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21 血肉から生まれた子供

 
 水を探して、村中を走り回った。骨の芯に蓄積された疲労に、何度も膝が折れ躓きそうになる度に、葛之宮は自分の足を拳で殴りつけた。それは、まるで馬が自分自身の尻を叩いているような滑稽さがあったが、今の葛之宮には自分の醜態などどうでも良かった。
 
 胸の底から奇妙な高揚が込み上げてくる。それは生への希望だ。目黒が生きると言った。すべてを諦め、死のうとしていた男が確かに生きると口にした。差し伸べた葛之宮の手を、確かに目黒は掴んだのだ。
 
 
――無駄じゃなかったのか。自分がやったことは、決して無意味じゃなかったのか。
 
 
 その思いが葛之宮を突き動かした。
 
 だが、このまま目黒が死ぬようなことになれば、今感じている希望は、一気に絶望へと変わる。死ぬ男を無駄に苦しめただけという罪悪が上塗りされ、葛之宮は生きる価値を失う。希望と恐怖が胸の内でないまぜになって、走る足が震える。だが、それでも走る。目黒を生かす。必ず生かす。掴み返してきた手を、離さないためにも。
 
 村中の家に、葛之宮は飛び込んだ。どの家でも水を貯めていたらしき甕は見つかったが、どれも一様に打ち倒され、粉々に割られていた。略奪は、無残なほどに徹底的だった。まだ生後半年にも満たないだろう赤ん坊ですら刺し殺されている。金田中尉の命により、兵士達も必死で生き残りを探しているようだったが、この村からは人一人の気配すら感じられなかった。
 
 一滴の水すら見付からず、村の端まで辿り着いた時、小さな井戸があるのに気付いた。覗き込むと、深い穴の底に揺れる水面が見える。水があった、という思いと共に、金田中尉の言葉が脳裏に蘇る。
 
 
『井戸の水は絶対に汲むな』
 
 
 そう金田中尉は言った。その時は、その言葉に大した疑問を抱かなかったが、今考えれば何故井戸の水は駄目なのだろうか。
 
 葛之宮が首を傾げた瞬間、不意にぬちゃりと粘着いた液体が擦れ合うような音が背後から響いた。鼓膜に脂が貼り付くような不気味な音だ。反射的に腰の剣を抜いて身構える。数メートル先に、男女の死体が折り重なるように倒れていた。その死体の四肢や背がまるで芋虫のように、ぐにぐにと蠕動している。
 
 葛之宮は息を呑み、その光景を凝視した。死体の腹の底から、ずるりと細い腕が這い出てくる。赤い粘液に塗れたその腕は数度地面を掻き、その次には小さな頭が覗いた。そうして、真っ赤に濡れた全身が死体の下から出てくる。
 
 それは、十歳を少し過ぎた程度であろう少年だった。全身を大量の血に塗れた少年は、まるで臓物から生まれたかのような異様な様相をしている。古びた麻の着物が真っ赤に染まって、ぽたぽたと血を滴らせる前髪の底から切れ長な眼球がじっと葛之宮を見据えていた。
 
 
「その水は、飲まない方がいい」
 
 
 現状にそぐわぬ落ち着き払った声音だった。今しがたまで死体の下にいたとは思えない程、その声には恐怖や悲哀といったものが欠落していた。だからこそ、より強烈に陰惨さを感じさせた。葛之宮は、皮膚からひやりと温度が抜けるのを感じた。少年は、手の甲で血に濡れた目蓋を拭いながら問い掛けてくる。
 
 
「アンタ、水が欲しいのか?」
 
 
 咄嗟に頷くと、少年は大人びた仕草で顎をしゃくった。
 
 
「着いてきなよ」
 
 
 そうして、林道の方へと駆けて行く。野生の動物を思わせる俊敏な動きだった。その背を反射的に追い掛けながら、葛之宮は少年の後姿をじっと眺めた。死体の下から出てきた少年の正体や真意を、葛之宮は推し量ることが出来なかった。
 
 数分後、岩場まで辿り着いた。折り重なった岩々の隙間から、ちょろちょろと透明な水が染み出している。少年が直立不動のまま、水の溢れる場所を指差す。葛之宮は、一度水を口の中へと含み、澄んだ水であることを確認してから、革袋に水を入れた。水が貯まるのを待っている間、少年へと問い掛ける。
 
