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04 ハーメルンの子供たち

 
「お父さんとお母さんは一緒じゃないの?」
 
 
 聞き覚えのない女の声で、目が覚めた。飛行機窓側の座席、毛布に包まるようにしてジェドは眠っていた。頭部を覆う毛布の隙間から、ちらりと視線を声の方向へと向ける。三人席の通路側に座る中年女性が甲斐甲斐しい様子で、座席中央に座るエミーに話しかけているのが見える。
 
 
「お父さんとお母さんはいないよ。僕らいつも二人でおばあちゃんの家に遊びに行くんだ」
 
 
 エミーが、にこにこと子供らしい笑顔で答える。決まりきった嘘。この遣り取りを聞いたのももう何十回目だろう。子供が二人きりで居ると、こういうお節介な人間が必ずといっていいほど声を掛けてくる。その度に、対応するのはエミーだった。
 
 
「そうなの? でも、二人きりだなんて不安じゃない?」
「そんなことないよ。空港までお父さんが送ってくれたし、着いたら直ぐにおばあちゃんとおじいちゃんが迎えに来てくれるから」
「あらぁ、でもねぇ…」
 
 
 でもでも、と馬鹿の一つ覚えのように繰り返す中年女性に、聞いているジェドまで苛立ってくる。放っておいてくれ!と叫びそうになるのを、身体をぎゅうっと丸めて堪える。どうして、家族の話をずかずかと無神経に聞いてくる。
 
 以前はいちいちこの遣り取りを繰り返すのが面倒で、移動の間だけ両親役の役者を雇ったこともある。だが、偽りの家族ごっこを演じる方がジェドにはよっぽど辛くて、それも直ぐにやめてしまった。見知らぬ大人に、実の息子のように手を繋がれる行為に耐えられなかった。役者を雇わなくなった分、エミーはお節介な大人へと言い訳する労力が増えたが、ジェドに対して文句の一つも言わなかった。ただ、今のようににこにこと微笑みながら、もう何百回目になるかも解らない話を繰り返すばかりだ。
 
 
 両耳を塞いで、必死に耳の中に入ってくる女の声を遮断しようとする。だが、不躾な女の声はジェドの小さな身体に突き刺さり続ける。お父さんは、お母さんは、繰り返される言葉に心臓がぎすぎすと痛む。この世界の無自覚な残酷さがジェドには苦しい。
 
 気付いたら、肩を揺さぶられる感触があった。毛布の隙間から、恐る恐る目を覗かせる。エミーの蒼い目がじっとジェドを見つめていた。
 
 
「兄さん、大丈夫?」
 
 
 問い掛けに首肯で答える。途端、エミーはほっとしたように目を細めた。目線だけで『あの女は?』と訊ねると、エミーは悪戯っ子のように軽く舌を突き出した。
 
 
「あんまりしつこく話し掛けてくるからさ、ちょっと眠ってもらっちゃった」
 
 
 差し出されたエミーの掌に乗せられていたのは、即効性の睡眠薬だ。中年女性の簡易机の上に置かれたオレンジジュースのカップを見て、エミーがこっそり混ぜたのかと把握する。そのエミーらしくない向こう見ずな行動に、思わずジェドの頬に笑みが微かに滲む。
 
 
「兄さん、毛布のはしっこちょうだい」
 
 
 そう強請られて、毛布の端をそっとめくる。途端、エミーの小さな身体が毛布の中に潜り込んできた。毛布を頭まで被って、二人きりの密室でじっと見つめ合う。薄暗い空間で、エミーの蒼い目がキラキラと輝いているのが綺麗だと思った。
 
 
「うるさいおばはん。おばはん、うるさい」
 
 
 まるで言葉遊びでもするみたいに、エミーが呟く。そのおどけるような口調が面白くて、毛布の中、互いの額を押し付け合ってくすくすと笑い声を漏らす。
 
 
「おばはん、しつこい。しつこいおばはん」
 
 
 エミーがもう一度繰り返す。込み上げてきた笑いを抑えられなくて、毛布からはみ出た両足がバタバタと暴れた。細い足同士が空中で絡み合ったり、戯れに蹴り合ったりする。
 
 
「あんまり暴れないでね、僕たち」
 
 
 そうしていると、ふと客室添乗員らしき女性の声が聞こえた。毛布から顔を出したエミーが快活に答える。
 
 
「はーい、ごめんなさーい」
 
 
 そう答えるなり、毛布の中へともう一度戻ってくる。唇へと人差し指を押し当てると、しーっと小さな声をあげた。そのわざとらしい仕草さえも面白かった。声をあげないように両掌で口元を覆って肩をふるふると震わせる。
 
 ふと、エミーの細い指先がジェドの耳朶をくすぐる。ジェドの両頬を掌で包み込むと、エミーはそっと囁いた。
 
 
「二人きりだと不安だなんてバカみたい。僕は兄さんと二人でいるときが一番安心するのに」
 
 
 そう囁くエミーの声に、ふと全身を満たしていた孤独が薄れていくのを感じた。頬を包むエミーの掌を掴んで、ジェドも小さく掠れた声をあげた。
 
 
「おれ゛、も」
 
 
 まるで金属を紙やすりで擦ったような聞くに耐えない濁声が零れる。砂でも飲み込んだように咽喉がざりと痛むのを感じて、ジェドは片手で咽喉を押さえた。エミーが宥めるようにジェドの背中をゆるゆると撫でてくる。その優しい感触が嬉しい。この世界に、ひとりぼっちではないと思える。
 
 
「兄さん、いっぱいお金を稼ごうね。僕ら二人きりで生きていけるように」
 
 
 祈るようなエミーの言葉に頷きを返しながら、ジェドはふと頭の奥を言いようのない不安が過ぎるのを感じた。いっぱいお金を稼ぐというのは、ジェドとエミーがこれからも大量の人間を殺すという事を意味する。何百人もの躯の上に築かれる二人だけの世界が果たして安楽に満ちているのか。それが理想の世界と呼べるのか。
 
 思考は頭に浮かぶ端から、曖昧に消えていく。そんな事を幾ら考えたって意味がないとジェド自身が知っているからだ。ジェドは、この方法以外に金を稼ぐ術を知らない。生きていくために金は必要だ。ならば、何も考えず、大人を殺し続けるしかなかった。
 
 
「つぎは、なんにん、ころす?」
 
 
 次に向かう国では何人殺すのだろう。ふと疑問に思って、エミーへと問い掛ける。エミーは、面倒臭そうに肩を竦めた。
 
 
「さぁね、そんなのどうだっていいじゃない」
 
 

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Published in その他

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