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23 命の区別 *残酷描写有

 
 進軍は風のように素早かった。整地のされていない荒れた獣道を、二十名程度の小隊は一晩以上駆け抜けた。先頭を突き走ったのはアサトと金田中尉だ。兵士達は息を切らし、蓄積された疲労に太股を痙攣させながらもその背を必死に追った。まるで二頭の俊敏な獣を追いかけているような感覚だった。
 
 東の空が白んできて、ようやく数分の休憩が設けられた。誰もがその場に座り込もうとはしなかった。一度座れば激しい筋肉痙攣が起こり立ち上がれなくなる事を、その時には誰もが理解していた。唇を僅かな水で湿らせて、号令と共に小隊は再び駆けた。
 
 
 馬の嘶きが聞こえてきたのは、日が西の地平に沈もうとしている頃だった。短い制止の声と共に、金田中尉が茂みの背後へとしゃがみ込む。兵士達も次々と遮蔽物の後ろへとその身を隠した。葛之宮も大木の樹肌に左肩を押しつけるようにして腰を屈めた。立ち止まった瞬間、額から滝のように汗が流れ出てくる。瞼を伝ってくる汗を拳で拭いながら、葛之宮は荒くなる息遣いを必死で堪えた。咽喉の渇きは耐え難いほどだったが水を飲む気にはなれなかった。
 
 偵察がすぐさま送られた。十分も掛からず戻ってきた偵察は、百名程度の西国軍騎馬中隊が林に囲まれた平地に駐屯している事を告げた。金田中尉は報告を受けて、すぐ空を見上げた。仄かな薄暗さが広がりつつあるが、まだ日は沈み切ってはいない。
 
 南軍曹が金田中尉の傍らへと、姿勢を低くしたまま近寄っていく。
 
 
「駐屯が早すぎます。臼長井まで後半日も歩けば着く距離です」
「ああ、ここで後方からの援軍を待つつもりなんだろう」
「後方への伝令は、既に送った後でしょうか」
「さぁな、送った後なら俺達はお終いだ」
 
 
 頭上の木々へと金田中尉は視線を向けた。苗代と声をあげると、木の葉が微かに揺れた。次の瞬間、二人の少年が木の上から地面へと飛び降りていた。全身が薄汚れてはいるものの苗代兄弟の表情は溌剌としている。金田中尉が命令を下す。
 
 
「騎馬隊を見張れ。伝令が出たら、必ず捕らえろ。いいか、まだ殺すな」
「わかったよ、せんぱい」
「ごほうびたのしみにしてるよ、せんぱい」
 
 
 長閑な声だった。物騒な話をしているとは到底思えない。苗代兄弟は短く笑い声を零すと、再び木の葉の影へと消えていった。
 
 待機の間に、ほんの僅かな食料が全員に配られた。干肉ひとかけらと拳大の乾パンだ。葛之宮はそれをゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。ロバの背にもたれ掛かっていた目黒にも同等の食料が配られた。小さく千切った乾パンを水で湿らせて口へと運ぶ。目黒は、殆ど歯のなくなった老人のようにもごもごと唇を動かしてそれらをすべて嚥下した。
 
 
 小隊に仮眠が与えられて葛之宮がうたた寝をしていた頃、苗代兄弟が一人の男と一頭の白馬を連れて戻って来た。まだ年若いであろう西国軍の兵士だ。制服の胸には、鷹の階級章が飾られている。将校である証だ。
 
 葛之宮は将校である自覚故に仮眠を諦めて、その場から起き上がった。小隊の固まりから離れ、金田中尉の傍らへと近付く。金田中尉は隈の浮かんだ目尻を歪ませて、酷く残虐な笑みを浮かべた。
 