 
「…君は、萩羽村の子?」
「そう」
「名前は?」
「アサト」
 
 
 まるで人形に話し掛けている様な淡白さがあった。アサトは自分の姿を一切気にする様子もなく、岩場に腰掛け、灰色に濁った空を見上げている。頭から爪先まで赤黒く染まった姿は、まるで不吉そのものを象徴しているようで葛之宮はぞっとした。遠く離れた場所からも、生臭い血臭がアサトから漂ってくる。アサトから無意識に視線を逸らしながら、葛之宮は問いを続けた。
 
 
「どうして、あの井戸の水を飲んでは駄目だったんだ?」
「“あいつら”が何か放り込んでた」
「あいつら?」
「西の奴ら」
 
 
 その簡潔で素っ気ない一言に、一瞬で顔面が引き攣った。西のモノ、一番聞きたくなかった言葉だ。
 
 西の奴ら、西国軍がこの村を通った。自分達よりも前に。つまりは、先回りをされているということだ。黄半島であれだけ必死に戦っても、まったく西国軍の侵攻を食い止められなかったという事実に他ならない。そうして、この萩羽村を通過しているということは、おそらく西国軍の目的地も、自分達と同じ臼長井基地と考えて間違いないだろう。そうして、背後にある黄半島は確実に制圧されている。つまりは、前も塞がれている上に、退路すらも失っているということだ。
 
 
「いつ来たんだ?」
「朝方、日がのぼるのと同時にやって来た」
 
 
 沈みゆく太陽を見上げながら、アサトが茫洋とした声音で呟く。その言葉を聞き終わる前に、葛之宮は水で満たされた革袋を引っ下げて、アサトの腕を掴んでいた。見た目以上に、柔さを感じさせる細い子供の腕だった。アサトが何処か怪訝そうな眼差しで、葛之宮を見上げる。
 
 
「一緒に来て」
「どうして」
「あの村で起きたことを話して欲しいんだ」
 
 
 噛みそうなぐらいの早口で言い放って、葛之宮はアサトの手を掴んだまま村への道を駆け出した。焦燥と恐れが皮膚に纏わり付いて、滲み出た汗が掌を湿らせる。
 
 医院に辿り着けば、見知らぬ子供をつれた葛之宮の姿に金田中尉が露骨に顔を顰めた。
 
 
「誰だそのガキ」
「村の生き残りです」
 
 
 口早に述べると、金田中尉の片眉がピクリと跳ねた。ぞんざいな仕草で南軍曹を顎で示すと、剣呑な声音で言う。
 
 
「そのガキは南に渡せ。詳細を問い質す。それで水は?」
 
 
 革袋に詰まった水を手渡すと、金田中尉は釜戸の上に置いた鍋にぞんざいに水を注ぎ入れた。すぐさま薪へと着火して、水が煮立つまでの間に、寝台でぐったりとしている目黒の左膝関節のやや上部にキツク布を巻き付ける。そうして、水が沸騰したところで、煮え湯の中にメスや鋸を放り込んだ。
 
 
「目黒に猿轡を噛ませろ」
 
 
 葛之宮へと視線を向けないままに指示を飛ばす。一瞬自分へ向けた言葉とは気付かずに葛之宮が呆然としていると、金田中尉がギロリと睨み付けてきた。
 
 
「目黒に舌噛み千切らせてぇのか、早くやれ」
 
 
 そう言われて、葛之宮は慌てて動いた。もう舌を噛む力なんてないんじゃないかと思えるほど、目黒の顔色は真っ白だった。布を丸めたものを口の中へと入れる瞬間、目黒の目蓋がピクリと動いた。葛之宮を一瞬だけ見上げて、何か物言いたげに唇をピクリと動かす。だが、結局その唇は何も発しなかった。葛之宮は、微かな胸の痛みを感じながらも、目黒の口へと布を噛ませた。
 
 熱湯の中から、刃物が取り出される。その間に、以前兵士達の治療にあたっていた兵が一名現れていた。もわもわと湯気をあげるメスや鋸を寝台傍らに並べてから、金田中尉は言った。
 
 
「膝から下を切れ。膝頭は出来る限り残してやれ」
「自分がですか?」
 
 
 まだ経験が多くはないであろう若い兵は、明らかに狼狽した様子だった。金田中尉は当然とばかりに頷いてから、皮肉げな口調で続けた。
 
 
「俺や坊ちゃんがやるよりかはマシだ。手足は、俺と坊ちゃんとで押さえる。終り次第ここを出発する、手早くやれ」
 
 

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Published in 地平の戦争

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