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04 捨て駒

 
 ひときわ大きい天幕の横を通り過ぎようとした時だ。鋭い罵声が天幕を突き抜けるようにして鼓膜に突き刺さった。続けて、何かが蹴り飛ばされへし潰れるような破壊音が響き渡る。
 
 何事かと天幕をまじまじと見つめる葛之宮に反して、隣の南軍曹は『あーあ』とでも言いたげな表情を浮かべている。
 
 数秒後、天幕を翻すようにして現れたのは、鬼のごとく怒り狂った金田中尉だ。怒髪天を突くというのは、こういう事を言うのだろう。顔面を赤黒く染めた金田中尉は、天幕の傍らにあった木椅子を力いっぱい蹴り飛ばして、何を言っているかも解らない罵声を滅茶苦茶に吐き散らかしてから、天幕へと向かって中指を立てた。
 
 
「ふざけんな畜生、手前ら全員地獄に落ちろ!」
 
 
 まるで猛獣のようにいきり立つ金田中尉の姿を、葛之宮は唖然と見つめた。天幕の隙間から、大尉どころか中佐の姿まで見えたからだ。黄半島駐屯基地の総指揮官である守本中佐は、五十代半ばになる貴族だ。その戦歴を耳にしたことはないが、中佐まで上り詰めているということはそれ相応の兵役は積んでいるのだろう。
 
 その自分よりも画然に階級が高い人間に対して、何という無礼なんだろうか。下手をすれば斬首されても可笑しくないほどの狼藉だ。地団太を踏み、髪の毛を掻き毟る金田中尉を、ぽかんと見つめたまま、葛之宮は言葉を失った。
 
 
「どうしたんですか金田中尉」
 
 
 南軍曹が場にそぐわぬ穏やかな声をあげる。金田中尉は血走った目を南軍曹へと向けると、自棄になったように歪んだ笑みを浮かべた。
 
 
「聞け南、俺達は目出度く野垂れ死にが決定した。この素晴らしき中佐殿のおかげでな」
 
 
 遠慮もなく金田中尉が天幕の入口に立つ守本中佐を指差す。守本中佐をねめつける金田中尉の眼球には、紛れもない憎悪が滲んでいる。守本中佐は何か言いたげに口を半開きにしたが、結局何も言わず、ばつが悪そうに金田中尉から視線を逸らした。代わりのように、守本中佐の傍らに立つ染川大尉がもごもごと口を動かす。
 
 
「野垂れ死にが決まったわけでもあるまいに、そのような事を口にするな」
「ああ、そうですね。中佐殿は我々に素晴らしき作戦を授けて下さいましたからね。決戦を控えたこの時期に、中隊のみ残して他は全員退却。残った中隊は、西国軍が黄半島に上陸せぬよう奮起対抗せよ、なんて、こんな見事な作戦聞いたことありませんよ」
 
 
 咄嗟に息を呑んだ。馬鹿な、そんな訳があるか、と頭の中で言葉が巡る。后島に駐在する西国軍は数千と考えられている。それに対して、中隊しか残さないだなんて、ライオンにアリをぶつけるようなものだ。防げるわけがない。ましてや勝てるはずもない。こんなのは、まさに―――
 
 
「まさに『捨て駒』ですね」
 
 
 金田中尉が一息に吐き捨てる。その言葉に、全身の産毛が逆立つような恐怖を覚えた。ぞっとする思いで金田中尉を見つめる。その的確なまでの言葉に怒ったのか、染川大尉が身を乗り出すようにして畳み掛けてくる。
 
 
「貴様、言葉が過ぎるぞ。それ以上言えば――」
「斬首ですか? 俺のような卑しい身分の首、どうぞお好きに刈り取り下さい。そうして、捨て駒隊の指揮官を新しく選べば宜しいでしょう。そいつは歴史に名を残す負け将校になる」
 
 
 挑発するような金田中尉の台詞に、染川大尉がグと言葉に詰まる。頭の中で、誰なら負け戦を押し付けられるかを考えているのだろう。下手な将校に命ずることは出来ない。貴族出身の将校に命じれば、後々その家族から文句が出てくることは明らかであるし、だからといって役立たずの将校に命ずれば、上層部の人選ミスを問われかねない。そういった意味で金田中尉ほど負け戦の責任を押し付けるに適した人物はいないだろう。力ある後ろ盾もなければ、今までの戦歴は大隊を任せれるほどの快勝ばかりだ。金田中尉は、汚れ役に押し付けろと言わんばかりの存在だった。だからこそ、何を言われても、上層部は金田中尉を罰することはできないのだ。
 
 それを分かっているからこそ、金田中尉も遠慮のない暴言を吐き捨てる。もしかしたら既に死を覚悟しているからこその罵詈雑言なのかもしれない。そうして、幾ら暴言を吐こうとも、決定事項が変わることがないことも、おそらく分かっているだろう。
 
 
「貴様、貴様は、軍の決定事項に文句をつけるつもりか」
「いいえ、まさか。お偉いさん達が逃げのびるまでの時間稼ぎの捨て駒には、逆らうことなんかできません。ただ、先に私を侮辱したのは貴方方だ。何が中隊の指揮官を特別に命ずるだ。御前は此処で死ねと言っているも等しい。私だけではない。私の隊の兵達の前で同じ事を言えますか? 勝つ可能性が一パーセントでもある戦いなら、私は喜んで兵達に死ねと言うでしょう。だが捨て駒として死んでいけなんて、一体何処の誰が口に出来る」
 
 
 噛み切れないものを無理矢理噛み砕こうとするような口調で、金田中尉が言う。その場に直立不動したまま、金田中尉は染川大尉の目を真正面から睨み据えていた。その眼球は、熱を孕んだかのように燃え滾っている。
 
 
「此処で戦わなくては、東国軍は敗戦が決まったも同然だ。それなのに、貴方方はまだ逃げようというのか。もう逃げる場所なんか何処にもないのに」
 
 
 そうだ、逃げ場所なんかもうない。東国軍はとっくの昔に追い詰められている。此処で黄半島を落とされれば、なし崩しに本土も奪われていくだろう。そうすれば東国は敗北を認めざるを得なくなる。その時も、この人達は逃げ続けるのだろうか。
 
 固く握り締められた染川大尉の拳がぶるぶると小刻みに震えている。怒りを最大限まで溜め込んだかのように、顔は真っ赤に染まっていた。まるで大きなトマトが破裂する寸前のようにも見える。そうして、染川大尉は自棄になったかのように喚いた。
 
 
「決定は決定だ! 貴様も軍人であるならば従え! 貴様は将校であろうが! 部下には貴様から伝えろ! 天子様のために己が命を捧げるのだとな!」
 
 
 頑是のいかない子供のように喚いて、染川大尉は守本中佐と共に天幕の中へと戻っていった。その後ろ姿を睨み付けたまま、金田中尉は下唇をきつく噛み締めていた。その下唇から、薄っすらと血が滲んでいるのを葛之宮は見た。
 
 

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Published in 地平の戦争

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