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22 重田アサト

 
 目黒の手術は、数時間も掛からず終わった。終わったというよりも、終わらせたというのが実際のところだろう。鼓膜の表面に、骨が切断される音がこびり付いている。目黒は、殆ど暴れなかった。暴れる力もなかったのだろう。ただ、赤黒く見えるほど充血した目を見開いて、両腕を押さえる葛之宮を凝視していた。咽喉から迸る呻きや悲鳴は、すべて噛まされた布の中へと吸い込まれた。足が完全に切り離された時には、目黒の意識はなかった。切断された左足は布に包んで、村のほとりに立っていた胡桃の木の下へと葛之宮が埋めた。
 
 戻った時には、あたりは既に闇に包まれていた。医院の入口で、南軍曹とアサトが話している姿を見付ける。葛之宮に気付くと、南軍曹は極自然な仕草で頭を下げた。
 
 
「馬はあらかた連れて行かれるか殺されるかしたようですが、どうやらロバが一頭だけ残っているようです。目黒は、そいつに乗せていけばいいでしょう」
 
 
 南軍曹は、そう朗らかに笑った。その横で、アサトは膝を抱えるようにしてしゃがみ込んでいる。髪の毛や身体にこびり付いていた血を拭き取ったのか、つるりとした色白な皮膚が長い前髪の間から垣間見える。そうして、アサトが顔をあげた瞬間、葛之宮はハッとした。息が止まるような驚きだった。
 
 アサトは、美しい少年だった。暗闇の中で発光して見えるほど、その瑞々しい美しさは際立っていた。つるりとした卵型の輪郭に、目鼻が一ミリの狂いもなく正確な位置にあるといった印象を受けた。あまりにも整然とし過ぎていて、ある一種人間らしさを削がれた無味無臭の面相だ。無個性だが、だからこそおぞましいほどに美しかった。
 
 葛之宮は、まじまじとアサトの顔を凝視して、それから南軍曹へと視線を向けた。南軍曹が軽く肩を竦める。
 
 
「重田アサトというようです。この村の農家で育った子供です」
「この子の両親は?」
「殺された」
 
 
 南軍曹よりも前に、アサトが平然とした声音で答えた。その声音からは、両親を殺された子供の悲痛さは一切感じられなかった。南軍曹が一瞬対処に困ったように眉根を寄せる。
 
 
「朝方に百名程度の西国軍が萩羽村を通って、村人を皆殺しにしたようです。おそらく本隊を動かす前の、偵察目的の先兵隊かと思われます。生き残りは、今のところ重田アサトしか見つかっていません」
 
 
 告げられる惨い事実に、葛之宮の顔が歪む。痛ましい現実だった。戦争によって何も知らぬ民が殺されるのは、国家のエゴを強烈に感じさせる。
 
 押し黙っていると、アサトが思いがけない無邪気さで葛之宮の上着の裾を引っ張った。黒目がちな目で、じっと見上げてくる。
 
 
「この村は、もうオシマイだ。家畜も殺されたし、畑も荒らされた。井戸だって毒を放り込まれてる。こんなところじゃ生きていくことは出来ない。だから、オレをアンタ達と一緒に連れて行って欲しい」
 
 
 突拍子もない申し出だった。葛之宮は一瞬目を剥いて、それから唖然としたまま南軍曹を見遣った。
 
 
「先ほどからこう言って聞かないんです」
 
 
 やれやれとばかりに南軍曹は首を左右に振る。葛之宮はアサトを見下ろして、諭すように呟いた。
 
 
「一緒に行けば、君も戦闘に巻き込まれるかもしれない」
「そんな事はわかってる。でも、こんな死体だらけの場所にひとり残るよりかはマシだ」
「ここなら森もある。君は水が出ている場所だって知っていたし、森には獲物だっているだろう。僕らと一緒に行くよりも、ここにいた方が安全だ。暫くここで待っていてくれれば、必ず君を迎えに来るよ」
 
 
 答えた瞬間、アサトの鼻梁に薄い皺が寄った。美しい顔に明らかな嫌悪が滲んだ時、醜悪な何かが浮かび上がった。
 
 
「オレは、そんな戯言を信じたりしない。民を踏み潰すのが国だ。戦争をしても、オレたちは誰一人として得をしない。そのくせ国が一番に犠牲に差し出すのは、こういう得をしない人間ばかりだ。そんな国がオレ一人をわざわざ助けにきたりなんかするわけない。そんなのはガキでもわかる」
 
