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05 生首は落ちる

 
 校舎内に入って、数十歩目で輝樹は激しく後悔した。車から下ろされたところで久美子を投げ捨てて、森の中にでも逃げ込めばよかった。例え遭難して、寒さと空腹で喘ぐとしても、こんな場所に連れて来られるよりかは、ずっとマシだっただろう。
 
 校舎の中では、何人もの“生徒”が歩いていた。まさしく人間の坩堝と言わんばかりに、小学生ぐらいの子供から明らかにあの世へ一歩踏み出しているだろう老人まで、老若男女が入り混じっている。その人間達に共通しているのは、やや猫背気味な不健康な姿勢と、それから胸に吊り下げた生首箱だ。だが、箱の中身を窺うことは出来ない。皆々が箱に黒い布を被せて、その中身を見えなくさせている。
 
 それを見て、輝樹は咄嗟に箱を抱き締めていた。久美子を見られるのが恥ずかしかった。こんな女が自分の内面だと思われるのは絶対に嫌だった。視界を覆われたことに苛立ったのか、久美子が箱の中で頭を左右に揺さぶりながら甲高い喚き声を上げる。
 
 
「ちょっと、見えねぇだろうがヴォケ!」
「五月蝿い、黙ってろよ…!」
 
 
 箱へ向かって押し殺した声をあげる。しかし、周りの人間がそんな遣り取りを気にしている様子はなかった。ちらりと視線を向けることもなく、俯いたままとぼとぼとした力ない足取りで歩き続けている。その姿は、何処か死にかけた兵士達の行軍にも見えた。
 
 
「ここが貴方がたの教室です。入って下さい」
 
 
 みちるの言うままに、目の前の教室へ足を踏み入れる。ぐちゃぐちゃに並べられた机や椅子がびっしりと並んでいる割には、座っている人間はその四分の一にも満たなかった。俯いていた生徒達が一瞬ちらりと視線をあげて輝樹達を見遣ったが、すぐに眼差しを落としてしまう。その机の上には、真っ黒い生首箱が一様に置かれていて、まるで骨壷のようだと思った。そうして、黒板には大きな文字でこう書かれていた。
 
 
 
 ≪――我々は選ばれし者 神と話す使者なり――≫
 
 
 
 何だ、この選民思考の塊みたいな言葉は。性質の悪い宗教臭さに、一瞬背筋がざわつく。みちるはちらりと黒板を見遣ると、鼻先でせせら笑った。丸っきり馬鹿にしたような笑いだった。
 
 
「これを書いたのは誰ですか?」
 
 
 みちるが問い掛けると、教室の中に一瞬冷たい空気が走った。生徒達は皆強張った顔で、互い互いを見渡して、結局口を噤む。それは何かを恐れているような仕草に見えた。みちるが短い指で黒板をトントンと軽く叩く。
 
 
「誰だと聞いています。木野くん、誰が書いたか知っていますか?」
 
 
 机に突っ伏して寝ていた男が気だるそうに顔をあげる。木野くんと君付けで呼ばれたにも関わらず、その男は既に四十歳を超えていそうな中年だった。目蓋がむくみ、歯茎が色褪せ、顔全体が赤黒く染まっている。輝樹の三人目の父親と同じ、アルコール中毒者独特の顔立ちだった。
 
 
「…高田君たちでぇす」
 
 
 酷く投げ遣りな声で吐き捨てる。木野はそう言うと、直ぐに鼾をかいて寝てしまった。ガァガァと呼吸器が詰まったような鼾が耳障りだった。みちるは、そうですか、と興味なさそうな相槌を返してから、溜息混じりに吐き出した。
 
 
「高田くん一派も困ったものです。まだ自分達が特別だと思い込んでいるんですから。輝樹くんも、あまり彼らに関わってはいけませんよ」
「彼らって?」
「生首を神として崇めている自称信仰家なグループです。生首と話す自分達は選ばれし人間だと思い込んでいるんです。ですが、生首は決して神ではありません。生首は自分自身だと確りと認識しないと、融合は果たせませんからね」
 
 
 最後の台詞は、輝樹だけでなく生徒達全員にも言っているようだった。教室内を睥睨して、みちるはそれから勿体ぶるような咳払いをひとつ零した。輝樹の腕を緩く掴んで、言い放つ。
 
 
「今日から新しいトモダチが増えます。皆川輝樹くんに、久美子さんです。皆さん仲良くしてください」
 
 
 みちるがそう言っても、顔をあげて輝樹を見るものは誰もいなかった。無関心という強大な暗闇が空間を覆っている様に、輝樹は微かな怖気を覚えた。こんなところでやっていけるのかという不安が頭を擡げて、じくじくと心臓を甚振る。そのまま黙っていると、みちるに背中をとんと押された。戸惑ったまま歩き出すと、窓際の前から四番目の席に座ってくださいと指示が与えられる。
 
 
「何か解らないことがあったら、隣の佐々木くんに聞いてください。輝樹くんと同い年です」
 
 
 そう言われて、椅子へと腰を下ろしながら、隣の席へと視線を移す。すると、怯えたような瞳とかち合った。生首箱の影に隠れるようにして、痩せっぽちの少年が輝樹を眺めていた。佐々木と呼ばれた少年は、その小さな顔には似合わない大きな眼鏡を掛けており、恐怖を押し隠すように薄い唇を噛み締めていた。
 