 
「おのぞみのものですよ、せんぱい」
「西のでんれいです」
 
 
 苗代兄弟が得意げに胸を張る。西国軍の将校は両腕を後ろで縛られ、地面に膝を着かされた状態で、落ち着きなく左右を見渡していた。口には猿轡を噛まされている。
 
 
「よくやった」
 
 
 苗代兄弟へと簡潔な賞賛を述べて、金田中尉は西国軍の将校をぐいと覗き込んだ。西国軍の将校が目を白黒させている。
 
 
「こちらの言葉は解るか?」
 
 
 反応はなく、西国軍の将校はただ不可思議そうに瞬いている。金田中尉が舌打ちを零すのを聞き、葛之宮は静かに発言した。
 
 
「西国の言葉なら少しは話せます」
 
 
 幼年学校から葛之宮は西国語の専攻を受けていた。日常会話なら容易く話せる程度には習熟しているつもりだ。
 
 そう言った瞬間、金田中尉の顔が更に歪むのが見えた。明らかに葛之宮が関わる事を嫌悪している様子だ。だが、結局は仕方なさそうに肩を竦めて、なら通訳しろ、と短く告げた。
 
 
「今から君に質問をする。大声を上げたら咽喉を裂く。答えなければ指を切り落とす。嘘の情報を教えれば目玉を抉る」
 
 
 通訳すると、西国軍の将校の瞳孔がぐっと広がった。猿轡を噛ませた唇から、ふしゅーっと大きく息が漏れる音が聞こえる。
 
 西国軍の将校は短い逡巡の後、小さく首肯いた。苗代兄弟の片割れが西国軍の将校の喉元へと背後から片手を添えたまま、ゆっくりと猿轡を外す。
 
 
「では、まず階級と名前を」
「西国軍第二騎馬中隊少尉、ラディ・クリストフ」
「初めまして、クリストフ少尉。私は東国軍第四小隊…あぁ、第四小隊はもうなくなったか…。東国軍中尉の金田幹だ」
 
 
 肩書きを述べる辺りで、金田中尉は鼻梁に皺を寄せた。まるっきり将校という地位を嫌悪しているような表情だった。
 
 クリストフ少尉は胡散臭そうに金田中尉を見上げてから、ぎこちなく身体を左右に捩った。よく見ると、背後で縛られた両手首からは血が滴っていた。おそらく苗代兄弟がいたぶるために、わざとキツク縛ったのだろう。今もクリストフ少尉の背後から咽喉を片手で掴んでいるのも、それと同等の理由からだろう。いつでも殺せると脅しているつもりか。
 
 
「君は本隊への伝令か?」
 
 
 普段の粗暴さとは打って変わって、金田中尉の口調は穏やかと思えるほど丁寧だった。それが葛之宮には余計に不気味に思えた。クリストフ少尉が小さく頷く。
 
 
「本隊を呼んで、臼長井基地を襲うつもりだったのか?」
 
 
 一瞬の躊躇いの後、クリストフ中尉はやはり頷いた。
 
 
「そうか。それでは、君達の中隊の正確な人数と、将校の数を教えて貰いたい」
 
 
 不意に、クリストフ少尉が口篭もった。憎悪をはらんだ眼差しで金田中尉を睨み付ける。
 
 沈黙が十秒程度続いただろうか。金田中尉が苗代兄弟へと向かって、小さく顎をしゃくった。苗代兄弟の目が暗闇の中で嬉嬉と輝くのが見えた。
 
 素早くクリストフ少尉の咥内へと布が詰め込まれる。それと同時に上半身を地面へと強く押し付けられた。次の瞬間、鈍く押し殺された悲鳴が聞こえた。短剣を持った苗代兄弟がクリストフ少尉の左手小指と薬指を、二本まとめて根本から切り落としていた。クリストフ少尉の切り落とされた指の根本から間欠泉のように血が吹き出している。
 
 
「黙れば指を切り落とすと言った」
 
 
 赤く染まっていくクリストフ少尉の白い軍服を冷めた目付きで眺めて、金田中尉はそう言い放った。その冷淡な声音に、葛之宮は心臓が凍り付くような感覚に襲われた。金田中尉は極端だから強い、だから怖い。苗代兄弟の言葉を今更ながらに思い出す。
 
 こえだしちゃダメだよ、と苗代兄弟が優しくクリストフ少尉の耳元へと囁く。咥内から布が引き抜かれた瞬間、暗闇に微かな嗚咽が響いた。クリストフ少尉の咽喉から哀れげな啜り泣きが零れている。
 
