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桃井さんとヤクザ 3

 
 それから桃井さんは、駄菓子屋に寄って紙袋いっぱいのお菓子を買い、ついでにビデオ屋に寄ってアニメのDVDを二枚借りた。あの青い猫型ロボットが駄目小学生と地球を救ったりする映画だ。桃井さんは「何でだか何回見ても飽きないんだよねー」などと独りごちながら顎を指先で撫でた。サラダにするつもりだったトマト五個は、その間に跡形もなく消えてしまった。
 
 
 結局荷物の場所まで行けた時には、ゆうに二時間は経っていた。そこは商店街から外れた裏通りの一角にあるビルで、外から見ても解るほど荒廃しきっていた。罅の入ったコンクリートに、割れた窓ガラスを無理矢理ガムテープで固定した跡、ゴミの落ちた階段は人一人がギリギリ通れる程度の細さしかなく、太腿の付け根が痛くなるほど急だった。桃井さんはふがしを齧りながら、ひょいひょいと階段を身軽に登り、それから三階にある鉄製の扉をガンガンとぞんざいに叩いた。
 
 
「荷物受け取りにきましたー」
 
 
 何とも緊張感のない声だと思った。暫く叩き続けると、扉の向こうで何かが動く気配があった。扉が指先程度に開かれて、隙間からぎょろりとした目玉が覗いて来る。白目の部分が真っ赤に充血していて、まるで吸血動物のように見えて、僕はぎょっと後ずさった。
 
 
「……御前、何処のもんだ」
「何処のもんかって言われたら、一応何でも屋さんってやつ。ササキさんから仕事回されてきたんだけどさ」
「ササキの爺さんから?」
「そう、ぼったくり八百屋のおいちゃん」
 
 
 桃井さんがぎょろ目に向かって、にまーっと笑いかける。ぎょろ目は桃井さんの笑顔に怯んだように、ぐっと眉を寄せた。それから桃井さんと僕の手に大量に持たれたビニール袋と紙袋に気付くと、警戒するように目を細めた。
 
 
「なんだ、その荷物」
「ご飯。にいちゃんも食べる?」
 
 
 桃井さんがビニール袋に手を突っ込むと、露骨にぎょろ目の身体が強張った。銃でも取り出されるとでも思ったのだろうか。ぎょろ目が更に目を見開く。しかし、桃井さんの手に握られたイチゴのパックを見ると、呆れたような、まだ疑うような目で桃井さんをじろじろと眺めた。
 
 
「はい、あげる」
「……御前、何のつもりだ」
「何のつもりもないよ。そんな不健康そうな面してさぁ、シャブばっか打って、ろくに飯も食ってないんじゃねぇ? 腹減らないからって、身体が大丈夫なわけじゃないんだからな」
「医者にでもなったつもりか、余計なお世話だ」
「いいから、食べろって。にいちゃん死んじゃうよ。シャブで死んじゃうと、骨まで灰になっちゃうんだよ。そんなん寂しいでしょ」
 
 
 まるで諭すように桃井さんは囁いた。ぎょろ目は、桃井さんとイチゴのパックを交互に眺めてから、怯えたような手付きでイチゴのパックを受け取った。微かにその目は潤んでいるようにも見えた。
 
 
「…御前、名前は?」
「桃井。そんでこっちが俺の助手の白川くん。にいちゃんは?」
「サワキ」
「下の名前は?」
「リョウスケ」
 
 
 酷く聞き取り難い声でそう答えて、ぎょろ目は扉を大きく開いた。全貌を見ると、ぎょろ目は思った以上に若い顔立ちをしていた。痛んだ金髪に、痛々しいまでにか細い四肢をしている。まるで黄色いマッチ棒のようだ。
 
 
 桃井さんが軽やかな足取りでコンクリート張りの部屋へと足を進めて行く。僕はその後ろを慌てて追い掛けた。部屋は思っていたよりも、ずっと広く、そうして何もなかった。物が吃驚するぐらいない。木製の小さな机が一つと、椅子が一脚。机の上には、無造作に注射器と細長いゴム、それから袋に入れられた白い粉が転がされている。部屋の隅っこに大きなトランクが横倒しされていた。
 
