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13 人間のカタチ *猟奇表現有

 
 地鳴りのように砲弾が地面を粉砕する音が響き渡る。地揺れのせいで、時折地面が豆腐にでもなったかのうように、ぐにゃりと歪んだ。駆ける足が縺れる度に、南軍曹の叱責が飛ぶ。
 
 
「止まらないで下さい! 早くッ!」
 
 
 丁寧な口調に反して、声音は激しかった。葛之宮は奥歯をぐと噛み締めて、駆ける足を速めた。背後からスズメがぜぇぜぇと息を切らしながら付いてくる。第一塹壕に着いた時には、葛之宮もまともに呼吸ができない状態だった。急激な全力疾走に身体がついていかず、ふくらはぎが断続的に痙攣している。南軍曹だけが足早に袴田少尉へと近付いた。
 
 
「西軍は、上陸しましたか?」
「いや、今船でこっちに向かってるところだ。砲撃もまだ威嚇ってとこだな。陸地より海面の方に着弾するのが多いぐらいだ」
 
 
 ゆっくりとした口調だが、袴田少尉は落ち着きなく唇を舐めている。その爪先は、今にでも走り出しそうにリズムを刻んでいた。袴田中尉の体内で、熱と氷とが渦を巻いているのが見て取れる。
 
 
「待ってるのは堪んねぇなぁ。早く上陸してくれりゃあいいのに」
「どうせなら乗員ごと沈没してくれるのが一番ですよ」
 
 
 お互いそれぞれ物騒な事を言い合うと、袴田少尉と南軍曹は顔を見合わせて、薄く嗤った。袴田少尉は、突っ立っている葛之宮へと視線を遣ると緩く手招きした。
 
 
「そのぽかんとした面、ろくに作戦内容も聞いちゃいないんだろう?」
「申し訳ありません」
「構わねぇよ。どんな作戦だって、噛み砕きゃ一言で終わる。“俺の号令をよく聞いて、隣の奴と同じ動きをしろ”。それだけだ」
 
 
 そう言って、袴田少尉はヒヒッと奇妙な笑い声を立てた。笑い声の端々から、戦闘を前にした微かな狂気が覗く。だが、長剣銃を固く握り締めている袴田少尉の指先は、微かに、しかし確かに震えていた。葛之宮の視線に気付いたのか、袴田少尉が軽く指先を握り締めて呟く。
 
 
「士官がこれじゃザマぁないな。威厳っつうもんがない」
「威厳よりも大事なものが伝わる場合もあります」
「大事なもの?」
「はい、それが何かは判りませんが」
 
 
 自分でも馬鹿げた事を言ったと思った。大事なものと大袈裟なことを言っておきながら、結局判らないとは。袴田少尉がぽかんと口を開いて、それから小さく噴き出す。震える手で葛之宮の肩を大きく叩くと、口を耳元へと寄せて囁いた。
 
 
「勇気とか?」
 
 
 袴田少尉の顔を見返す。そうして、葛之宮は強く頷いた。震える指先が長剣銃を握り締めることは勇気であると、そうあって欲しい、と心から思った。砲撃の音が近くなっていく。はらわたが上下に揺れて、内応物がぐちゃぐちゃに掻き乱されるようで酷く不快だ。
 
 葛之宮の背後には、戦列が出来ていた。長剣銃を胸に抱えた男達が悲愴な顔立ちで、じっと前を見据えている。ざっと見て、百名前後だろうか。確か残された兵士達の総数は二百名前後。であれば、残りの百名は別の塹壕にいるのか。そこに金田中尉もいるのだろうか。不意に、闇に光る金田中尉の目を思い出す。彼は、今笑っているだろうか。怯えているのか。昂っているのか。一体どんな思いで、戦闘を迎えようとしているのか。唐突に、胸を突き上げるような衝動が湧き上がって来る。彼の傍に行きたい。彼の声を聞き、その目を覗き込みたい。彼が戦う理由を知りたい。
 
