Skip to content →

11 切実は浅ましい

 
 背後から、突然口を塞がれて、後方へと引き摺られる。咄嗟に悲鳴を上げそうになった葛之宮の咽喉を、もう片方の手が潰すように押さえ付ける。強い力で締め付けられて、苦しさに咽喉が「ぐ」と小さく音を零す。耳元に、息が吹きかけられる。酷く乾いた呼気だった。
 
 
「喋るな」
 
 
 押し殺した声で囁かれる。そのまま、引っ張られるように天幕から離され、三十メートルほど距離が空いたところで、ようやく口から手が離れた。手の主である金田中尉が呆れたような眼差しで葛之宮を見ていた。
 
 
「おい、少尉殿は覗き見の趣味があるのか?」
「な…ち、違います。僕は…」
 
 
 咄嗟に言葉が思い浮かばず、舌を噛んでしまった。しかも、間違えて『私』ではなく『僕』と言ってしまっている。覗き見と言われた羞恥も相まって、葛之宮は顔を真っ赤に染めた。口元を掌で押さえて、先ほど見えた顔を脳裏で反芻させる。
 
 敷布から南軍曹を見上げた顔は、葛之宮に見覚えのあるものだった。石川曹長だ。南軍曹を見つめる眼差しは、情事の香りを色濃く残していた。溶けるような甘さと、微かな怒りを含んで、何とも言えない艶かしい匂いを放っている。訓練時に見た男らしさの塊のような石川曹長ではない。それは、むしろ女性的とも思える妖艶な姿だった。
 
 思い返して、更に頭に血が上る。耳まで熱くなって、思わず両手で耳朶を掴むと、目の前の金田中尉が肩を竦めるようにして笑った。
 
 
「御前は一体何をしてるんだ? 耳なし芳一の真似事か?」
「そ、そんなのじゃありません。僕は、混乱しているんです」
 
 
 言葉を上手く取り繕う事が出来ない。感情が滅茶苦茶に掻き混ぜられて、頭蓋骨の内側で爆発しているような感覚だ。唇がわなわなと震える。
 
 
「金田中尉は、ご存知なんですか?」
「何をだ」
「何を、って…」
「南と石川が衆道の交わりとやらをしている事についてか?」
 
 
 飾ることなく口に出された言葉に、葛之宮は固まった。顔がまた熱くなるのを感じる。それに比べて、金田中尉は飄々とした風采だ。
 
 
「御前は、そういった倫理に拘るタイプか? 衆道の気がある奴らとは一緒に戦えないとでも?」
「いいえ、そんなつもりはありません」
「なら、好きにやらせてやれ。他人の恋愛事情に関わってやるな」
「恋愛、ですか…」
 
 
 恋愛という言葉に、葛之宮は酷く納得した。少なくとも石川曹長を見る南軍曹の眼差しは、傍から見ても愛情の垂れ流しだった。込み上げてくる愛おしさを隠そうとして隠し切れていないあの眼差しは、時に羨望すら感じる程である。
 
 
「しかし、何故金田中尉の天幕であの二人は…」
「外でやらせるわけにもいかないだろう。寝台と呼べる寝台を持ってるのは、士官ぐらいなものだからな。南が貸してくれと言ってきたんだ。一生に一度のこの機会を逃したら自分は死にますって、俺に脅しまでしてきやがった」
「それで貸したと?」
「必要だと言われたからな。あいつの人生には、重要な事だったんだろうよ」
 
 
 金田中尉のあっさりとした口調に、葛之宮は身体から力が抜けていくのを感じた。明日には死ぬかもしれないという時に、この人は下士官同士の交わりを見逃しただけでなく、自分の寝台まで貸すなんて。何処か頭のネジが飛んでいるのではないだろうか。
 
 
「それで、御前はどうして此処に居るんだ?」
 
 
 不意に、金田中尉の口調が尖る。口角をひね曲げて、断罪の眼差しで葛之宮を見据えた。その眼差しに、全身の筋肉が硬直する。噴き出して来た威圧感に、空気までも重くなったように感じる。恐れを悟られないように、葛之宮はゆっくりと答えた。
 
 
「隊に戻して下さい」
「馬鹿か。御前みたいな無能なお坊ちゃん、俺が必要としているとでも思うのか?」
「貴方のために戻って来たわけではありません。自分のために戻って来たんです」
「下らないな、その歳になって自分探しか。青臭くて泣けてくる」
 
 
 金田中尉は、皮肉げに頬を歪めた。そうして、腰から短銃を引き抜き、葛之宮のこめかみへと痛いぐらい銃口を押し付けた。冷えた鉄の感触が脳味噌を凍らせる。それなのに身体は驚くほど熱くて、その二極性に震えが走る。恐怖ではない。酷い高揚にアドレナリンが体内を駆け巡っていた。闇の中で、ギラリと石の目が光る。
 
 
「脱走兵は銃殺だ」
「隊に戻して下さい」
「嫌だね。脱走兵以前の問題に、俺は御前が個人的に嫌いだ。それだけで十分殺す理由はある」
「私怨で私を殺すと?」
「私って言うなよ。御前のそのお坊ちゃま然とした喋り方、鳥肌が立つ」
「では、僕と言えばいいんですか?」
「それも腹が立つ。だが、そっちの方がまだマシだ」
「殺す相手に、口調を改めさせるのが中尉の趣味ですか?」
「そうだな。そう。そういう趣味は、面白いな」
 
 
 唇が笑みに引き裂かれる。闇夜に浮かび上がった唇は、乾いて表面がひび割れていた。その罅をじっと見つめていると、金田中尉が短銃を弄ぶように掌の上で転がした。銃口は、もう葛之宮へと向けられていない。
 
