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24 同族嫌悪と同族愛

 
 金田中尉は眠っていないようだった。その証拠に、明朝開かれた将校と士官の作戦会議に現れた金田中尉の目の下には、昨夜よりも色濃い隈が浮かび上がっていた。だが、その隈は疲労を感じさせるというよりも、金田中尉の表情に陰惨な凄みを与えていた。くすんだ石の目は、数度宙を眺めて瞬いた後、簡易机の上に置かれた地図へと落とされた。
 
 
「明日、丑の刻に西国軍先兵隊を襲撃する」
 
 
 その口調からは、戦闘への恐怖や高揚すらも感じられなかった。それどころか、明日の献立でも話しているかのような長閑さすら感じさせる穏やかな声音だった。西国軍先兵隊が駐屯する位置を人差し指で指さしながら、金田中尉は人数分届けられた白湯をゆっくりと啜った。朝は気温の低いことを気遣ってか、白湯はぬるま湯だった。
 
 
「作戦はどうしますか? 百十一名の敵兵に対して、こちらは二十二名。重傷者を除けば、十数名程度になります。奇襲といえども、五倍以上の兵力差を補い切れるとは思えませんが」
 
 
 南軍曹が淡々と意見を返す。その横で、石川曹長がいかにも不機嫌そうな仏頂面を浮かべていた。固く凝ったこめかみを手首の付け根でぞんざいに揉みながら、金田中尉が言葉を続ける。
 
 
「臼長井基地に伝令を出して加勢させる。あそこがどれだけ小さい基地だろうと、百人ぐらいは兵士がいるだろう」
「臼長井基地はおそらく既に西国軍の先兵隊の監視下に入っているかと思われます。兵士が入るのを見られれば、奇襲を気取られて逆に警戒されてしまうのでは?」
「兵士は使わない」
 
 
 ふと吐き出された金田中尉の奇妙な一言に、その場にいる誰もが首を傾げた。白湯をずずっと音を立てて啜ると、金田中尉は草むらへと向かって声をあげた。
 
 
「狸みたいに隠れてないで、さっさと出てこい」
 
 
 暫くの静寂の後、草葉が擦れる音が小さく響いた。草むらの中から、しゃがみ込んだアサトがゆっくりと這い擦って出てきた。それを見て、金田中尉が苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
 
 
「盗み聞きなんて気色悪い真似はするな」
「馬鹿正直に俺も聞かせてなんて言ったら、あんたは聞かせてくれた?」
「ほざくなクソガキ。んなこと言いやがったら、手前のケツ蹴り飛ばしてやる」
「ほらね」
 
 
 噛み付き合うような応酬に、葛之宮は焦った。本当にアサトを蹴り飛ばしてしまいそうな金田中尉から、慌ててアサトを遠ざける。葛之宮の背後に匿われたアサトを憎々しげに睨み付けてから、金田中尉は言葉を続けた。
 
 
「こいつに物乞いの格好をさせて伝令させる。こんな惨めなガキが一人臼長井基地に入るぐらい、誰も気に止めやしない」
 
 
 その言葉に驚いたのは、葛之宮と石川曹長だけだった。
 
 
「子供にっ…!」
 
 
 非難の声をあげたのは石川曹長だった。唇を二三度不愉快そうに震わせてから、決然とした様子で首を左右に振る。
 
 
「子供に、そんな危険なことをさせるわけにはいきません」
「何故だ? こいつは危険を解って、俺達に着いてきたんだ。今こそ有効活用しないと勿体ないとは思わないか?」
「勿体ないだとか、そういう問題ではありません」
「そうだな。そういう問題じゃない。生きるか死ぬかの問題だ」
 
 
 寒々しい金田中尉の声音に、一瞬石川曹長がハッと息を呑む。金田中尉はどこか見下すような眼差しで石川曹長を眺めている。
 
 
「どうせこの作戦が失敗すりゃあ、このガキだって死ぬ。勿論俺達も皆殺しにされる。選択肢はとてつもなく少ない。なぁ、石川曹長。この死ぬかどうかの瀬戸際に、子供だ、危険だ、と言ってる余裕が俺達にはあるのか? なァ?」
 
