Skip to content →

08 スズメ

 
 作戦本部天幕で、染川大尉は薄汚れた椅子に力なく座り込んでいた。魂が抜かれたような、その惨めな姿に、葛之宮は一度目を見張り、それから酷く物悲しい気分に襲われた。染川大尉が白髪が混じった前髪をぐしゃりと掌の中で潰しながら、譫言のように呟く。
 
 
「葛之宮少尉、君には私の隊へ異動して貰うことになる。一時間後、我々は平柿作戦本部基地まで撤退する。以上だ」
「金田中尉の部隊に残ることは許されませんか」
「許されん。これは命令だ」
 
 
 言葉とは裏腹に疲れ切った声だった。葛之宮には、どうしてこうまで染川大尉が焦燥し切っているか理由が解らなかった。不可解な眼差しを向けると、染川大尉が口角をじっとりと歪めた。
 
 
「部下に死ねと命令して、笑える上官がいるか?」
 
 
 つまり、染川大尉は罪悪感の中でもがいているのだ。逃亡する事を選びながら、金田中尉を人身御供として捧げることを決めておきながら、尚かつ人間らしい心を軋ませている。葛之宮は、一笑に付したい心地に襲われた。
 
 
「いいえ、大尉。しかし、貴方が命令された事です」
 
 
 大尉が殺意の篭った目で、葛之宮を睨み付けた。これこそ人間の浅ましさだと感じる。命令したことを今更後悔しても、それを撤回することは出来ない。そうして、命令された側もそれを無視することは出来ないのだ。その階級社会の中にいながら、この人は今更許されたいと願っているのだろうか。
 
 染川大尉の惨めな姿を見ていられず、葛之宮は敬礼を残して、その場から去った。背後から染川大尉の唸り声が聞こえる。鎖に繋がれた犬が通行人に吠え掛かるような、一種の虚勢じみたものを感じて、より一層な切なさを感じずにはいられなかった。
 
 外は既に撤退の準備で騒がしかった。幾多の兵達が兵糧をまとめ、騎馬へと積み上げていく。その中で、何名かの兵が木槌を担ぎ上げて駐屯地の外側へと向かって駆けていた。その中の一人は、石川曹長のもとで鍛錬を受けていた少年兵だ。一緒に走っている兵士達よりも頭一つぶん小さい。石川曹長へと向けていた尊敬の眼差しを、よく覚えている。
 
 少年兵は、自分を見つめている葛之宮に気付くと、人懐っこそうな笑みを浮かべて近付いてきた。
 
 
「少尉殿、自分に何か御用ですか?」
 
 
 変声期前のような高らかな声に、葛之宮は驚いた。軍法通り、十八歳以上は徴兵されないという事を考えれば、少年は十八歳は超えているのだろう。しかし、それにしても兵士らしくない幼い風采だった。
 
 
「いや、用というわけではないんだ。ただ、木槌なんて持っているから、一体何をしているんだろうと思っただけだよ」
「自分達は只今より『柵』を作ります」
「柵?」
「はい、今日中に駐屯地を囲むように柵を作れ、と金田中尉殿のご命令です!」
 
 
 溌剌と答えられた言葉に、葛之宮は首を傾げた。柵を作るなんて、篭城でもするつもりなのだろうか。しかし、それならば何故駐屯地を囲むように作るのだろうか。むざむざ自分達を檻に閉じ込めるようなものだ。
 
 少年兵が別の兵達を指差す。その兵達は、大量の藁を肩にを担いでいた。
 
 
「彼らは藁隊です。柵に藁を撒きつけろなんて、金田中尉殿は面白い方ですよね」
 
 
 周囲を漂う緊迫感も素知らぬ様子で、少年兵は無邪気に言った。葛之宮は、金田中尉が諦めていないことを薄っすらと悟った。この奇妙な小細工が一体何になるのかは解らない。しかし、小細工をするということは、西国軍に真正面から衝突する気もないのだろう。ライオンとアリ、アリが勝つためにはどうするのか。葛之宮には検討も付かなかった。
 
 遠くから同じように木槌を担いだ兵が叫んでいる。
 
 
「スズメ、サボんな!」
「あ、すいません、僕、もう行かなくっちゃ」
 
 
 スズメと呼ばれた少年兵が慌てたように足踏みをする。今にも駆け出しそうだ。
 
 
「すまないね、忙しいところ引き止めて」
「いいえ、とんでもないです! 少尉殿とお話できて、僕とても光栄です!」
 
 
 スズメは、汚れた掌を上着の裾に擦り付けて拭うと、敬礼を葛之宮へと向けた。その純粋な敬意に、葛之宮は一瞬戸惑い、そうして胸の内側に温かなものが広がるのを感じた。
 
 

backtopnext

Published in 地平の戦争

Top