 
「中隊の正確な人数と、将校の数は」
「……百十二名……将校は、……私を含めて…八、名…」
 
 
 金田中尉が失笑を噛み殺したような表情を滲ませた。苗代兄弟が笑みを深める。残虐さが待ち切れないと言わんばかりの表情だ。
 
 
「かずら、どう思う」
「たかだか百にんのせんぺい隊に八にんもショウコウつけるもんか。おれらがみたときも、軍証つけてたのはせいぜいふたりだったね。あーあ、こいつウソつきだよ、せんぱい!」
 
 
 かずらが声高々に言い終わるのと、金田中尉がやれと命じたのはほぼ同時だった。クリストフ少尉が悲鳴をあげる暇もなく、うずらがその口へと再び布を突っ込む。それと同時にかずらの人差し指がクリストフ少尉の右眼孔へと突き立てられた。絶叫が噛まされた布へと吸い込まれる。クリストフ少尉の身体は、陸にあがった魚のようにビクビクと大きく跳ねていた。その波打つ背を、薄笑いを浮かべたうずらが押さえ込んでいた。かずらの人差し指がクリストフ少尉の眼孔の中で隠微に蠢いている。くちゃくちゃと粘膜を掻き回す薄気味悪い音が聞こえてきた。
 
 ぐちゃん、という水っぽい果実を潰したような音と共に、クリストフ少尉の眼孔から右眼球が抉り出された。眼孔からだらりと伸びた視神経をうずらが短刀で切った。そうして、恭しい手付きで切り離された眼球を金田中尉が差し出した掌の上へと乗せる。粘液と血に塗れた眼球は、まるで薄皮を剥かれたばかりの果実のように瑞々しかった。
 
 
「嘘をつけば、目玉を抉る」
 
 
 掌の中で眼球を軽く弄んでから、金田中尉はクリストフ中尉の残った左眼球の前に目玉を突き付けた。右眼孔から体液の混じった血を流しながら、クリストフ少尉は恐怖の表情で金田中尉を仰ぎ見た。金田中尉は、まるで哀れみ深い悪魔のような表情をしている。
 
 
「俺もこんな事をしたくはないんだ。本当はしたくない。だが、お前が本当のことを言わなきゃもう片方の目まで抉らなくちゃいけなくなる。解るか? お前は賢そうな顔をしてるから、きっと俺の言う意味が解るだろう?」
 
 
 行儀の悪い生徒を諭す教師ような優しげな口調だった。通訳する葛之宮の全身に鳥肌が立つ。クリストフ少尉は、恐ろしい神を目の前にしているかのように金田中尉を凝視していた。
 
 金田中尉はそっと手を伸ばすと、クリストフ少尉の柔らかな金髪へと指先を挿し込んだ。そのまま、ゆっくりと頭皮を撫でる。
 
 
「軍に入ってどのぐらいだ?」
「……半、年…」
「それじゃあ、これが初めての任務か」
「…は、い…」
「そうか。辛いな、初めての任務でこんな目にあって。可哀想に」
 
 
 事務的に台詞を訳しながら、葛之宮は茶番劇でも見ているかのような気分に陥った。金田中尉の諧謔味を帯びた同情の声音は不快感と紙一重で心の奥へと潜り込んでくる。
 
 クリストフ少尉の顔に、色濃い悲しみが滲む。金田中尉は、クリストフ少尉の頬を伝う涙をそっと指先で拭った。それは母親のような甲斐甲斐しい手付きだった。
 
 
「家に帰りたいな、ラディ」
 
 
 その一言を囁いた瞬間、クリストフ少尉の中で何かが崩れ落ちた。クリストフ少尉が子供のようにしゃくり上げる。金田中尉がその顎をゆっくりと掬って問い掛ける。
 
 
「俺の質問にちゃんと答えれば、もうこんな痛い目には合わない。お前は賢い良い子だろ?」
 
 
 悪魔的な手腕だった。このたった数分の間で、金田中尉は一人の敵兵を堕落させようとしていた。身体を痛め付けたところで優しく語り掛ける。救ってやれるのは自分だけ、同情してやるのは自分だけだと暗に教えるのだ。そうして、兵士の心の弱い部分を巧みに突いて、誇りや戦う意志を奪っていく。葛之宮は頬を引きつらせた。この人は誰よりも残酷だ。
 
