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06 生首は神様

 
 ホームルームが終わった後も、輝樹は呆然自失のまま椅子に座り込んでいた。何時間経っても、授業と呼べるものは始まらなかった。数人の生徒が俯いたまま、じっと生首箱へとぶつぶつと呟く念仏じみた声が聞こえるだけだ。
 
 時計の針が九時から十二時の位置に移動した頃、隣から弱々しい声が聞こえてきた。
 
 
「学校、案内しようか…?」
 
 
 佐々木が輝樹の顔をおっかなびっくり覗き込んでいた。その怯えた声の底には、輝樹に対する気遣いが微かに感じられた。飛び降り自殺にショックを受けている転校生への思いやりだ。
 
 ぼんやりと佐々木を見遣って、輝樹は譫言のように呟いた。
 
 
「あんなん…よく起こんの?」
「よく、ではないよ。時々、二三ヶ月に一回ぐらい」
 
 
 それが多い頻度なのか、それとも少ない頻度なのか輝樹にはもう判断出来なかった。そっか、と曖昧な相槌を返して俯く。生首箱の中で、久美子が暢気そうに鼻歌を歌っていた。輝樹の知らない曲だ。
 
 
「大丈夫、すぐ…慣れるから」
 
 
 慰めにもならない言葉を佐々木が呟く。それは佐々木の実体験に基づいた言葉なのか、バツが悪そうに佐々木が視線を逸らした。
 
 
「こんなん、慣れたく、ない」
 
 
 呻くように零す。自分でも情けないと思ったけれども、それは完全に涙声だった。佐々木が困ったように口を噤む。代わりのように口を開いたのは久美子だ。
 
 
「飛び降り自殺ぐらいで凹んでんじゃねぇよ、金玉小せぇ奴だなぁ」
 
 
 思いやりも何もないガサツな口調で吐き散らかす。甲高い少女の声を聞いた瞬間、頭に血が上った。
 
 
「うるせぇよクソ生首! そもそもこんな所に入れられたのはお前のせいじゃねぇか。お前みたいな化物が俺の腕の中に偶然落ちてきたから、俺はこんな最悪な目にあってんだろうが!」
「はぁ!? はぁはぁ、責任転嫁ですか! いよいよ性根まで腐った奴だな! いい加減あたしが手前だって認めたらどうなんだよ、この甘ったれ!」
「お前なんか俺じゃねぇって言ってんだろうが!」
「だったら! あたしをそこから投げ落としてみろよ! そしたら全部解る! 全部な!」
 
 
 自棄になったように久美子が顎をしゃくって窓を指す。その仕草に輝樹は息を呑んだ。こんな生首、自分じゃない。そう信じている。だけど、もし万が一久美子が自分だった場合、久美子を投げ落とせば輝樹も同じように窓から飛び降りることになる。あの男と同じように飛び降り死体の一つになってしまう。グラウンドに転がる死体と生首が瞼の裏側にフラッシュバックする。あんなのは嫌だ。絶対に、嫌だ。
 
 歯の根が噛み合わなくなる。カチカチと歯が擦れ合う不快音が響いて、久美子が鼻で笑う。
 
 
「度胸も決意もねぇくせに粋がってんじゃねぇよクズ」
 
 
 憎悪が弾けた。生首箱を乱暴に掴むと、そのまま窓際へと向かって大股で進む。そのまま開いた窓の前に立って、生首箱を振り上げた。久美子の暴言が聞こえる。だが、もうどうでも良かった。こんな化け物とこれ以上一言でも口を聞くのは我慢ならなかった。
 