 
 葛之宮は息を呑んだ。アサトの言葉を、否定する事ができなかった。本当は、そんな事はない、絶対に迎えに来ると断言したかった。だが、今この村の惨状を目の前に、どうしてそんな事を臆面もなく言うことが出来るのだろう。民を踏み潰した結果が今の現状ではないのか。
 
 
「どちらにしても、金田中尉の許可がなくては結論は下せません」
 
 
 押し黙った葛之宮の代わりのように南軍曹が呟く。そういえば、金田中尉はどうしているのだろう。
 
 そうして、医院の内を覗き込んだ瞬間、葛之宮は目を疑った。寝台に横たわる目黒に、金田中尉が覆い被さっている。その触れ合った唇を見て、葛之宮は体内で何かの感情が暴れ狂うのを感じた。炎とも氷とも付かないものが臓腑の奥底で音を立てて爆ぜている。咽喉の奥から迸りそうになる叫びを、必死で押し殺そうとした。
 
 だが、気付いた時には、金田中尉の肩を掴んで、その身体を目黒から引き剥がしていた。金田中尉が微か驚いたように目を大きく開いている。その眼球の奥に、醜く歪んだ自分の顔が見えた。
 
 
「何を、しているんですか」
 
 
 知らず非難するような声が溢れ出た。それに自分自身で、微かな情けなさを覚える。接吻ぐらい、どうだっていい事じゃないか。南軍曹と石川曹長の性交まで見て、なぜ今更接吻ごときで自分はこんなにも狼狽しているのかが解らない。
 
 金田中尉が怪訝そうに眉を顰めて、微かに血がこびり付いた唇を手の甲で拭う。
 
 
「御前こそ何のつもりだ。怪我人に貴重な飯を食わせてやってるのが気に食わないのか?」
 
 
 よく見たら、金田中尉の手には干肉の切れ端が握り締められていた。それを見て、カッと頬に血が上った。干肉を噛み砕いて、口移しで目黒に与えていたのか。
 
 
「…すいません、つい…勘違いを…」
 
 
 もごもごと苦しい言い訳を口にする。金田中尉が鼻で微かに嗤いながら、肩を掴む葛之宮の手を払い落とす。
 
 
「俺が目黒を殺すとでも思ったか? 俺には、兵士を殺した前科があるからな、お坊ちゃんからしてみりゃ信用ならんのだろう」
 
 
 皮肉を吐き捨てる金田中尉に、それは違うと言いたかった。そんな風に思ってはいない。ただ、どうしてだか、金田中尉と目黒が接吻しているのが許せなかっただけで――
 
 だが、その思いを上手く口にする事は出来なかった。唇を引き結んだまま黙り込んだ葛之宮を、金田中尉がせせら笑う。
 
 その傍らに、南軍曹が近寄る。金田中尉の耳元へと唇を寄せて、何やら囁いていた。暫くして金田中尉が短く頷いた。そうして、アサトを睥睨する。
 
 
「御前は連れて行かない」
「なぜ?」
「足手まといだからだ」
「そんなのは判らないだろう」
「判るさ。少なくとも御前は悪党の類だ。親の死体の下に隠れるガキだなんて薄気味悪くて信用ならん。ましてや、一人だけ生き残らせてもらった西国軍のスパイかもしれん。いつこちらを裏切るかもしれない奴を同行させることは出来ない」
「オレは裏切らない」
「それを信じるだけの根拠がない」
 