 
「ほら、ちゃんと挨拶をして下さい」
 
 
 みちるが僅か笑いを含んだ声音で促す。すると、佐々木の細い身体は目に見えて跳ねた。俯いたまま、輝樹と視線を合わせずもごもごと聞き取りにくい声を発する。
 
 
「佐々木直弥、です…」
 
 
 小さな声だったが、その声は掠れて震えていた。佐々木は輝樹と視線を合わせない。黒布に覆われた生首箱をぎゅうと抱き締めたまま、ただ苦痛の時間が過ぎるのを待つように、ひたすら押し黙っている。
 
 
「寮も佐々木くんとの相部屋です。学校や寮も佐々木くんに案内してもらって下さい」
「えぇー、こんな暗い奴っつうか引き篭もりと同室ぅ? こんなんじゃ、そもそも会話が成り立たないじゃん」
 
 
 久美子が口を尖らせて文句を漏らす。だが、みちるは相変わらず笑みを浮かべたまま、久美子の不平を穏やかにいなした。
 
 
「トモダチの悪口を言っちゃダメですよ」
「友達って、全然こんな奴友達じゃないし!」
「いいえ、この学園にいる人はみんなトモダチです。同じ目標を持って、同じように努力する仲間なんですよ。ほら、友情の証に、輝樹くんと佐々木くんは握手をしてください」
 
 
 過保護な小学校より性質が悪い。握手を促されて、目に見えて佐々木は狼狽していた。首を小刻みに左右に振って拒絶を示す。その顔は既に泣き出しそうに歪んでいる。みちるは、佐々木の拒絶を黙殺した。のんびりとした表情で様子を窺っているままだ。みちるが発言を撤回しないのを感じると、佐々木は救いを求めるような目で輝樹を見てきた。その眼差しに、不意にざわめくように苛立ちが込み上げてきた。
 
 
 ――握手ぐらいで何だ。死ぬわけでもあるまいし。助けて欲しいのは、俺の方だ…。
 
 
 腹の底でそう漏らす。腹立たしさと面倒臭さが相まって、険のある眼差しで佐々木を睨み付けた。この茶番をとっとと終わらせたい一心で、雑に佐々木へと手を差し出す。
 
 
「握手」
 
 
 ぞんざいに言い放った。そのまま、さっさと握れとばかりに、掌を上下に揺らす。
 
 佐々木の目が水の膜を這ったように潤んでいた。まるで冷凍庫に数時間ぶちこまれたかのように、その身体が小刻みに震えている。尋常でないほどの拒絶反応だ。その唇が酸欠の金魚のように、ぱくぱくと上下していた。
 
 
「…さ…ると、……ちゃう……」
 
 
 虫が鳴くような酷く小さな声が届く。聞き取ろうと耳を近付ける。そうして、その声を判別できた瞬間、鼓膜がざわりと震えた。
 
 
「触ると、変わっちゃう」
 
 
 意味を聞くことは出来なかった。唇を“あ”の形に半開きにしたまま、佐々木の見開かれた目が輝樹の背後へと向けられていた。肩越しに振り返った瞬間、輝樹の唇も佐々木と同じように“あ”の形に開かれていた。
 
 
 窓の外を、生首が落ちていた。それは極平凡な顔立ちの男の生首だった。状況を把握できていないような唖然とした表情で、逆さまに落下していく。それは直ぐに輝樹の視界から消えていった。
 
 だが、それで終わらなかった。次の瞬間、空気を引き裂くような甲高い絶叫が窓の外、その上方から響いてきた。そうして、生首に引き続くように、今度は生身の人間が猛烈なスピードで落ちていく。生首と同じ顔をした男だった。その顔に浮かんでいるのは、驚愕と恐怖だ。
 
 男の姿も直ぐに視界から消えて、窓の下からグシャともグチャともつかない湿った音が聞こえてきた。まるでトマトを素手で叩き潰したかのような音だと思った。
 
 
 輝樹には、何が起こったのか判らなかった。生首と人間が落ちていった。落ちた。落ちた。落ちた。
 
 
「あーあぁ、潰れちゃったぁ」
 
 
 久美子が呆れたように呟く。途端、猛烈な吐き気が込み上げてきた。両手で口元を押さえたまま、迸りそうになる悲鳴を押し殺す。
 
 縺れそうな足取りで窓へと駆け寄って、下を見下ろすと、男がうつ伏せになって倒れている姿が見えた。手足が見当違いな方向へ折れ曲がっていて、全身から大量の血を溢れさせていた。その男の傍らには、まるで片付け忘れられたサッカーボールのようにぽつんと生首が転がっていた。見開かれ色を失くした眼球がぼんやりと空を見上げている。
 
 
「と、飛び降り…た!」
「あれほど飛び降りはするなと言っていたのに」
 
 
 混乱する輝樹に対して、みちるは落ち着いた様子で溜息なんか吐いている。
 
 
「きゅ、救急車…呼ばないと…!」
「呼ぶ必要はありません。もう助かりませんから」
「死んだって、わかんないだろうが!」
「解りますよ。彼は生首を投げ捨てたんです。自我を拒絶してしまった人間に、未来はありません」
 
 
 みちるの言葉ははっきりしていた。だが、輝樹には矢張り理解不能だった。
 
 
「お前…何、言ってんだ…」
「輝樹くんはあんな事しちゃいけませんよ。生首が死ねば貴方も死にます。生首を屋上から投げ落とせば、貴方も屋上から落ちます。解りますか、この意味が?」
 
 
 全身が総毛立った。ヒッと咽喉が鳴る。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ、そんなのは嘘っぱちだ。それじゃ本当に一心同体、一蓮托生じゃないか。こんな生首で喋るような化物と。
 
 
「生首は貴方自身です。この事を決して忘れないように」
 
 
 頭の中が真っ白になる。窓の下で血の海に横たわる男を呆然と眺めながら、輝樹はそこに未来の自分を見た気がした。
 
 

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