生首が生まれるっていうのは、自分の心と心が争っているって事だからね。生首を消すためには二つ方法があるんだ。一つは、争いをやめて生首と融合すること。もう一つは、争いに負けて、生首に“身体”を乗っ取られること」
 
 
 視界の端で、久美子がうっそりと微笑むのが見えた。背筋に悪寒が走る。カラカラに乾いているのに、目が閉じられない。間近に見える神尾の目は、まるで面白くて仕方ないとでも言いたげに、三日月形に歪んでいる。
 
 
「それに本当のことを言うとね。生首が生まれた人間っていうのは危険なんだ」
「俺が危険?」
「そう。生首っていうのは、酷く原始的な感情で動いている自我なんだ。人間としてのルールや倫理っていうものが全くない。自分の心とも共存できないんだから、他人と共存するなんて無理な話なんだ。過去に生首が生まれた人間が連続殺人犯になったこともある。強盗や強姦殺人、通り魔に人肉食い、大量虐殺にテロ行為、歴史的な大罪を何度も犯してきた。そんな人間を外に出しておけないだろう? だから、“学校”に入れて、矯正するんだ」
 
 
 神尾の口調は、まるで睦言でも囁くかのように艶やかだった。輝樹は唇を戦慄かせた。
 
 
「そんなの、“学校”じゃなくて…」
「刑務所じゃん」
 
 
 輝樹の声に被さるように久美子が言う。まるで面白がっているかのような口調だった。神尾は優しく首を振った。
 
 
「どう呼ぶかは君達の自由だよ。とにかく、君達は融合しない限り“学校”を出られないから、そのつもりで。仲良くやるんだよ」
 
 
 両肩を離される。強く押さえられていた両肩は動かすと、付け根がぢんと痺れるように痛んだ。肩を緩く撫でながら、輝樹は問い掛けた。
 
 
「か、母さんは?」
「大丈夫、君のお母さんにも“四人目”のお父さんにも事情は説明してあるからね。二人とも安心して、君のことを僕らに任せてくれたよ」
「四人目ぇ!? あのアバズレ、また男替えたのぉ!?」
 
 
 久美子が素っ頓狂な声をあげる。輝樹は久美子を睨み付けて、奥歯を強く噛み締めた。
 
 
「母さんを悪く言うな!」
「うっせぇマザコン! ゲロ野郎! ゲロクソ野郎が、カマ臭ぇんだよゲエ゛ェエ゛ェ!」
 
 
 下劣な言葉のオンパレードに、神尾が肩を竦める。
 
 
「仲良くしてって言った途端に喧嘩なんて。これじゃ一生“学校”から出られないよ」
 
 
 呆れたように呟いてから、神尾は悪戯でも思いついたかのような表情で、首元のハイネックを指先で下げた。ハイネックの下から現れたのは、真一文字に切り裂かれたかのような傷痕だ。その傷は首を一周している。輝樹は息を呑んだ。
 
 
「君もこうなりたい?」
「な、に、その傷」 
「言ったでしょう? 生首に“身体”を奪われるって」
 
 
 神尾が微笑む。笑みを刻んだ唇の下には、首を横断する傷痕が。輝樹は震える息を吐き出し、その傷を凝視した。
 
 

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