 
 金田中尉の口調は、まるで小虫を指先でいたぶるかのような刺々しさをはらんでいた。石川曹長の顔が痛々しく歪む。おそらく石川曹長は兵士に対しては何処までも自分を律することができるのだろう。軍律を守り、時には部下の命を見捨てることもできる。だが、軍律から外れた人間に対しては思いやりを捨て去ることができない。それが特に子供であれば、なおのこと。
 
 張り詰めた空気を和らげるように南軍曹が静かに声をあげた。
 
 
「君はやれるのかい?」
 
 
 アサトへと視線を落とすと、ゆっくりと問い掛ける。アサトは軽く瞬いた後、葛之宮が手に持つ白湯へと視線をやった。
 
 
「それ飲んでもいい?」
 
 
 緊張感のない幼い声だった。一瞬葛之宮は躊躇ったが、アサトへと白湯を差し出した。それをアサトはこくこくと二三度咽喉を鳴らして飲んだ。飲み終わると、アサトは金田中尉へと向かって頷いた。
 
 
「やるよ。やらなきゃ死ぬんだろう?」
「そうだな」
「その代わり、戻って来たらオレを追い出そうとするのはやめろ」
 
 
 どこか尊大な言い草だった。金田中尉は一度鼻梁に皺を寄せた後、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 
 
「俺に言うな。戦争遺児は、中央養護院に保護された後に里子に出されると決められている」
「自分がどうなるかなんて解り切ってる。身寄りのない戦争遺児なんて、どうせ頭の可笑しい幼児愛護者に引き取られて玩具にされるだけだ。オレは、腹の出たオヤジに弄ばれるなんて御免だ」
「手前の行く末なんざ俺の知ったことか」
「あんたがオレを引き取れ」
 
 
 迷いないアサトの言葉に、金田中尉が軽く目を見張る。アサトを暫く見つめた後、皮肉げに口角を歪める。
 
 
「俺に、手前と親子ごっこでもしろって言うのか」
「そんな事、あんたに望んじゃいない。オレを引き取ってくれさえすればいい」
「巫山戯るな。手前みたいなガキなんざ欲しくもない」
 
 
 金田中尉の顔に、紛れもない嫌悪が浮かび上がる。冷め切った眼差しで、アサトを睨み付ける。
 
 
「巫山戯てなんかいない。あんたはオレを引き取る。そうじゃなきゃ、臼長井基地に伝令に行くのもナシだ」
「俺を脅す気か?」
 
 
 ハッと金田中尉が憎々しげな笑い声を零す。それに対して、アサトは平坦に返した。
 
 
「そうだ。だけど、あんたなら解るはずだ。今どうするのが最善か、っていうことは」
 
 
 金田中尉の顔は、既に鬼の形相へと変わっていた。怒りに赤黒く染まった顔面は、直視を躊躇わせるほどだ。金田中尉の手が蛇のように伸びる。その手はアサトの胸倉をキツク掴んで、自身へと引き摺り寄せた。その乱暴な動作に、葛之宮は思わず金田中尉の腕を掴んだ。金田中尉の視線が一度葛之宮へと向けられる。射殺すような眼差しに、息が止まりそうになる。金田中尉は葛之宮を見て舌打ちを零すと、再びアサトへと視線を落とした。
 
 
「引き取ったら、俺がお前を殺すとは思わねぇのか?」
「殺す理由がある?」
「子供は嫌いだ。吐き気がするぐらいにな」
 
 
 殺意を交えた視線が交錯する。無表情だったアサトの顔面に、微かな憎悪が滲み出す。この二人は酷く似ていた。同族だからこそ、相反し、衝突するのかもしれない。皮膚をピリピリと刺激する張り詰めた空気に耐えかねて、葛之宮は金田中尉の腕を掴む手に力を込めた。手首を締め付ける力に、金田中尉が不快げに視線をあげる。
 
 
「中尉、アサト君を離して下さい」
「口を挟むな、お坊ちゃん」
「彼がいないと僕らはここで野垂れ死にです。貴方だって解ってるはずだ。選択肢は少ないんじゃない。選択肢は“ない”んです」
 