 
「さ、さんにん…」
「お前を含めてか?」
「…は…い」
「よろしい」
 
 
 そう言って、犬でも褒めるかのように頭をくしゃりと撫でる。おぞましいことに金田中尉に頭を撫でられて、クリストフ少尉はその顔に安堵すら浮かべていた。クリストフ少尉は金田中尉に依存し始めていた。それも自分の魂ごと委ねるような重度の依存だ。その事実に、葛之宮はぞっとした。クリストフ少尉は狂いかけている。
 
 
「伝令はお前だけか?」
「はい…」
「帰還予定は」
「…三日…です」
「よし、では装備を確認しよう」
 
 
 まるで昨日の勉強のおさらいでもするかのような口調だった。クリストフ少尉はこくりと従順に頷いた。金田中尉とクリストフ少尉の関係は、既に敵兵と捕虜というものではなかった。まるで教師と出来の良い生徒のような受け答えで、クリストフ少尉は質問に滑らかに答えた。
 
 銃と砲弾の数、兵糧の残日数、その他事細かに問い質してから、金田中尉は実に満足げな笑みを浮かべた。クリストフ少尉の口元にも、追従するような笑みが薄っすらと滲む。だが、その唇が次の言葉を発することはなかった。苗代兄弟へと向かって、金田中尉が深く頷く。瞬間、苗代兄弟の目が獰猛に光った。
 
 頭上高くまで血しぶきが飛び散った。背後左右から伸びた二本の短剣に、クリストフ少尉の咽喉が真一文字に切り裂かれていた。かずらとうずらが視線を合わせて、にやっとイタズラが成功した悪餓鬼のように笑う。
 
 クリストフ少尉は驚愕に目を見開いたまま、唇を二三度戦慄かせた。どうしてと言わんばかりの眼差しで金田中尉を仰ぎ見ている。まるで神に裏切られたような表情だった。金田中尉は冷めた石の目で、クリストフ少尉を見下ろしている。その目からは、感情と呼べるものは一切読み取れなかった。まるで置物でも見ているかのような眼差しだ。
 
 クリストフ少尉の瞳から光が消える。惰性のように咽喉と口から血を垂れ流したまま、若いクリストフ少尉は死んだ。
 
 
「畜生、せめて向きを変えてから切れねぇのか」
 
 
 鮮血をしたたかに浴びたのか、金田中尉が顔面に飛び散った血を拳で拭いながら不愉快そうに呟く。絶命したクリストフ少尉の身体を地面へと蹴り倒して、苗代兄弟はヒヒッと卑しい笑い声をあげた。
 
 
「せんぱい、おれらはシット深いんだ」
「ほかのやつらにやさしくしたら、おれらおこっちゃうよ」
「馬鹿か。結局殺すのに優しいも優しくないもあるか」
 
 
 咥内に入った血を唾液と一緒に吐き捨てて、金田中尉は唇を歪めた。葛之宮の頬にも血が飛び散っていた。それを手の甲で拭っていると、金田中尉が皮肉げな眼差しを向けてきた。
 
 
「貴方は酷いだとか喚かないのか?」
 
 
 人を小馬鹿にするような問い掛けに、葛之宮は眉をしかめた。
 
 
「僕にだって、区別ぐらいは出来ます」
「区別?」
「守るものと殺すものと」
 
 
 相手の心をぐずぐずに溶かすような金田中尉のやり方は酷く不愉快だった。だが、この結果は当然と言えば当然だ。敵兵の伝令を生かしておくことは出来ない。情報を吸い出したら殺すのが一番こちらにとって安全だという事ぐらい葛之宮にだって判別は出来ていた。
 
 金田中尉がへぇと言わんばかりに口元を歪める。
 
 
「その区別はどこで付けるんだ?」
「敵と味方の区別ぐらいつきます」
「だが、同じ人間だろう?」
「そんなことを言っていたら戦争なんて出来ません」
 
 
 吐き捨てる。金田中尉の侮りが腹立たしかった。手を伸ばして、金田中尉の掌に握り締められていたクリストフ少尉の眼球を取り上げる。金田中尉は、吃驚したように目を大きく開いた。
 
 
「埋めておきます。中尉殿はお休み下さい」
 
 
 血にまみれた掌をぐずぐずとズボンに擦り付けながら、金田中尉はあぁと短く答えた。その目は、既に遠くの暗闇をぼんやりと見つめていた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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