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12 戦う意義

 
「俺はね、女の子が好きなの」
 
 
 これが袴田少尉の第一声だ。塹壕の入口脇にあぐらを掻いて座り込んだまま、まるで教授するように袴田少尉は葛之宮に言いのけた。まるで家訓でも告げるような物々しい言い方に、葛之宮は一瞬怯み、それから何とも言えない脱力感に襲われた。直立不動していた身体から、ぐにゃりと力が抜ける。そんな葛之宮の様子に気付いているのか気付いていないのか、泥のついた手袋をぱたぱたと叩きながら、相変わらず厳格な口調で袴田少尉は続けた。
 
 
「女の子のおっぱいが好きだし、でっかいお尻も好きだ。腰がきゅーっと括れてるのも、辛抱堪らない。裸の女の子百人に囲まれて、おっぱいやらお尻やらに顔を押し付けて眠るのが俺の悲願だ。戦場だからといって女の子がいないのは、俺にとっては苦痛この上ない。男ばっかのゴツゴツした世界だなんて、舌を噛み切って死んだ方がマシだ。この言葉の意味が解るかな、葛之宮少尉」
「はぁ、よく解りませんが」
 
 
 コホンと一つ空咳をして、袴田少尉は勿体ぶるように言った。
 
 
「つまりはだな、俺は男が嫌いなわけだ。だから、君を俺の小隊に入れるのは命令だからやぶさかないとしても、俺自身は君に構ってやる時間も心の余裕もない。君に、物凄く可愛い姉妹がいるなら話は別だが」
「妹ならいますが」
 
 
 ぐいと身を乗り出して、袴田少尉は目を輝かせた。薄く開かれた唇の隙間から、眩しいぐらい白い歯が覗き見えていた。
 
 
「可愛いか?」
「兄の贔屓目で見ても可愛いとは思います。ただ、去年伯爵家に嫁入りしています」
「不倫は論外。ならば、話は以上だ。後は、鳥居二等兵から話を聞いてくれたまえ」
 
 
 話は呆気ないほど簡潔に締めくくられた。しかし、言葉とは裏腹に、袴田少尉の口元には愛想の良い笑みが浮かんでいた。まるで自分自身の話に満足したような子供っぽい笑顔だった。その笑顔を見た限り、言葉の割には然程悪い人間ではないのだろうと葛之宮に想像させた。本来は洒落っ気のある人物なのだろうと思えた。
 
 袴田少尉が塹壕の奥へと向かって「鳥居二等兵!」と怒鳴る。途端、慌てふためいた足取りで一人の少年兵が走ってきた。葛之宮の姿を見とめると、表情を目に見えて破顔させる。鳥居と呼ばれた少年兵はスズメだった。スズメが袴田少尉と葛之宮に敬礼をして、「はい! 何か御用でしょうか!」と威勢の良い返事を返す。
 
 
「葛之宮少尉の長剣銃を渡して、それから作戦の説明を」
 
 
 本来ならば何たる無礼をと怒らなくてはいけない所だろう。曲がりなりにも将校の説明役を二等兵にさせるなど、相手を舐めているとしか思えない。しかし、袴田少尉の元来の陽気さが葛之宮の反発を抑えた。それ以上に、戦いを前にした将校の時間を取ることの甚大さを推し量ったという面もある。葛之宮は、緊張と敬意の面持ちをしたスズメへと向き直った。
 
 
「宜しくお願いします」
「いいえ、とんでもないです! 自分などで宜しければ幾らでも、はい!」
 
 
 スズメが音を立てて踵を揃える。そうして「少尉殿の長剣銃をお持ちしますね!」と言うと、踵を返して再び塹壕の中へと駆けて行った。その落ち着きのない様子に、頬が微かに緩む。まるで歳の離れた弟でも見ているかのような微笑ましい気持ちにさせられる。戻って来たスズメは恭しい仕草で葛之宮へと長剣銃を渡すと、ちらりと袴田少尉を見やって、こっそりと葛之宮へと耳打ちをした。
 
 
「もしかして袴田少尉から男は嫌いだとか女を紹介しろとかって言われましたか?」
「はい、言われましたね」
「やっぱり。口癖みたいに言われるんです。でも、ああ言ってますけど、袴田少尉はすごく奥さんを大事にされてるんですよ。遠征中でも、結婚記念日になると泥だらけのまま花束を持って帰省されるんです」
 