 
 丸っきり一刀両断するような声音だった。アサトの口角がピクリと一瞬引き攣る。だが、表情自体は然程の変化を見せていない。無表情のまま金田中尉を見上げている。
 
 
「信用はしなくていい。だけど、オレはあんた達の役に立つ」
「ガキが舐めたことをほざくな」
「西の奴らに挟み撃ちにあいたくないんだろ?」
 
 
 金田中尉の片眉が一瞬跳ねた。疑わしげな眼差しで、アサトをねめつける。
 
 
「あんた達が黄半島で西の奴らを足止めしようとしたことは知ってる。だけど、足止めしきれなかった。だから、先兵隊があんたらよりも先に進んで、この村は全滅する羽目になった」
「恨み言のつもりか?」
「そんなつもりはない。ただ、事実を言ってるだけだ。それから予言」
「予言?」
「先兵隊が道の安全を確認して、それを本隊へ報告されたら後ろから何千何万の兵達が内地に向かって進行してくる。あんた達は先兵隊と本隊に挟み撃ちにあって、嬲り殺しにされる。これが予言」
「何が言いたい」
「あんた達が助かろうと思ったら、先兵隊に追い付いて、西の本隊に伝令を送られる前に先兵隊を一人残さず皆殺しにするしかない。そのためにはオレの助けが必要だ」
 
 
 傲慢な言い様だった。アサトは誇るわけでも萎縮するわけでもなく、ただ事実を報告するように淡々と続ける。金田中尉は両腕を組んだまま、不機嫌そうな面でアサトを見下ろしたままだ。
 
 
「オレなら、この辺りの抜け道も近道も全部知ってる。西の先兵隊は馬に乗ってる分、どうしても遠回りをせざるを得ない。オレなら先兵隊に追い付ける道を案内できる」
 
 
 そうして、アサトは首をかくりと傾げて、こう問い掛けた。
 
 
「これでも、俺は役に立たないか?」
 
 
 金田中尉の顔は、苦虫を噛み潰したように歪んでいた。悩んでいる表情というよりも、ただただ不愉快そうな表情だ。
 
 だが、選択肢はないに等しかった。もしこのまま先兵隊に追い付くことが出来なければ、確かにこの隊は挟み撃ちにあって全滅する。それを防ぐためには、先兵隊を潰して、西国軍本隊への伝令を止めるしかない。伝令もなく、先兵隊も戻ってこなければ、西国軍本隊も危険を感じて進行をすることを先延ばしにするだろう。だが、朝方にこの荻羽村を通った西国軍先兵隊に、どうやって追い付くかが重大な問題だ。それを考えれば、アサトの申し出は唯一の希望でもあった。
 
 
「必ず追い付けるという確証があるのか?」
「なきゃ言わない。絶対に追い付く」
 
 
 金田中尉の質問に、アサトははっきりと答えた。金田中尉は暫く黙り込み、下唇を噛み締めた。そうして、不意にこう問い掛けた。
 
 
「御前は、自分の親が殺された時、どう思った」
 
 
 唐突で、そして残酷な問い掛けだった。だが、金田中尉もアサトも顔色ひとつ変えていない。まるで昨日の晩飯でも聞いたかのような他愛なさだった。アサトは、ゆっくりと瞬きをした後、こう答えた。
 
 
「仕方ないことだ、と思った」
「仕方ないか」
「そう、仕方ない。この世界は強い者しか生き残れないように出来てる。弱い者は食い潰されて淘汰される。オレの家族には生き残れるだけの力がなかった。だから、残念だけど死んだのは仕方がない」
「悲しくはないのか」
 
 
 葛之宮は驚いた。金田中尉の口から、そんな感傷的な言葉が出てくるとは思いもしなかったからだ。だが、金田中尉は感傷的のカの字もないような無表情をしている。アサトは金田中尉を見据えたまま、暫く押し黙った。それからポツリと零す。
 
 
「泣こうが喚こうが、もう死んだものはどうにもならない。死体に抱きついて生き返ってなんて叫んでも生き返らないし、何の慰めにもならない。だから、俺は悲しむ前に、自分が強くなる方法を考える。殺されないように、この世界で生き残れるように、俺は強くなりたい。強くなるためには、今ここであんた達に着いていくべきだって俺は思ってる」
「着いてくれば、俺達と一緒に犬死にする可能性の方が高い」
「それならそれも仕方ない。オレに生き残る力がなかっただけだ」
 
 
 そう言って、アサトはじっと金田中尉を見つめた。その目に迷いはなかった。金田中尉は数秒アサトを凝視して、それから緩く顎をしゃくった。
 
 
「十分後にこの村を出る。御前も用意しろ」
 
 
 金田中尉は、もうアサトを見ていなかった。アサトは数度緩慢に瞬いた後、小さく頷いた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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