 生首箱を一思いに階下へと叩き落とそうとした瞬間、ぐんと肩を引っ張られた。後方へと向かって重力が掛かって、そのまま輝樹は生首箱と一緒に床に転倒した。
 
 
「ギャッ!」
 
 
 生首箱から転がり出た久美子が壁へと頭を打ちつけて悲鳴をあげる。輝樹の頭にも鈍痛が走った。久美子は、悲鳴をあげた次の瞬間には呪詛を喚き散らしていた。
 
 
「何しやがる、このモヤシ野郎! あたしの顔に傷付けたら慰謝料払わせるぞグォラァ!」
 
 
 久美子が怒鳴っているのは、輝樹の背後に立ち竦んでいた佐々木だ。ぶるぶると身体を震わせて、輝樹を見下ろしている。どうやら佐々木が輝樹を後ろから引っ張ったらしい。
 
 
「し、死んじゃ、だめだ…」
 
 
 佐々木の声は掠れて、酷く聞き取りづらかった。久美子が白けたように鼻をならす。
 
 
「そ、その子が本当に君かどうかなんて、今すぐ結論出さなくても、い、いいじゃない。まっ、まずは、仲良くしようよ」
 
 
 上擦った声でたどたどしく佐々木が言う。床に尻餅をついたまま、輝樹は佐々木を凝視していた。
 
 佐々木の左頬に黒い鱗が浮かび上がっていた。それは、まるで産毛のように逆立ち、ぞわりと一瞬震えた後、皮膚の下に埋没していった。人間の皮膚に鱗が生えるはずがない。そう理解しているからこそ輝樹は唖然とした。
 
 佐々木は一度自分の頬を撫でた後、酷く疲れ切った声をあげた。
 
 
「学校、…案内するよ。一緒に行こ…?」
 
 
 
 
 
 視線が勝手に佐々木の左頬へと向かってしまう。おどおどした声で拙く語られる校内の説明を上の空で聞きながら、輝樹はまじまじと佐々木の顔を凝視していた。それが不躾な行動だとは自分でも解っているが、それでもしていないと湧き上がった不安感が押さえられなかった。
 
 佐々木は生首箱を両腕に抱いたまま、じっと俯いて口元だけを事務的に動かしている。ぽつぽつと語られる言葉は、まるで念仏のようにも聞こえた。
 
 校舎は四階建てだった。それぞれの階には四つずつ教室があるようだったが、どの教室を覗いても生徒の姿はまばらにしかなかった。
 
 
「ここには何人ぐらいいるの?」
 
 
 問い掛けると、佐々木は念仏を止めて、眼鏡の奥の目をパチパチと数度瞬かせた。
 
 
「さぁ…たぶん百人ぐらいだと思う…」
「みんなどこにいるんだ」
「大抵の人は、寮に閉じこもったりしてるから、授業に出てくる人なんか稀だよ」
「みんな逃げようとはしないのか?」
 
 
 率直な質問に、佐々木が口を噤む。暫くの沈黙の後、佐々木は掠れた声をぽつりと漏らした。
 
 
「お願いだから、逃げようなんて考えないで」
 
 
 酷い目にあうから、と続けられた。輝樹には、佐々木の言う酷い目というのが具体的に想像出来なかった。想像出来ないからこそ不気味だった。
 
 久美子が「酷い目ってさ」と鼻で笑っている。
 
 体育館の近くまで来た時、ジャージ姿の男たちと擦れ違った。輝樹が視線を止めたのは、その男たちが生首箱を持っていなかったからだ。その内の一人は、小脇にサッカーボールを抱えている。
 
 サッカーボールを抱えた男が輝樹に目を止める。健康的な肌をした少年だった。年は輝樹よりも年上そうだが、一緒にいる三人の男達よりかはずっと若く見えた。高校生ぐらいだろうか。
 
 
「こんにちは」
 
 
 極自然に少年は挨拶をした。強ばりも陰鬱さもない、屈託のない声音だった。
 
 
「こんにち、は」
 
 
 この学校に来て、初めて普通に挨拶をされた気がする。どもりながらも輝樹も返事を返した。少年が嬉しそうに目を細める。
 
 
「もしかして転校生?」
「はぁ、まぁ」
「サッカーできる?」
 
 
 唐突な問いかけに、輝樹は目を白黒させた。小学生の時、地元のサッカークラブに所属したことがある。母親が二度目の再婚した際に引っ越して、結局半年間しか出来なかったけれども。
 
 
「できますけど」
「本当? 今からフットサルするんだけど参加しない? フォワードがひとり足りないんだ」
 
 
 少年が目を輝かせる。手の中でサッカーボールを転がしながら、少年は気安い口調で輝樹を誘った。その周りにいる男達も、にこにこと朗らかな笑みを浮かべている。
 
 まるでクラスの人気者ばかりが集まったグループだ。成績も運動神経もよくて、イジメなんかしなくて、当たり前のようにリーダーシップが取れるような奴ら。だが、この学園には似つかわしくない。
 