 
 スズメが悪戯っぽく笑う。袴田少尉は、相変わらず手袋を叩きながら「あー、女に会いてー」などとぼやいている。そのぼやきすら、妙に微笑ましく思えた。
 
 そうして、スズメは周囲を窺うように見渡して、眉を下げた。
 
 
「作戦内容の説明ですが、中はあまり雰囲気が良くないので、少し離れたところに行きましょう」
「雰囲気が良くない?」
「はい、えっと、あの皆さん手紙を書いていて…」
 
 
 スズメが言い難そうに、口をもごつかせる。その様子を見て、葛之宮は合点がいった。手紙というのは遺書のことだ。塹壕の中では、兵士達が死ぬ準備をしているところなのだ。想像が付くと、途端塹壕の中から薄ら寒い空気が漂ってくるように感じた。スズメは、何処か悲しげな眼差しで塹壕の奥を見つめて、それから緩やかに歩き始めた。その横をゆったりと歩きながら、葛之宮はスズメへと問い掛けた。
 
 
「君は、書かなくてもいいんですか?」
「え?」
「手紙を」
 
 
 訊ねた途端、微かな罪悪感が胸を覆った。遺書を書かなくてもいいのか、なんて最低な事を聞いたものだ。しかし、スズメは快活な動作で首を左右に振った。
 
 
「僕は、いいんです」
「でも、君の家族は」
「父と母は三年前流行病にかかって死にましたし、兄は二人とも戦死しました。僕には、もう手紙を書く相手がいないんです」
 
 
 家族の死を告げるにしては悲しみの感じられない声だった。スズメは、まるで和やかな思い出でも語るかのように笑っている。葛之宮は、不可解なものでも見るかのようにスズメを眺めた。葛之宮の胡乱な視線に気付いたのか、スズメが困ったように首を左右に振った。
 
 
「あ、悲しくないわけじゃないんです。ただ、両親や兄達は確かに死んでしまったんですけど、僕にとっては幸せな記憶の方が多いんです。僕は大事にされましたし、僕も僕なりにあの人達を大事にしてきたつもりなんです。だから、何でしょうか、死んでるのに生きてるような気がして、ついつい笑っちゃうんですよね」
 
 
 そう言って、スズメは更に笑みを深めた。頬には薄らとえくぼが浮かび上がっている。これから戦場となる場所には相応しくない、幸せに満ち溢れた表情だった。その曇りのない笑顔を見ると、本当にスズメは家族に愛されて育ったことが窺えて、葛之宮は妙にむず痒い気持ちに襲われた。
 
 
「それに、うちの家訓なんです」
「家訓?」
「笑えば、自分だけでなく周りも幸せになれる。だから、辛い時も悲しい時も、死ぬ時だって笑っていようって」
 
 
 馬鹿みたいですけど、とスズメは照れたように頭を掻いた。その稚拙な仕草に、葛之宮はふっと心が解けるのを感じた。
 
 
「だからかな、君といるととても心地良いよ」
 
 
 心からの言葉だった。葛之宮の言葉に、スズメはパッと顔を赤らめた。恥ずかしさと嬉しさがないまぜになった表情は、傍から見ても好意的に思えた。
 
 
「本当ですか!? うわぁ、僕光栄です!」
 
 
 スズメははしゃいだ声をあげて、それから自分の軽率な態度を恥じるように軽く肩を竦めた。上目遣いに葛之宮を見つめて、それからおずおずと口を開く。
 
 
「あの、僕も葛之宮少尉と一緒にいると、とても安心します」
「安心? 僕と? そんなこと初めて言われたよ」
 
 
 葛之宮は驚きに目を見張って、安心という言葉を頭に思い浮かべた。その言葉が自分に当て嵌まるとは中々実感できず、首を傾げる。スズメは、葛之宮が怒っていないのを見ると、ほっとしたように言葉を続けた。
 
 
「葛之宮少尉は、他の将校殿とは違って、僕らを公平に見てくれている気がするんです」
「公平?」
「はい、僕らを、貴族や衆民として別けて見ていないように感じるんです。同じ人間として見てくれているんだって」
 
 
 咄嗟に言葉が咽喉に詰まった。スズメの好意と尊敬に満ちた視線が不意に重たく感じた。過度な評価を与えられている、と葛之宮は感じ、微かな息苦しさを覚えた。頬に薄く笑みを滲ませて、首を左右に振る。
 
 
「僕は、そんなに出来た人間ではないよ」
「そんなことないです! 将校殿の中には、僕らを壁としか考えていない方もいます」
「僕も君達を壁にするかもしれない」
「葛之宮少尉の壁なら、喜んでなります」
 
 
 盲目的なスズメの言葉に、葛之宮は薄笑いを浮かべて、首を左右に振った。何か答えようとしたけれども、何一つとして口から出なかった。中途半端な自己保身が無意識に言葉をセーブさせている。それを自分自身で、薄汚いと腹の底で罵った。
 
 その時、駐屯地の方角から一人の男が歩いて来るのが見えた。南軍曹だ。その姿を見て、葛之宮は心臓が跳ねるのを感じた。昨夜の南軍曹と石川曹長との濃密な交わりが脳裏を過る。途端、咽喉がごくりと上下した。
 