 袴田少尉が兵士達へと噛んで含めるような声音で語りかける。
 
 
「柵を乗り越えてきた奴らは、この場から撃て。柵が打ち壊されれば白兵戦になる。銃は使うな。剣を使え。合図は俺が出す。それまでは自分の持ち場から決して動くな」
 
 
 そこまで簡潔に言ってから、袴田少尉はすぅと息を吸い込んで、こう続けた。
 
 
「誰も、祈るな。祈っても助からない。願うな。願っても、生き残れない。哀れむな。敵も仲間も自分も、哀れめば動けなくなる。ただ目の前の敵を殺すことだけ考えろ」
 
 
 それは、まるで天の声のようだった。しかし、それがもし本当に天の声だとしたら、あまりにも残酷すぎる。
 
 砲撃の音と共に、海から漂ってくる潮の臭いが次第にきつくなっていく。鼻腔を焼かれるようだ。そして、突然、大地を震わせるような咆哮が響き渡った。東国とは確実に違う発音での叫び声。
 
 
――ヅェーラー!!
 
 
 とは、確か西国で『突撃』という意味だ。『突撃』、頭の中で呟いた瞬間、首筋の後ろが一気に粟立った。高揚と恐怖がないまぜになって臓腑を強く突き上げる。吐き出す息が、全身の皮膚が、小刻みに震える。自分が恐れているのか、それとも興奮しているのか、解らなくなっていく。掌を左胸に押し当てると、鼓動が張り切れそうに高鳴っていた。心臓が体内から飛び出してしまいそうだ。歯の根がカチカチと鳴る音が聞こえた。それは自分のものか。それとも他人のものか。ええい、どちらでも構わないじゃないか。手の甲をきつく噛み締めて、息を押し殺す。
 
 見開いた目が次に見たのは、真っ赤な火柱だった。炎が轟音を立てて、天を突き上げる。鼓膜が破れそうなほどの爆音が次々と鳴り響く。そうして、爆音に続いて、空気を切り裂くような断末魔が響き渡った。この上なく凄惨な協奏曲だ。
 
 
「始まったな」
 
 
 隣で、袴田少尉が苦虫でも噛んだかのような声音で呟く。袴田少尉の横で、スズメが長剣銃を抱えたまま、小さく震えていた。
 
 スズメの様子を呆然と眺めてから、黄半島駐屯地の方へと葛之宮は視線を向けた。そこはもう駐屯地の形を留めていなかった。柵越しに見えるのは、ただの炎だ。炎がうねりを上げて舞っている。空高く、火の粉が散らばっていた。柵の内側から、西国軍の兵士達の絶叫が聞こえてくる。
 
 
「どうして、海に逃げない」
 
 
 口が勝手に言葉を紡いでいた。火の海の中を転げ回る西国軍の姿を思い描く。海に逃げれば火だって避けられるだろうに、どうしてそれをしない。横から袴田少尉が答える。
 
 
「海には逃げらんねぇよ」
「どうして」
「船で逃げらんねぇように、真っ先に砲撃で逃走不可能にしてるはずだ。その上、浅瀬を崖の上に配置した砲弾機五台が狙い打ちにしてんのさ。しかも、飛礫玉だ」
 
 
 飛礫玉、と口内で小さく呟く。確か鉄球内に、小さな鉄球をいくつも詰めた砲弾のことだ。撃ち出すと、着弾直前に破裂して、中の小さな鉄球が地面に飛散する。一点集中の破壊力はないが、人体を破壊するのにはこれほど効率の良い球もない。人の身体を、まるで蜂の巣のように穴だらけにするのだ。それが海面に降り注いでいるということは―――
 
 
「海に行きゃ飛礫玉の餌食。火に入りゃ焼かれて死ぬ。駐屯地には油まで撒かれて、所々にゃ火薬まで設置されてる。柵に囲まれて、逃げ場はない。まさに地獄だね、地獄」
 
 
 袴田少尉は、乾いた短い笑いを零した。しかし、その口角は引き攣っている。その顔面の端々から、袴田少尉の怖気が覗き見える。地獄、確かにそうだ。閉鎖された中で、焼き殺され、撃ち殺される。そんな物は地獄以外の何ものでもない。断末魔は、鳴り止まない。敵兵が柵に辿り着いたのか、ガリガリと引っ掻くような音が葛之宮のもとまで聞こえて来る。
 