 
 葛之宮の言葉に、金田中尉が苦々しく頬を歪める。理性では、痛いぐらい現実を理解している。だが、感情は理性に付き従わない。金田中尉は、おそらく子供に対して原始的と思えるほどの嫌悪を覚えている。金田中尉が奥歯を噛み締める。ガギッと奥歯が軋む音が鋭く響いた。その次の瞬間、金田中尉は、殆ど撥ね除けるようにしてアサトから手を放した。アサトの服は、胸元がだらりと伸び切っている。
 
 
「必ず、命令を遂行しろ。東国軍第四小隊長金田幹から至急の伝令だと言え。渡すのは臼長井基地責任者の小笠原昭乃だ。必ず本人に渡せ。阿呆な兵士には絶対指一本触れさせるな。小笠原に渡したら、目を通すまで決して離れるな」
 
 
 淡々と告げる金田中尉からは、先ほどの烈火の如き憎悪は消えていた。ひたすら事務的に、感情の削がれた声で命令を下す。アサトは、数秒金田中尉を見上げ、それから静かに頷いた。口に出さずとも、金田中尉とアサトの間に先ほどの契約が成立していることは解った。
 
 
 それから、兵士へと命令してボロ雑巾といっても過言ではない汚れた布を用意すると、それを裸になったアサトへとぞんざいに巻き付けた。アサトも自主的に顔へと土や泥を擦り付けた。
 
 アサトに物乞いの格好をさせると、金田中尉は南軍曹から黒い書状を受け取り、それをアサトの胸へと乱暴に押し付けた。金田中尉は意図的にアサトに冷たく当たっているようだった。アサトが書状を受け取ったのを見ると、流れるような手付きで自身の腰へと括り付けていた短剣を引き抜く。装飾も何もない、刀身も持ち手も黒い短剣だった。
 
 
「これを持て」
「貸してくれるのか?」
「くれてやる。それはお前の剣だ」
 
 
 アサトへと短剣を持たせると、突き放すように胸元を掌で軽く突き飛ばす。
 
 
「行け。日付が変わる前には戻れ」
 
 
 書状をボロ布の胸元へと入れると、アサトは返事を返すこともなく、風ように走り出した。草むらが揺れる音が細かく聞こえて、その数秒後にはその小さな背も見えなくなった。
 
 
 
 
 
 
 丑の刻の奇襲は、兵達にも即座に伝えられた。各々で銃器の点検をするように命じられ、その後は交代制の見張りと戦闘に備えての休息が兵達に与えられた。
 
 まるで死んだように眠り続ける兵達の中、葛之宮は目黒の看病にあたった。目黒の顔は青白いものの、左足を切断する前よりかはその気力は回復しているようだった。差し出した乾パンを、目黒は自分の力で噛み締め飲み込んだ。乾パンを奥歯で咀嚼しながら、目黒がふと問いかけてくる。
 
 
「…自分の…足は…」
「荻羽村の胡桃の下に埋めました」
「そう、…ですか」
 
 
 聞いておきながら大して興味もなさそうな口調だった。与えられた食料をすべて残さず腹に収めると、目黒は麒麟を胸に抱いてその銃身を掌でゆるゆると撫でた。まるで赤子をあやしているような仕草だった。
 
 
「どうして、そんなに麒麟に執着するんですか?」
 
 
 葛之宮の問いに、目黒はゆるりと視線をあげた。その目には確かに生き物の光が宿っていた。
 
 
「くだらない、ただの…同族愛…」
「同族愛?」
「自分と同じ、役立たず…だから…」
 
 
 その自虐的な言葉に、葛之宮はぐっと眉をひそめた。悲しげに歪んだ葛之宮の表情を見て、目黒がゆっくりと首を左右に振る。
 
 
「いまは、です。自分が…変えます。こいつを、必ず…武器にします…。役立たずのままでは、終わらせない…」
 
 
 それは麒麟に対する言葉にも、目黒自身に向けた言葉にも聞こえた。目黒は深く息を吐くと、そのまま静かに目を閉じた。直ぐに小さな寝息が聞こえてきた。
 
 

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Published in 地平の戦争

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