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02 石川曹長

 
 炊き出し場は、まるでそこだけ霧に覆われたように水蒸気に溢れていた。二抱えもありそうな巨大な鍋に、無造作に食材が投げ込まれる。無数の男達が汗にまみれた上半身を剥き出しにして、包丁を振るい、もうもうと湯気をあげる鍋をかき回している。家畜を捌いているのか、白いもやの向こう側から豚の断末魔が時折劈くように聞こえてくる。まるでこの場所そのものが生き物として蠢いているような、そんな躍動する生命力を感じられた。
 
 
「昼食は取られますか?」
 
 
 数歩先を歩く南軍曹が振り向き様に問い掛けてくる。
 
 
「いや、今は案内だけで結構です」
「はい、承知致しました」
 
 
 嫌な顔一つ見せず微笑む姿は、南軍曹の生来の愛嬌の良さを感じさせる。駐屯基地を案内するのがこの男で良かったと、心底思う。貴族出身の葛之宮は、少尉という肩書きを与えられているものの、兵役自体は雑兵よりも短い。突然現れてきた将校を、喜んで迎え入れる兵は少ないだろう。やっかみや皮肉にはそれなりに慣れているが、だからといって好き好んで浴びせかけられたいものでもない。
 
 それを考えると、南軍曹は葛之宮を扱き下ろしたりもしなければ、媚びへつらうこともない。ある程度は上司と部下という態度を守りながらも、慣れ親しんだ仲のように振る舞ってくれる。それは、葛之宮にとって多いな安堵だった。
 
 
「南軍曹」
「はい」
「すみませんが、出来れば隣を歩いてもらえませんか。その方が説明を聞きやすいのですが」
「お安い御用です」
 
 
 南軍曹は簡単に応じたが、階級の違うもの同士が並んで歩くことは滅多にあることではない。父に見られたら、もっと将校としての威厳を持て、と怒鳴りつけられるだろう。しかし、葛之宮には、今は威厳に拘ることよりも切実に話し合える存在が必要だった。配属された途端、孤立する羽目になるのは御免だ。そうでなくても、既に直属の上司には嫌われかけているかもしれないのに。
 
 
「あの人は、いつもああなんですか」
「金田中尉のことですか?」
 
 
 随分と察しがいい。こういった質問には慣れっこなのか、それとも南軍曹自身が金田中尉に対して何か思うことがあるのか。 
 
 
「金田中尉は苦手ですか?」
「得意ではないですね」
「金田中尉は、口は最悪ですが、根っから悪い人間というわけでもありませんよ。勿論、善い人間でもありませんが」
 
 
 歯に衣着せぬ南軍曹の言葉に、ぎょっとする。将校を侮辱することは刑罰に値することだ。しかし、慌てて左右を見渡す葛之宮に反して、発言の主はしらっとしている。
 
 
「そんな正直に言ってもいいんですか」
「構いませんよ。金田中尉は、こんな会話は一切気にも留めませんから。金田中尉の前で、当の本人の悪口を喚いたって、あの人は兵法書を読むのに夢中でしょう」
「そんなわけがないでしょう」
「いいえ、金田中尉は、必要ないことに対しては、とんと興味がないんです」
 
 
 にっこりと微笑む南軍曹の目は、それが嘘偽りない事だと葛之宮に言っていた。それが真実にしろ虚構にしろ、面倒臭そうな人だと思う。葛之宮は、殊更深く溜息をついた。
 
 野外鍛錬場は、先ほどの炊き出し場よりもずっと精錬された空気に包まれていた。整列した隊が号令に合わせて、長剣銃を振り翳している。鍛錬場の傍らには武器庫があるのか、天幕の前に座り込んだ眼鏡の男が油を滲み込ませた布で丹念に銃を手入れしている様子が見て取れた。
 
 柵越しにその様子を眺めながら、南軍曹は一人の男をじっと見詰めていた。喋りかけようと横を向いた葛之宮が一瞬躊躇うほど、その眼差しは真摯だった。切実と言い換えても良い。葛之宮の視線に気付いた南軍曹が狼狽したように曖昧な微笑みを浮かべる。そうして、緩やかな手付きで男を指差した。
 