 
「ちょっとあたしのこと忘れてんじゃなーい?」
 
 
 相手にされないことに拗ねたのか、久美子がふてくされた声をあげる。少年は軽く腰を屈めると、生首箱に収まる久美子と視線をあわせた。
 
 
「こんにちは。貴女のことは何て呼んだらいいかな?」
「久美子よ、くーみーこー」
「素敵な名前だね」
 
 
 文章だけ見ればお世辞とも取れる言葉を、少年は何のてらいもなく口に出した。久美子は満更でもなさそうに、ククと小さく笑い声をあげた。
 
 
「解ってんじゃん、あんた。なかなか良い奴ね」
「ありがとう。これからも仲良くしてくれると嬉しいな」
 
 
 久美子がツインテールを揺らしながら、どうしようかなー、などと漏らす。不意に服の裾を引っ張られて、輝樹は佐々木の存在を思い出した。佐々木は輝樹の影に隠れるようにして、少年達を恐る恐る眺めている。
 
 
「もう行こう…」
 
 
 怯えた声だった。どうして、こんな友好的な連中を怖がっているのか理由が解らず、輝樹は顔をしかめた。
 
 佐々木の姿に気づいたのか、少年があぁと小さく声をあげる。
 
 
「あぁ、佐々木くんもいたんだ。校内を案内してる途中なの?」
 
 
 佐々木は俯くだけで答えようとはしない。代わりのように輝樹が「そうです」と答えると、少年は肩を軽く竦めた。
 
 
「じゃあ、邪魔出来ないね。また今度誘うから、その時はよろしく」
「あのっ」
 
 
 去ろうとする少年を、思わず呼び止めていた。少年が首を傾げる。
 
 
「あの、何で、あなた達は、その、アレをもってないんです?」
「アレ?」
「だから、これ」
 
 
 久美子が入った生首箱を軽く顎で指す。すると、少年は合点がいったように小さく頷いた。
 
 
「僕らは彼らと一緒に行動しない事にしているんだ」
「そんな事が出来るんですか?」
「彼らから了承を貰えればね」
「あたしは許さないからね!」
 
 
 輝樹が露骨に顔を緩めた瞬間、久美子からの怒声が飛んできた。折角久美子と離れることが出来ると思ったのに。少年が笑い声を零す。
 
 
「それに、恐れ多いだろ?」
「恐れ多い?」
「神様と並んで歩くなんでおこがましい」
 
 
 ポストは赤い、と世の中の常識を言うかのように少年は口に出した。その瞬間、輝樹の身体は強張った。ミチルの言葉を思い出した。
 
 
 『生首を神として崇めている自称信仰家のグループ』
 
 
 少年は輝樹の戸惑いを気にとめることもなく、ゆっくりと右手を差し出した。
 
 
「高田マコトです。よろしく、皆川くん」
 
 
 高田が迷いなく輝樹の名前を口に出したことに驚いた。唖然としていると、高田は慌てたように弁解した。
 
 
「蒲野先生がさっき、あっ、蒲野先生って知ってるかな。生徒指導の先生なんだけど、今日転校生が入るって言ってたから名前知ってたんだよ」
 
 
 別に僕怪しい奴じゃないから。そう一生懸命弁明されれば、これ以上疑うのも悪い気持ちになってくる。差し出されたままの手をゆっくりと握りしめると、高田は頬を緩ませた。
 
 
「今度は一緒にフットサルしよう。約束な」
 
 
 そう言って、高田達が体育館へと消えていく。高田達の姿が見えなくなった頃、ようやく佐々木が輝樹の影から出てきた。
 
 
「悪い奴じゃなさそうだな」
 
 
 独り言を漏らすと、佐々木は信じられないものでも見るかのように輝樹を凝視してきた。生首箱を両腕にきつく抱き締めたまま、物言いたげに唇を数度震わせたが結局何も言わずに俯いた。
 
 

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