 
 桃井さんは、机に置かれた注射器をちらりと眺めると、その横にイチゴのパックをある分だけ積み上げた。
 
 
「イチゴだけじゃ栄養偏るから、コンビニ弁当でいいからちゃんと食えよ」
 
 
 まるで母親のような桃井さんの言葉に、ぎょろ目は吃驚するぐらい素直に頷いた。桃井さんが目を細めて、愛おしむようにぎょろ目の髪の毛をわしゃりと掌で掻き乱す。ぎょろ目は、桃井さんに委ね切っていた。まるで本当に桃井さんの子供にでもなってしまったかのようだ。駄菓子袋の中からソースせんべいを取り出すと、桃井さんはそれをバリバリと噛み砕きながら首を傾げた。
 
 
「そんで、荷物はどれ?」
「あれ」
 
 
 指差されたのは、部屋の隅に転がるトランクだ。ぎょろ目は細い腕でずるずると重たそうにトランクを引き摺ってくると、桃井さんの前にどんと置いた。
 
 
「中身は見てもいい感じ?」
「構わねぇけど、口外はすんな」
 
 
 好奇心を隠そうともせず、桃井さんが楽しそうに鼻歌を歌いながらトランクを空けていく。ぱかりとトランクを開いた瞬間、見えたものに僕は目を剥いた。桃井さんは、少し不思議そうに目を瞬かせて、それからトランクの中身に「はろー」と暢気な声をかけた。そこに居たのは、恐怖に身体を強張らせた女性だ。両手両足は縛られていた。片方は裸足で、もう片方が真っ赤なピンヒールを履いている。明るめの長い茶髪が微かにもつれながらも、緩やかなカールを描いていた。化粧が剥げ気味なのを除けば、何処にでもいるキャバ嬢といった風采だ。口にはガムテープが貼られていて、何か言いたげに唇がもごついているのが判る。
 
 
「ガムテープ剥いでもいい?」
「叫んだら、殴って黙らす」
 
 
 その暴力的な言葉を肯定と取ったのか、桃井さんがぎょろ目を見上げて、にこーっと笑った。ぎょろ目は桃井さんの笑顔に、微かに頬を赤らめた。その様子が初々しく見えてしまうのは、僕の思考回路が少しずつイカれているせいだろう。桃井さんは人の神経中枢を麻痺させる毒か何かをまき散らしているんじゃないだろうか。桃井さんがキャバ嬢の耳元に囁く。
 
 
「騒いだら殴られちゃうみたいだから、静かにしてね」
 
 
 そう言いながら、優しい手付きでガムテープを剥いで行く。そのガムテープが唇の端っこまで剥がれた瞬間、キャバ嬢の目がカッと見開かれた。
 
 
「たすけぇ……!」
 
 
 キャバ嬢の頬がゴキリと鳴る。薄い頬が拳の形に陥没するのを、僕は見た。キャバ嬢の不自然に高い鼻から鼻血が飛び出て、桃井さんの服に赤い染みをつくった。僕は呆然とした。キャバ嬢を殴ったのは、ぎょろ目ではなく桃井さんだ。桃井さんが痛みに身体をのたうち回らせるキャバ嬢を見下ろして、あーあ、と子供っぽい口調で呟く。
 