 
「あちらが石川曹長です。いずれご挨拶はするかと思いますが、一先ずご紹介だけ」
 
 
 それは号令を上げていた下士官で、短く刈り上げた頭をしている男だ。まくり上げた軍服の袖から見える二の腕は筋骨隆々としていて逞しい。大柄な身体や太い眉が威圧的な内面を、如実に示しているように思えた。
 
 
「そういえば、気になっていたんですが、どうして金田中尉のお付きを曹長ではなく軍曹である君が行っているんですか?」
「金田中尉と石川曹長は、犬猿の仲なんです」
 
 
 ふふっ、と声をあげて南軍曹が軽やかに笑う。
 
 
「金田中尉も石川曹長も、頑固者ですし、どちらも譲りませんからね。会議となれば、いつだって怒鳴り合いですよ」
「中尉と曹長が怒鳴り合いだなんて、笑えないな」
「そうですか? 殴り合いにならないだけマシですよ。それに、僕から見れば、お二人は所謂似た者同士です」
「殴り合い寸前で?」
「ええ、本当に金田中尉と相性が悪い人間は、とっくに隊なんか抜けていますから」
「抜けないのは、腹が立つからだ」
 
 
 不意に前方から声が投げ掛けられた。不機嫌そうな顔をした石川曹長がのっそりとした足取りで近付いてくる。額から流れる汗を煩わし気に拭っている姿は、臭い立つような雄臭さを感じさせた。
 
 
「おや、曹長、訓練中によろしいんですか?」
「丁度休憩に入ったところだ。というか、似た者同士だとか御前は一体何を言っているんだ。あんな奴と…胸くそ悪いにも程がある」
「僕の詭弁でしょうか?」
「詭弁どころか大嘘だ。俺が、あいつの隊を抜けないのはな、あいつに逃げたと思われるのが心底反吐が出るぐらい腹立たしいからだ。じゃなきゃ、あんな糞忌々しい野郎、人間のクズ、犬畜生が――」
 
 
 腹の内に抱えた罵詈雑言を全部吐き出しても、まだ足りないと言いたげに石川曹長は足下の土を蹴り飛ばした。苛立たし気に髪の毛を掻き毟って、鈍く唸り声を上げる。
 
 そんな石川曹長の様子を眺めて、南軍曹は朗らかに肩を揺らした。
 
 
「曹長そのぐらいにしておいた方が良いですよ」
「あ゛ぁ?」
「こちら葛之宮少尉です」
 
 
 南軍曹が葛之宮を指し示した途端、石川曹長の姿勢が変わった。背筋をピンと伸ばした直立不動の体勢になったかと思うと、きっちり九十度の角度で礼を送る。軍人の見本のような敬礼だった。
 
 
「そうとは知らず、みっともないところをお見せして申し訳ございません。自分は、曹長の石川秀次郎と申します」
「葛之宮文紀と申します。そんなに畏まらないで下さい。僕の方が、よっぽど貴方に教わることがある」
「とんでもございません。自分は、金田中尉以外の将校には、天子様の名のもとに絶対の忠誠を誓っておりますので」
 
 
 悪びれもなく『金田中尉以外』と言う辺りが石川曹長の馬鹿正直さを現していると思った。葛之宮は苦笑いを浮かべながら問い掛けた。
 
 
「どうして、そんなにも金田中尉を?」
「あいつがあんまりにも滅茶苦茶だからです」
「滅茶苦茶?」
「金田中尉は、人間として最低です」
 
 
 そこまでかなぁ、と南軍曹が笑い混じりに言うが、石川曹長が気に留めた様子はない。まるで苦虫を噛み潰したような表情で、ぶつぶつと言葉を紡ぐ。
 
 
「金田中尉の小隊の下士官は、入れ替わりが激しいんです。皆、あの人に付いて行けないんですよ。独善的で、頑固者で、余りにも傲慢で、あの人と一緒にいると誰もが自分の限界を感じる。そうして、付いて行けなければ、切り捨てられる。あの人は、人を切るのに躊躇うことなんてないんです」
 
