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20 彼の選択

 
 遠くの山から夕陽が顔を覗かせていた。新鮮な黄身のような、蛍光色にも見える橙色をしている。その毒々しいまでの光の中、金田中尉の部隊は、荻羽村へ辿り着いた。
 
 色褪せた瓦が太陽光にギラギラと照り光っている。そうして、同じように地面も赤色に発光していた。それは太陽の色ではなく、紛れもない血の色だった。
 
 地面には、老若男女が入り混じった死体が無数に転がっている。豊満な胸を赤裸々に晒した中年の女が大の字になって絶命しており、その横には、まだ十にも満たないであろう幼い子供が腹に穴をあけて倒れていた。自分が死んだことにすら気付いていないように、その瞳は不思議そうにぱっちりと開かれている。
 
 家屋の扉は無残に壊され、家の中からは明らかな強奪の跡が見て取れる。持ち運ぶ際に袋に穴でも空いたのか、粟の粒が土間の上を転々と零れていた。
 
 周囲から漂う血臭と、徹底的なまでの殺戮の跡に、顔面が歪む。金田中尉は暫く無言のまま周囲を見渡し、それから短く告げた。
 
 
「各自、二人組になって、食料および生き残った者を探せ。誰が“これ”をやったのかを知る必要がある」
 
 
 その事務的な口調からは、悲痛さや同情を一切感じることは出来なかった。この人は、本格的に感情が欠落している。そう苦々しい感情を抱きながら、葛之宮は背筋が寒くなっていくのを感じた。
 
 不意に、金田中尉が葛之宮へと視線を向ける。
 
 
「御前は、目黒を連れて一緒に来い」
 
 
 短く言い放ち、金田中尉は大股で、家屋の中へと入っていく。唐突な呼び出しに葛之宮は目を白黒させながらも、金田中尉の後を追った。その家屋は、医院らしきものだった。棚から次々と薬品を取り出しながら、金田中尉が尊大な仕草で顎をしゃくる。
 
 
「“そいつ”をどかせろ」
 
 
 その言葉に、葛之宮は寝台へと視線を向けて、咄嗟に後ずさった。そこには背をバッサリと切られた男がベッドの上に倒れ伏している。おそらくその男が医者だったのか、上下が繋がった麻製の白い服を着ていた。その白い服は、すでに医者自身の血で真っ赤に染まっているが。
 
 葛之宮は、跳ねる心臓を必死で抑えながら、医者の死体を後ろから担ぎ上げ、床へと降ろした。部屋の隅へと運び、苦悶の表情を浮かべる顔へと、せめてものと布を被せる。
 
 
「目黒を寝台へ」
 
 
 言われるがままに、目黒を寝台へと仰向けに寝かせる。目黒が薄っすらと目を開いて、虚ろな眼差しで金田中尉を見遣る。金田中尉は、目黒の頭両脇へと掌を落として、じっとその目を見据えた。
 
 
「御前は、楽に死ぬのと、片足を失って生きるのとどっちがいいんだ?」
 
 
 その問い掛けに驚いたのは、目黒ではなく葛之宮だ。咄嗟に金田中尉の腕を掴むと、煩わしそうに金田中尉は眉を顰めた。
 
 
「貴方は、何を言ってるんですか」
「もう十分我侭は通しただろうが。最期ぐらいこいつに選択させろ」
「そんなの、出来ません!」
 
 
「御前は目黒の母親か何かか? 御前は一生こいつの人生を背負い続けるつもりか?」
 
 
 皮肉げに金田中尉が口角を吊り上げる。突き付けられる言葉に、葛之宮は息を呑んだ。
 
 
「他人の足を勝手に切り落として、こいつが苦しんで生きるのを罪悪感を感じながら生きるつもりか? こいつは御前を恨むかもしれない、自分の人生に悲観してあの時死ねばよかったと思うかもしれない。だから、こいつに決めさせる。生きようが死のうが悔いが残らないようにな」
 
 
 短絡的とも思える言葉だったが、真理をついていた。葛之宮に、目黒の生死を最終決断する権利はなかった。ぐっと下唇を噛み締めて、目黒を見詰める。
 
 目黒は相変わらず宙を見詰めたまま、何も答えない。薄く開いた唇から、嗄れた呼吸音が僅かに聞こえるだけだ。
 
 
「目黒、どうする。御前の左足はもう腐りかけてる。このまま放っておけば、全身が腐って、悶え苦しみながら死ぬ羽目になる。それが嫌なら、此処で一息に死ぬか、左足を切り落とすしかない。切り落としても死ぬかもしれないがな。どっちか御前が決めろ」
 
 
 その目を覗き込んで、金田中尉が残酷な選択肢を突き付ける。葛之宮はぐっと自身の掌を握り込んだ。頼む、頼む、どうか生きると言ってくれ。もうこれ以上、自分の目の前で誰かが息絶えるのを見るのは耐えられない。どうか、頼むから、希望を消さないでくれ。
 
 目黒の視線がぐるりと彷徨う。そうして、その目が葛之宮へと向けられた瞬間、目黒は一度大きく目を見開いた。そうして、唇を微かに震わせる。
 
 
「……麒麟、を…」
 
 
 真っ直ぐ目黒は、葛之宮の背に担がれた銃を見詰めていた。慌てて差し出すと、目黒はその長い銃身を震える指先で撫ぜた。まるで恋人にでも触れるかのような繊細で優しげな手付きだった。そうして、目黒は葛之宮へと問い掛けた。
 
 
「…少、尉、生き、…る意味、は…」
 
 
 一瞬何を問われているのかが解らなかった。動きを止めた葛之宮を見て、目黒がひゅうと咽喉を鳴らして問い掛ける。
 
 
「……まだ、自分に…やれ、ることは、あり…ますか…?」
 
 
 葛之宮は一瞬咽喉を詰まらせた。そうして、次の瞬間、身体中を駆け巡ったのは、歓喜にも似た祈りの感情だ。葛之宮は、咄嗟に目黒の手を握り締めて、強く、強く頷いた。
 
 
「はい、貴方にやれることは無数にある。僕は貴方に生きていて欲しい」
 
 
 もうそれは葛之宮の願いでしかなかった。だが、目黒は小さく息を吐き、それから弱々しい仕草で頷いた。そうして、金田中尉へと首を傾け、こう言った。
 
 
「……生かして、…ください…」
「左足はなくなる。いいな?」
 
 
 金田中尉の念押しに、目黒は唇を吊り上げた。初めて見る目黒の笑みだった。笑い声まで聞こえてきそうな程の、明朗とした表情だ。
 
 
「…楽勝、…で、す…」
「わかった」
 
 
 簡潔に答えて、金田中尉は、寝台傍らの机に手早く医療器具を並べた。そうして、葛之宮へと口早に述べる。
 
 
「清潔な水を持って来い。井戸の水は絶対に汲むな」
 
 
 告げられた指示に、葛之宮は医院を飛び出した。
 
 

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Published in 地平の戦争

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