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桃井さんと神様 *残酷/猟奇描写有り

 
 自分がただの獣だと思うときがある。
 他人の頭頂部にハンマーを打ち込むときなんかは、特にその思いが強くなる。
 
 
 頭蓋骨がぐしゃりと潰れる感触が、ハンマーのグリップから腕へと這い登ってくる。それと同時に、何処からかギャアともギャンともつかない悲痛な叫び声が聞こえたが、その声は周りの熱気と歓声に呑み込まれて直ぐに鼓膜の奥へと消えて行った。
 
 ハンマーが頭蓋を貫いたのを確認してから、手首を深く捻る。ハンマーの片側は、釘抜きのように鋭く尖っていて、その部分が頭蓋奥の脳味噌をぐちゃりと抉るのが解った。まるで、プリンをスプーンで掻き回しているような感触だった。割れた頭蓋の隙間から愛らしいピンク色をした脳味噌がぐちゃぐちゃに潰れて、溢れ出る鮮血と絡まり合っている光景が見える。その色のコントラストが奇妙に卑猥だと思った。
 
 目の前の男の身体が激しく痙攣を始める。極限まで見開かれた眼球がぐるんと裏返って、初めは整っていた顔立ちが醜く崩れていた。白目の部分が真っ赤に充血して、まるで目から血を垂れ流しているように見える。実際、その直ぐ後に眼球から出血が始まった。赤い涙だ、と思う。この瞬間ばかりは、人間をモンスターに変えてしまったような、そんなおぞましさを感じる。
 
 無遠慮に脳味噌を掻き回し尽くしてから、一気にハンマーを引き抜く。途端、頭蓋から、赤い血と脳漿らしき黄土色の液体が噴き出して、顔面へと散った。生温かく生臭い、その臭いに吐き気が込み上げてくる。口の中にねっとりと粘ついた嫌な唾液が溢れて、逆流した胃液が喉元まで込み上げてくる。それを必死で飲み下しながら、濡れた頬を手の甲で拭う。
 
 まるで、やじろべえのようにくらくらと左右に揺れている男の腹を、爪先で軽く蹴り飛ばしてやる。男の身体が仰向けにマットに倒れる。倒れた瞬間、割れた頭の隙間からどっと脳味噌が零れ出て、マットを汚した。それを見て、観客は劈くような嬌声をあげる。まるで気の狂った鳥のような叫び声だ。実際、此処にいる人間は、自分を含めてどいつもこいつも狂ってる。
 
 死へと着実に向かう男の肉体は、細やかな痙攣を繰り返していた。その生から静かに、ひっそりと離れて行く惨めな蠢きを、ぼんやりと見下ろす。
 
 
『トドメをさせ!』
 
 
 観客の誰かが叫ぶ。その声は埋もれ、呑まれ、次第に周囲へと感染していく。
 
 
 トドメをさせ、顔面を潰せ、内臓を引き摺り出せ、脳味噌を飛び散らせろ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺殺せ殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
 
 
 何百の口が叫ぶ。何百の目がマットの上に立ち竦む男を見据える。何千何万の声が催促する。強請る。強制する。
 
 やめてくれ、と叫びそうになった。だけど、唇はピクリとも動かなかった。代わりのように、脳漿と血で粘着くハンマーのグリップを握り直していた。釘抜きの先端から真っ赤な血が滴り落ちる。
 
 人間の意思が消えて、体内で獣が唸り声をあげる。獣に善悪はない。獣に良心はない。あるのは原始的な本能だけだ。単純な生存本能。
 
 ゆっくりとハンマーを振り上げる。そうして、肩の筋肉にぐっと力を込めた。筋肉が強張り、そして膨張する。一瞬の緊張状態、それが解ける前にハンマーを一気に振り下ろした。
 
 男の顔面中心に釘抜きが突き刺さる。鼻が真っ二つに裂けて、男の顔面が中心へと向かって陥没するのを見た。ぶちゅんと音が鳴って、圧力に耐え切れなかった眼球が眼窩から飛び出る。まるで蓋を開けたら飛び出る玩具のようだと思った。視神経が繋がったまま、潰れた顔面の横で、左右の眼球がぷらぷらと前後に揺れている。一緒に歯も砕けたのか、大きく開かれた唇からバラバラな方向を剥いた歯が飛び出していた。丸っきり性質の悪いジョークのような光景だ。
 
 男は、もう痙攣すらしていない。勿論、息もしてない。この男は、もう生から死への移行を果たしてしまった。もう観客の声は聞こえない。たぶん、まだ何かギャアギャア喚いているだろうことは解ったけれども、耳が聞くという行為を放棄してしまっていた。
 
 
 ゆっくりと息を吸い込む。呼吸をしている。生きている。だが、その事実に喜びを感じれるほど、したたかにも強くもなれなかった。
 
 血の海と化したリングから降りる。気安い仕草で誰かが肩を叩いてくる。よくやった、とその男はたぶん言っていた。毎回誰かを壊す度に、その男はそう言う。不良債権だった人間が一人潰れただけ。客も喜ぶ。金も手に入る。言うことなしだ。と以前その男は言っていた。以前は、その言葉の意味が上手く解らなかった。だが、今は少しだけ解る。
 
 
 とどのつまり、命より金の方が重いということだ。
 言い換えれば、命には価値がない。
 
 
 その結論に行き着いた時は、流石に身体が戦慄いた。心が引き千切れて、涙が止まらず数日泣きむせんだのを覚えている。アパートの部屋の隅っこに蹲って、ひどいひどいよ、と子供の駄々のように何度も繰り返した。
 
 世界や、人や、自分は、もっと単純で優しいものだと信じていたのに。目の前の人を愛そうと努力してきたのに、どうしてこんな酷い事実を突き付けるのだろう。自分がこんなにも容易く他人を殺せることを知らしめるのだろう。こんな世界を呪ったし、神様を恨んだりもした。
 
 だが、今となっては命が無価値なのは極当然のことのように感じる。もし命に少しでも価値があるのなら、こんなにも平然と他人を殺せれるわけがないのだ。脳味噌を掻き回し、顔面を叩き潰すなんて非道な行為が出来るわけがない。戦争が起こり、小さな子供が虐殺されるような世の中になっているわけがなかった。そうして、いずれ無価値な自分も脳漿を撒き散らしながら殺されるのだ。それがいつかは解らないけれども、もう後悔するにも懺悔するにも遅すぎた。
 
 
 その場に立ち尽くす。天井から降り注ぐスポットライトが全身を包んでいる。誰かが肩を揺さぶってきた。どうした、と問い掛けられているのが解る。その唇の動きをぼんやりと眺めながら、小さく掠れた声で呟いた。
 
 
「かみさまが いないよ」
 
 
 結局、神様は初めからいなかった。
 
 ひどく心が空っぽだった。お腹の辺りがやけにすかすかする。血まみれな掌で下腹をそっと撫でながら、おなかすいた、と子供のように拙く囁く。
 
 心の中を手探りで探しても、自分の心を見つけ出すことはもう出来なかった。
 
 

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Published in その他

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