 
 呪詛じみた言葉に、葛之宮は一瞬背筋に悪寒が走るのを感じた。切り捨てられる、それはきっと葛之宮にも言えることなのだろう。あの石の目をもった中尉は、どれほど冷たい眼差しで『御前は必要ない』と告げてくるのだろうか。想像すると、心臓が氷でも押し付けられたかのように凍えた。
 
 
「人としては最低です、人としては…」
 
 
 石川曹長は、譫言のように数度繰り返した。そこには、何か付け加えるべき言葉がまだ残っているようだったが、結局石川曹長はそれを口に出さなかった。口を真一文字に引き結んで、貝のように押し黙る。
 
 石川曹長の背後から軽やかな足音が響いてくる。そこには、まだ年若い少年が長剣銃を肩に背負って立っていた。まだ実戦も経験してないだろう無垢な眼差しを持った少年は、石川曹長にぎこちなく敬礼を送った。
 
 
「曹長、訓練は続けられますか?」
「ああ、休憩の時間を過ぎちまったなあ。悪い」
「とんでもないです!」
 
 
 石川曹長から言葉を返してもらえたのが嬉しかったのか、少年は満面の笑みを浮かべて目を輝かせた。その目には、眩しいまでの尊敬の念が込められている。その少年の様子からも、石川曹長は兵達に心から慕われているのだろうと思えた。
 
 石川曹長は、葛之宮の前に立つと、緊張した面持ちで口を開いた。
 
 
「葛之宮少尉、差し出がましいお願いで申し訳ないのですが、出来れば刑罰は、訓練が終わってからでもよろしいでしょうか?」
「刑罰?」
「侮辱罪です。自分は金田中尉を犬畜生などと貶めました」
 
 
 嗚呼、と葛之宮は一つ相槌を返して、口元が微かに綻ぶのを感じた。堂々と中尉に対する不平不満を言っておきながら、その罰も自分から受けようだなんて、石川曹長は余りにも真っ直ぐすぎる。葛之宮は、曖昧に首を左右に振った。
 
 
「刑罰を与える気はないです」
「何故ですか?」
「当の本人である金田中尉が放置しているものを、少尉である私がいちいち口喧しく言う気はないんです。それに私は、将校の威厳だとか誇り云々という話があまり好きではないんです。将校らしくないですが」
 
 
 投げ遣りに言い放った葛之宮の言葉は、石川曹長だけでなく南軍曹まで唖然とさせたようだった。唇を半開きにしたまま、異質なものでも見るかのように葛之宮を凝視している。
 
 
「それは、珍しいですね」
「そうですね。あまり上の受けもよくないようですし」
 
 
 軽口でも叩くように言う。石川曹長が逡巡するように拳で顎を撫でてから、ふっと息を吐くように笑った。
 
 
「しかし、自分は助かります」
 
 
 その瞬間、石川曹長の壁が薄くなるのを葛之宮は感じた。良い兆候だ。石川曹長は、「自分はこれで失礼します」と堅苦しいほどの敬礼を残して去って行った。去り際、石川曹長の目が掠めるように南軍曹を見る。南軍曹が、真っ直ぐ石川曹長を見詰めていた。その交差する視線を見て、思わず訊ねていた。
 
 
「君と石川曹長は親しいんですか?」
 
 
 南軍曹が一瞬息を呑むのが見えた。そうして、僅か困惑したように視線を彷徨わせる。
 
 
「石川曹長は、兄の同窓なんです。私も小さいときからよくしてもらいました」
 
 
 そう言った南軍曹の口元には、隠そうとして隠し切れなかった淡い微笑みが滲んでいた。しかし、その微笑みには、薄らと諦念もこびり付いているように見える。その表情は、南軍曹の生々しいまでの人間性を感じさせた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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