 
「どうせ御前みたいな奴は、直ぐ死ぬ。死ぬ奴のために、弾丸を使うのも勿体無い」
「死ぬために戻って来たわけではありません」
「御前の都合なんか知るか。皆、死にたくないって言いながら死ぬんだ。泥の中をのたうち回りながら内臓をはみ出させて、天子様助けて、お母さん助けてって呻いて。でも、結局はそのまま野垂れ死ぬ」
「でも、貴方はむざむざ野垂れ死ぬつもりなんてないでしょう」
 
 
 問い掛けに、金田中尉が目を細めた。それは葛之宮の問い掛けを無言で肯定しているようにも思えた。軽く顎をしゃくると、背を向けて歩き出す。葛之宮は、無言のままその背に着いて行った。
 
 暫く歩いた後、辿り着いたのは、黄半島の入江を囲む崖の上だった。崖の先端には、物々しく黒光りする砲弾機が五台添えつけられている。その冷えた鉄の表面を緩やかに撫でながら、金田中尉が何かを葛之宮へと放り投げた。慌てて受け取る。それは双眼鏡だった。金田中尉が海の向こうを指差す。
 
 
「后島を見ろ」
 
 
 横柄な言い方には、もう慣れた。黙って、双眼鏡のレンズを覗き込む。レンズの向こうには、月明かりで照らされた后島が見て取れた。后島の側面には、巨大な戦艦が浮かんでいる。戦艦には明かりが煌々と点っており、その内部を玩具の人形のような人影が慌しく動いているのが薄らと見て取れた。
 
 
「戦闘準備をしているんですね」
 
 
 双眼鏡に目を当てたまま言えば、不意に金田中尉の気配が近くなった。横目で見ると、触れ合いそうな距離に金田中尉の姿があった。
 
 
「おそらく明日には攻撃を仕掛けてくる。兵達は、全員駐屯地の裏の林に塹壕を掘らせて身を隠させている」
「駐屯地はどうするんですか?」
「御前は今更駐屯地にこだわるのか?」
「あそこは黄半島駐屯軍の本部です」
「その駐屯軍の最高責任者は俺だ。俺が居るところが本部だ」
 
 
 ねじ伏せるような金田中尉の言葉に、葛之宮は反発を感じた。軍が軍であるならば、守らなければならないルールも当然有る。本部を捨てるなど、下手をすれば隊全てが脱走したと思われる可能性すらある。
 
 
「では、貴方はあの駐屯地は、西国軍に奪われてもいいと言うんですか」
「構わないさ。むしろ、そうしてくれりゃ有難い。俺らが逃げたとでも思ってくれりゃ、もっと万々歳だ」
「命令は、西国軍を黄半島へと上陸させない事ではありませんでしたか?」
「そんな阿呆な命令、不可能に決まってんだろうが。アリがゾウを止められるか?」
「それでは、命令違反です」
「正式な命令は『七日零時より三日間、西国軍を黄半島に足止めさせよ』だ。それでも、頭が可笑しいとしか思えない命令だけどな」
 
 
 七日零時、確か今は零時を過ぎた八日だ。後二日間、頭の中で思い浮かべる。短いようにも思えるが、いったん戦闘が始まれば永遠とも思える時の流れになるのだろうか。
 
 唐突に、金田中尉が肩を揺らして笑い声を上げた。歓笑にも似たその声に、葛之宮はぞっとした。
 
 
「どうして、笑っているんですか」
「さぁな、戦いの前はいつもこうだ。どうしてだか笑いが止まらなくなる。たぶん、神経か脳味噌のどっちかが壊れてるんだろう」
 
 
 事も無げに口に出される言葉に、葛之宮は眉を顰めた。金田中尉が葛之宮を見て、笑みを深くする。まるで暗闇へと誘い込むような蠱惑的な表情にも見えて、葛之宮は困惑した。
 
 
「理解出来ないって顔してるな」
「はい」
「苗代のイカれ兄弟だって、戦ってる時は笑わない。だが、俺は笑う。俺が強いからじゃない。人間を殺すのを楽しんでいるわけでもない。これは、単なる脳味噌から筋肉への伝達不良の結果だ」
「それでも、僕には理解出来ません」
「そうか」
 
 
 呆気なく話は打ち切られた。金田中尉はさして興味もなさそうに、暗闇へと視線を投げ捨てた。そのまま、草むらの上にあぐらをかいて座り込むと、顎を掌で支えて緩く息を吐き出す。気怠げな溜息だった。
 
 
「貴方は、一体何を考えてるんですか」
「生き残ることだよ」
 
 
 金田中尉は、一瞬威嚇する犬のように鼻梁に皺を寄せて、葛之宮から視線を逸らした。
 
 
「葛之宮少尉、戦争に綺麗ごとは必要ない。美しいものなんて、一つもありはしないからな。誰も彼も、敵も味方も皆一様に、醜く、薄汚い」
「しかし、切実です」
「切実だからこそ、より浅ましい。御前に人間の皮をひん剥いて、裏側を見せてやりたい。どれだけ高尚な事を言っても、どれだけ誠実だと称えられても、一皮剥けたら、骨と肉の惨たらしい実体が出てくる」
「貴方の言い方は、まるで人間を憎んでいるようです」
「憎んでるんじゃない。諦めてるんだ」
 
 
 そう言って、金田中尉は目を細めて、海の彼方を見つめた。半分閉ざされた目蓋の下に、石の目が見える。金田中尉は、そのまま草むらに寝転がって葛之宮へと背を向けると、事務的な口調で言った。
 
 
「林に入って北西に向かって暫く歩けば、第一塹壕につく。御前はそのまま袴田少尉の小隊に入れ。以上だ」
 
 

backtopnext

Published in 地平の戦争

Top