 
――内側から掻き毟っている。
 
 
 気付いた瞬間、足下から言いようのない寒気が這い上がって来た。ガチッと歯が鈍く鳴る。悪だ。まさしく、悪の所業だ。これを、金田中尉は考えたのか。こんな悪魔のような作戦を。葛之宮は、崩れそうになる膝を一度叩いて、必死で恐怖を押し殺した。恐ろしいのは、敵ではない。おそらく今この戦場のどこかで笑みを浮かべているあの人だ。
 
 
「装填、総員射撃に備えよ」
 
 
 押し殺した声で、袴田少尉が命令を下す。袴田少尉の高揚が皮膚から伝わってくるようだった。さざ波のように復唱が続く。葛之宮は、銃床を肩へと押し当てて、銃把を握り締めた。指先は引き金へと添えられる。実技演習で何度もやった行動だ。それなのに、指先が凍り付いたかのように冷たかった。感覚がない。人を殺す指に感覚がないなんて、殺す前から責任逃れじみている。そう思えば、自分自身に微かな苛立ちを覚えた。
 
 そうして、不意に、柵を乗り越えて炎の塊が飛び出して来た。炎の塊は、人の形をしていた。
 
 
「撃つな!」
 
 
 袴田少尉が鋭く一声叫ぶ。柵の前で、火だるまがのたうち回る。赤い炎に全身を覆われて、髪は焼け焦げ、服は燃え落ち、そのくせ口の辺りだけがぽっかりと黒く穴を空けていた。まるで口から火を吐いているかのようだ。火だるまの足下には、ぽたぽたと何かの液体が滴り落ちていた。黄色く、濁り、粘着いている。それが体液と脂肪が溶けた液体だと気付いた瞬間、胃の辺りがぎゅうと収縮した。咥内に、嫌な唾液が湧き上がって来る。
 
 
――ぎゃヴぇえ゛ぁ、ぐぎぁう゛ぅ、ばぁアぁああ゛あ゛ァ゛、
 
 
 聞くに堪えない絶叫だった。もし銃を持っていなければ、今すぐにでも耳を塞いでしまいたい。これが人間の姿なのか。命の最期なのか。どうして、こんなにも醜い。どうして、こんなにも無惨なのか。震えるような思いが込み上げてくる。
 
 火だるまは、暫く土の上を転がり悶えた後、海老のように反り返った形のまま動かなくなった。パチパチと爆ぜるような音が時折聞こえて来る。脂肪が燃え尽きたのか、燻るような火の間から細く煙が立ちのぼっている。ひび割れ炭化した皮膚の合間から、鮮やかな肉の色が覗いていた。ピンク色というよりも、少しくすんだ梅色だ。まるで炭の間から、花が咲いているかのような鮮烈な光景だった。
 
 誰もが息を殺して、凄惨な敵兵の最期を見詰めている。気付けば、長剣銃を構える手がじっとりと汗ばんでいた。額から滝のように油汗が流れ落ちる。炎のせいか、体温が異常なまでに上昇していた。そのくせ、体内はおぞましいほどに冷え切っている。まるで、自分の身体が脳味噌だけ残して機械にでもなってしまったかのようだ。南軍曹が押し殺した声で呟く。
 
 
「柵越え一人目です。二人目以降もすぐに来ます。気を抜かないで下さい」
 
 
 柵の内側を掻き毟る音が大きくなる。既に掻き毟るというよりも、叩いている音だ。ドン、ドン、とその音は次第に大きくなっていく。そうして、次の瞬間、ひと際大きな打撃音と共に柵の一部が吹き飛んだ。同時に炎が噴き出して来る。その中を、炎を身に纏った敵兵達が悶えていた。
 
 
「あいつらは撃つな! 次に飛び出してきた者達を一斉射撃!」
 
 
 兵士達の間を、緊張が走る。柵を打ち壊した者達は、皆一様に暫くすれば焼け死んでいた。そうして、次には炎に炙られはしても、焼かれてはいない者達が空いた柵から飛び出してくる。数人だった人数がすぐさま数十、そうして数え切れないほどまでに膨れ上がる。袴田少尉の唇が引き攣り、叫ぶ。
 