 
「静かにしてって言ったじゃんか。俺、殴るの嫌いなんだよ。殴られた方も痛いしさ、殴った方も痛いしさ、どっちもいいことなしじゃん。ねぇ?」
 
 
 同意を求めるように、ぎょろ目を見上げる。ぎょろ目は不意打ちを喰らったように狼狽し、それから萎縮したように弱々しい頷きを返した。桃井さんがもう一度女に語りかける。
 
 
「もう騒がないよね?」
 
 
 女が大きな目から涙を零しながら、小さく頷く。桃井さんは満足そうに微笑んだ。
 
 
「よし。じゃあ、自己紹介ね。俺は桃井。桃井の桃は、ピーチね」
 
 
 桃井さんが僕を振り返る。僕は緩く礼をしながら、もごもごと不明瞭な声をあげた。
 
 
「白川です」
 
 
 桃井さんがぎょろ目を見上げると、戸惑ったように顔を歪めながらぎょろ目が「サワキ」と素っ気ない声で呟いた。そうして、女へと視線を戻す。女は緊迫した状況に似合わぬ自己紹介モードに半ば放心しているようだった。
 
 
「おねーちゃん、名前は?」
「ぇ…?」
「なーまーえー」
 
 
 強請るような声で桃井さんが言う。悪人面に似合わぬその声音に、女がビクリと肩を震わせる。
 
 
「ヒシヌマ、カエデコ」
「かえでこ?」
「植物の楓」
 
 
 そんな遣り取りを儀式的にしてから、桃井さんはソースせんべいの残りのひとかけらを口の中に放り込んだ。バリバリと奥歯の辺りで咀嚼しながら、ふぅんと曖昧な相槌を返す。
 
 
「皇龍組んとこの菱沼組長の娘さん?」
 
 
 瞬間的に、ぎょろ目の拳がきつく握り締められた。血走った目からは、先ほどのような素直さは感じられない。桃井さんが相変わらずのんびりとした表情でぎょろ目を見つめた。
 
 
「御前は知らなくていいことだ」
「御前じゃなくて、桃井って呼んでよリョーちゃん」
「気安く呼ぶな」
「気安く呼ばせてよ。そんで俺のことも気安く呼んで」
 
 
 桃井さんの主張はめげないというよりもしつこいに近かった。人の領分に桃井さんは容易く踏み込む。それがあまりにも自然で堂々としているものだから、人は暫くの間、桃井さんが土足なのにも気付かない。ぎょろ目は、忌々しそうに奥歯を噛み締めてから、全然似合わないスーツの上着から封筒を取り出して投げた。トランクの中で仰臥したままのキャバ嬢の太腿の上に落ちた封筒を拾い上げて、桃井さんが中を覗き込む。
 
 
「前金は半額? 期限は?」
「一週間。女を奪われるな。それさえ守ってくれりゃ残りも気前良く払う」
「うん、わかった。大丈夫だよ」
 
 
 暢気な口調でそう答えて、桃井さんはキャバ嬢の口にガムテープを貼り直すと、封筒ごとトランクを閉めた。キャバ嬢がトランクの中で、んーんーと呻き声をあげている。その声をかき消すように桃井さんが鼻歌を歌い始める。何だか現実味がないほどに、その姿は能天気だった。
 
 去り際に、扉の前で桃井さんがぎょろ目の頭をもう一度くしゃくしゃに撫でていた。その様子を見て、僕は呆れて果ててしまった。その撫で方に見覚えがあると思ったら、それは桃井さんが犬鍋太郎を撫でるときの手付きと同じだったのだ。ヤクザの下っ端らしきジャンキーに対して、犬と同等の扱いをするだなんて桃井さんは頭が可笑しいんじゃないだろうか。それを後で、当の本人へと言えば、こともなげにこう返された。
 
 
「だって、可愛いじゃんアイツ。鉛筆みたいに尖っててさ、人のこと嫌いなふりしてるけど、でも本当は頭撫でてもらうの大好きなんだぜ。優しくされるのも大好き」
「何でそんなことが解るんですか。会ったばかりなのに」
「人付き合いの基本は、解ったつもりになることだよ。理解者になったつもりになんないと、誰のことも解んないまま横を通り過ぎちゃうだけじゃん。そういうの寂しいよね」
 
 
 そう言って、桃井さんは屋台で買ったタイヤキをもごもごと口に詰め込んだ。その横では、大きなトランクがガタガタと音を立てて引き摺られていた。
 
 

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