 南軍曹は、葛之宮とスズメの姿に気付くと、親しげな様子で手を掲げて近付いてきた。太陽に照らされて、その手が何かの液体に濡れ光っている。南軍曹は、手の甲を鼻先に近づけると、くんと臭いを嗅いで顔を顰めた。
 
 
「嫌ですね。金田中尉に一回でも借りをつくると、十倍に面倒なことを頼まれる」
「面倒なこと?」
「油撒きとか」
 
 
 南軍曹が意味深に呟く。よく見ると、南軍曹の右頬は微かに腫れていた。白い肌に、赤くなった痕は目立つ。葛之宮が無遠慮に頬を眺めていると、南軍曹は掌で頬を撫でて、嬉しさとも悲しさとも付かない笑みを浮かべた。
 
 
「クマにやられました」
「クマ!?」
 
 
 スズメが素っ頓狂な叫び声をあげた。まじまじと南軍曹の頬を見つめるその真剣な眼差しは、南軍曹の言葉を完全に信じ切っているものだ。南軍曹が苦笑いを浮かべる。
 
 
「ちょっと意地悪をしたら、怒ってしまって」
「クマに意地悪って、一体どんな事をしたんですか!?」
 
 
 スズメの率直な問い掛けに、南軍曹は口角に意地の悪い笑みを乗せた。
 
 
「可愛がったつもりなんですけどね、クマは気に入らなかったみたいです。本当に可愛いクマですよ。そう思いませんか、葛之宮少尉?」
 
 
 わざとらしく葛之宮を呼んだ南軍曹の目は、微かに暗い光を宿していた。その南軍曹の目に、葛之宮は南軍曹がすべて気付いているのだと悟った。ぎこちなく咽喉を動かすと、南軍曹がふっと表情を緩めて、葛之宮の耳元へと口を寄せた。
 
 
「内緒にしておいて下さいね。僕は構わないんですが、あの人は恥ずかしがり屋なもので」
「愛してるんですか?」
「はい、とても」
 
 
 即答して、南軍曹は目をぎゅっと細めて微笑んだ。微かな苦悩と堪え切れない愛情がないまぜになった複雑な微笑みだった。
 
 
「あの人は、僕を好いてくれています。だけど、僕と同じような気持ちで好いてくれていないことは解っているんです。あの人にとって、僕は弟のような存在だ。だけど、僕はあの人を抱きたいと思っている。だから、せめて死ぬ前に一度だけと強請り倒して抱かせて貰ったんです。僕やあの人は十中八九この戦争で死にます。死ぬ前に想いを遂げたいと思うのは許されない事でしょうか?」
 
 
 葛之宮の耳元に吹き込むように、南軍曹は早口で呟いた。愛嬌が取り除かれた南軍曹の顔は、あの夜見たような雄の眼差しをしていた。自己嫌悪を色濃く滲ませたその声音に、葛之宮は緩く首を振った。
 
 
「許すか許さないかは、石川曹長が決めることです。だけど、彼は君を許したから身体を任せたんでしょう? それなら、こんなところで懺悔じみた事をする必要はないんじゃないですか?」
 
 
 そうですね、と南軍曹は淡白に答えて、ふっと息を付いた。
 
 
「身体を手に入れれば満足して死ねると思ったんですが、次は心まで欲しくなる。愛情なんて綺麗な言葉で誤摩化しても、所詮浅ましいものですよ」
「後悔してるんですか?」
「いいえ、まさか。ただ、まだ死ねる理由がなくなっただけです。もしくは餓えたまま死ぬか」
「死ぬのに理由は必要ですか?」
「死ぬのには必要ありません。死に納得する理由が必要なだけです」
 
 
 そう吐き捨てて、南軍曹は言葉とは裏腹に穏やかに微笑んだ。葛之宮は、そっと考えた。死ねる理由は、自分にはあるのだろうか。もしくは生きる理由は。もし、どちらの理由もないのであれば、自分が今此処にこうしている事の意義はあるのだろうか。戦う意義は。
 
 南方から、突然轟音が響き渡った。南軍曹がいち早く木陰へと葛之宮とスズメを引っ張り込む。海沿いの崖の岩肌がパラパラと崩れているのが、駐屯地の周囲を覆う柵越しに見えた。木陰から辺りを窺う南軍曹を見つめて、葛之宮は思わず訊ねた。
 
 
「南軍曹、戦う意義は?」
 
 
 南軍曹は目を細めて、押し殺した声で葛之宮へと囁いた。
 
 
「そんなこと考えてるうちに殺されてしまいますよ。葛之宮少尉、戦場では賢い頭は捨ててしまうのが一番です」
 
 
 そう言って、南軍曹は第一塹壕へと向かって走り出した。葛之宮とスズメも後を追う。海からは、砲弾の音が地獄からの太鼓の音のように絶え間なく響いていた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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