 
「撃てえぇ!」
 
 
 指先に力を込める。添えていた銃床から、肩関節へと叩き付けるような衝撃が走った。身体が後方へとぐらつきそうになるのを、膝を地面へと押し込んで堪える。百丁にも渡る銃が唸りを上げて、火を吐き出す。銃声が轟く。鼓膜が破れそうだ。柵から飛び出して来た敵兵が銃弾を浴びて倒れていく。それらの姿は、まるで赤い液体をまき散らす人形のようで現実味がない。ただ、肩に残った痺れるような痛みだけが生々しい。
 
 
「次弾装填!」
 
 
 号令が上げられる。袴田少尉が荒んだ目付きで、部下を睥睨する。その横顔に、愛妻家だという陽気な男の面影は残っていない。此処にいるのは、ただの人殺しの指揮者だ。
 
 急いで、しかし焦らず行動する事の難易さを身にしみて感じる。少しでも気を抜けば震えそうになる指先を叩き潰してやりたくなる。忙しない手付きで次弾を装填し、構える。
 
 
「撃てぇ!」
 
 
 号令に合わせて打つ。轟音が響き、断末魔が上がる。数十メートル先で、敵兵がバタバタと倒れ、死んでいく。そこに現実味はなかった。まるで遠く離れた世界の事柄のようにすら感じた。だが、現実。これが現実。葛之宮は、そのとき、自分が果たして今まで現実を生きてきたのかすら判らなくなった。であれば、今までが夢幻だったのか。そうして、ようやく今、ここで現実と直面したわけか。この無様な残虐な世界こそが現実なのか。
 
 
「装填やめぇ! 総員突撃準備!」
 
 
 長剣銃を両手で抱える。途端、内臓が凍えた。そうして、考えてしまった。
 
 自分が先ほど放った銃弾は―――誰かを殺しただろうか。
 
 そう考えた瞬間、心が音を立てて折れた。腕から力が抜ける。敵兵を殺すのなんて戦争において当たり前のことだ。それは讃えられはしても、貶されはしない。むしろ殺せないことの方が恥なのだ。それなのに、葛之宮は怖かった。人間を殺すことが恐ろしかった。恐怖が音を立てて背後に迫りよって来る。歯の根が鳴る。頭を抱えて、その場で蹲ってしまいたい。逃げ出したい。今すぐ逃げ出したい。嗚呼、嗚呼、僕は一体何がしたかったんだ。人殺しがしたかったのか。家から逃げたかったのか。何物に依ることのない自分自身を探し出したかったのか。だが、死にたくはない。死にたくない。あの敵兵達のように、焼け死んだり、撃ち殺されたくない。体内を、のたうち回るような惨めな感情が込み上げて来る。死への恐怖と、生への渇望。誰を犠牲にしても、自分だけでも生き残りたいと願う利己的な祈り。これこそが、金田中尉の言っていた浅ましさか。皆一様に薄汚く醜く、切実だからこそ浅ましい。これが人間の本来のカタチか。
 
 両手で顔を覆いたくなるような、羞恥だった。何も知らず、人間とはかくもありきとばかりに綺麗ごとばかりをほざいていた自分自身をくびり殺してやりたい。何が恥とは仲間を見捨てることだ。今なら仲間を見捨ててでも生き残ることを選ぶだろう。何が野垂れ死んだ方がマシだ。あの時、逃げなかった事を今更になってこんなにも後悔している。恥知らずは誰だ。逃げた染川大尉達などよりも、死を知らず大口を聞いていた自分の方がよっぽど恥知らずではないか。葛之宮は、自分は少なくとも誠実であろうとしている人間だと思っていた。人並みに思いやりを持った人間であると。だが、そんな自分は一瞬にして消え去った。残ったのは、生に執着する薄汚い男だ。死に直面した自分は、こんなにも脆く、浅ましかった。酷い絶望だった。今まで作り上げていた自分という存在が儚く崩れ落ちる。長剣銃を持つ指先に力が入らない。敵兵は開いた柵から次々と飛び出している。距離はあとどれぐらいだ。上手く視界が働かない。このままでは殺される。殺される。殺され―――
 
 

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Published in 地平の戦争

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